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聖なる書物を読んで

現役JW29年目

ペット

2018-07-07 | 聖書
詩編50:10~12
森林の野生動物はどれもわたし(エホバ神)のものだからである。
千の山の上の獣も。
わたしは山々にいる翼のある生き物を皆よく知っており、
原野の動物の群れもわたしと共にいる。・・・
産出的な地とそこに満ちるものは、わたしのものだからである。

エホバ神を信じていない人には、この真理が理解できないんだろうな。

動物をぺットにすること自体が、歪んだ行為であるかもしれないのに。
人間の傲慢さの表われかもしれないのに。
地がエホバ神から離反した状態にあるから、神の目的から外れているから、
行われていることかもしれないのに。

人間は、生き物のサイクル含め、自然の法則をすべて理解しているわけではない。

可愛がっていたペットが死ぬのは、悲しいと思う。
それは、楽園であっても変わらないだろうと思う。
でも、それを人間の死と同じもののように捉えるのは、違うと思う。

会衆

2018-07-05 | 聖書
ギリシャ語で、エクレーシア。

呼び集められた人々の集団。


新約聖書で、この語が「会衆」と訳されてるのは、

新世界訳だけかも・・

他は、教会とか、集会とか、集まりとかになってる。


イエス・キリストは、岩塊の上にエクレーシアを建てると言われた。


教義によると、この岩塊はイエス・キリスト。


確かに信仰の土台は、イエスだけど、

エクレーシアの土台は、ペテロだったのかも・・と思う。

イエスはペテロに、わたしの羊たちを養いなさい、と言われた。

使徒たちの初期の活動を読むと、まさにペテロは大活躍してる。

福音書でも、ペテロへの注目度は、半端ない。



も一つ。

教義によると、神のクリスチャン会衆とは、油そそがれた人たちのこと。


とすると、聖書中にある、会衆に関して書かれた事柄は、

すべて油そそがれた人たちへの言葉ということになる。


だとしたら、今、自分の属している会衆ってなんなのだろう。

滅びる人

2018-07-03 | 聖書
マタイ12:31 「・・人はあらゆる種類の罪や冒とくを許されますが、霊に対する冒とくは許されません」

マルコ3:28、29 「・・人の子らは、冒とく的な仕方でどんな罪また冒とくを犯したとしても、すべてのことは許されます。しかし、だれでも聖霊を冒とくする者には永久に許しがなく・・」

ルカ12:10 「・・聖霊を冒とくする者は許されません」

使徒5:3 「・・アナニヤよ・・聖霊に対して虚偽の振る舞いを・・」

使徒7:51 「・・あなた方はいつも聖霊に抵抗しています」

ヘブライ6:4 「・・聖霊にあずかる者となり・・ながら、なおも離れ落ちた者たち・・」

ヘブライ10:26 「・・真理の正確な知識を受けた後、故意に罪を習わしにするなら・・」

ヘブライ10:29 「・・過分のご親切の霊をないがしろにした者は、はるかに厳しい処罰に値する・・」


簡単に言うと、

聖霊にあずかる者となったのに、その霊に逆らったら滅びるよ。

ということらしい。


だとしたら、今地上にいる人のほとんどは、滅びない。

油そそがれた方々は、気をつけないといけないです。

聖霊

2018-06-29 | 聖書
いつの時でも、聖霊は、組織にではなく、個人に働いた。

昔の預言者にも、裁き人にも、イエスの弟子たちにも。


ヨエルの預言もそうだ。

「わたしは自分の霊をあらゆる肉なる者の上に注ぐことになる。・・その日には下男やはしためたちの上にも私の霊を注ぎだす。」


だとしたら、今も、もし聖霊が働くのなら、個人にであって、

組織にではないだろう。

つまり、神の霊に導かれる組織なんて、ないことになる。


それって、つまり・・・・

この組織含め、どの組織に属していても良い、

なんなら組織に属さなくても良いってことかも。


・・やっぱり、迷う。

ハルマゲドン後

2018-06-27 | 聖書
みんなで、瓦礫を、何年もかけて、片付ける。

らしい。


ペテロ②3:10~11 「・・エホバの日・・天は鋭い音とともに過ぎ去り、諸要素は極度に熱して溶解し、地とその中の業とはあらわにされる・・これらのものはこうしてことごとく溶解するのです・・」


化学は得意じゃないけど・・たとえば、

物質をすべて原子レベルに分解して、新たに有用なものに創り変える。

それぐらいのことは、エホバ神なら簡単にできるだろう。

ペテロは、その様子を描写したのかもしれない。

そして、待ち望んでいる、義の宿る新しい天と新しい地。


ノアの時も、エホバは、洪水で、のろわれた地を清めてくださった。


うん。瓦礫の片付けなんて・・・ない!



エホバの証人

2018-06-26 | 聖書
イザヤ43:10~12を根拠として、付けられた名称。


でも、これはイスラエルとの律法契約に基づいたもの。

だから、地上でのイエス・キリストは、エホバの証人だった。


では、イエスの弟子たちは?


ルカ1:46~48 「・・キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって罪の許しのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣べ伝えられる-・・あなた方はこれらの事の証人となるのです」

使徒1:8 「・・地の最も遠い所にまで、わたしの証人となるでしょう」

使徒1:22 「・・主の復活の証人になることが必要です」

使徒2:32 「このイエスを神は復活させたのであり、わたしたちは皆その事の証人です」

使徒3:15 「・・神はこの方を死人の中からよみがえらせたのであり、わたしたちはその事の証人です」

使徒5:30~32 「・・神はイエスを・・よみがえらせました。神はこの方を・・ご自分の右に高めました。・・わたしたちはこれらの事の証人であり、聖霊もまたそうです。・・」

使徒22:15 「あなた(パウロ)は、自分の見聞きした事柄につき、すべての人に対してその方(イエス)の証人となるからです」

ペテロ①5:1 「・・わたしも・・キリストの苦しみの証人・・」

啓示17:6 「・・その女(大いなるバビロン)が・・イエスの証人たちの血に酔っているのを見た・・」


1世紀当時、実際にイエスを見聞きした者たちだけでなく、

その人たちから聞いた人たちも、イエスの証人になったはず。

「神慮によって」クリスチャン(キリスト信奉者)と呼ばれたんだし。


となると・・


エホバの証人、と名乗るのではなく、

エホバの証人のイエスの証人、と名乗るのが正解かも。

表象物

2018-06-25 | 聖書
記念式のパンとぶどう酒に、誰があずかるか。


エホバの証人の教理では、油そそがれた残りの者たち。

理由は、新しい契約の当事者だから。


「ほかの羊」と言われる大多数は、あずからない。

見守る者として参加する。


自分の会衆には、油そそがれた者がいないから、

パンとぶどう酒が、ただ淡々と回されるだけ・・

たぶん、日本のほとんどの会衆がそうだろう。


エホバは、本当に、この形の記念式を、是認されているのか。


ヨハネは記念式のことを書かなかったけど、

ヨハネ6:53、54 「・・人の子の肉を食べず、その血を飲まないかぎり・・命を持てません。わたしの肉を食し、わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち、わたしはその人を終わりの日に復活させる・・」

自分の前を、通り過ぎて行く表象物・・

いいのか? これで。

記念式

2018-06-25 | 聖書
エホバの証人にとっては、年に1度の大切な祝い。

過ぎ越しに替わるものとして、イエスが制定された、とされている。


実際にその場にいたのは、マタイとヨハネの2人。

ヨハネは、イエスの傍にいた。


マタイとマルコは、ほぼ同じ内容で、食事をしているときに、パンと杯を回している。

でも、「記念として行い続けるように」とは書いていない。


ルカは、まず杯を回し、次にパンを回す時に上記の言葉を入れ、

晩さんがすんでからまた杯を回してる。


ヨハネは、記念式については何も記していない。

最後の過ぎ越しの時のイエスの言動を、5章もかけて記しているのに。


パウロが、コリント①11章の中で一番詳しく書いている。

「主から受けたこと」と述べてから、パンを回す時に上記の言葉を入れ、

晩さんがすんでから杯を回す時にも上記の言葉を入れている。

さらに、杯の時には「それを飲むたびに」

最後に「このパンを食べ、この杯を飲むたびに、あなた方は主の死をふれ告げてゆく」と書いている。

文脈を追ってみると、

集い合うことが、分裂や派によって悪い結果になっていて、

一つの場所に集まっても、各自持参したものをまず勝手に飲み食いするから、

主の晩さんを食べることができてない状況だったことがわかる。


エホバの証人の教理を離れて、これらの記述を読むと、

年に1回の、過ぎ越しにとって代わるものとして、イエスが制定した祝い

ではなかったように思われる。

平和だ安全だ

2018-06-24 | 聖書
大患難の始まりを示すと言われている宣言。

たぶん・・・ないでしょ。


イエスは、「ノアの日のように、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしてる」と。

ペテロも、「すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っている、とあざけられる」と。


「平和だ安全だ」は、ずっと今現在も続いている日常を表している表現に過ぎないと思う。



エホバの日は盗人のように来る。

だから、

ずっと見張っているように。

いつも目覚めているように。

世代

2018-06-23 | 聖書
使徒ヨハネは、イエスから直接、その話を聞いた4人のうちの一人。

福音書筆者4人の中では、ただ一人。

でも、その時のイエスのことばを全く記していない。

なぜだろう。


① 他の3人が書いてるから、十分でしょ。

② すでに70年に成就しちゃったから、必要ないでしょ。

③ 将来の大患難のことは、啓示に詳しく書いたでしょ。

④ 大事なのはそこじゃないでしょ。



世代には2つの意味があるのかも。

1つは、イエスが地上におられた時の世代。

もう1つは、アダムから大患難まで続く世代。


こう考える方が、自分には腑に落ちる。

2つの重なる世代なんて・・・ないでしょ。