鹿児島神社/鹿児島県鹿児島市(Kagoshima Jinja,Kagoshima-shi,Kagoshima,Japan)
2019年5月19日(日)、鹿児島県鹿児島市にある鹿児島神社(かごしまじんじゃ)に参拝。市街地の丘の上にある中くらいな神社。石段あり。右に社号標。コンクリート参道をゆく。白い鳥居。扁額には「宇治瀬大明神」とある。通称は宇治瀬神社(うつでさあ)だ。鳥居をくぐり石段がある。左右に小社。石段を上がる。石板参道。右に手水舎。左に石の小社。正面に赤い屋根の社殿。前に獅子狛犬。正面を向いて参道に平行に配置されている。肌が滑らかで横型の体型。阿吽像の配置は正常。奉納年は不明。社殿左側に御札授与所+社務所。右に由緒版。
------------ネットによると-----------
☆所在地
〒890-0014 鹿児島市草牟田2-58-3
☆祭神
・天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)
・豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・豊受大神(とようけのおおかみ)
☆由緒
古くは錦江湾に浮かぶ神瀬の小島に鹿児島一円の氏神、又海の神として奉斎された。彦火火出見命(山幸)が綿津見宮に行かれた折、豊玉彦命は心を尽して彦火火出見命に仕えられたが、其の誠忠偉勲の功を称える為、彦火火出見命の御子の鵜茅葺不合命が創祀されたと伝えられる。国史「三代実録」に「貞観二年三月二十日薩摩國従五位下鹿児島神に、従五位上を授く。氏神は鹿児島の地主神なり」と記され、又安政六年には正一位の神階を賜わっている。鹿児島市を流れる甲突川は、昔当社社前を流れていて、水の流れが渦を巻く様より宇治瀬の名が起こったという。又、例祭の執行される月(二月・十月)を神月といい、氏子等は其の間、旅行其の他を慎んだと伝わるが、現在の甲突川は、古くは其の神月より神月川、又宇治瀬川とも称されていた。藩政時代には、領主島津家の尊崇厚く、代々鹿児島三社の一つに列せられていた。
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2019年5月19日(日)、鹿児島県鹿児島市にある鹿児島神社(かごしまじんじゃ)に参拝。市街地の丘の上にある中くらいな神社。石段あり。右に社号標。コンクリート参道をゆく。白い鳥居。扁額には「宇治瀬大明神」とある。通称は宇治瀬神社(うつでさあ)だ。鳥居をくぐり石段がある。左右に小社。石段を上がる。石板参道。右に手水舎。左に石の小社。正面に赤い屋根の社殿。前に獅子狛犬。正面を向いて参道に平行に配置されている。肌が滑らかで横型の体型。阿吽像の配置は正常。奉納年は不明。社殿左側に御札授与所+社務所。右に由緒版。
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☆所在地
〒890-0014 鹿児島市草牟田2-58-3
☆祭神
・天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)
・豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・豊受大神(とようけのおおかみ)
☆由緒
古くは錦江湾に浮かぶ神瀬の小島に鹿児島一円の氏神、又海の神として奉斎された。彦火火出見命(山幸)が綿津見宮に行かれた折、豊玉彦命は心を尽して彦火火出見命に仕えられたが、其の誠忠偉勲の功を称える為、彦火火出見命の御子の鵜茅葺不合命が創祀されたと伝えられる。国史「三代実録」に「貞観二年三月二十日薩摩國従五位下鹿児島神に、従五位上を授く。氏神は鹿児島の地主神なり」と記され、又安政六年には正一位の神階を賜わっている。鹿児島市を流れる甲突川は、昔当社社前を流れていて、水の流れが渦を巻く様より宇治瀬の名が起こったという。又、例祭の執行される月(二月・十月)を神月といい、氏子等は其の間、旅行其の他を慎んだと伝わるが、現在の甲突川は、古くは其の神月より神月川、又宇治瀬川とも称されていた。藩政時代には、領主島津家の尊崇厚く、代々鹿児島三社の一つに列せられていた。
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