あいかわらず、理系白書の記事に、余分な情報が含まれていて腹立たしい。
高校のときは英語が苦手だったとか、歴史が苦手だったとか。そんなの得意な理系科目との相対的な比較で言っているだけですから。みんな悪戦苦闘していようとも日常的に英語を使っているんですけど。そもそも高校のときにどの教科が得意であったかが、重要な情報ですか? 高校のことを強調した記事にするのは、記者のかたは、もしや、大学入学以降、本気で勉強したことないんですか? いやいやジャーナリストになるための勉強を必死でしたんでしょうね。まちがいなく。
結局何が伝えたいのか、「高校のとき現代文が不得意だった」ぼくにはわからない。
文系/理系のどちらかを選ぶ行為を、不得意な科目による消極的選択として、対称化できるものと考えているのだろうか? ぼくは対称ではないと思う。
さて、
理系の人々とか、
パパはエンジニアンとか、
こういうひとたちが日々がんばってるんだと思う。
高校のときは英語が苦手だったとか、歴史が苦手だったとか。そんなの得意な理系科目との相対的な比較で言っているだけですから。みんな悪戦苦闘していようとも日常的に英語を使っているんですけど。そもそも高校のときにどの教科が得意であったかが、重要な情報ですか? 高校のことを強調した記事にするのは、記者のかたは、もしや、大学入学以降、本気で勉強したことないんですか? いやいやジャーナリストになるための勉強を必死でしたんでしょうね。まちがいなく。
結局何が伝えたいのか、「高校のとき現代文が不得意だった」ぼくにはわからない。
文系/理系のどちらかを選ぶ行為を、不得意な科目による消極的選択として、対称化できるものと考えているのだろうか? ぼくは対称ではないと思う。
さて、
理系の人々とか、
パパはエンジニアンとか、
こういうひとたちが日々がんばってるんだと思う。