喜茂別神社/北海道喜茂別町(Kimobetsu Jinja,Kimobetsu Hokkaido Japan)
2014年6月21日(土)、喜茂別(きもべつ)町にある喜茂別神社に参拝。国道230号沿いの丘の上にある中くらいの神社。歩道からいきなり石段が始まる。駐車場が無い。後で分かったが、少し先の細道を上がっていくと神社境内に車で行くことができる。こげ茶色の第1鳥居をくぐり急な石段を登ると神門鳥居あり。左側に社務所、宮司さんの車が停まっている。右側のちょっと離れた場所に、開村記念碑と古い資材庫あり。コンクリート参道を歩き、同色の第2鳥居がある。両側がエゾマツ並木の長い石段が続いている。左側に由緒板、右側に大きな手水舎あり。石段を登ると木々の緑を背景に、黒茶色屋根の社殿あり。石段を下りて社務所の左に見ながら奥に歩くと、赤い屋根の建物があり獅子狛犬が守っている。末社かと思いながら中を確認すると、神輿の台など資材が置いてある。資材庫だった。その裏には、忠魂碑があった。そうか、獅子狛犬は忠魂碑を守っていたのだ。後から資材庫が建てられたのだろう。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は神門鳥居の後ろに居た。
阿吽正常。頭でっかちでまるでカバのような体型。阿像は、口の中に玉を咥えている。耳は水平、尾は短い。奉納年は昭和14年(1939年)。
2対目は資材庫(裏に忠魂碑)の前に居た。
阿吽正常。岡崎型だ。眼・口は赤く、タテガミ・足の爪などは黒く縁取っている。奉納年は昭和46年7月(1971年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒044-0201 虻田郡喜茂別町字喜茂別323番地
☆祭神
・天照大神(あまてらすおおかみ)
・豊受大神(とようけのおおかみ)
・大己貴神(おおなむちのかみ)
・少彦名神(すくなひこなのかみ)
☆由緒
明治41年晩春の大旱魃に際し、初代社守大槻音吉斉主となり尻別山において天照大神・豊受大神を勧請し、7月3日より三日間断食祈雨神事を参修する。5日の夕方に雨降りしきり草木悉く蘇る。この神慈に礼謝せんと現在の社地に小祠を営み伊勢の皇大神宮より神璽を奉戴鎮座した。大正2年一時 市街地西端の丘上に移遷されたが、大正13年3月創立を出願、大正14年8月旧社地に御社殿を造営遷座された。昭和4年2月創立許可を得、同年5月8日に官幣大社出雲大社より大己貴神、国幣中社酒列磯前神社より少彦名神を奉戴合祀御鎮座祭を執行。昭和8年7月村社に列格同年9月神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和16年6月旧社務所造営。昭和27年8月御社殿を焼失するが、昭和29年現在の御社殿再建遷座祭。昭和39年9月社務所改築、平成12年9月御社殿大屋根銅板葺替等改修工事並びに千木・勝男木の本金箔押し錺金具施工工事を実施し、遷座祭が営まれた。
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2014年6月21日(土)、喜茂別(きもべつ)町にある喜茂別神社に参拝。国道230号沿いの丘の上にある中くらいの神社。歩道からいきなり石段が始まる。駐車場が無い。後で分かったが、少し先の細道を上がっていくと神社境内に車で行くことができる。こげ茶色の第1鳥居をくぐり急な石段を登ると神門鳥居あり。左側に社務所、宮司さんの車が停まっている。右側のちょっと離れた場所に、開村記念碑と古い資材庫あり。コンクリート参道を歩き、同色の第2鳥居がある。両側がエゾマツ並木の長い石段が続いている。左側に由緒板、右側に大きな手水舎あり。石段を登ると木々の緑を背景に、黒茶色屋根の社殿あり。石段を下りて社務所の左に見ながら奥に歩くと、赤い屋根の建物があり獅子狛犬が守っている。末社かと思いながら中を確認すると、神輿の台など資材が置いてある。資材庫だった。その裏には、忠魂碑があった。そうか、獅子狛犬は忠魂碑を守っていたのだ。後から資材庫が建てられたのだろう。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は神門鳥居の後ろに居た。
阿吽正常。頭でっかちでまるでカバのような体型。阿像は、口の中に玉を咥えている。耳は水平、尾は短い。奉納年は昭和14年(1939年)。
2対目は資材庫(裏に忠魂碑)の前に居た。
阿吽正常。岡崎型だ。眼・口は赤く、タテガミ・足の爪などは黒く縁取っている。奉納年は昭和46年7月(1971年)。
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☆所在地
〒044-0201 虻田郡喜茂別町字喜茂別323番地
☆祭神
・天照大神(あまてらすおおかみ)
・豊受大神(とようけのおおかみ)
・大己貴神(おおなむちのかみ)
・少彦名神(すくなひこなのかみ)
☆由緒
明治41年晩春の大旱魃に際し、初代社守大槻音吉斉主となり尻別山において天照大神・豊受大神を勧請し、7月3日より三日間断食祈雨神事を参修する。5日の夕方に雨降りしきり草木悉く蘇る。この神慈に礼謝せんと現在の社地に小祠を営み伊勢の皇大神宮より神璽を奉戴鎮座した。大正2年一時 市街地西端の丘上に移遷されたが、大正13年3月創立を出願、大正14年8月旧社地に御社殿を造営遷座された。昭和4年2月創立許可を得、同年5月8日に官幣大社出雲大社より大己貴神、国幣中社酒列磯前神社より少彦名神を奉戴合祀御鎮座祭を執行。昭和8年7月村社に列格同年9月神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和16年6月旧社務所造営。昭和27年8月御社殿を焼失するが、昭和29年現在の御社殿再建遷座祭。昭和39年9月社務所改築、平成12年9月御社殿大屋根銅板葺替等改修工事並びに千木・勝男木の本金箔押し錺金具施工工事を実施し、遷座祭が営まれた。
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