同じ年頃の相棒と、猫との暮しです。 今のところ自立して生きて80代に入りました。

好きなこと。花や野菜を育てる、時々ウォーキングとスケッチ。
読書は好き。もっぱら寝る前と、夜中に目が覚めたときです。

今年読んだ本は105冊でした。「火花」もよみました。

2015年12月28日 | 読書

 

今年も乱読読書を沢山した。夜中にふっと目が覚めてしまう悪い癖

は治らない。読みかけの本の続きが気になって仕方がない。

2時ころから4時過ぎが読書タイムになる。

図書館から借りてきた本がほとんどだが、次女が私好みのかなり面

白い本を買っていると分かったから春ごろから借りたりしている。

本屋大賞をとったもの、話題になったもの、などは図書館で予約してい

ても何年も待たされる。

次女は漫画関係しか興味がないと思っていたがいつのまにか文学書に

も手を伸ばしていたんだな。5月、久しぶりに会った時の会話。

「「火花」貸してくれる?」と私。

「あれは何か恥ずかしくて買えないのや」娘。

「え!そうなんや。」

「本屋に入っていくやろ。あっちのコーナー、こっちのコーナーに山積に

なっているでしょう。ちょっと手に取ることが出きへんのや」

ハハン、何と無しに私にもその気持ちわかるような気がする。

「そうか、買うしかないな。じゃあ、お母さんが買うからいいよ。」

「ok」

そしてめったにないことに本を買った。

数年前、一部屋を占拠していた本を捨てる時、もう本は買わないと

決めていたが。

あの大評判の「火花」を買った。

読んだ。???何かはぐらかされた。お笑いにはあまり興味がない。

テレビでもめったにお笑い番組というのを見ない。それでなのか?

かも知れない。

ストーリーを追う私には最後までよそよそしい「火花」であった。

芥川賞をとってから時どきテレビで見るようになった又吉直樹さん。

沖縄にルーツを持つ彼はとても抑制のきいた感じが好ましい人。

そういえば、この前マンションのお茶会で「火花」の話が出た。

普段本に興味が無さそうな方が口々に「読んだ」といっていたの

で驚いた。

今年もダイアリーの整理をして読んだ本を拾ったら104冊ほどに

なっていた。

いつものように書名と作家名を書きだしてと思いましたが師走のせわ

しなさ、ほとほと根気が無くなってきたので止めます。

小説家の方々、沢山、楽しみをいただきました。

私の寝ながら読書に今年も本当にお世話になりました。

 

 

 

 


私のクリスマスイブは「黄金のアデーレ」に会いに映画館へ

2015年12月25日 | 映画

映画「黄金のアデーレ」を観た。

1998年ウイーンを旅したときに、この絵の前で長いことたたずんだはず。

それまでクリムトという画家の装飾的な画風に惹かれてはいた。

が、世紀末の退廃的な女性像を描く人として印象の方が強かった。

しかし,ベルベデーレ宮殿にある、オーストリアギャラリーで観た

多くのクリムト作品の前で感動しそれまでの

クリムトの印象は全く違うものになった。

 

この映画は画家のモデルになったこの女性、

アデーレブロッホー=バウワーの姪マリアがナチスに

奪われていったこの絵の返還を求める裁判の物語。

 

まさに私がこの絵の前でため息をついていた同じ年。

1998年にアメリカ、ロスから

困難な裁判の第1歩が始まった。

82歳にして美しく気品のあるマリア。

しかしその過去はナチスの侵略によって

着の身着のまま追われたオーストリアへの

愛と憎しみの日々が刻印されている。、

2度と見たくないその国オーストリアを相手に

何度もくじけそうになりながら不当に奪われたもの

「叔母の肖像画」取り返すまでの物語。

この絵はクリムトが1907年から8年に描いたと

言われオーストリアの国宝的存在であった。

モナリザに匹敵する名画で絶対に返すことはない

と言われていた裁判だった。

観終わって改めて戦争の理不尽さ、ヒトラー、ナチスの

広範囲な侵略、併合された国オーストリアの歴史を思う。

今、「刑事フォイル」BSドラマにはまっているから

第2次大戦のイギリスとのナチへの戦い方の

違いについても興味を持った。

オーストリア家族旅の小冊子を読み返し、クリムトの絵の前に

もう一度立ち尽くしたクリスマスイブでした。

 

 

 


またまた人込みで賑わう道頓堀のスケッチ会

2015年12月24日 | スケッチ

何だか今年の秋のスケッチ会は道頓堀が多いな、と思いつつ日曜画家

のスケッチ会に参加しました。先月のホルべインのスケッチ以来です。

リバーサイドには人込みも観光客も来ない。

先日の経験で分かっていたので川のほとりを歩いて、たこ焼き屋さんの

看板のあるこの場所で描きした。

気心の知れたヴェテランの中山さんとめずらしく偶然隣どうしで描きました。

それなのにおにぎりを食べる昼食時以外は2人とも黙々と描くだけ。

めったにほかの人と並んで描かない。

何故って私は、影響を受けやすい人間でちらとよそ見して他人の描い

ているのを見たら途端に自分の絵がつまらなくなって描く気持ちが萎

えてしまう悪い癖があるからです。もしくはどこかでマネをして自分らしい

個性が支離滅裂にななってしまったのを何度も経験しています。

影響を受けやすいタチ(?)

川の向こう側の派手な赤いタコが時々動いて、その隣のラーメン屋が人

気の店らしく、長い行列で時間を区切って店員が呼び込んでいます。

 

私の眼は冷たい風のある日には開けているのも痛くてもう野外スケッチ

は限界らしいです。

暑さ寒さをものともせず野外で描いてきた楽しいスケッチの日々も」この

りで終わりにしようかな、と思っています。

猪熊弦一郎のこんな絵が好きで今日はこんな絵を描きたいなあと

スケッチ会に出かけて行ったのですが似ても似つかない絵です。

 

 


長生きの家系ってホントにあるの?脳の発達段階と100歳の姉のこと

2015年12月22日 | 健康

リンゴ箱には今年もいろんなものが入っていた。

この10月に100歳を迎えた長姉の家から。

姉の好奇心は衰えず新聞記事などでわからない

言葉がでてきたら姪に直ぐに聞いてくるという。

100歳まで入院というものを経験しなかったが

誕生日を迎えてすぐ圧迫骨折をして入院、

でも1週間もたたない間に退院して

今では元通り杖にも頼らず歩いているらしい。

姉と同居している私と3歳違いの姪は心のこもった

送りものをしてくれる。信州人だから漬物がお得意。

野沢菜漬けは今年霜が降りないので菜が硬くて

まだ漬けられないと言っていたが。

大きなりんごに沢庵のビール漬け、白瓜のカス漬け、土の付いた長芋。

素朴な郷土のお菓子まで入っていた。

今でも杖なしで歩き回る元気人の姉は(母)

百人一首や昔覚えた詩句などをすらすらそらんじて

集まった娘たちをニコニコとけむに巻くという。

ほとんど学校教育を受けていなかった貧乏百姓の長女

がどの段階で脳の中にこんな蓄えをしてきたのだろう。

21歳違いの姉のことを聞くたびに12子の干支

すら覚えられない(何故か巳までしかいかない)

末の妹は何処でどう違って

しまったのかとつくずく考えさせられる。

 

 

 


嵯峨野から来たかりんの実で大忙し

2015年12月16日 | 日記

花梨の果実です。京都の嵯峨野へスケッチに行った

相棒が帰りにリックサックに入れて持って帰ったもの。

これだけで300円だったそうです。

1個の目方は500gから700gありました。

マンションのスケッチ会のモチーフにとわざわざ

背負って帰り、昨日スケッチも終わりました。

さてこの実をどうする??

もったいない趣味の私には捨てられません。

ネットで調べて蜂蜜漬が咳止め

のどの痛みにいい事を知りました。

きれいに洗い1ミリから2ミリに切り蜂蜜と

交互に入れて漬け込みました。その硬さといったら。

固いとは聞いていましたがかぼちゃの比ではあり

ません。縦二つ割にするときは包丁が食い込んで

しまい抜けない、切れないで泣きそうです。

やっと縦割りができてほっとしました。ちなみにこの種と

ワタは捨てないで煮出汁パックなどに入れ一緒に

漬け込むのです。1,2ミリスライスは不思議なことに

馬鹿力は必要ありません。

蜂蜜、かりんを交互に入れて完成。

残った花梨は熱湯で湯がき、明日まで置いて

おき花梨シロップを作る予定です。

今日も忙しかった。

下の農園の手入れ、その後

マンションのみなさんとの昼食会の準備、懇談。

かりんは全く想定外に私の生活に入って来て、

モッタイナイ趣味の私をチョウ忙しくしてくれました。

今なお、手を洗っても

かりんのさわやかな素敵な匂いが消えません。