同じ年頃の相棒と、猫との暮しです。 今のところ自立して生きて80代に入りました。

好きなこと。花や野菜を育てる、時々ウォーキングとスケッチ。
読書は好き。もっぱら寝る前と、夜中に目が覚めたときです。

東北関東大震災

2011年03月15日 | 地震

 東京電力の福島第一原子力発電所は地震による原子炉の爆発で深刻な事
態になってきました。
 水素爆発という聞きなれない言葉が飛び交います。1~6号機まである
原子炉が次々に高温になり炉心が溶け出して爆発しているといいます。

 ロシアのチェルノブイリ原発もアメリカのスリーマイル島も単独の事故
だったのが福島の原子炉は複数で次々に事故が起きています。
 地震国日本で原発は危ないといい続けてきた人々がいる一方、高度成長
を追い求め耳を貸さず利益の追求にひた走る人間たちがいたように思えて
なりません。
 原発によって豊かな日本であったのだから事故を非難するのは筋違いな
どと開き直ったような発言だけは止めてください。

 同じ日本列島の中で食べ物も水もなく寒さに震える人が5日間もなすす
べなく放置されるようなもろいものだったのでしょうか。
 どこで援助物資は止まっているのでしょうか。

 朝日歌壇に一貫して原発の危険を詠み続けてきたあの歌人も今頃半径30
キロ圏外に避難を余儀なくされているのだろうとしきりに思われます。

 巨大地震から5日目の夜を迎えているのに避難所には救援物資も満足に
届いていないようです。津波によって全てを失った人々の肉親を求めて呼
び探している声がラジオから耳に入ってきます。
 この後、生活を維持していくための長い道のりが待っています。兎も角
早く命を吹き込んで食料、水、防寒着などの心配をなくしてください。
 
 計画停電という耳新しい言葉で「いきなり停電」も実施され始めました。
 いつ、自分の身にこのような災害が降りかかるか今のところ神のみぞ
知るです。現在のところ大阪は普段の日常が続くのが不思議なほどの落差
に感じます。

  

東北関東巨大地震

2011年03月12日 | 地震

 2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM8.8の
地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が出ています。
 太平洋プレートが日本列島に沈み込み、押し上げたことによる揺れらしい。
 南北260K以上、東西110Kという広範囲な地域にわたるということです。
 テレビ、ラジオで時事刻々報道される地震による被害は拡大する一方です。

 また一夜明けて3月12日朝には、長野県北部、新潟中越などで震度6強、続
いて6弱の地震が発生しています。
 日本列島が広域にわたって時をおかずに地震に見舞われている、何らかの
関連があるのだろうか。地震計が壊れてしまったのでその辺の関連についても
分からないのが不安です。

 何よりも不安なことは福島の原子力発電所です。半径3キロ以内の住民が
避難を開始しました。チェルノブイリ原発のようなことにならなければいい
がと祈るばかりです。
 
 首都東京でも帰宅難民が大勢バスを待っていました。携帯の電源が切れて
連絡が取れないので公衆電話の前にも長い列が出来ていました。
 
 地震が起きたとき私は寝転んでジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」を
読んでいました。何か揺れているな、と思い身を起こすとやはり揺れている。
 震度は2か3かと見当をつけマンションの扉を開けました。猫が外に出るの
で慎重に。

 外が大変寒い日だったのでともかく暖かい身支度をしていつでもスタン
バイ出来るようにしました。非常用防災グッズをつめたリックサックは
いかに火事場の馬鹿力を出しても今の私には背負えないと分かりました。

 今まで巨大地震近しと折に触れ言われてきたが今それが起きてみると
ただ呆然とするしかない。もう十分生きた、と日ごろから思っているが
防災グッツを確認したりするもう一人の私がいることにも驚いている。