同じ年頃の相棒と、猫との暮しです。 今のところ自立して生きて80代に入りました。

好きなこと。花や野菜を育てる、時々ウォーキングとスケッチ。
読書は好き。もっぱら寝る前と、夜中に目が覚めたときです。

歳末の休日

2010年12月24日 | もやもやする思い



予約している本が3冊もパソコンメールに入っている。年末を控えてギリギリ8冊
を借りていたので大急ぎで3冊読み終わる。そうだ今日は祝日だから娘も図書館
に誘ってやろう。たまの休日だからちょっと話でもしたいなと思って訪ねるとテ
ーブルの上に仕事関係の書類を山積みにして眼はキツイ点になっている。孫の
あかりちゃんは一人でごろごろして楽しくなさそう。
「ああ、お母さん図書館に行くんだったら私の予約も受け取ってきて」
一緒に行くどころか逆効果。「ついでにこれを返してきて」
よくまあ大きなリックを背負ってきたこと。

父ちゃんはいつもの体育系の生徒の付き添いで留守。昼過ぎには帰るからあかりを
父ちゃんにバトンタッチして不登校の生徒の家庭を訪ねるという。
えらいまあ遠くまで。

「担任の生徒も大事やろうけど自分の子供のことも考えてね」めったに口を挟まない
ようにしているのだがついばあちゃんのグチが口を突く。

「放っておけないねん。電話はいつもしているがもう2週間も休んでいるねん。お父さ
んは今年自殺してはるし、本人は線路の傍にぼうっと立ってたらしい。心配やねん」

突然がーんと殴られたようなショック。氷ツララが落ちてきたような現実。
陽だまりの中で絵を描いている老人には別世界だった。だが日々ニュースで
報道されている日常の中の出来事なんだ。「ただ、聞いてやるだけでも」と娘。

しかし17歳の生徒が崖っぷちに立っているのを担任教師が引き戻せるのか。
私から見たら未熟な娘である一人の教師が。もっともっと時間と人の知恵が要る。

こんな忙しい教師が一人で立ち向かっても刀折れ矢尽きるのが目に見えている。
絵が好きな生徒だから絵の具とスケッチブックを持っていってやると言う。

「ばあちゃんと図書館に行こうか」「ああ、そうして貰えると助かる」

いつも聞き分けが良すぎるほど素直なあかり。でも図書館までの道々、寂しそうな不満
そうな態度が見える。この子も荒波にもまれて生き抜いていくんだなとしみじみおもう。



お墓と樹木

2010年12月17日 | 日記

春、柔らかい緑がいっせいに芽吹いて、風の日は緑の葉が海のように
ざわめき揺れた。葉に当る雨粒の音は音楽のように眠りを誘った。
ここには砂漠の中のオアシスのように緑が残っていた。
南側は墓だ。あの時には確かに24本あった大きな木々たちはどこへいって
しまったのだろうか。唯一の砦だった楓と榎の大木が悲鳴を上げて切り倒
されるのを見たのは2,3年前のことだった。

神域と寺、そして墓地とくればこれからも変な開発はされないだろう、と思
っていた。何年か前から寺の庭だった場所まで区画整理がされて墓石群が所
狭しと並びだした。
墓石の数が増えるにつれ緑の樹木は邪魔になった。ということだろう。

東には環濠都市の名残を留めて平安初期に遡る由緒ある大きな神社。
樹齢600年を超える御神木の大楠と何十種類もの異なる樹木が堀をめぐって
植えられている。切り倒されてしまった墓地の中の樹木のことは悲しいがこ
の場所に愛着を持って暮らしてきた。

真向かいに位置する遠い遠い大昔に生きた高貴な方の妃の墓に四季を問わ
ず見学者が耐えない。突然マイクの大音響で外を見ると大勢の人たちが墓
を囲んで故事来歴を聞いたりしている。

幸いマンションの敷地内にある桜の樹が墓地を隠すほど生長してきている。
しかし墓側に枝を伸ばした太い枝は今年ばっさりと伐られた。落ち葉が墓地
に落ちて掃除が大変だという理由。こんなふうに緑が無くなっていくのだ。

大阪は本当に緑が少ない。去年東京のジブリ美術館を訪ねて改めて実感した。
人は何故貴重な都心の緑を伐ってお墓を作るのだろうか。
ずっとずっとそのことを思ってきた。
私は墓の代わりにこの地球に一本の樹木を残して去りたいと思っているが。



2010年のお別れ

2010年12月11日 | 日記

あとわずかで2010年が終わる。
美術館前の寒風の中に木蓮は白い芽を屹っと空に向けて立っていた。
いつもこの美術館での展覧会の案内状を戴いた山田嘉一郎先生、
利根川祥行先生が旅立たれた。
私のHPに早くからリンクを結んでくれた伊藤正明さんも。全く不意を突かれる
ような旅立ちだった。伊藤さんのHPはhttp://goinkyo3.com/です。

今年も美しく青い地球の上で紛争や災害が絶えなかった。この瞬間にもあちら
こちらで理不尽な死を遂げてしまう人が沢山いる。しかし「袖すりあう」ことの無
かった人々の死は直ぐに脳裏から消え去り日常の瑣末に飲み込まれてしまう。

幾たびかの会話や思い出を心に残してくれた袖すりあった人々。友人と呼んで
いいのかどうか迷うほどの知人、人生の或る瞬間を共有した人々もいる。
それらの人の死を知って何故こんなに心がざわめくのか。

あの時こんな会話を交わした、こんな風に肯定してもらったなどと思い出す。
かけがいのない宝もののように。

死とは再生だというが生きている人の中に自分を再生させて去るのが死なのか。
ここ数年を振り返っても多くの大切でかけがいのない人を幽冥境を異なる世界
に見送った。名も無く貧しく生きた私の人生にはもったいないほどの触れ合う
ことの出来た人々。何かのご縁で知己を得た人々。

今年も年賀状を書く前に届いた18通の「喪中につき・・」の挨拶状を前にただ
「有難うございました。さようなら・・」とつぶやくことしか出来ない。