「世界の終わりの物語+」

銀貨30枚を陶器師の家に投げ捨てよ!ぜんぶ嘘。

岸田智史「きみの朝」考察

2024-05-24 19:00:30 | 音楽
「きみの朝」(きみのあさ)は、
1979年(昭和54年)3月21日にシングル曲として発売された、岸田智史(現・岸田敏志)の楽曲(作曲も担当)で、岸田自身の代表曲でもある。作詞は岡本おさみ。wiki

この曲は良く出来ている
何度もブログで書いてるけど
すげ~良く出来てる
再臨主の「独り言」が歌詞に

「一度目の再臨は 慈しみのために」
人になった再臨の神に恩返しすれば天国に
100倍たやすくなっている=確変状態
はずなのに~って歌

「きみ」は「君の名は」とか
君主=「神の君」=徳川家康とか
「黄身」とかの意味
主人公のことだよね

・・・岸田智史「きみの朝」考察・・・

横たわるきみ(神の君)の顔に
朝の光が射している
過去の(歴史の)重さを洗おうとして
たどりついた深い眠り
(記憶も奇跡も封印して人として再臨)よ

(神の君と)別れようとする魂と
(逆に)出会おうとする魂と
あぁ 心より体の(体に入った)方が
(その違いを)確かめられるというのか

モーニング モーニング
(mourningは「喪」や「弔い」という意味)
きみ(神の君)の朝だよ
モーニング (鎮魂歌)モーニング(鎮魂歌)
きみ(神の君)の朝だよ

(人として生き)急ぎ足ふととめて
ふりかえれば夕焼け(の黙示録のラッパ)が
この先いくら(人間で)生きて行くのか
こんな暮らし 仮の姿と

(多くの)生まれ(マレとはフランス語で沼)
ようとする(沼にうずもれてしまう)魂と
(ほんの少しの)老いぼれてゆく
(神の君に追い惚れる)魂 と
あゝ(簡単に恩返しできる)人間のはしくれに
生まれてきたというのに

群衆をのみこんだ
都会の悲しみの渦の中に
コーヒー(可否)一杯(規定量)分のやさしさ
(天国へ行ける 規定数の合格者の認定)を
そそぎこむぼくの唄よ

モーニング (鎮魂歌)モーニング(鎮魂歌)
(不合格者は消し去られる)
きみ(神の君)の朝だよ

かわろうとする
(進歩成長して失格する)魂と
よどんで(留まって)しまう
(世界の終わりに備える)魂と
あゝ躯じゅう輝きながら
旅立ってゆけ 朝に

・・・・・・・・・・・・・・・

「躯じゅう輝きながら ~」て だれやねん
「躯」①からだ。 み。 むくろ。 「軀幹」「体軀」
   ②仏像を数える語。コピペ
他は体を使ってるから「むくろ」に意味が

躯(むくろ)1 死体。なきがら。
 また、首のない胴体だけの死体。コピペ

「一度目の再臨を終えて死に
 輝く首の無い死神(骸 696)になって
 旅立って行け 最後の審判の時に~」
なのかな~アーメン

知らんけど~。

岸田智史「きみの朝」

この歌に 小学生の自分と
親父の トヨタ スプリンターGSの後部座席と
みかん饅頭と 朝日のイメージが組み合わさってる
どこ旅行に行ってたのかな 石川県だっけ…?

羽咋市の千里浜を車でスプリント!

「羽咋(はくい)」という名前は、神話に由来し、遠い昔この地域に出現していた”怪鳥”を磐衝別命(いわつくわけのみこと)という皇子が3匹の犬とともに退治。 犬が怪鳥の『羽を喰った』ことから、「羽咋(はくい)」という地名が誕生しました。コピペ

みかん=橘家の再興
饅頭=〇に十=本物のキリスト教徒
40年前の みかん饅頭の存在を
ネットで探しても見つからない 夢か幻か?

ダンジョン飯 あ~ぁダンジョン飯!。


アニメやドラマで イエス様を
餡子=アンコで示してるのがあるが
アン=フランス語で1だから
餡子=「神のひとり子」なんだろね~

「主」が 十字架に掛けられたのは
フランスのパリ=本物のエルサレム
なので 謎解きのためには
ときどきフランス語で考える~

アンパンマン
 =首の無い死神=ワンパンマン
 =神のひとり子・ベツレヘムの星
 =イエス・キリスト

になるんですわ アーメンほんま

十字軍は=テンプラ騎士団
 =フランク人=フランス人
自分たちの メシア処刑の罪を
中東に押し付けたんやね

懺悔するなら今だぜ~知らんけど。