赤川神社/北海道岩見沢市(Akagawa Jinja,Iwamizawa,Hokkaido Japan)
2016年10月8日(土)、岩見沢市北村赤川にある赤川神社(あかがわじんじゃ)に参拝。道道6号線沿いの平地にある中くらいの神社。右隣は、赤川地区公民館、栄建設新赤川作業所。赤川地区公民館の道路側には、赤川小学校跡地記念碑。焦げ茶色鳥居、砂利参道。境内には広葉樹の巨木。鳥居の前に由緒版。参道をゆく。ヒバの木が参道両側にある。左に御札焼却場。1対の石灯籠。右に木の根元に自然石、手水石2つ、自然石とコンクリート製。奥に赤屋根の社殿。両側にオンコ(イチイ)の木。社殿右に資材庫。マガン飛ぶ。
獅子狛犬は居ない。
ポケモンGO:ポケストップあり。
------------ネットによると-----------
☆所在地
(参考)赤川公民館
〒068-1213 北海道岩見沢市北村赤川418-5
☆祭神
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
☆由緒
明治41年春、新谷亀松氏外8人余の人々によって1尺角に神明を書した社標が建てられ創祀奉祭されたと伝える。大正元年9月海老江亀次郎氏によって社殿を造営し伊勢神宮より御神霊を迎へ奉祀する。その後3回の風害によって倒壊、ことに昭和29年の15号颱風により拝殿が全壊、翌年3月有志一同の尽力により新築成る。昭和53年神殿及び鳥居の腐朽に依り社殿を現在地に新築し遷座する。
☆地名の由来
・岩見沢市:アイヌ語の地名が多い北海道において、岩見沢は数少ない和名の都市だ。明治11年に幌内煤田を開採のため、開拓使は札幌~幌内間の道路を開削に当たり、工事に従事する人たちのため、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれている。
当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになったといわれている。
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2016年10月8日(土)、岩見沢市北村赤川にある赤川神社(あかがわじんじゃ)に参拝。道道6号線沿いの平地にある中くらいの神社。右隣は、赤川地区公民館、栄建設新赤川作業所。赤川地区公民館の道路側には、赤川小学校跡地記念碑。焦げ茶色鳥居、砂利参道。境内には広葉樹の巨木。鳥居の前に由緒版。参道をゆく。ヒバの木が参道両側にある。左に御札焼却場。1対の石灯籠。右に木の根元に自然石、手水石2つ、自然石とコンクリート製。奥に赤屋根の社殿。両側にオンコ(イチイ)の木。社殿右に資材庫。マガン飛ぶ。
獅子狛犬は居ない。
ポケモンGO:ポケストップあり。
------------ネットによると-----------
☆所在地
(参考)赤川公民館
〒068-1213 北海道岩見沢市北村赤川418-5
☆祭神
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
☆由緒
明治41年春、新谷亀松氏外8人余の人々によって1尺角に神明を書した社標が建てられ創祀奉祭されたと伝える。大正元年9月海老江亀次郎氏によって社殿を造営し伊勢神宮より御神霊を迎へ奉祀する。その後3回の風害によって倒壊、ことに昭和29年の15号颱風により拝殿が全壊、翌年3月有志一同の尽力により新築成る。昭和53年神殿及び鳥居の腐朽に依り社殿を現在地に新築し遷座する。
☆地名の由来
・岩見沢市:アイヌ語の地名が多い北海道において、岩見沢は数少ない和名の都市だ。明治11年に幌内煤田を開採のため、開拓使は札幌~幌内間の道路を開削に当たり、工事に従事する人たちのため、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれている。
当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになったといわれている。
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