四月の茶会の掛軸を拝借するため整理を兼ねて京都在住の姉宅へ、幸いこれはという掛物がありほっとした。「これもあれも待合に使えるわね」と呟いていたら、「我が家では使わないからあげるわ」ということになり後日また取りにいくことになった。
翌日朝、大きな掛軸をホテルに預けて大徳寺へ。すでに利休忌の法要が始まっていたため、瑞峰院の塔頭へ回ったところ、受付でH氏が一席目を終えて出られたところであった。茶道に造詣が深い若い茶人である。ゆっくり朝食を済ませなければよかった!
聚光院
さて、弥生は雛の月も明日からという28日瑞峰院へ、寄付掛物は尋牛斎(久田家12代)筆の雛の画にこの塔頭の前田昌道和尚(先代?)筆“雛まつる都はずれや桃の月“のうたの賛が、今日のぽかぽか陽気に和している。本席は、柳がそよとそよいでいる画は而妙斎宗匠、緑は宗員宗匠、花は尋牛斎宗匠、紅は昌道和尚という四方の合筆、何かお集まりの折「御酒による座興の筆ではないでしょうか」と席主が楽しそうに話された。素敵な一幅であった。有楽椿と万作が竹尺八花入に。
瑞峰院
次に大慈院へ、有髪のお坊さん?と数寄者の男性が上座に座られ会が始まる。表千家の衣笠良子氏が席主。本席の掛物は、而妙斎の一行「橋上来陽春」、掛花入一重切にさんしゅゆと椿、染付荘子香合が付書院に。席主のお父さまは高名な茶人で今年13回忌に当たられ、席主も10年前にこの席で掛け釜をされたという。はんなりとした席主は京美人ながら三代続いた茶家を守っていられる。こちらでも紅梅きんとん(紫野源水製)と干菓子の下萌えで二服を頂く。
大慈院
三席目は興臨院へ、大原・卯庵(裏千家)氏の掛け釜。待合は狩野山楽(永徳の子)の花鳥の掛物(入江波光旧蔵、是沢恭三箱)、本席は川喜多半泥子が娘の初節句に贈った雛の絵、うらやましい一幅である。香合はお雛さまにふさわしい貝合わせ、源氏物語の一節の梅が枝の絵付けであった。千歳盆による点前で如何にも雛祭りにふさわしいやさしき雰囲気のなか、和やかに。
やはり半泥子の粉引茶碗、青磁人形手、薄器は半泥子と仲間二人の合作、茶杓の銘がつつがなし、これまた半泥子で中節が上にあるのが彼の特徴であるとか、半泥子尽くしの席であった。 興臨院
さてまだ時間の余裕があったので、聚光院へ。方丈の襖絵障壁画をゆっくりと拝見したが、保存のためデジタル再製画に入れ替えられていたとは! 狩野松栄、永徳父子の国宝襖絵38面は、現代の最新鋭複製に置き換えられていた。
寄付には大心義統老師(273世、覚々斎、六閑斎の参禅の師)の指月布袋画賛、本席の閑隠席は利休画像と賛、利休300年遠忌により円能斎が利休像を描き、又妙斎が賛をされている。掛花入は鍍金の経筒を写し、亡くなった日に入れられていたということに因み、菜の花が利休居士を偲んでいた。
川端道喜のこぼれ梅は京都ならではのご馳走でした。そば席にておしのぎを頂き終わって、さてもう一席で終わりだからと思い玉林院へ。
玉林院・南明庵
寄付で待つ間、本堂の脇にある南明庵で何やら話し声がする。春うららのぽかぽか陽気に誘われ本堂の外に出てみると、重文・南明庵のこけら葺きの屋根に足場を組んでいるようだ。席主側の方がこけら葺きの屋根、軒も雨漏りで傷み、屋根の葺き替えをするための工事を始めたとのこと。
玉林院・板戸
席主の表千家・石渡正子氏は東京から、総勢30名で大挙京都へ。本床は玉舟老師の禅語「互換思量何云々…」と続く。「この床に掛けると何故かぴったり納まりますね」と満更でもない説明。
香合(手まり)、茶杓(銘・友白髪)、赤楽茶碗の箱書が惺斎。表さんの菓子器は食籠が使われ蓋を開けるまでどんな菓子が現われるか楽しみの一つでもある。銘・みちとせという嘯月製のきんとん。ご丁寧に二服をふるまわれる。全部で五席も回り、五つの主菓子と三種類の干菓子を頂いたが少しも重く感じなかったのは、伝統ある京老舗のなせる技?
日永の春を楽しみながらの京都大徳寺の利休居士のお参りであった。