
士別神社1/北海道士別市(Shibetsu Jinja 1,Shibetu,Hokkaido Japan)
2016年6月9日(木)、士別市にある士別神社(しべつじんじゃ)に参拝。桜の名所九十九山にある大きな神社。近くに市役所あり。アスファルト参道、焦げ茶色の第1鳥居。左に弓道場、社務所、参集殿と連なる。境内は、エゾマツ、トドマツ、サクラ、カシワなどの巨木の杜。エゾゼミ鳴く。アスファルト参道を行く。右に野外舞台。正面は砂利の裏参道だ。右に曲がり50mほど行くと左に上る表参道の石段がある。石段を登らずに真っすぐ行くと白い鳥居がある。別の参道の鳥居だ。白い鳥居をくぐらずに戻ってくると、民謡碑、川柳碑、レンゲツツジ咲く。獣魂碑、針塚あり。手水舎建立記念碑。石段を登り表参道を行く。左に大きな手水舎、竜の口から水が流れる。藪蚊の襲撃。黒い第2鳥居、右に小さな東屋、句塚。表参道を行く。天塩川歌碑、石段を登る。奥に焦げ茶色屋根のどっしりとした社殿。右に巨石、御創祀90周年記念碑。左に歌を書いた御札授与所。社殿右奥に神輿殿。社殿左側は裏参道になっている。忠魂碑、社日地神碑。焦げ茶色鳥居のある末社:士別山神社あり。裏参道の砂利道を下がる。末社:聖徳神社あり。すぐ下に屋根のある土俵、殉難碑がある。最後に末社:古峯龍尾神社あり。
獅子狛犬は、2対居た。
1対目は、表参道石段の上に居た。阿吽の配置は正常。愛嬌のある顔、胴長で横長体型。タレ耳、タテガミは張り付き、尾も分かれて胴に張り付く。顔は真横を向く。奉納年は大正8年7月(1919年)。
2対目は、社殿前に居た。
阿吽の配置は正常。岡崎型。奉納年は昭和54年5月(1979年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒095-0008 士別市東8条北1丁目436番地(九十九山)
☆祭神
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
・相馬大神(そうまのおおかみ)(配祀)
☆由緒
明治32年7月15日、屯田兵第3大隊第5中隊99戸が士別へ入地、練兵場の一角に開拓記念標を建て、天照皇大神を奉斎、同15日入隊式が行われた。これが士別開基・士別神社の御創祀で、以来この日が例祭日に定められた。次いで明治35年士別村独立を契機に名越源五郎中隊長は社殿建立を屯田兵一同に議り、現・九十九山に共同作業で祠を建立、次いで明治45年明治天皇遙拝殿を建立、爾来拝殿として使用された。大正4年士別町制施行、公認神社創立準備が始まり翌5年兵村より神社用地が寄付された。7年創立出願、翌8年創立認可、村社に列格した。
大正13年御造営事業が始まり、同15年本殿竣功、遷座祭斎行。昭和3年御大典の慶事と士別開基30年に際会、拝殿工事開始、全町民の熱烈な奉賛を得て昭和5年7月14日竣工、道北随一といわれる壮麗な御社殿が完成した。昭和14年には東山神社(無願社)を合祀、翌15年紀元二千六百年を記念して郷社昇格出願、昭和17年郷社に昇格した。
戦後、神社制度変革にともない、昭和21年神社本庁所轄の法人となった。昭和35年以降10年毎に式年大祭を斎行記念事業を実施。平成11年御創祀百周年に際会、道北一の規模を誇る延坪526坪(1734平米)の新社務所参集殿建設・弓道場移設ほか総額3億3千万円余りの浄財奉納を賜り、記念事業を完遂して奉祝祭を斎行した。平成21年篤志奉賛をいただき社殿洗浄修復他施設改修事業を実施し、百十周年臨時大祭を斎行。愈々森厳さを増しつつ士別市の鎮守様、広く安らぎ幸せの守り神として崇められている。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
東山神社 相馬大神 明治40年創祀 昭和14年4月25日合祀
☆地名の由来
・士別市:アイヌ語の「シペッ」(大いなる川)から。
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2016年6月9日(木)、士別市にある士別神社(しべつじんじゃ)に参拝。桜の名所九十九山にある大きな神社。近くに市役所あり。アスファルト参道、焦げ茶色の第1鳥居。左に弓道場、社務所、参集殿と連なる。境内は、エゾマツ、トドマツ、サクラ、カシワなどの巨木の杜。エゾゼミ鳴く。アスファルト参道を行く。右に野外舞台。正面は砂利の裏参道だ。右に曲がり50mほど行くと左に上る表参道の石段がある。石段を登らずに真っすぐ行くと白い鳥居がある。別の参道の鳥居だ。白い鳥居をくぐらずに戻ってくると、民謡碑、川柳碑、レンゲツツジ咲く。獣魂碑、針塚あり。手水舎建立記念碑。石段を登り表参道を行く。左に大きな手水舎、竜の口から水が流れる。藪蚊の襲撃。黒い第2鳥居、右に小さな東屋、句塚。表参道を行く。天塩川歌碑、石段を登る。奥に焦げ茶色屋根のどっしりとした社殿。右に巨石、御創祀90周年記念碑。左に歌を書いた御札授与所。社殿右奥に神輿殿。社殿左側は裏参道になっている。忠魂碑、社日地神碑。焦げ茶色鳥居のある末社:士別山神社あり。裏参道の砂利道を下がる。末社:聖徳神社あり。すぐ下に屋根のある土俵、殉難碑がある。最後に末社:古峯龍尾神社あり。
獅子狛犬は、2対居た。
1対目は、表参道石段の上に居た。阿吽の配置は正常。愛嬌のある顔、胴長で横長体型。タレ耳、タテガミは張り付き、尾も分かれて胴に張り付く。顔は真横を向く。奉納年は大正8年7月(1919年)。
2対目は、社殿前に居た。
阿吽の配置は正常。岡崎型。奉納年は昭和54年5月(1979年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒095-0008 士別市東8条北1丁目436番地(九十九山)
☆祭神
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
・相馬大神(そうまのおおかみ)(配祀)
☆由緒
明治32年7月15日、屯田兵第3大隊第5中隊99戸が士別へ入地、練兵場の一角に開拓記念標を建て、天照皇大神を奉斎、同15日入隊式が行われた。これが士別開基・士別神社の御創祀で、以来この日が例祭日に定められた。次いで明治35年士別村独立を契機に名越源五郎中隊長は社殿建立を屯田兵一同に議り、現・九十九山に共同作業で祠を建立、次いで明治45年明治天皇遙拝殿を建立、爾来拝殿として使用された。大正4年士別町制施行、公認神社創立準備が始まり翌5年兵村より神社用地が寄付された。7年創立出願、翌8年創立認可、村社に列格した。
大正13年御造営事業が始まり、同15年本殿竣功、遷座祭斎行。昭和3年御大典の慶事と士別開基30年に際会、拝殿工事開始、全町民の熱烈な奉賛を得て昭和5年7月14日竣工、道北随一といわれる壮麗な御社殿が完成した。昭和14年には東山神社(無願社)を合祀、翌15年紀元二千六百年を記念して郷社昇格出願、昭和17年郷社に昇格した。
戦後、神社制度変革にともない、昭和21年神社本庁所轄の法人となった。昭和35年以降10年毎に式年大祭を斎行記念事業を実施。平成11年御創祀百周年に際会、道北一の規模を誇る延坪526坪(1734平米)の新社務所参集殿建設・弓道場移設ほか総額3億3千万円余りの浄財奉納を賜り、記念事業を完遂して奉祝祭を斎行した。平成21年篤志奉賛をいただき社殿洗浄修復他施設改修事業を実施し、百十周年臨時大祭を斎行。愈々森厳さを増しつつ士別市の鎮守様、広く安らぎ幸せの守り神として崇められている。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
東山神社 相馬大神 明治40年創祀 昭和14年4月25日合祀
☆地名の由来
・士別市:アイヌ語の「シペッ」(大いなる川)から。
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