
28/20℃
今朝は昨日の雨から涼しく秋晴れの快晴で秋の気配を感じさせるが予報では1週間ほど続きそうだ。 北越後の新発田は阿賀野川・加治川の流域に拓けたこの地域は、中世の平安初期には佐々木氏(近江八幡源氏)の傍系・新発田氏(阿賀北衆の豪族)が領有し、この地を流れる新発田川の流域にその水運を生かして城が築かれた。 新発田の地名も諸説あるが潟湖に接する「州端(すばた)」を由来とする説もあるようです。 戦国期に新発田重家が上杉景勝に滅ぼされ、天下統一した豊臣秀吉に上杉家が会津に移封され、上杉の目付大名として秀吉が加賀大聖寺藩の溝口秀勝を新発田6万石(最終石高10万石)で入封させたと聞いている。 藩主溝口秀勝は戦の神として信州の諏訪神社を崇拝し、城内に諏訪神社から分霊を勧請し新発田諏訪神社を祀っていたが江戸時代に入ってから現在の地に遷座し新発田藩の始祖溝口秀勝公を祀る総社とされている。
畠山宮司による長寿祈願の祝詞
その集合場所の新発田諏訪神社で「傘寿祝とさらる長寿の厄除けのお祓い」を受けるのである。お祓いをするる畠山宮司さんも16年後輩の卒業生である。
畠山宮司様より玉ぐし奉奠の説明をうけ奉奠神事が始まった。
関東・関西・福岡・新潟および地元新発田の在住者代表者が「玉ぐし奉奠」された。
代表者による玉ぐし奉奠のあと拝殿に参列している同窓生に宮司から今までの厄を払い清めていただき長寿を祈願した。新発田諏訪神社は社殿が211年11月にに焼失した。しかし、市民の寄付などにより2004年に社殿が再建され、現在に至っており社殿はまだ新しく拝殿で厄祓いと長寿祈願は殆んど初めてのことであろう。 神事が終わると傘寿祝同窓会の会場の村杉温泉卿のホテル「長生館」の送迎バスが待っておりバスは母校の新潟県立新発田高校へ向かった。
本当に若々しいですね。神社でお祓いをしていただき身も心も洗われたれた気分で
良かったですね、色々苦労話や、特にお年寄が集まると、健康の話が多いですね、話題が一杯で楽しかった事でしょう
又来年もお元気で集合出来たら、幸せですね。
皆様お元気で又一年後のお出会が出来ます事心よりお祈りしております。
何しろ60年ぶりに会う学友もあり、もこサンが推察の通りです。
追って傘寿の懇親会の様子など書き込む積りです。
市民の寄付というけれども、再建は30億円くらいかかったのでは?
火災保険は入っていなかったのでしょうか。
藩主が神になったということですか。
神道は便利ですね。