7月、8月はたいてい絵のことを考えて、そして描きつつ過ぎていきます。
それというのも私の所属する2つの団体展がいつも8月の終りから9月のは
じめにかけて同時期に開催されるからです。
といっても100号200号の大作に挑戦しているわけではないのですが。
でも普段描かない、今の自分にとっては大きい30号の絵です。
自分が今一番関心を持つもの、原発事故について。故郷を追われて帰れない福島の
人たちについて。
爽やかな5月のゴールデンウイークに孫を託され一日奈良に遊んで、描いて楽しい
一日を過ごした日、忘れられない情景を見たのです。 時間にしたらほんのわずか5
分ほど、JRの大和路線の中でした。
隣の車両に乗っていた若い母親と学齢前の男の子と女の子の姿です。
違和感を持って目がいったのは帽子、お母さんの被っているフリースの冬の帽子でし
た。見れば大きなスーツケースの周りには沢山の紙袋を持ち「次は郡山」という車内放
送に子供たちをせかしてドアの前に立った彼女の表情は厳しいものでした。
はちきれそうなリックを背負った男の子も女の子もこの日から遡ったあの1ヶ月半前
の季節の衣服のままでした。
3.11の被災者であることは一目で分かりました。
ほんの数分間だけ見たあの親子があれ以来いつも私の脳裏に同居しています。
イメージが熟さないまま描きだした絵はうまくいきません。
普段外に出て風景をスケッチしているようにはいかない。1枚の絵の中に何かメッセ
ージを残せないか、とあれもこれも考えてみるが出来上がってみるとつたない技術と構
図で意図したものが観る人に伝わるどころか一体何を描きたいのかというものばかり。
消したり、描き直したり、振り出しに戻ったりしながら日々は過ぎ行きます。