
時々
曇り9/0℃ 西高東低の冬型の気圧配置で風強く、寒し
2月17日の夕食の食欲が無く簡単に済ませたが21時過ぎ、突然立っている事が儘ならず、仰向けになり、意識はあるのだが少しオーバーな言い方かも知れないが体全体が「コンニャク人間」みたいになり腕を上げても支えきれ無いのである。家内は119番に通報して救急車の支援を依頼した。救急車は近くの青谷の消防署からすぐ到着し、救急車はこれも近くの神戸労災病院に連絡し、受け入れてもらうことになった。暫らく書き込みをお休みしていたがこの状況を自分なりに記憶をたどりながら聞き込みしてしてみたいと思う。救急治療室運び込まれたが数人の医師と看護師がいたように記憶しているが医師から問診を受けたがホームドクターから泌尿器科の検査と腸の検査を受けるようアドバイス受けていると答えると、それではMRI検査を行いますと言われて麻酔をされていつの間にか眠ったしまい「検査が終わりました。」と言われ病室に運び込まれベッドに寝かせられたたのをおぼろげながら記憶しているが、そのまま朝まで眠りに入った。翌朝、看護師さんが血圧と体温を計りにきたが窓のカーテンを開けると南側の病室で神戸港のポートターミナルが見渡せる個室であった。看護師さんが「起き上がれますか?」と聞かれ看護師さんに手を借りて起き上がると昨夜と違い起き揚げれるのである。そして右手に点滴剤、ペニスの尿道には排尿しても良いように管が差し込まれている。窓辺に行くとポートタミナルには比較的に大きなクルーズ客船が停泊しており綺麗な景色である。熱が37度ほどあり看護師さんが水枕を持ってきて、そして今日は絶食になるでしょうと言われ再び眠りに入った。何時の間に着たのか家内から声をかけられて眼を開けると担当主治医が立っており、医師は検査の結果、胆管に大きな石が3個あり、現在は仮の処置として胆管から取り出しているがこの3個の石を内視鏡で除去する必要があるのでその同意を求められたのである。当然のことながら直ぐ同意したがその日から3ヶ間の絶食でジュース(三和ジュース研究所)だけの食事となった。このジュース小さな小箱であるが医療・介護用のジュースだそうだがこの1箱だけで食事ををしたように満足感が出る不思議なジュースでる。3日後、内視鏡による石の除去行われたが1時間もかからず難なく終了した。
医師から除去前の石の画像だが説明を受けたがどれが石なのか我輩にはサッパリ分からないのである。除去された石は便と一緒に排出されるそうである。
※見出し画像には「別れかれのブルース」の文字列だが昭和12年に大ヒットした歌だが(作詞:藤浦洸、作曲:服部良一、唄:淡谷のり)横浜港のグランドホテルで想定したものだが神戸港にピッタリの歌でもある。
最近は救急車の到着が遅れるとか、受容れ病院がすぐには決まらないとか良く聞きます。
その後の処置も無駄なく処置されて事なきを得たようですね。
それもこれも、ホームドクターのアドバイスを的確に伝えたからでしょう。
もう散歩も出来るようになったとのこと、本当に良かったです。
私も20年前、手術後2週間近く絶食に。
医者に「そんなに絶食ですか」言ったら、点滴から必要な栄養は体に入っているのだから問題ないと諭されたことを思いだします。
早速のコメント
救急車に
検査処置は0時を過ぎていたそうですが家内は救急車が3台緊急患者が運び込まれたそうです。
運が良かったと
家内は処置が終わって近くの家に帰ったのが午前の1時過ぎだったそうです。
コメント
術後2週間近くも絶食。
手術はUchanと同年輩で3~4年前にブロガーを引退した「気が向いた時感じたままに」さんと同じ手術だった病名の時だったでしょうか。
たった3日間の絶食でしたが点滴とジュース1箱でしたがジュースを飲むと食事を摂った気分になり、不思議なジュースでした。