
幌延神社/北海道幌延町(Horonobe Jinja,Horonobe,Hokkaido Japan)
2016年7月9日(土)、幌延町にある幌延神社(ほろのべじんじゃ)に参拝。街中の丘の上にある大きな神社。近くに町役場。石段を登ると、焦げ茶色鳥居。左に忠魂碑。鳥居をくぐり砂利参道をゆく。コンクリート板参道。左に手水舎。石段を登り右に社務所。左に神輿庫。奥に茶屋根の社殿。本殿は拝殿と分離していて橋で接続。境内は、エゾマツ、トドマツ、モミジ、オンコ(イチイ)、広葉樹などの巨木。
獅子狛犬は、鳥居と社殿の中間に居た。
阿吽像の配置は正常。頭小さく、がっしりした縦長の体型。タレ耳、タテガミは房となり鋭く流れ、尾は6つの房となり直立。奉納年は皇紀2600年記念昭和15年(1940年 )。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒098-3223 天塩郡幌延町宮園町
☆祭神
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
・軻遇突智神(かぐつちのかみ)
・保食神(うけもちのかみ)
☆由緒
明治36年4月木村藤太郎が有志と共に伊勢の神宮に参詣し、大宮司に請願して天照大神の御分霊を戴き5月ウブシ東2線北4号27番地に祠を設けて奉斎し、併せて他2祭神を祀った。大正5年小学校の移転に伴い現在の浄水場の所に移転した。この鎮座地は参道が長く且つ急斜面であり老幼の参詣に不便であったので大正13年頃現在の鳥居前付近に移転した。昭和2年2月の大雪で祠が倒伏したため、本殿拝殿が建設された。昭和4年3月氏子総会で神社の現在地への新築移転が決定され、昭和4年9月本殿・拝殿の造営が完了した。昭和10年創立が許可され無格社となった。昭和19年村社認可の模様の内報があったが、終戦となり村社昇格には至らなかった。
☆地名の由来
・幌延町:アイヌ語の「ポロ・ヌプ」(大きい・野原=大平原)が「ほろのぶ」と転訛ししこれに「幌延」の漢字が当てられ、さらに「ほろのべ」と転訛したもの。
---------------------------------------------------------------------------------



























2016年7月9日(土)、幌延町にある幌延神社(ほろのべじんじゃ)に参拝。街中の丘の上にある大きな神社。近くに町役場。石段を登ると、焦げ茶色鳥居。左に忠魂碑。鳥居をくぐり砂利参道をゆく。コンクリート板参道。左に手水舎。石段を登り右に社務所。左に神輿庫。奥に茶屋根の社殿。本殿は拝殿と分離していて橋で接続。境内は、エゾマツ、トドマツ、モミジ、オンコ(イチイ)、広葉樹などの巨木。
獅子狛犬は、鳥居と社殿の中間に居た。
阿吽像の配置は正常。頭小さく、がっしりした縦長の体型。タレ耳、タテガミは房となり鋭く流れ、尾は6つの房となり直立。奉納年は皇紀2600年記念昭和15年(1940年 )。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒098-3223 天塩郡幌延町宮園町
☆祭神
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
・軻遇突智神(かぐつちのかみ)
・保食神(うけもちのかみ)
☆由緒
明治36年4月木村藤太郎が有志と共に伊勢の神宮に参詣し、大宮司に請願して天照大神の御分霊を戴き5月ウブシ東2線北4号27番地に祠を設けて奉斎し、併せて他2祭神を祀った。大正5年小学校の移転に伴い現在の浄水場の所に移転した。この鎮座地は参道が長く且つ急斜面であり老幼の参詣に不便であったので大正13年頃現在の鳥居前付近に移転した。昭和2年2月の大雪で祠が倒伏したため、本殿拝殿が建設された。昭和4年3月氏子総会で神社の現在地への新築移転が決定され、昭和4年9月本殿・拝殿の造営が完了した。昭和10年創立が許可され無格社となった。昭和19年村社認可の模様の内報があったが、終戦となり村社昇格には至らなかった。
☆地名の由来
・幌延町:アイヌ語の「ポロ・ヌプ」(大きい・野原=大平原)が「ほろのぶ」と転訛ししこれに「幌延」の漢字が当てられ、さらに「ほろのべ」と転訛したもの。
---------------------------------------------------------------------------------


























