同じ年頃の相棒と、猫との暮しです。 今のところ自立して生きて80代に入りました。

好きなこと。花や野菜を育てる、時々ウォーキングとスケッチ。
読書は好き。もっぱら寝る前と、夜中に目が覚めたときです。

久しぶりのスケッチ

2013年03月28日 | 絵を描く


軽いギックリ腰だと思っていましたがなかなかしぶとくて1
週間はかかったなあ、と今思います。
日頃腹筋を鍛えてないので起き抜けのラジオ体操でぐるっと
腰を回す運動のときは気をつけようと思います。
一度暖かくなって再び花冷えの日が続いたので体調も重いし
やる気のない日ばかりで掃除、洗濯、料理といった単調な日
をすごしていました。今日は雨が降ったり止んだりですが5,
6分咲きの桜がきれいで何よりも池に映る柳の新芽が「今し
かないよ、早く描いて」と言っているように思えてあわてて
スケッチブックと水彩絵の具と傘を持ち駆けつけました。
いつもの散歩コースの神社の参道です。
途中からかなり雨が降り出しましたがベンチに腰かけて傘を
挿して久しぶりに戸外のスケッチをしました。
出来栄えは2の次3の次、スケッチを戸外でする気力が問題
だとまずは自分を甘やかしてステップ2に行きます。

関西水彩画展とぎっくり腰

2013年03月23日 | 絵画展


関西水彩画展を観てきました。所属している日曜画家のメンバーも
何人も出品していますのでいつも心待ちにして拝見する展覧会の一
つです。画友たち、チェックしている人の絵などを見落とさないよ
うに観てあるきます。水準の高い展覧会です。
いい絵、好きな絵がたくさんありました。絵画展は眼も腰もけっこう
疲れます。
火曜日初日に拝見する予定でしたが歯医者さんの予約日でした。
翌水曜と思っていたのですが水曜朝、ラジオ体操中にまたギックリ腰
をやりました。
「アレ、ちょっとおかしいぞ、また腰を痛めたかな」と思いながら午
前中は普通に家事をし、5,6千歩歩いて買い物にも行き、そのうち
に徐々に痛みははっきりとしてきて翌木曜日にはかなり重症になって
いました。こうなると横になるしかないと寝ていたら金曜日には展覧
会を観に行けるほど回復していました。

天王寺美術館への道はすっかり春の気配でした。
山茱萸と書いて「さんしゅゆ」と読む木です。
別名「はるこがねばな」 

「レーピン展」を観てきました

2013年03月17日 | 絵画展


ふと思い立って姫路までトレチャコフ美術館蔵の「レーピン展」を観に行
ってきました。「ボルガの曳き舟人」が日本人にはなじみ深い画家です。
久しぶりに心が洗われる気持ちで素晴らしい絵画をみせてもらいました。
イリア・E・レーピンは1844年生まれ、1930年83歳で亡くなりました。
非凡な絵の才能を持っていましたが貧しさのために正規の絵画教育は受け
ていません。しかし若くして頭角を現し、世界史に名前を残している文学
者、音楽家、演劇人などと交流を持ちその肖像を写真よりもリアルに残し
てくれています。家族である妻、娘と二人の息子には愛情あふれるタッチ
で、友人たちは性格の深みにまで踏み込んで。トルストイの山荘にも何度
も訪れスケッチ作品や油絵の傑作を描いています。音楽家ムソルグスキー
の肖像も印象に残りました。華やかな女性たち、女優やピアニストたちの
絵はフランス印象派を彷彿させる絵もあります。レンブラントからも沢山
のものをつかみ取ったということです。旅先で貧しい民衆の生活と出会い
、「ボルガ・・」のような彼らの生活も沢山描いています。今回の展覧会
の目玉、歴史上の人物「皇女ソフィア」は大作です。採光をかなり抑えて
観にくい美術館もありますがほどほどでゆったりといい展示でした。
本当の芸術の持つ力に圧倒された時間でした。



そういえば昔1978年に奈良県立美術館で「レーピン名作展」が開かれた時
の月光荘の図録を手元に持っています。主催、ソ連邦文化省、財団法人 
国際美術協会、朝日新聞社とあります。この時代ロシアの絵画が大阪の大
丸で公開されました。絵の世界なんて関心の無かったOLだった私が初め
て絵画というものに目覚めた瞬間でした。通勤途上の電車のつり広告で見
た「ソ連邦美術展」だったのです。1974年でした。何度も見て74年度の図
録は背表紙もとれかけてしまっています。感動の涙が止まらなくなった記
憶があります。73年から77年までの図録が残っています。78年にレーピン
を観に奈良に行ったという記憶はありませんが、いまでは月光荘の図録だ
けが残っています。
ちょっと遠方ですが「レーピン展」よかったです。会期は3月30日までです。



暖かい日でしたので内堀に沿って姫路城のまわりをぐるりと歩いてきました。
ツグミかも・・



1万歩弱です。

汗ばむほどの春の入り口

2013年03月13日 | 隣の神社
出荷前の白菜を食べつくされた人に比べればデージーなんかと思いながら
黄色の花芯だけ残っているのはどうもなあと思い摘み取ったのがこれ。


昨日の夕方6時半ギーギーと騒がしい音を立てて眠りにつく前のヒヨドリを
お隣の奥さんと観察していた。裸木から最終的にはお寺の竹藪の中に入って
いったようだ。今朝あれだけの大群を眠らせる竹藪を観察しにお寺のなかに
入ってみたが樹木が鬱蒼としているのと私有地なので立ち入りできないのと
でねぐらを確認できなかった。


そうこうしている間に花々は一斉に開き、私のちいさなベランダの花など物
の数ではなくなって忘れてくれるだろうと思います。


こんなきれいな梅がびっしりと花をつけています。それもヒヨドリのねぐらの
すぐそばの寺の前に。同じ白い花ですがまったく被害にあっていないのが不思
議です。神社の境内には椿が。


本殿の横ではよくスケッチをさせてもらう辺りで作業服の男性が木を伐ろうと
していました。



「何の木ですか」「ナギの木といって神社などによくある木です。熊野地方に
もよくあるんです」「どうして伐るのですか」「これは枯れてしまったんです
よ。ほら」指差す根元に枯れた枝が重なっている。



干しブドウのような実が可愛いのでスケッチをしようと切ってもらってきた。
昼から雨の予報だが朝は汗ばむほどの暖かい春の入り口です。

ヒヨドリ出没2

2013年03月12日 | ヴェランダ農園

夕方6時何気なく外を見て「あっ」と
叫んでしまった。学校のネットの上部に鈴なりの黒い影。



鳩よりも一回り小さく、スズメより一回り大きい鳥。



カラスやスズメや鳩ではなくヒヨドリの大群というのは初めてなのでただ驚く。
右から左に視線を動かすと寺の木の上にも鈴なりの大群。

「この前ラジオで出荷前の白菜がヒヨドリの大群に一夜で食べつくされた、と
いってたわよ」とお隣の奥さんがいう。何と!

CDや鈴なんて何の効果もなかった。デージーはうちの中に避難させた。
さやえんどうはセロファンでぐるぐる巻きにした。
やってから気がついたが受粉の蜂さんも締め出してしまったのかと。

あかりちゃんいわく「ばあちゃんの写真をぶら下げておいたら」
おいおい、それってどういう意味ですか?