神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

相馬太田神社/福島県南相馬市(Somaota Jinja,Minamisoma-shi,Fukushima,Japan)

2017年05月20日 | 神社と狛犬
相馬太田神社/福島県南相馬市(Somaota Jinja,Minamisoma-shi,Fukushima,Japan)
2017年5月13日(土)、南相馬市原町区にある相馬太田神社(そうまおおたじんじゃ)に参拝。集落の中にある大きな神社。雨が降る。アスファルト参道、スギの巨木並木。左に由緒板、池。参道をゆく。苔がある石の鳥居。左に手水舎、鳥居をくぐる。右に社務所、左に神輿殿。神輿殿の裏に石碑4基。仏敬徳神の碑。石段を上がる。奥に焦げ茶色屋根の社殿。正面に太いスズ紐が4本下がっている。社殿右に絵馬殿。中には白馬の像。奥に小社。右の方にも石段があり登ってこれるようになっている。社殿左に、不明の社殿、奥に土の中から屋根が出ているような足緒神社、大神宮碑。境内はスギなどの巨木の森。神社左には、集会所と広い駐車場有。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、鳥居の前に居た。
阿吽の配置は逆。頭でっかちでゴロンとした体型。タレ耳、タテガミは沢山のウズを巻き、小さな尾は直立。奉納年は、不明。
2対目は、社殿の前に居た。
阿吽の配置は逆。スラリとした縦長体型。タレ耳、タテガミは薄く流れ、大きな尾は3つのフサとなり直立。奉納年は、明治41年12月(1908年)。
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------------ネットによると-----------
☆所在地
〒975-0052 福島県南相馬市原町区中太田舘腰139
 tel:0244-23-2058
☆祭神
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
☆由緒
 承平年中(931年 - 937年)に相馬氏の遠祖・平将門公が下総国猿島郡守屋城に妙見社を創建したことに始まる。
平将門公から十二代にあたる相馬師常公が源頼朝の軍に従い、奥州藤原氏との合戦での功績により奥州行方郡の地を賜り、同族の千葉氏から相馬を継ぎ、奥州相馬の初代となった。
その後、元亨3年(1321年)4月22日、下総国守谷城より相馬孫五郎重胤公が御国換えの際、この地へ移り住み、氏神妙見尊を奉じて宮祠を創建して祀った。
相馬家は妙見信仰の信望者で、藩主が篤く信仰していた鎮守・妙見を下総から持参し、敷地内に鎮座させた。その妙見堂が相馬太田神社の由来とされている。
この神社は中村藩相馬氏の氏神として代々崇拝されてきた。
☆地名の由来
 ・福島県:明治9年、当時の若松県、磐前(いわさき)県、福島県が合併して、現在とほぼ同じ姿の福島県が誕生した。「福島」の名称は、そのころの県庁所在地だった福島町から取った。その福島は文禄2年(1593年)ごろ、木村吉清さんという方によって、杉目城から福島城と改称して使われたのがきっかけとなる。
その福島の由来は、伝説集「信夫伊達風土記」には次のような由来が書かれているそうだ。信夫(しのぶ)郡は昔、見渡す限りの湖で真ん中に信夫山(しのぶやま)がありました。この山には吾妻(あづま)おろしが吹きつけていたため、吹島(ふくしま)と呼ばれるようになった。その後、長い歳月を経て湖が干上がり陸地ができ、次々と集落が生まれていきました。そんな中で、城の名として使うにあたって、縁起を担いで吹を福とし、福島と呼ぶようになったという。
 ・南相馬市:相馬市の南に位置するから。相馬市は、鎌倉時代から江戸末期までここを支配した相馬氏が名前の由来。
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