パウロはサンヘドリンで弁明する。夜、パウロに主が現れる。40人以上のユダヤ人たちがパウロ殺害を誓い、陰謀を巡らす。それを甥がパウロに告げ、軍司令官に告げる。パウロは兵士の警護のもと、軍司令官の手紙と共に、カエサレアのフェリクスのもとに送られ、告訴人の到着まで、ヘロデの宮殿内で監視される。
今回は11節についてだけ。
「主は彼のそばに立ってこう言われた『勇気を出しなさい! あなたは、わたしに関する事柄についてエルサレムで徹底的な証しをしてきたが、それと同じようにローマでも証しをしなければならない』。」
最初にツッコミを。パウロはエルサレムで「徹底的な証し」なんてしてない。年長者たちに報告して、捕まって群衆に対して話し、サンヘドリンで弁明(とは言っても復活論争を起こ)しただけ。
他の訳では「証しした」「力強く証しした」「強く証言しぬいた」など。新世界訳は状況を考えず、とにかく「証し」となれば「徹底的に」をつけるという、繰り返しによる洗脳をねらってるかのような訳し方。
パウロの回心後に、主(幻)が現れた記述は3度目。1度目は第二回宣教旅行で、アジアでの宣教を許さずマケドニアへ渡るように、2度目も第二回宣教旅行のコリントで、ご自分の民がたくさんいるからそこに留まるように(1年半留まった)、そして今回ローマで証しするように、と。第三回宣教旅行のときは、主の霊はパウロのエルサレム行きを止めようとしていた(?)ようにも思える。
パウロはユダヤ人への証しにすごくこだわっていたのかもしれないけど、やっぱり異邦人への使徒だったんだなぁと思う。(例えばコリントで、パウロはユダヤ人に対して衣を振り払ったけど、アポロはユダヤ人を論駁した)
聖霊はいつもパウロを異邦人へと導こうとしているように思える。そしてローマでも、パウロが果たした役目は大きかった。
最終的にキリスト教は、ローマの国教になって世界中に広まった。
でもそれは、イエスの教えから離れてしまったキリスト教で。それでもイエスのことが伝わればよかったのかなぁ・・・
さて。
エホバの組織は、この背教したキリスト教が大いなるバビロンの主要部分で、真のクリスチャンが2世紀始まった頃にはそれに捉えられて、1919年だかに解放されたのなんだのと言ってる。大いなるバビロンとか1919年とか、この組織の独自の聖書解釈って、なんだかすごく表面的で的外れ(しかも悪霊的)だよね。
今回は11節についてだけ。
「主は彼のそばに立ってこう言われた『勇気を出しなさい! あなたは、わたしに関する事柄についてエルサレムで徹底的な証しをしてきたが、それと同じようにローマでも証しをしなければならない』。」
最初にツッコミを。パウロはエルサレムで「徹底的な証し」なんてしてない。年長者たちに報告して、捕まって群衆に対して話し、サンヘドリンで弁明(とは言っても復活論争を起こ)しただけ。
他の訳では「証しした」「力強く証しした」「強く証言しぬいた」など。新世界訳は状況を考えず、とにかく「証し」となれば「徹底的に」をつけるという、繰り返しによる洗脳をねらってるかのような訳し方。
パウロの回心後に、主(幻)が現れた記述は3度目。1度目は第二回宣教旅行で、アジアでの宣教を許さずマケドニアへ渡るように、2度目も第二回宣教旅行のコリントで、ご自分の民がたくさんいるからそこに留まるように(1年半留まった)、そして今回ローマで証しするように、と。第三回宣教旅行のときは、主の霊はパウロのエルサレム行きを止めようとしていた(?)ようにも思える。
パウロはユダヤ人への証しにすごくこだわっていたのかもしれないけど、やっぱり異邦人への使徒だったんだなぁと思う。(例えばコリントで、パウロはユダヤ人に対して衣を振り払ったけど、アポロはユダヤ人を論駁した)
聖霊はいつもパウロを異邦人へと導こうとしているように思える。そしてローマでも、パウロが果たした役目は大きかった。
最終的にキリスト教は、ローマの国教になって世界中に広まった。
でもそれは、イエスの教えから離れてしまったキリスト教で。それでもイエスのことが伝わればよかったのかなぁ・・・
さて。
エホバの組織は、この背教したキリスト教が大いなるバビロンの主要部分で、真のクリスチャンが2世紀始まった頃にはそれに捉えられて、1919年だかに解放されたのなんだのと言ってる。大いなるバビロンとか1919年とか、この組織の独自の聖書解釈って、なんだかすごく表面的で的外れ(しかも悪霊的)だよね。