神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

大崎八幡宮/宮城県仙台市(Osaki Hachimangu,Sendai-shi,Miyagi,Japan)

2017年05月02日 | 神社と狛犬
大崎八幡宮/宮城県仙台市(Osaki Hachimangu,Sendai-shi,Miyagi,Japan)
2017年4月18日(火)、仙台市青葉区にある大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)に参拝。住宅地の丘の上にある大きな神社。大きな駐車場あり。北参道をゆく。警備員が立つ赤い鳥居、アスファルト参道をゆく。境内はスギ、モミジ、マツ、サクラなどの巨木の森。右に由緒・行事・境内案内図などの掲示板。献酒樽。表参道はずっと南のの方だ。砂利道を表参道入口に向かうと社務所あり。石段が長いので下りるのを止めにして、赤い第3鳥居から本殿を目指す。鳥居をくぐり自然石の石板参道。桜咲く。右に石絵馬、トイレ。参道をゆく。右に綺麗な手水舎と工事中のコンクリートミキサー車。右に由緒板と手水舎、左に」案内所。参道をゆく。右に末社:金刀比羅社、石像あり。石段を上がる。重要文化財の大きな長床。中央をゆく。楽天イーグルスの必勝祈願絵馬、お酒、大きな絵馬などが飾ってある。奥に国宝の杉の木屋根の豪華絢爛の社殿。右に御札授与所、祈願受付所あり。
獅子狛犬は2対いた。
1対目は、赤い第3鳥居前に居た。
阿吽像は逆配置。素朴でコロンと丸い体型。参道に平行設置、左右ともに角あり。耳は立ち、タテガミはウズを巻き、小さな尾は背に張り付く。奉納年は、安永2年(1773年)。
2対目は、長床前の石段を上がった所に居た。
阿吽像は逆配置。大きくて胸板厚く堂々とした体型。1対目によく似ているが、こちらは筋肉質でスラリとした体型。参道に平行設置、左右ともに角あり。小さな耳は立ち、タテガミは豊かでウズを巻き、小さな尾は背に張り付く。奉納年は、不明。
ポケモンGO:ジム×1、ポケストップ×5。
------------ネットによると-----------
☆所在地
宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
 tel:022-234-3606
☆祭神
 〇主祭神:
  ・応神天皇
  ・仲哀天皇
  ・神功皇后
☆由緒
 平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後、室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。
大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。
この際に旧領の羽前国米沢にて代々崇敬しておりました成島八幡宮と共に祀られました。 社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されており、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えております。
藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は大崎八幡神社と称しておりましたが、御遷座四百年を間近に控えその歴史的経緯を考慮し、平成九年六月、社名を大崎八幡宮に復し、現在に至っております。
☆地名の由来
 ・仙台:地名の語源は諸説があり、
国分氏が「千代城」と名付けたことが由来とする説。これは城の位置に千体仏があったためで、千体が転じて「千代」となった。転じた理由としては、城が千代(ちよ)に栄えるようにという願いからつけられたという説がある。その後、伊達政宗が「仙臺」(新字体で「仙台」)と改名した。
アイヌ語の「セプ・ナイ(広い・川)」が「せんだい」になったのであり、広瀬川が仙台の名の由来という説。
仙台城のある川内地区を音読みで「せんだい」としたことが由来との説。
などが主なものであるが、1.の国分氏由来の説が一般的に信じられている。
政宗が改めた「仙臺」との表記は、中国の前漢代(紀元前206年 - 8年)の故事とそれを題材にした唐代(618年 - 907年)の漢詩に由来する。
 ・宮城県:①奈良時代に国府がおかれ、朝廷の出先機関ということで「宮宅(みやけ)」とよばれ、それが訛ったとのこと。
 ②陸奥国府の多賀城がおかれていた古代の郡名「宮城郡」から名付けられた。「宮城」は塩釜神社(宮)と多賀城(城)に由来する。塩釜神社は陸奥の一の宮。また、多賀城は朝廷の城であり、「宮なる城」という意味で「宮城」という地名が生まれたとも言われる。
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