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転職先が合わなくて辛い

2013-09-16 10:12:39 | 無題
上司の上司も、

上司の上司の上司も、

似たような感じの人たちなのだ。


なにか意見ないの?と聞いて―さらに詰め寄ってーおきながら、

じゃぁと意見をやんわり言うと

(やんわり言っても。)

俺はそう思わねぇと言い、

改善する必要がないことを熱弁しだし、

しまいにはまるで私が文句があるかのような口調で話して来たので、

「あの・・・文句があるというわけじゃないんですけど・・・」

と言うと、

「あ、そっか。」

という具合だったり、

質問しただけでも、

なに?なんか文句あるの?という具合。

これ使ってもいいですか?こうしてもいいですか?等も、

「なんで?ダメ。」

なんで?のあとに間髪いれずに、「ダメ」だ。

理由も聞く気はなければ、掘り下げる気もない。



意見どころか質問も、相談も、

報告さえもしずらい状況だ。


そんな上司達の口癖は、

「ほうれんそうが大事」

「早めに相談したり、報告したりしてほしい。

そうしたら対処できるから。

いきなり来て今日中にっていわれてもねぇ(笑)」

アハハ

大いに上司同士で盛り上がっていた。


確かにほうれんそうは大事だと、

以前の会社から思っていたのだが、

私が以前いた会社の上司達と180度違う点から、

それを部下達に求めても思い通りにならないのは

当たり前ではないかと思う。


前の会社の上司たちは、

意見を求めているときは、本気で求めている。

だから意見を言えば歓迎されるし、

それを取り込んで会議は進められる。

バイトだろうが契約社員だろうが関係ない。

意見がない人に詰め寄ることも別段ない。

手を挙げればやらせてもらえる、参加できる。

手を挙げなければそれまでで、

おもしろい仕事を逃すだけだが、

のんびりバイトとして言われたことだけ仕事したい人には、

またそれはそれでいいのだろう。



今の会社は正社員だとしても、意見は求められていない。

意見や提案を言えば、たとえ、

こんなのどうかなぁというようないいかたでも、

文句があると捉えられる。

そこから必死に力説がはじまるから、

めんどくさくてもういいやとなる。


私は以前の会社で使っていたシステムを入れたら、

より確実で安全で効率化がはかれる、

仕事がしやすくなるのになぁと思うことがあった。

周りの先輩たちも、

(現在使われている)このシステムは見にくい、使いにくいと漏らしていた。

でもその力説を前にして、

めんどくさくなった。

別に違うシステムを導入しようがしまいが、

利益に響くかどうかは会社が決めることだし、

利益や効率化を逃すのも会社なのだからと。

説得するには、

どれだけ利益が出るかということを、

詳しく統計的にプレゼンしなければいけないように感じられた。

そしてそれさえしたところで、

受け入れられるかあやしいものだった。


そんなことをするのが私の利益につながるだろうか?

つながらない。

下手すると、自分の時間を浪費しただけで終わる可能性がある。

そして会社に楯突く因子として、

上司達から目を付けられる可能性がある。

そんな危険を犯してまで、

こんなシステムがありますよと伝える必要があるだろうか?

ない。


会社がどうなろうと知ったことではない。


おかしな話だが、そう思った。

以前の会社にいたときは、

正社員じゃないのに、本気で会社のことを心配した。

社内に犬がいるのはストレス

2013-09-15 23:54:37 | 無題
どうして私は母に電話してしまったのだろう?


お昼前に電話して、

電話にはでなかった。


さっき20時頃に電話があって、

出ると母だった。


私が就職したのを知らなくて、

どうしてる?毎日ちゃんと寝て、起きて、食べてるの?

と心配そうに、弱々しく、

それでいて怪訝そうな、

不満や文句をにじませた声口調で聞いきた。



すかさずーでも落ち着いてと思いつつ、

就職したよと一言答えた。

その気持ちには、

母を驚かしてやろうとか、

喜ばして(一瞬でも喜ばして)やろうとかいう気持ちがあった。

また、黙らせたいという気持ちもあった。

もし就職していないとなったら、

私を気遣いながらも、

結局、責めて、責めて、とことん責める言葉を

いやというほど浴びせたあげく、

かんしゃくを起こしながら電話を一方的に切るというのが、

母の常套行為だった。


私は“母”に、理想の母を期待してしまっていた。


私は念願叶って、正社員になれたのに、

苦手な犬が社内にいること、

上司たちと考えが合わないこと、

会社で疎外感を感じていることから、

ストレスが重なって、

精神的に弱っていた。

精神病院にも行った。


そんな話をしたけれど、

やはり結局最後はアドバイスをする形で、

私を責め出し、

かんしゃくを起こして母は一方的に電話を切った。

私は母とそんなやりとりをしたかったわけではない。


母に求めていたのは―

なんだろうか?

それをずっとさっきから考えている。

無理線でええよ。

そんな優しい言葉がほしかったのだ。

母はいつも私に世間でいう理想像、

もしくは這いつくばってがんばる私像を、

私に押し付けた。

「そんな甘い考え、許されないよ。」

それが母の口癖だった。

かと思えば、

「どうしたの~?そんな泣かないの。大丈夫だから。」

と優しい口調で励ましてくれるときもって、

私はその何%かで出る優しい母を来てしてしまってきたのだ。

そうしては、

もう母に母を求めるのはやめなければ、

無理なのだからと自分に言い聞かせて、

母になにができるだろうと考える自分がいた。


やっと最近、母に対して大人に(引いて見れるように)なった私は、

母が、母でいれない理由も知っていて、

そんな期待をすることが、

母にとって苦しいことかもしれないと思い、

それでも寂しい私は、

母に連絡しないようにしてきたというのに。


私は母に連絡してしまっていた。



心の中で正社員にこだわっているのは、

私というより、私の中の過去の母だった。

今の母なら、違う言葉をくれるかも、

がんばりすぎないでいいよーと。

そんな期待をしてしまったのか、

電話したけれど、

絶望的にダメだった。


―――――――――――――――――――――――――

私は精神的にまいっていた。



すぐにでも今の会社をやめたいのに、

やめられないでいるのは、

今の会社に入る前に、

たくさん面接を受けたのに、

どの会社もしっくりこなかたからだ。

しっくりいって、

ぜひ行きたいと思った会社は、

ハードルが高すぎたのか、

断られた。

書類はすぐ通るのに、

面接ですぐ落ちた。


何十社も面接を受けると、

もう見えてきた。

世の中に、

前の会社のように、

自分が水をえた魚のように、

生きてるなぁと感じて、

息をしてすごせる会社は、

そうそうないのではないかと。


正社員をあきらめて、

アルバイトでもいいからと思い始めた矢先に採用された会社が、

今の会社だった。


面接でも、求人でも、

社内に犬がいるとは言われていなかった。


そのことを上司たちは、

あ、言ってなかった、ごめんね~(笑)で済ましていた。


朝礼のときに、下のフロアに集まる。

同じフロアの人が犬を抱えて一緒に移動する。

犬とニアミスするのも

自分にはストレスになっていたので、

他の扉から入ることを上司に打診した。

すると上司はしぶった。

1人だけ特別扱いはできないというような感じで、

う~んと否定的な表情を浮かべた。

そしてはっきりと、ダメと断りを入れた。

「朝ちゃんと来ているか確認できないですし。」

私は、え?と思った。

誰よりもちゃんと来ている。

来ていて、席に座っているのを毎日朝見ているではないか。

同じチームの先輩は、ぎりぎりだったり、

遅れて来たりしているのに。

私が、

「その・・・犬を抱えた人に気を使わせてるなぁと

感じてしまうのもありまして。」

というと、

「それならいいよ。」

とあっさり答えた。



こういうことは二度目だ。

1度目、似たようなことがあった。

プリンターが犬の面倒を見ている人の席の後ろにあった。

犬はその人たちの席の下にいた。


プリンターは他にもあって、

私は(席から少し離れたプリンターを指指し)

あのプリンターから出力されるように設定してもいいかと

上司に訊いた。

上司は、うーん、いや、どうして?とあっさり聞いてきた。

犬が苦手なのをもう忘れてしまったというのだろうか?

ほぼ毎日私が犬と出くわしては、

叫び声をあげてしまったいるのに。

犬がいるのでと、相談した先輩と一緒に答えると、

ああ、(といったものの、それでも)

う~ん、と不満そうな表情を浮かべて、

しぶった。


私は困惑した。

私は犬が苦手なのに、

プリンターを他の場所に設定するのが、

なぜそんなにいけない、しぶることなのか?


「どうかな?◯◯さんに聞いてみないと」

とさらに上の上司の名前を出しかけたところで、

((まさかこんなことも上司に聞かないと許可を出せないのか?

私は半ばあきれていた。

―責任感のなさ加減、その直属の上司に与えられた課長代理という肩書きが、

肩書きだけのものという軽さ加減を感じずにいられなかった。

なんて頼りない上司なんだろう。

不安を覚えた。))

私はとっさに、

「遠くてもいいので、あそこのプリンターへ出しちゃダメですか?」と言うと、

「それならいいよ。」とあっさり答えた。

プリンターの場所は最初打診した場所と同じプリンターだ。

いったいこのやりとりの中で、

なにがあって、許可が下りそうになかったり、

下りたりしたのだろうか。


私は「ありがとうございます。」と言いながら、

内心唖然としていた。

プリンターの出力先一つ決めるのに大事なのかと思いきや、

実はそうではなかった。

上司のさじ加減一つだ。

そして、自分のせいで犬が苦手な人を雇うことになったのに、

かばう気、気遣う気、0か。



私がなにかに心をくだき、

なにかを犠牲にするならよくて、

私の犬が苦手という心が犠牲にされているだけではダメなのか。

私は自分が思ったいた以上に犬によるストレスを感じていた。

以前では、

外で散歩の犬にすれ違えば、

かわいいなと思った。

ところが今では、

写真の犬を見ても、

かわいいと感じられなくなり、

それどころか、

コワイ、気持ち悪いと感じるようにまでなってしまった。

犬を好きな人たちまで苦手だ。

以前はそんなことはなかったのに。



なぜこうなってしまったか、

自分の思うところは、

「なんで犬が嫌いなの?かわいいじゃん」

「餌付けすれば大丈夫だよ」

となんども言われたことと、

そして上司の先のような言動があったことだ。

まったく気遣ってくれていないわけではない。

犬の面倒を見ている女性たちは、

犬が吠えると、「コラ!」と厳しく声をあげる。

そして朝、私が早めに出勤すると、

それを追い抜かして早足で行く人がいる。

あまりに早くかけていったので、

あいさつしそこなっちゃったなと思っていると、

エレベーターのところで出くわした。

「待ってて。待ってて。」

あいさつもそこそこに、待っててを繰り返すので、

最初はなんだろう?と思った。

犬がいるから、自分が抱きかかえるから待っていてほしいということだった。


犬は会長の犬だ。

朝、どうやってつれてこられるのか、

会長のいる階より1つ上の階の

私のいる階に犬は解き放たれていた。

それを制作チームの数名の女性たちが、

好き好んで(だと見るからに思うのだが)面倒を見ている。

昼や夕方に散歩に連れて行ったり、

吠えれば、コラ!と声を上げたり、

朝礼や終礼のときに抱きかかえて参加したり―?ん?

よく考えれば、別につないでおけばいい話だが。


犬は2匹いて、もう一匹はだれか別の偉い人の犬なのだとか。

2匹とも小型犬だけど、

よく吠える。

クライアントと電話もするのだが。

だれかが、

「ああ、犬がいるんですよ、あれ?話してませんでしたっけ?」

と誰にだろう?クライアントにだろうか、

話しているのが聞こえてきた。

私なら、大きめの企業でも、

そんな企業に仕事を任せないなぁと思った。



そんなこんなで、

私は常時、通常なら考えられないストレスに、

常にさらされている上に、

上司が信頼ならなかった。

それ以前に、

入って3日目くらいには、

どうも上司は私のことを信頼していないみたいだというを感じて、

居心地の悪さを感じていた。

採用したのはその上司のはずなのに。


疑われながら生きるってどうだろうか?

私は耐えられない。

疑われているところから、

疑いを晴らすのがどれだけ労力のいることか、

そして難しいことか、

私は知っている。

だからもうごめんだというのがある。



上司は保身ばかりに走っている。

大勢が集まる会議で、今月はどのようなことをしたか、

所感や今後について報告する場がある。

同じチームの先輩が、

自分の案件について報告したあとに、

所感として、

「今月は自分のところに難しいクライアントさんの案件が集まりました。」

と延べ、今後どのようにしていこうとう思うということを述べた。

私はそうかぁ、難しい案件が集まるときもあるのかぁとか、

それでてこずったわけかぁとか、

先輩だからきっと任されたんだろうなぁとかいう風に思っていた。

上司の番になった。

上司は他の人が話した持ち時間の倍以上の長さで、

自分は考えて仕事を振っているということを力いっぱい話した。

「~さんだから、任せたんだし、

だから、

なんにも考えないで、仕事を振っている訳じゃないです。」

そんなようなことを永遠とあらゆる方角から、

言い方を変えて話していた。

言っている内容は同じで、

自分は悪くない、自分は考えて案件を振っているという主張だった。


先の先輩の発表は

別に上司を責めたものでもないし、

考えないで仕事を振っているなんてことは誰も言っていない。

もっと考えて仕事を振ってほしいものですとも述べていない。

上司は勝手に自分が責められていると感じて、

必死に自分は悪くないということをアピールしたのだった。


上司本人も持ち時間を超えて話してしまったことを感じていたようで、

「長くなりましたが、以上です。」

と言った。


私はポカーンとした。

途中からは聞いていなかった。

聞きたくなかった。

自分の直属の上司が、

そんな責任逃れを必死に臆面もなくする人だなんて、

残念すぎる。



自分の評価が気になるならせめて、

上司と上司の上司の面談のときに話せばいいのに。


上司はさらにこんなことも言っていた。

「◯◯(私)さんは、まだ一人前に仕事ができないので、」

私はびっくりした。

入って2ヶ月足らず。

他の人は未経験から入って会社の実務を本格的にするまで時間がかかったという話なのに、

入社2日目にはすでに実務案件に取りかかって貢献した私に、

まだ一人前に仕事ができないと大勢いる前でわざわざ表明したことに。

なんだか面目丸つぶれだし、

まるで仕事ができないような言われようだった。


急にバカらしくなった。

チーム内では仕事ができて助かる、よかったと言われていたのに。

大勢の前ではそんなことを言うのか。

もうよくわからない。




死ぬということ

2013-09-09 03:08:23 | 無題
それからひょんなことで、

いっぺんして、

自分の人生に目標や希望を持てるようになった。


前の会社の環境のおかげだ。

みんな目が輝いていて、

それぞれに人生に大きな目標や希望があった。

それまで働いてきたいくつかの会社と違って、

人前で注意したりすることのない上司。

自分が悪いと思えば、部下の指摘でも、

すぐに認めて誤り、反省を見せる上司。

面接のときから、

私の考えをくまなく聞き出してくれ、

認め、

違うと思ったらさっき言ったことと意見を変えてもいいよという

ような、

入社してそれでも用心、不安に思っている私に、

積極的に教えてくれた隣の席の人。

もうこの話は何度も出してもキリがない。

とにかくすばらしい人たちに出会えて、

意見を求められて、

そこには私の居場所があった。


私は水を得た魚のように、

生きてるって感じだなぁと思った。


行こう行こうと思っていたカウンセリングも、

結局行かずにいた。


最初はそれでも祭りなノリの会社や、

あきれるところがあるところや、

一生懸命勉強したのに、

新入りってだけでできないやつと決めつけられるのがいやで、

抵抗を示して、クールにしていたけど、

なんだかんだしていくうちに、

上司の人間味のあるところとか、

上司も悩みがあったり、自分に課題を感じていたりするんだというのが

わかったりすると、

許せてきた。

自分に危害を加える人たちじゃないとも思えた。

上司達のそれぞれの考え方がわかったから、

なにかあったときも、

あの上司ならこう考えたからだなとか、

この上司はこう考えたから、今こうなっているんだなとわかって、

わけのわからないことが起きなくてよかった。

理不尽が少なくなったということか。


前の会社がすばらしかった話はここで止めておこう。

きりがない。


私は今、また、死にたいと思っている。

もし眠るように死ねるなら、

私はあと10年生きて、

死のうと思う。

そうすると、途端に、

未来に希望の光が見える。


なぜか?


今未来に希望の光が見えないのは、

すごく嫌な会社で働いていて、

それは私が目指している目標につながっているとは、

思えなくて、

それを上司(今の会社の)からも入社後の面談で言われて、

それなのに1年は今の仕事してと、

何度も言われたこと、

1年もこの仕事するのかということ、

それなら他のことした方がまだいいんじゃないかということ、

デザイナーとしての腕が鈍りそうということ、

上司が無能すぎて、前の上司たちがすばらしすぎて、

人間としても見習える点がないということ、

こんな人の下で働きたくないということ、

苦手なペットが社内をかけ回っているということ、

それをなぜかがまんしなければいけない状況ということ、

求人でも面接でも説明がなかったのに!

私は求人にペットを飼っているとあれば、

応募してこなかった。

どんなに行ってみたい会社や事務所であってもだ。

誘われたところも断って来た。

それなのに!


それなのに辞めずにぐずぐずしなければならないのは、

私は未来が怖いからだ。

今、正社員で職歴をつけて、

保険に入っておかなければ、

年金や、もしなにかあって30代で転職することになったとき、

不利だということだ。


そんなことは話さなかったけど、

前の記事で書いたとおり、

死ぬのが怖いから、そういう発想になると言い当てたかのような

元上司は、

驚くことに今は会社をやめてフリーでエンジニアをしつつ、

自分でスタートアップをはかっているという。

それに対して私が、今大事な年齢で、

不安とかそういうのはないですか?と掘り下げて行ったところ出た話が、

死ぬのが怖いと思うから、そう感じるんですよね

という話だった。


私は心の中でそのとおりだよ・・・と思いながら、

もう死ぬことを考えたことがあることは言わなかった。

そして死に直面したときに、

どういう精神状態になるかも言わなかった。

そんなこと言ってる場合じゃなくなるってことも。


でも、頭を整理して思った。

そのとおりなんだ。

一番怖いのは40代、50代になって、

仕事もなく、

1人で起業することも、

フリーランスで仕事をもらうあてもなく、

起業してみるチャレンジ分やあれこれ試す分のお金もなく、

行き詰まってどうしようもなくなった状態になることだ。

そして病気にかかったり、

大金がかかる生活必需品ー今で言えばパソコンとかだし、

うちは去年漏水して改修に大金がかかった。

そんなこんなで、

身動きとれなくなることが一番怖かった。

今より体力もないだろうし。

40代のそれは惨めだ。

若ければ身が立っていなくてもみっともなくないけど、

家族も恋人もいない

40代無職の身寄りのない女性ってどうだろう。

こぎれいにするお金もなく生きるなんていやだ。

こぎれいにできないから、

人もよってこないし、

女性なのに絶望的だ。

こぎれいにできる内に、

静かに死んだ方がマシだ。

こぎれいない家で。

屋根の下でだ。


私が男だったら、

ホームレスになったって、

がんばれるとか思ったかもしれない。

一時ホームレスになって大逆転した社長の話とかだってある。

スティーブジョブズだって放浪みたいな、

こぎたなくして、働いているところで

煙たがられたときがあるくらいだ。

インドに行って人生観を変えるのだっていいかもしれないし、

そのままインドになんとなく移り住んだっていいかもしれない。

それは男の私も、私は無理か。


とにかく街で見かけるホームレスに女性はほぼいない。

たまに1人見かけるか見かけないかくらいだ。



臭くして死ぬのも嫌だし、

年齢以上に老けて臭い私を、

役所の人かだれかはわからないけど、

マスクをされながら始末されるのも嫌だ。

そんな手をわずらわせるくらいなら、

せめてこぎれいなときに、

屋根の下で死んだ方がマシだ。



だけど眠るように死ぬ方法がわからない。

あと10年だけ生きると考えれば、

今の会社を辞めて、

やってみたいこと、試してみたいことを

片っ端から試せる。

私は宣伝のアートディレクターになりたいけど、

そうはいっても自分の企画をバズらせたことはない。

サイトを運営したり、

真剣にアフィリエイトだけをしたこともない。


だから徹底的にそれを研究してみたい。

失敗してもどっちみち死ぬのだから、お金が入らなくて、

将来が心配ということもない。


あとは自分の手でつくったものや、

創作したものを売ってみたい。


ハンドメイドとか、同人誌とかつくって売っている人が、

すごくうらやましかった。

でもずっと見ているだけで、

行動に移せないでいた。


あとライターまがいのこともしてみたい。

顔出しは怖いとか思っていたけれど、

死ぬのだからもう関係ない。

顔を出して信憑性を高めて、

「大学生が知っておくべき30のこと」とか、

「ブラック起業にご用心」とか、

「夢が叶う~」とかいった記事や、

できたら本も書いて出してみたい。

セミナーや講演をして、

これまで私が体験したことを生かして、

こういうことには気をつけた方がいいといった話や、

あと、特に高校生に進路の話をしたい。

ちゃらちゃらしたいし、テレビみたりしてすごしたいだろうけど、

今、やっておくと絶対いいことを伝えたい。

学校で教えてくれないことを伝えたい。

それでどれだけの人に影響を与えられるかわからないけど。

ただのうるさい講師が来たって感じjになるだけで、

1人の行動にも影響を与えられないかもしれないけど。


あと転職のこつとか、

履歴書の書き方のこつとか。

(私は書類だけは通りがよいからなぁ。)


お金がもうちょっとあったら、

イタリアとフランスにいきたい。

できたらドイツも。



あとこれは死ぬ時期を決めるのとは関係なく、

最近ほぼ毎日考えているんだけど、

お母さんになにか、

本当に喜ぶプレゼントをしたい。

でも、あの人は、気難しい。

なんでこんなもんくれんだって、

プレゼントくれた人にすごく腹を立てているところを

なんども見た。

だからお花をあげたいなぁって思いついても、

こんな枯れるもんくれてっていうかもしれないし、

枯れて来てせつないねっていうかもしれない。

アクセサリーをあげることを思いついても、

こんなもんいらないっていうかもしれないし、

高級なものなら、このお金でもっと違うもの買いなさいっていいそうだし、

つけていうところないんだけど、ハンっとか言いそうだし。

手作りのものがほしいっていってたし、

あげたことあるけど、

わぁ、うれしい。大事に仕舞っておくわぁって本当にしまい込んで使ってくれないし。

手作りのものでも、

安くすんでいると感じるのか、おもしろくなさそうな顔をするときもあるし。

続くと、気に食わないのか、

できばえがうまくないと、鼻で笑うし。


まぁ、もう目の前でリアクションを見ることはないから、

そうか、スワロフスキーとか高いのビーズで、

アクセサリーをつくればいいのかな。

でも本当に嬉しいのかなぁ?

「お母さんだから」っていうので喜んでいるんじゃないのかなぁ。

お涙ちょうだい的に。

本当は心の中では、心の中でも嬉しいと思うんだけど、

本人の気づかない潜在意識的には、

くだらないと思っているんじゃないだろうか?

いかにもハンドメイドっぽくできあがっちゃうしなぁ。

なでも大事にとっておく訳じゃないところが、

よくわからなくさせている。

私がつくれば、心をこめれば、なんでもいいってわけじゃないんだなっていうのが。



あと・・・

あと、なんだろうなぁ


でも、10年生きられるだけの蓄えがまだない。


今日、7年後に東京でオリンピックをすることが決まった。

昨日かおとといあたり決まったのかもしれいけど。


それを知ったとき、

ちょっと興奮してきて、

なんか奮い立たされた。

オリンピックのためになにかやりたいと思った。


今の会社の仕事に対して奮い立たされたり、

やる気が出たわけではないところがポイントだ。


7年もあったら準備することいろいろあるだろうな。

なにかできないかなぁ。

受付でも、給料安くてもいいからなにか携われないかなぁなんて思った。

でもたぶん指図されるのは嫌だ。

理不尽なマニュアルじゃなければ、それを一回読んで、

それを守れば、おこごとを言われない立場がいい。

それか自分で考えてやるのがいい。


開会式の演目に出るのなら指図されてもいいな。

人文字の一部とか。

演目造型の一部とか。


7年生きるとしても、

微妙にお金が足りない。


思いついた事業を試してみて、

ダメで利益0だったら。


週に3日はアルバイトっていうのならいいかもな。

そのかわり本当に、本当に、

職歴や履歴書上はスキルがつかないから、

もしなにかあってクビになったら、

30代で職に就けず、

精神的に不安定になりそう。


どこかで仕事していると、

やっぱり少なからず生きることに希望を見いだしそうだな。

だってどこかで働いていればお金が入ってくる訳だし、

このまま生き続けてもいいかなとか、

未来に展望も持ち始めそう。

10年って決めて、

その中で思いっきりやりたいことをやって、

最後、支度して、眠るように死ねたら、

満足だろうなぁ。



尾崎豊のことを思い出した。

尾崎豊をそんなに好きじゃないけど、

もしかしたら、死ぬときを決めていたんじゃないだろうか。


だからあれだけ情熱をかけて、

情熱と思いのたけを思いっきりぶつけた歌ができて、

歌えて、

燃え尽きて、

最後は本望だったじゃないかなぁ。


言いたいこと、自分が思いっきり表したいこと、

やりたいことができたから、

もうやることはないって。



私が怖いのは

2013-09-09 00:22:18 | 無題
私が怖いのは、

死ぬということ、

“みじめに死ぬ”ということだけが怖いのだ。


もし眠れるように死ねるなら、

なにも怖くないだろう。


今の会社にだって無理している必要もない。


私が正社員に執着して、

保険完備のよいところに執着したのは、

40歳代も、50歳代以降も生きるかもしれないからだ。



就職では40歳代以降は転職が厳しい、

ほぼ不可能となる。

しかも今の時代はリストラ対象になるほどだ。


40歳近くの人と話す機会があった。

私の年では面接にはすぐ行けるのに、

その人たちは面接すら行けないということだった。

転職エージェントもそのことは言っていたし、

ネットに出ている統計資料もそうなっている。


逆に今60代で退職まじか、もしくは、

退職したばかりの人は、

顧問とか自由契約(契約社員)で会社に残っている人もいる。

人が育っていないからという話もあれば、

もうちょっと稼いでから辞めようと思うとか、

仕事辞めてもすることないからというものある。

なんとも気楽だ。


友達のお父さんは某大企業で働いてたらしく、

今も顧問として会社にちょくちょく言っている。

落ち着いているが、威厳のある感じで、

家も立派だ。


その家の中で、

大学生からグレはじめ、

仕事で傷ついた娘を擁護しているという感じだから、

なんとも羨ましい。

私の家はそんな父はいないし、

人が呼べるような立派な家じゃない。

その人はその家とお父上が自慢らしく、

よく私に話した。



話は戻るけど、

2ヶ月前元上司だった人と会った。

禅に興味のある人で、

いつも落ち着いていたし、

相談したときも頼りになったし、

なにより尊敬していたから、

話がしてみたかった。


同じ年のそういう話がでいる人が私にはいなかったというのもあった。


私は暗くならないように、

近況を話した流れで、

これから働く会社で任されそうな仕事に

不安を抱いていることを少し話した。


でもさすがだ。

私の抱えている問題を見逃さなかった。

それが今回の議題かとばかりにすくい上げ、

まるで仕事をしていたときと同じように、

問題解決をタスクのようにしだしたから、

今回はそういうのじゃない、タスクのように処理しないで、

まったり話したかっただけだからと言った。


仕事を一緒にしているときは、

私があれやこれやと話たけど、

今回はそうじゃなくて、

その人の話をもっと聞きたかった。

考え方や、禅の話や、これからどうしようと思っているかとか、

今興味あることとか、事業を立てたいっていってた話とか、

そういう話をざっくばらんにしたかった。

いわゆるコーヒーミーティングだ。


そしてそのとき、

真理をついているというか、

的を得たことを言われて、

私は言葉を失った。


“それって死ぬのが怖いから起こることじゃないですかぁ”

“死ぬのが怖くなければ平気になる”


私は2年前のことを思い出した。

たぶんその人は究極すぎることを言えば、

私がポカーンとして、

まぁ、そうですけどと話をやめにできると思ったかなんかだろう。


でも私はその答えに2年前にたどり着いていた。

そして向き合い直面したから、

苦しかった。

そして答えが出ていたから。


私は死にたかったのだ。


未来が絶望的だった。

過去も未来も現在も絶望的で、

実際にはそこまで絶望的じゃなかったのに、

もうどうしようもないと思っていた。

世間から必要とされていない感がはんぱじゃなかった。

お金の底が見えて、

就職活動に失敗したらあと3ヶ月で

死ぬことになると思ったとき、

私は動けないほどになっていた。

(その詳しいことは前書いたと思うから今回は詳しく書かない。)


美術学校にある心理カウンセラーのとこにいき、

自殺願望があることを相談すると、

カウンセラーなのに顔色が変わった。

死ぬ死ぬ詐欺とか会ったことないのか。

私じゃ責任負えないから私のつとめている病院へ行って。

相談内容は口外しないというのが約束として最初説明され、

サインもしたのに、

担任の先生や主任の先生に言ってもいい?お願い他の先生にも相談させてと、

騒ぎだした。

まだ自殺未遂も、実際にそれらしい行動もしていないけれど、

このままじゃ危ないと思ったから来たのに、

周りの人に相談できないから来たのに、

周りの一般の人を巻き込みたくないと思った。

それに普段はそんなことないかのように、

普通にすごしている時間が、

私の支えだった。

もし知れて、かわいそうとか、

腫れ物をさわるような目で見られたらいたたまれない。

学校にだって来にくくなると思った。

何度も頼まれたけど、

断った。

そのかわり、もうここには来ないですから、

病院にも行くんでといって、

そのカウンセラー先生をなだめた。

どっちがカウンセラーだよ、

あんなんでよくお金もらえてるなと腹立たしかった。


図書室の片隅で、

若い学生相手に悩みを聞いてあげて、

都合が悪くなったら責任とれないと、

すぐに自分の病院を紹介=つまり自分の病院に引っ張ってくるあっせん屋

すればいいのだから。

優しそうでおとなしそうな人に見えたけど、

そういう責任感が持てないし、

むしろ自分が傷ついたことがあるから心理カウンセラーになったといった感じだ。

人の支えになるような人じゃなかった。

失望した。


そして私は病院に行って、

なるべくカウンセリングでなおしたいことを伝えた。

ネットでそういう希望を伝えていいことも書いてあった。

中には薬を推進するドクターもいるから、

自分の望む方に通うのがいいとあった。

薬の弊害とかも書かれてあって怖かった。

薬を断るとドクターの顔色がいっぺんして、

攻撃的になった。

これまでの過去のこと、小さい頃あったことや、

現在の家庭環境、人間関係について、

話したかったのに、

それで今はどうなの?眠れないの?どうなの?と、

今のことだけ聞いて来た。

眠れないと話すと、じゃ、睡眠薬出しとくね

といった感じだ。

つまり現状改善を薬で右から左にやって、

根幹をなおす気はないという感じだ。

こんな精神状態になっている心あたりとして、

お金がなく、精神的に不安定で、社会(会社というところ)が怖い。

就職活動に失敗したらと思うと。

精神的に支えてもらえる人もいないから

―とにかく混乱していた。

しかし、目の前にいるお医者さんはそれを聞いてきびすを返すように態度を変えた。

お金ないって診療費とかどうするの?家族は?

ずかずかと聞いてきた。

「「家族」」

それが私のデリケートな問題だった。

それなのに家族がいないなんて変といったばかりに、

親戚は?だれかいるでしょう、頼れる人が。

と言ってきた。

いないから、こんな精神状態になっていて、

だから頼って来ているのにー


私はそこに通うのをやめることにその場で決めた。

やっぱり近くの病院へ行きます。ここだと遠いのでと言った。

診断書を一応書いてもらって、

逃げるように帰った。

失望した。


そのとき私が感じたことは、

お金がないから死ぬことを考え、

死が恐怖だから、

私はこんなにも衰弱しているのだと。

自分の精神的な問題は、

いずれ浮上する問題だった。

小さい頃あったことや、学生のときのことや、

あれやそれが重なって、

その度に他で癒されることを見つけたり、

本を読んで自分で治癒したりしてきたが、

もう限界だった。

いろいろ重なりすぎて、

疲れた。


変わろうとするのに、

やっぱり社会不適合者で、

社会からつまはじきにされて、

怖かった。

誰からも連絡がない、

友達がいない、

恋人がいない、

受け入れてくれる仕事先がない、

人が怖い、

支えてくれる家族がいない、

相談できる人がいない、

うまくいかなすぎて、

自分がわずらわしすぎて、

それでも自分を変えることができなくて、

私は社会で生きていけないんだなと感じていた。


はたと思った。

お金がないからカウンセリングも受けられないんだなぁと。

話を聞いてもらうだけでも結構なお金がいることがわかった。

心理カウンセリングの本みたいに、

自分の捉え方を変えていく練習みたいなのができるところがあったらいいなと思った。

自分を卑下しすぎたり、

卑屈になるところを変えたかった。

でもそれもお金がないと難しい。

今日見たいに冷たく追い返されたら、

本当に頼る人がいないということになって、

やばいなと思った。


正社員で就職はあきらめて、

とりあえずカウンセリングに通えるだけでも、

お金を稼ごうと思った。

希望していた職種も少し変えて、

需要が高そうな方にした。

グラフィックデザインではなく、

webデザインだ。


なぜもっとそれに早く気づかなかったのだろう。

webもやるグラフィックデザイン事務所とかより、

webデザイナーの方が求人が多かった。

私はどこかwebデザイナーの方が下の職業に見ていて、

こだわっていた。

実際問題業界ではそいういう見られ方だ。

グラフィックデザイナーの方がデザインにすぐれているという見解だ。

でも給与手的にはwebデザイナーの方が上。

おかしな世の中だけど、

ちょっと分かる。

グラフィックデザインの方が歴史が長いし、

webデザインは仕事がなくなってきたグラフィックデザイナーが、

コーディングとかプラスアルファで知識をつけて始めたり、

コーディングやプログラミングができることで、

デザイナーとしての力がなくても仕事が来るということから、

グラフィックデザイナーとして(つまりデザイナーとして)力がなかった人が、

コーディングという知識を持ち合わせることで、

自分に需要価値を上げた流れがあるからだ。

デザインがちょっとできるサイト制作屋みたいに思われても仕方がない。

両方でくる人はめずらしかったし、

だいたいプログラミングといったたぐいができる人はデザインセンスがなかったから、

ちょっとでもデザインができる人、

まかりなりともグラフィックデザイナーだったという肩書きだけでも、

業界ではありがたがれた。

デザインができるコーディングができる、サイトの作り方を理解できる人ってことで。



私は一端、底についたからだろう。

もうどうでもいいやという気分になれていたのかもしれない。

死ぬのはよくないというのがあったから、

危機感を感じてカウンセリングに行ったのだし、

生きねばと思っていたのだろう。





『ザ・シークレット』ー場面と場面のつなぎは叶えられていない

2013-09-08 13:43:02 | 無題
確かに思い描いたことが、

現実になったことはある。


それが

サーフィンをしているみたいに、

次々にうまくいくこともあれば、

あるときから、まったくダメになるときもある。


きっとそうなるだろうと安心感持って待っていて、

その描いた時期が近づく頃になるにつれ、

忘れるほど自然になることができたのに、

すぎて思い出してみれば、

まったく叶わなかったなということもあった。

きっとあの人がまた集まる機会を作ってくれるだろう、

それは6月頃にと。

でもなんにもなかった。


同窓会はいつも起こっている。

同窓会あればいいなぁと思った次の瞬間に電話のベルがなったり、

メールが数週間の内に届くのだ。

同窓会するのですが、ご都合はいかがですか?と。

しかしこれはもう叶わないだろう。

前回の同窓会でこりごりしたし、

私はもう同窓会にあまり夢がない。

いいこともあったんだけど、

よくないこともあって。

でもとくにしくじったということもない。

同窓会にもう未練がないのだ。

もしかしたら・・・程度の希望的観測だ。


人間関係は相変わらず、

その場面場面が叶うだけだ。

すごく嬉しいことを言われたり、されても、

その人と未来永劫長くつづいているわけではない。

相変わらず、疎遠という言葉が似合う私になったしまった。


本当はすごくつながりたい、

以前の職場の人とも、ちょくちょく飲みに行ったり、

なにげなしに遊びに出かけたしたい。

そうFacebookで見かけるように。


彼氏できなさそうだなぁと思っていた後輩には、

次々に彼氏ができるし。

うらやむほどの彼氏ではないけれど、

やっぱりそばに寄り添ってくれる人がいるっていうのは、

精神的にぜんぜん違う。

心安らかだ。


あー・・・。相手の心がわかるときはね。



私は相変わらず今の会社を辞めたい。

どうしても前の会社との差を感じずにいられない。

上司はよくきく自分保身の目上にごますり、

会社に野放しのペットがいるし

求人や面接で聞かされていなかった。

それなのにへらへら知らせてなくてごめんねって。

嫌いだっつーの。

明日休みって言われてたのに、

やっぱり試用期間だから、私はダメだって、ごめんね

ってまたへらへら謝る。

そのくせ、週報を送ったかと聞かれ、

送りました

きてないです、いつ送りましたか?(この時点で既に食い気味)

ああ、送れてないですね、もう一度送ります。

今送りました

(確かに送ったはずだけど、

関係ないメールまで送られてくる仕組みにうんざりしていて、

よく理解できない他の仕組みにうんざりしていたから、

さっさと再送する方がよかった。

探すのがめんどくさかっから、あまり探さず再送した。)

しばらくすると、

一言いいですか?誤ってもいいんじゃないですか?

だって。

とりあえず、すみませんと言ったけど、

内心、うざいなと思った。

週報を出すなんてことは知らされたばかりだし。

いつもなんでも直前に言われる。

それなのに新しい初めての仕事がどんどん振らる。

だからスケジュールが見えなくて不安だ。

それなのに、

今月は何万達成してほしいですねとか言う。

そのことも伝えたけどぜんぜん改善されない。

人がたくさんいる会議の前では、

先輩が今月は難しい案件(気難しい客の案件)ばかりだったので、

大変でしたという報告をすれば、

上司は、自分は考えて適材適所で仕事を振っていると言って、

他の人より随分長々と話した。

自覚してるみたいで、

長くなってしまいましたが終わりますって。

さらに先輩かその上司かがやる仕事で、

先輩が休みだったから、

チェックを単でもいいですか?ときけば、

それはやりたくない仕事ですね~って。

笑いもしないで言ったから、

冗談でもなくまじめにやりたくないんだろう。

え?;と思ってたら、

今の仕事の量だったら(先輩の方)さんに振ってほしいです。

って、

マネージメントもなにもないなと思った。

それだったら普通に、案件を振り直せばいいのに。

リーダーかその先輩どっちかしかできない仕事なのに。

なにかあるごとに、

自分は制作をやっても評価されないから、

簡単な案件だけやるが口癖だし。

書いててひどい上司だなと、

もっと益々はっきりした。

それは悲しいですね、

なにで評価されるんですか?と聞けば、

少し間があったあと、

チーム全体の評価で

と言った。

え、それって・・・と思った。

マネージメントでと言えばまだわかる。

チーム全体の売り上げとか評価で、

上司自身が評価されるなら、

おまえももっと手伝えよと思った。

エクセルで超多項目にわたる管理票を作って、

現場の人にしょっちゅう書かせる時間とらせてないで、

おまえがもっと積極的に自分から管理しろよと思う。

前の会社の上司はそうしていた。

だから制作に集中できたし、

その上司は制作はほとんどやったことないのに、

頼ればビシッと決めてくれるすごい人たちだった。

頼もしかった。



私はもう会社の仕組み全体に嫌気がさしていた。

隣のチームに同じ案件のことについて質問するのも、

頼むのも、事務的なめんどくさい手続きが必要。

すごい量の項目の、

使いにくいシステムを通して申請しなければならない、

誰が担当なのかも、

共有されていなくて、

わざわざ離れた部署の人に、

だれが担当ですか?と聞かなければならない。


管理票のたぐいがいくつもある。

それらにいちいち同じことを入力しなければならない。

顧客の細かい情報、管理用の番号、

どこの部署のだれが営業の案件か。

それをすべて手入力。

顧客情報のデーターベースにたどり着くのも一苦労。

そこからコピーするのも、

ちかちかするほど小さな字と、

スペースのない項目、

わかりにくいボタン、

使いにくすぎる。

そういう声が出てるのに改善しないどころが、

どこが使いにくいの?俺はそう感じたことねぇけど。

とひょうひょうという上司の上司も嫌いだ。

あなたが、会社の改善点をどうしても挙げろというから言ったのに。

その後延々と、改善する必要がないことを語られる始末。

うざい。


前の会社なら、

一つ文字を入れれば候補が出てくるようなシステムだった。

社員同士でも、なにかの申請でもなんでもだ。

IT業界なのにシステムが生かされていなくて、

パソコンを使っているのに

アナログな作業をしている気分って、

どういう状況だろう?



長期的な目標を言って。

フリーランスになりたいと思ってrの?っていうから、

面接のときと同じアートディクレターになりたいことを伝えると、

今の状況でどうやってなるの?

っていうから、私もそう思っていますが、

とりあえず上司に相談上司に相談していますといったら、

うん、と納得した顔を見せたかと思えば、

まぁ、目標はかわらないとおかしいからね。

だって。

どういうつもりで採用したんだ。



前の会社だったら、そんな返しはない。

それに向けて、今の実力にあった案件が振られることになる。

私の場合は少し背伸びした案件だけど、

現状、アートディレクターに向けて必要な実力がつく経験をつませてもらえるのだ。

フリーを目指していたり、事業を立ち上げたいという人たちも応援する。

そういう社風だ。


けれど今の会社はそういうさわやかで生き生きした会社風を装っているにすぎない。

中身はほんっとうに古い、古くて固いいかにも保守的な日本の会社といった感じだ。

IT業界にいるとは思えないほどだ。

若い人も上司になれるのかと思えば、

きっちり年功序列だったし。

見た目が若いだけだった。 


ビルもカーペットも汚い、

お手洗いも古くて冷房が効いていない、

いやがることをおもしろがってしてくる、

これはそういう社風なのか、私だけじゃなく

されているのもよく見かける。


私はもうブチ切れそうだ。


そして悲しい。



前の会社と違って、結婚している男性ばかりだから、

会社に出会いを見いだすこともできない。


上司の引用スピーチを毎日聞くのもうんざりする。

それを得意げに話すところが嫌だ。


前の会社の人たちなら、

そういう共有は得意げに行ったりしない。


一番嫌なのが、上司にこうしてもいいですか?というと、

必ずすぐ、ダメーと返ってくることだ。

よく話を聞かれることも、検討もなし。

もう一言二言私がいうと、

ああ、それならいいよとなる。

だったら最初からそんな抵抗見せるなよと思う。

人の話を聞いてみようとか、

興味をもつということがないのが、

本当に嫌だ。

前の会社の上司たちと違い一番の点だ。


前の会社の上司たちは、

目下だろうがなんだろうが、

意見や話を聞く。

よく聞く。

そして会話のキャッチボールがあって、

共感を示してくれる、

上司の考えが知れて、

それでそれが許可できるか、できないかが述べられる。

許可できないということはほとんどなくて、

今はダメだけどという感じだ。

それは子供だましで今はいいというのではなく、

本当に徐々にそれに向かっているのが日々感じられるのだ。


こういう上司を信頼しなくてなにを信頼するというのだろうか。

私はそういう上司を信頼していたし、

真の意味として上司に力(権限、叶える力)と行動力があるのだと感じて、

上司としての尊敬の念も抱いていた。

本当に任されているんだなぁとか、

本当に上司の上司にかけあってくれたんだなぁとかだ。

感動した。

だから上司についていこうと思ったし、

理不尽なことがあっても、

きっと上司が考えたことだから、なにかあるんだとか、

私には見えていないことがあるんだと思えた。

それはとても心地よくて、

安心感もあった。



でも前の会社が一番よかったのは、

”私を受け入れてくれたことだ。”

面接のときからはじまり、

私のこと、

私という固有の意思を認めてくれたことが、

私があの会社がよかったと思う一番の点だと思う。

それがあったから、ドミノ倒し式に、

他のことも肯定できたのかもしれない。

自分を信頼してくれる人を、

私は信頼せずに、

なにを信頼するというのだろうか。


それまでの会社も、今の会社も、

今の会社につく直前に働いていた事務所も、

別に私でなくてもいいなと思う。


もちろん前の会社の仕事だって、

私じゃなくてもできる人は世の中にいっぱいいる。


でも、面接のときに、

私がそれまでクライアントさんのために一生懸命考えたことや、

自分なりに目指している道に関係あることを勉強したことや、

これからの目標などを、

肯定して認めてくれて、採用してくれて、

採用後もそれは変わらず、期待してくれていることを感じたのは、

私は涙が出るほど感動したことで、

すごく嬉しかったことだ。


今まではアルバイトだと誰でもいい仕事なのだろうなと思っていた。

だけど今の会社で正社員になって、

なにか変わったかって言うと、

なにも変わらない。

上司や会社に意見を言えるか言えないかは社風だし、

意見を聞いてもらえるかどうかは、

入社ご非常に気を使って、上司にごまをすりつつ、

なんとか意見を聞いてもらえるように努力するしかない。

尊敬もしていない上司にごまをすったり、

言うことを聞くなんて。



前の会社は願いが叶った会社だったんだけど、

事業部撤退しちゃって、

なくなっちゃったんだ。



つまり、

願いは長続きしないってこと。



恋愛の場面も、

仕事の場面も、

友達の場面も

叶ったんだけど、

ずっと続いているわけじゃないんだ。