結婚しました19年目

博士を取ったある女性エンジニアの毎日

久々にちょっと考えた

2009-10-08 23:52:33 | 大学生活(研究とか)
博士号の意味.

研究者として博士号を取得する人はまっとうな取り方だろう.

しかし,私は研究に向いていないとわかっていながら,
それでも博士号を取得した.
しかも,結局,研究職は希望しなかった.
就職先のメーカーでも,研究所を打診されたが蹴った.
そのぐらい,私は研究から離れたいと考えている.

多分,博士号を取ったのも意地と惰性の2つだったように思う.

でも,私は,博士号を取れる立場に居る人には,取得を勧める.
とくに,大きく生活を変えずに取得できそうな人には.

なんでだろうか?



博士号を持っていることで不利になったことがないから…か?
博士号は私にとって資格の一つに過ぎないから…か?



そう,私にとって博士号は,
ある技術をあるレベルまではできると示すためだけの資格.

少なくとも大学で研究を行ってきたこと(分野とまでいかない小さい範囲)については
博士を取得した時点で誰にも負けないぞという自負を示したもので“しか”ないからかもしれない.



あぁ,そうだ.



持っていて不利になることは,生き方次第であまりないけれど,
持っていて有利になることも,ほとんどない.

そう,本当に大したものじゃないから,気になるなら取ればいい.

そう思っているから私は取得を勧めるんだ.
私なんかでも取れるようなものなんだから.


取らなかったことを正当化するほどのものでもない.
取らなかったことを正当化するために,振り返るのはもったいない.
そのぐらいならば,取ってみればいい.

そう思うから私は勧めるのかもしれない.
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学位授与式

2008-03-27 14:42:32 | 大学生活(研究とか)
昨日,学位記をいただきました.

同じ大学で,学位授与式に3回参加となりましたが,
やはり,今回が一番思い入れがありました.

まぁ,慣れてしまっていて,カメラも持たず,
着物やアカデミックガウンも着用せずでしたが^^;;

卒業式では初めて,終電まで,
同期や一緒に卒業する後輩達と飲んでました.



大ボスからいただいた言葉.
『自信をもってやりなさい』

同期から貰った言葉.
『なんだ,かんだ言ったって,M2の面倒を見れるんだから,
 3年間の意味はあったんだよ』



そうですよね.きっと意味がないことはないんですよね><

名刺に入る『工学博士』の名称に負けることなく,
前を向いてがんばります!

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撤収に向けて

2008-03-18 12:30:27 | 大学生活(研究とか)
6年間過ごした研究室から撤収するため,
参考文献やら,測定結果やら,サンプルやらの
後片付けを日々行っています.

中でも,参考文献とPCの中のデータ整理が大変@@;;

今日で定期券も切れるので,もう明日からは来ないぞ!と
思っていたのですが,そんなことは無理ーー;;

卒業式までに終わるといいなぁ・・・・.


あ,その前に内定先への提出物を出さねば><
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ゆらゆら,と

2008-03-03 17:18:37 | 大学生活(研究とか)
unacceptableと言われた学会へ
「いつから行く予定なんだ?」と
大ボスに言われました.
「まさかぁ,ダメだったんですよ?」と言ったら,
「見学だけ行くんだと思っていたんだが・・・」と返ってきた.

ちょっと微妙な間があって,別の話題に移行したけれど・・・.

今更ながら,そういえば予算もあったんだし,
行ってきても良かったんだよなぁと・・・・.

私の予算だし・・・・.



暇になって,先に対する準備をしようと思ったり,
旦那と一緒に遊びに行こうと思っていたのに,
旦那は本を書くとか言って忙しくなった.

私は,ふと気がつけば,定年退職を迎えたお父さんのように,
何をすればいいのかわからない.

確かに,ピアノも弾きたい,水泳もしたい,
家の大掃除もしたい,
でも,何かが違う,気がする・・・.


暇は良くない.

乗り越えたと思ったことがゆらゆらと近づいてきて,
また取り付いてくる.

自分の存在意義,そんなものが欲しいのかもしれない.

最近旦那は本を書くことが第一義になっていて
私はいらないらしい.
結局,私はセンセに認められていないらしい.
大学の親友(男)は,結局私と仲直りする気はないようだ.

私は何?

確固たる自分というものが存在しないから,
外側から,認めて欲しい存在から,
認めてもらえないことが辛い.
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博士課程を振り返って(最後に)

2008-02-29 20:01:19 | 大学生活(研究とか)
私は博士課程の成果を論文に出来ていない.
そう,私は学部と修士の成果を元に博士号を取得するのだ.

もちろん,今,博士の成果をまとめるべくやっているが,
これをきちんと形にするには,多少データが足りず,
ちょっと困難な状況である.

結局,精神的に崩れ,それを持ち直すことで終わった3年.

これが,私の博士3年間であろう.


このことからも,少なくとも現状の自分を比較対象とし,
自分の能力を伸ばすという観点から考えると,
私の博士課程進学は間違いであったと言えると思う.

それとも,この精神的な崩れは,今後の自分にとって
何か良いことをもたらしてくれるのであろうか?

正直なところ,この崩れは,ストレス耐性を低くしただけであり,
この崩れにより得たものはないと思うのだが・・・・.

本当に,何も得るものがなかったのか,
それとも,実は大きな(いや,小さくても)何か得るものがあったのか,
これは,きっと,数年後にならなければ判断できないと考える.


願わくば,この3年を有益なものであったと,少しでも思いたい.
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博士課程を振り返って(その6)

2008-02-29 19:49:07 | 大学生活(研究とか)
正直,それ以降のことは良く覚えていない.

D3の春から再開したセンセとのミーティングが苦痛で,
毎回泣くように実験し,怒られ,実験し・・・.

ただ,ひたすら泣きまくり,センセの目を見て話せなくなり,
顔を見ても話せなくなり,センセの方も向けなくなり,
センセが来る可能性のある自分の机に居ることすら無理になった.
そして,大学に行けなくなった.

でも,そのときの感覚は,もう遠い昔のようで,戻ってこない.

そして,カウンセラーさんのおかげで,なんとか持ち直せた.

それが,D3の秋.




その後は,フラッシュバックと戦いながら,
博士論文を仕上げ,現在に至る.




結局,医者からは「病気じゃない」と言われたが,
それでも,安定剤は処方された.

そして,当初は安定剤があることで,楽になれた.
(今は服用すると,最悪な状態になるので,もう服用していない)

いったいD3の一年間に意味はあったのか,
いや,そもそも博士課程の3年間に意味があったのか・・・.
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博士課程を振り返って(その5)

2008-02-29 19:39:03 | 大学生活(研究とか)
そして,D2の年の卒業式の日.

それまで,後輩に対し何度も言ってきたことに対し,
後輩が「そんなの知らね~よ」とふざけたことを言っていたのに対し,
私が,ついに怒ったんです.
(まぁ,同じことが1年間続いていたので・・・,ブチッと)

「耳蛸だといっていたのは誰だ!」
「きちんと上の代に聞いて準備しろって言っていただろう!」
「耳蛸だと言ったからには,ちゃんとやれ!!」と.

そんな私に対し,センセは,
「ちゃんと伝えていなかったんだろう」
「後輩たちの代は,そういう代なんだからほっとけ」
「雑用なんかしてくれと,いつ俺が頼んだ?お前の仕事じゃない」
と.

あぁ,そうか.
わかっていたのにほっておいたんですか.
ダメな代だってわかっていたのに,ほっといたんですか.
まかりなりにも,教育者なのに,放置ですか.

そして,そんな代が言ったことを真に受けて,
私が言ったことは信じないんですか?

その上で,私がやってきた雑用なんかする必要がないと.
私がやってきてくれて,ありがとうでもなく,
全て無駄だと.



研究室のほとんどの人間が居る前で,
ダラダラと涙が止まらなくなり,
しゃくりあげ,もう,どうしようもなくなり,
自分がいかにセンセに信用されていないのか悟り,
あぁ,無駄だったなぁと・・・.

何を自分がしていたのだろうかと.




これが致命傷となり,これ以降は,
何かあれば簡単にボロボロと泣く人間へと成り果てました.
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博士課程を振り返って(その4)

2008-02-29 19:25:21 | 大学生活(研究とか)
そして,D2後期には
・旦那の転職
・私の就活
・依頼されたサンプルの測定
が私に圧し掛かってきました.

まず,私がやらなくても良い測定の大量の測定の仕事が,
研究をがんばっていた私にド~ンと圧し掛かってきました.

「なぜ,私がこの仕事をやる????」
「なぜ,M1がこの仕事をやらない????」
「なぜ,こんなにかかりっきりになっているのに,
 研究をしたいのに,できないのに,
 研究が進んでいないと怒られなければならないんだろう????」

こんな疑問が頭の中をぐるぐる回り,
ただ一人で測定器の前に朝8時から夜0時近くまで座り続けて2週間.

研究も停滞し,何をやっていたのかすらわからなくなり,
精神的にも落ち込みやすくなってきた.



そして,就職の志望企業への問い合わせ.

その結果:他の学部生たちと同様に就活してください
と言われ.見学などは,センセに黙って行っていましたが,
エントリーシートを提出するのを黙っているのは,
まずいと思い,就活でエントリーする旨を伝えました.

そのときのセンセの台詞
「研究進んでないから,推薦書は書けないからな」

まぁ,自由推薦で行くつもりだったので,「大丈夫です」と応えました・・・.

でも,他の企業さんの説明会へ行っても,推薦書は必要とのお達しでした.

で,あちこちの先生方や企業さんへ,
「絶対に推薦書が必要ですか?なくてもなんとかなりませんか?」と
騒ぎまくっていました・・・・.



測定をやらせて,研究が進んでいないって・・・.
私にどうしろと????と,
落ち込み始めた時期です.



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博士課程を振り返って(その3)

2008-02-29 19:05:24 | 大学生活(研究とか)
そして,D2になった年の4月.私は旦那と結婚しました.

この年は,助手や今までいた博士課程の先輩の卒業に伴い,
研究室の体制が大きく変化した年でもあります.

居なくなった助手から頼まれたこともあり,
私の中では「私が研究室をまとめねば.雑用もこなさねば」と
義務感を強く有していた年です.



まずは,研究室内の細々した雑事に追われつつ,
研究を行うことに慣れることでいっぱいいっぱい.
その上,結婚したことで旦那との生活に慣れるのもいっぱいいっぱい.



そんな私に対し,センセは,同じことに対し
「なぜ,○○しないんだ( ̄へ ̄#)ハァ?」とか
「なぜ,○○するんだ( ̄へ ̄#)ハァ?」とか
矛盾することを言ってくるようになりました.

今考えれば,一回一回の状況は異なっているから,
同じことに対し言う台詞が異なったのでしょうが,
その説明を受けておらず,いっぱいいっぱいだった私は,
徐々に,そのセンセの台詞に対処できなくなってきました.

結局,自分の頭で考えずに,言われたことだけを,
言われたように行うことだけに忠心するようになりはじめました.

今思えば,このころから少しオカシカッタノカモ.

センセの台詞を一言一句全部覚えていて,
このときにはこう言った,あー言ったと言うのを
全部言えたんです.

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博士課程を振り返って(その2)

2008-02-29 18:53:13 | 大学生活(研究とか)
その後の修論を書く過程で,センセとの仲が悪化していきました.
まぁ,この段階での仲の悪さは,コミュニケーション不足に起因しているので,
今思えば,大したことではないし,ちゃんと気をつければよかったと思います.

そんな中で,修士を修了.

博士課程の生活が始まりました.


まず,最初のバトル勃発.
大学の外の機関で研究をしてみたかった私と
まだまだ力不足なのだから学内で研究すべきと考えたセンセ.

まぁ,どちらも間違ってはいない.

そして,最後に外で研究はしないと決めたのは私.
「外で3ヶ月研究したら,卒業も3ヶ月遅れる」と
センセが言ったにしても決めたのは私.




次に,回りが就職して,給料を得ている中で
自分は何をしているのだろう??という焦燥感.

こればかりはなんとも出来ず,ただひたすら焦っていた.
だから余計に,外部で研究がしてみたかったのかもしれない.

でも,11月の頭には奨学金がもらえることが決まり,
この点に関しては,煩わされることはなくなりました.




奨学金が支給されることが決まり,
彼氏と結婚しても生きていけるだけのお金が手に入ることが決まったので,
結婚することが決まりましたーー;;;

まぁ,後輩とかには,
gururuの結婚のために奨学金が出たわけじゃないと言われましたが・・・.

この件に関しては本当に,ごめんなさい.
でも,きっと,あの時結婚していなかったら,
私は博士課程中退で大学から逃げていたと思います.
あの時結婚したのは,私にとってはベストタイミングだったのです><




結婚式は,両家の両親の意向で,行うことになり,
平日&土曜日は研究,日曜日は結婚関係の手続きは下調べを行いました.

あまりの忙しさに,髪染め薬に対しアレルギー症状が
発症したのもこのころです.




研究も,進む方向を見失いつつあり,あまり上手く進んでいませんでした.
センセとのコミュニケーションは,双方共に放置したため,ほぼ0.

だから,一層の悪化はしなかったけれど,
良くなることも,苦手意識の改善も,されませんでした.

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