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死ぬということ

2013-09-09 03:08:23 | 無題
それからひょんなことで、

いっぺんして、

自分の人生に目標や希望を持てるようになった。


前の会社の環境のおかげだ。

みんな目が輝いていて、

それぞれに人生に大きな目標や希望があった。

それまで働いてきたいくつかの会社と違って、

人前で注意したりすることのない上司。

自分が悪いと思えば、部下の指摘でも、

すぐに認めて誤り、反省を見せる上司。

面接のときから、

私の考えをくまなく聞き出してくれ、

認め、

違うと思ったらさっき言ったことと意見を変えてもいいよという

ような、

入社してそれでも用心、不安に思っている私に、

積極的に教えてくれた隣の席の人。

もうこの話は何度も出してもキリがない。

とにかくすばらしい人たちに出会えて、

意見を求められて、

そこには私の居場所があった。


私は水を得た魚のように、

生きてるって感じだなぁと思った。


行こう行こうと思っていたカウンセリングも、

結局行かずにいた。


最初はそれでも祭りなノリの会社や、

あきれるところがあるところや、

一生懸命勉強したのに、

新入りってだけでできないやつと決めつけられるのがいやで、

抵抗を示して、クールにしていたけど、

なんだかんだしていくうちに、

上司の人間味のあるところとか、

上司も悩みがあったり、自分に課題を感じていたりするんだというのが

わかったりすると、

許せてきた。

自分に危害を加える人たちじゃないとも思えた。

上司達のそれぞれの考え方がわかったから、

なにかあったときも、

あの上司ならこう考えたからだなとか、

この上司はこう考えたから、今こうなっているんだなとわかって、

わけのわからないことが起きなくてよかった。

理不尽が少なくなったということか。


前の会社がすばらしかった話はここで止めておこう。

きりがない。


私は今、また、死にたいと思っている。

もし眠るように死ねるなら、

私はあと10年生きて、

死のうと思う。

そうすると、途端に、

未来に希望の光が見える。


なぜか?


今未来に希望の光が見えないのは、

すごく嫌な会社で働いていて、

それは私が目指している目標につながっているとは、

思えなくて、

それを上司(今の会社の)からも入社後の面談で言われて、

それなのに1年は今の仕事してと、

何度も言われたこと、

1年もこの仕事するのかということ、

それなら他のことした方がまだいいんじゃないかということ、

デザイナーとしての腕が鈍りそうということ、

上司が無能すぎて、前の上司たちがすばらしすぎて、

人間としても見習える点がないということ、

こんな人の下で働きたくないということ、

苦手なペットが社内をかけ回っているということ、

それをなぜかがまんしなければいけない状況ということ、

求人でも面接でも説明がなかったのに!

私は求人にペットを飼っているとあれば、

応募してこなかった。

どんなに行ってみたい会社や事務所であってもだ。

誘われたところも断って来た。

それなのに!


それなのに辞めずにぐずぐずしなければならないのは、

私は未来が怖いからだ。

今、正社員で職歴をつけて、

保険に入っておかなければ、

年金や、もしなにかあって30代で転職することになったとき、

不利だということだ。


そんなことは話さなかったけど、

前の記事で書いたとおり、

死ぬのが怖いから、そういう発想になると言い当てたかのような

元上司は、

驚くことに今は会社をやめてフリーでエンジニアをしつつ、

自分でスタートアップをはかっているという。

それに対して私が、今大事な年齢で、

不安とかそういうのはないですか?と掘り下げて行ったところ出た話が、

死ぬのが怖いと思うから、そう感じるんですよね

という話だった。


私は心の中でそのとおりだよ・・・と思いながら、

もう死ぬことを考えたことがあることは言わなかった。

そして死に直面したときに、

どういう精神状態になるかも言わなかった。

そんなこと言ってる場合じゃなくなるってことも。


でも、頭を整理して思った。

そのとおりなんだ。

一番怖いのは40代、50代になって、

仕事もなく、

1人で起業することも、

フリーランスで仕事をもらうあてもなく、

起業してみるチャレンジ分やあれこれ試す分のお金もなく、

行き詰まってどうしようもなくなった状態になることだ。

そして病気にかかったり、

大金がかかる生活必需品ー今で言えばパソコンとかだし、

うちは去年漏水して改修に大金がかかった。

そんなこんなで、

身動きとれなくなることが一番怖かった。

今より体力もないだろうし。

40代のそれは惨めだ。

若ければ身が立っていなくてもみっともなくないけど、

家族も恋人もいない

40代無職の身寄りのない女性ってどうだろう。

こぎれいにするお金もなく生きるなんていやだ。

こぎれいにできないから、

人もよってこないし、

女性なのに絶望的だ。

こぎれいにできる内に、

静かに死んだ方がマシだ。

こぎれいない家で。

屋根の下でだ。


私が男だったら、

ホームレスになったって、

がんばれるとか思ったかもしれない。

一時ホームレスになって大逆転した社長の話とかだってある。

スティーブジョブズだって放浪みたいな、

こぎたなくして、働いているところで

煙たがられたときがあるくらいだ。

インドに行って人生観を変えるのだっていいかもしれないし、

そのままインドになんとなく移り住んだっていいかもしれない。

それは男の私も、私は無理か。


とにかく街で見かけるホームレスに女性はほぼいない。

たまに1人見かけるか見かけないかくらいだ。



臭くして死ぬのも嫌だし、

年齢以上に老けて臭い私を、

役所の人かだれかはわからないけど、

マスクをされながら始末されるのも嫌だ。

そんな手をわずらわせるくらいなら、

せめてこぎれいなときに、

屋根の下で死んだ方がマシだ。



だけど眠るように死ぬ方法がわからない。

あと10年だけ生きると考えれば、

今の会社を辞めて、

やってみたいこと、試してみたいことを

片っ端から試せる。

私は宣伝のアートディレクターになりたいけど、

そうはいっても自分の企画をバズらせたことはない。

サイトを運営したり、

真剣にアフィリエイトだけをしたこともない。


だから徹底的にそれを研究してみたい。

失敗してもどっちみち死ぬのだから、お金が入らなくて、

将来が心配ということもない。


あとは自分の手でつくったものや、

創作したものを売ってみたい。


ハンドメイドとか、同人誌とかつくって売っている人が、

すごくうらやましかった。

でもずっと見ているだけで、

行動に移せないでいた。


あとライターまがいのこともしてみたい。

顔出しは怖いとか思っていたけれど、

死ぬのだからもう関係ない。

顔を出して信憑性を高めて、

「大学生が知っておくべき30のこと」とか、

「ブラック起業にご用心」とか、

「夢が叶う~」とかいった記事や、

できたら本も書いて出してみたい。

セミナーや講演をして、

これまで私が体験したことを生かして、

こういうことには気をつけた方がいいといった話や、

あと、特に高校生に進路の話をしたい。

ちゃらちゃらしたいし、テレビみたりしてすごしたいだろうけど、

今、やっておくと絶対いいことを伝えたい。

学校で教えてくれないことを伝えたい。

それでどれだけの人に影響を与えられるかわからないけど。

ただのうるさい講師が来たって感じjになるだけで、

1人の行動にも影響を与えられないかもしれないけど。


あと転職のこつとか、

履歴書の書き方のこつとか。

(私は書類だけは通りがよいからなぁ。)


お金がもうちょっとあったら、

イタリアとフランスにいきたい。

できたらドイツも。



あとこれは死ぬ時期を決めるのとは関係なく、

最近ほぼ毎日考えているんだけど、

お母さんになにか、

本当に喜ぶプレゼントをしたい。

でも、あの人は、気難しい。

なんでこんなもんくれんだって、

プレゼントくれた人にすごく腹を立てているところを

なんども見た。

だからお花をあげたいなぁって思いついても、

こんな枯れるもんくれてっていうかもしれないし、

枯れて来てせつないねっていうかもしれない。

アクセサリーをあげることを思いついても、

こんなもんいらないっていうかもしれないし、

高級なものなら、このお金でもっと違うもの買いなさいっていいそうだし、

つけていうところないんだけど、ハンっとか言いそうだし。

手作りのものがほしいっていってたし、

あげたことあるけど、

わぁ、うれしい。大事に仕舞っておくわぁって本当にしまい込んで使ってくれないし。

手作りのものでも、

安くすんでいると感じるのか、おもしろくなさそうな顔をするときもあるし。

続くと、気に食わないのか、

できばえがうまくないと、鼻で笑うし。


まぁ、もう目の前でリアクションを見ることはないから、

そうか、スワロフスキーとか高いのビーズで、

アクセサリーをつくればいいのかな。

でも本当に嬉しいのかなぁ?

「お母さんだから」っていうので喜んでいるんじゃないのかなぁ。

お涙ちょうだい的に。

本当は心の中では、心の中でも嬉しいと思うんだけど、

本人の気づかない潜在意識的には、

くだらないと思っているんじゃないだろうか?

いかにもハンドメイドっぽくできあがっちゃうしなぁ。

なでも大事にとっておく訳じゃないところが、

よくわからなくさせている。

私がつくれば、心をこめれば、なんでもいいってわけじゃないんだなっていうのが。



あと・・・

あと、なんだろうなぁ


でも、10年生きられるだけの蓄えがまだない。


今日、7年後に東京でオリンピックをすることが決まった。

昨日かおとといあたり決まったのかもしれいけど。


それを知ったとき、

ちょっと興奮してきて、

なんか奮い立たされた。

オリンピックのためになにかやりたいと思った。


今の会社の仕事に対して奮い立たされたり、

やる気が出たわけではないところがポイントだ。


7年もあったら準備することいろいろあるだろうな。

なにかできないかなぁ。

受付でも、給料安くてもいいからなにか携われないかなぁなんて思った。

でもたぶん指図されるのは嫌だ。

理不尽なマニュアルじゃなければ、それを一回読んで、

それを守れば、おこごとを言われない立場がいい。

それか自分で考えてやるのがいい。


開会式の演目に出るのなら指図されてもいいな。

人文字の一部とか。

演目造型の一部とか。


7年生きるとしても、

微妙にお金が足りない。


思いついた事業を試してみて、

ダメで利益0だったら。


週に3日はアルバイトっていうのならいいかもな。

そのかわり本当に、本当に、

職歴や履歴書上はスキルがつかないから、

もしなにかあってクビになったら、

30代で職に就けず、

精神的に不安定になりそう。


どこかで仕事していると、

やっぱり少なからず生きることに希望を見いだしそうだな。

だってどこかで働いていればお金が入ってくる訳だし、

このまま生き続けてもいいかなとか、

未来に展望も持ち始めそう。

10年って決めて、

その中で思いっきりやりたいことをやって、

最後、支度して、眠るように死ねたら、

満足だろうなぁ。



尾崎豊のことを思い出した。

尾崎豊をそんなに好きじゃないけど、

もしかしたら、死ぬときを決めていたんじゃないだろうか。


だからあれだけ情熱をかけて、

情熱と思いのたけを思いっきりぶつけた歌ができて、

歌えて、

燃え尽きて、

最後は本望だったじゃないかなぁ。


言いたいこと、自分が思いっきり表したいこと、

やりたいことができたから、

もうやることはないって。



私が怖いのは

2013-09-09 00:22:18 | 無題
私が怖いのは、

死ぬということ、

“みじめに死ぬ”ということだけが怖いのだ。


もし眠れるように死ねるなら、

なにも怖くないだろう。


今の会社にだって無理している必要もない。


私が正社員に執着して、

保険完備のよいところに執着したのは、

40歳代も、50歳代以降も生きるかもしれないからだ。



就職では40歳代以降は転職が厳しい、

ほぼ不可能となる。

しかも今の時代はリストラ対象になるほどだ。


40歳近くの人と話す機会があった。

私の年では面接にはすぐ行けるのに、

その人たちは面接すら行けないということだった。

転職エージェントもそのことは言っていたし、

ネットに出ている統計資料もそうなっている。


逆に今60代で退職まじか、もしくは、

退職したばかりの人は、

顧問とか自由契約(契約社員)で会社に残っている人もいる。

人が育っていないからという話もあれば、

もうちょっと稼いでから辞めようと思うとか、

仕事辞めてもすることないからというものある。

なんとも気楽だ。


友達のお父さんは某大企業で働いてたらしく、

今も顧問として会社にちょくちょく言っている。

落ち着いているが、威厳のある感じで、

家も立派だ。


その家の中で、

大学生からグレはじめ、

仕事で傷ついた娘を擁護しているという感じだから、

なんとも羨ましい。

私の家はそんな父はいないし、

人が呼べるような立派な家じゃない。

その人はその家とお父上が自慢らしく、

よく私に話した。



話は戻るけど、

2ヶ月前元上司だった人と会った。

禅に興味のある人で、

いつも落ち着いていたし、

相談したときも頼りになったし、

なにより尊敬していたから、

話がしてみたかった。


同じ年のそういう話がでいる人が私にはいなかったというのもあった。


私は暗くならないように、

近況を話した流れで、

これから働く会社で任されそうな仕事に

不安を抱いていることを少し話した。


でもさすがだ。

私の抱えている問題を見逃さなかった。

それが今回の議題かとばかりにすくい上げ、

まるで仕事をしていたときと同じように、

問題解決をタスクのようにしだしたから、

今回はそういうのじゃない、タスクのように処理しないで、

まったり話したかっただけだからと言った。


仕事を一緒にしているときは、

私があれやこれやと話たけど、

今回はそうじゃなくて、

その人の話をもっと聞きたかった。

考え方や、禅の話や、これからどうしようと思っているかとか、

今興味あることとか、事業を立てたいっていってた話とか、

そういう話をざっくばらんにしたかった。

いわゆるコーヒーミーティングだ。


そしてそのとき、

真理をついているというか、

的を得たことを言われて、

私は言葉を失った。


“それって死ぬのが怖いから起こることじゃないですかぁ”

“死ぬのが怖くなければ平気になる”


私は2年前のことを思い出した。

たぶんその人は究極すぎることを言えば、

私がポカーンとして、

まぁ、そうですけどと話をやめにできると思ったかなんかだろう。


でも私はその答えに2年前にたどり着いていた。

そして向き合い直面したから、

苦しかった。

そして答えが出ていたから。


私は死にたかったのだ。


未来が絶望的だった。

過去も未来も現在も絶望的で、

実際にはそこまで絶望的じゃなかったのに、

もうどうしようもないと思っていた。

世間から必要とされていない感がはんぱじゃなかった。

お金の底が見えて、

就職活動に失敗したらあと3ヶ月で

死ぬことになると思ったとき、

私は動けないほどになっていた。

(その詳しいことは前書いたと思うから今回は詳しく書かない。)


美術学校にある心理カウンセラーのとこにいき、

自殺願望があることを相談すると、

カウンセラーなのに顔色が変わった。

死ぬ死ぬ詐欺とか会ったことないのか。

私じゃ責任負えないから私のつとめている病院へ行って。

相談内容は口外しないというのが約束として最初説明され、

サインもしたのに、

担任の先生や主任の先生に言ってもいい?お願い他の先生にも相談させてと、

騒ぎだした。

まだ自殺未遂も、実際にそれらしい行動もしていないけれど、

このままじゃ危ないと思ったから来たのに、

周りの人に相談できないから来たのに、

周りの一般の人を巻き込みたくないと思った。

それに普段はそんなことないかのように、

普通にすごしている時間が、

私の支えだった。

もし知れて、かわいそうとか、

腫れ物をさわるような目で見られたらいたたまれない。

学校にだって来にくくなると思った。

何度も頼まれたけど、

断った。

そのかわり、もうここには来ないですから、

病院にも行くんでといって、

そのカウンセラー先生をなだめた。

どっちがカウンセラーだよ、

あんなんでよくお金もらえてるなと腹立たしかった。


図書室の片隅で、

若い学生相手に悩みを聞いてあげて、

都合が悪くなったら責任とれないと、

すぐに自分の病院を紹介=つまり自分の病院に引っ張ってくるあっせん屋

すればいいのだから。

優しそうでおとなしそうな人に見えたけど、

そういう責任感が持てないし、

むしろ自分が傷ついたことがあるから心理カウンセラーになったといった感じだ。

人の支えになるような人じゃなかった。

失望した。


そして私は病院に行って、

なるべくカウンセリングでなおしたいことを伝えた。

ネットでそういう希望を伝えていいことも書いてあった。

中には薬を推進するドクターもいるから、

自分の望む方に通うのがいいとあった。

薬の弊害とかも書かれてあって怖かった。

薬を断るとドクターの顔色がいっぺんして、

攻撃的になった。

これまでの過去のこと、小さい頃あったことや、

現在の家庭環境、人間関係について、

話したかったのに、

それで今はどうなの?眠れないの?どうなの?と、

今のことだけ聞いて来た。

眠れないと話すと、じゃ、睡眠薬出しとくね

といった感じだ。

つまり現状改善を薬で右から左にやって、

根幹をなおす気はないという感じだ。

こんな精神状態になっている心あたりとして、

お金がなく、精神的に不安定で、社会(会社というところ)が怖い。

就職活動に失敗したらと思うと。

精神的に支えてもらえる人もいないから

―とにかく混乱していた。

しかし、目の前にいるお医者さんはそれを聞いてきびすを返すように態度を変えた。

お金ないって診療費とかどうするの?家族は?

ずかずかと聞いてきた。

「「家族」」

それが私のデリケートな問題だった。

それなのに家族がいないなんて変といったばかりに、

親戚は?だれかいるでしょう、頼れる人が。

と言ってきた。

いないから、こんな精神状態になっていて、

だから頼って来ているのにー


私はそこに通うのをやめることにその場で決めた。

やっぱり近くの病院へ行きます。ここだと遠いのでと言った。

診断書を一応書いてもらって、

逃げるように帰った。

失望した。


そのとき私が感じたことは、

お金がないから死ぬことを考え、

死が恐怖だから、

私はこんなにも衰弱しているのだと。

自分の精神的な問題は、

いずれ浮上する問題だった。

小さい頃あったことや、学生のときのことや、

あれやそれが重なって、

その度に他で癒されることを見つけたり、

本を読んで自分で治癒したりしてきたが、

もう限界だった。

いろいろ重なりすぎて、

疲れた。


変わろうとするのに、

やっぱり社会不適合者で、

社会からつまはじきにされて、

怖かった。

誰からも連絡がない、

友達がいない、

恋人がいない、

受け入れてくれる仕事先がない、

人が怖い、

支えてくれる家族がいない、

相談できる人がいない、

うまくいかなすぎて、

自分がわずらわしすぎて、

それでも自分を変えることができなくて、

私は社会で生きていけないんだなと感じていた。


はたと思った。

お金がないからカウンセリングも受けられないんだなぁと。

話を聞いてもらうだけでも結構なお金がいることがわかった。

心理カウンセリングの本みたいに、

自分の捉え方を変えていく練習みたいなのができるところがあったらいいなと思った。

自分を卑下しすぎたり、

卑屈になるところを変えたかった。

でもそれもお金がないと難しい。

今日見たいに冷たく追い返されたら、

本当に頼る人がいないということになって、

やばいなと思った。


正社員で就職はあきらめて、

とりあえずカウンセリングに通えるだけでも、

お金を稼ごうと思った。

希望していた職種も少し変えて、

需要が高そうな方にした。

グラフィックデザインではなく、

webデザインだ。


なぜもっとそれに早く気づかなかったのだろう。

webもやるグラフィックデザイン事務所とかより、

webデザイナーの方が求人が多かった。

私はどこかwebデザイナーの方が下の職業に見ていて、

こだわっていた。

実際問題業界ではそいういう見られ方だ。

グラフィックデザイナーの方がデザインにすぐれているという見解だ。

でも給与手的にはwebデザイナーの方が上。

おかしな世の中だけど、

ちょっと分かる。

グラフィックデザインの方が歴史が長いし、

webデザインは仕事がなくなってきたグラフィックデザイナーが、

コーディングとかプラスアルファで知識をつけて始めたり、

コーディングやプログラミングができることで、

デザイナーとしての力がなくても仕事が来るということから、

グラフィックデザイナーとして(つまりデザイナーとして)力がなかった人が、

コーディングという知識を持ち合わせることで、

自分に需要価値を上げた流れがあるからだ。

デザインがちょっとできるサイト制作屋みたいに思われても仕方がない。

両方でくる人はめずらしかったし、

だいたいプログラミングといったたぐいができる人はデザインセンスがなかったから、

ちょっとでもデザインができる人、

まかりなりともグラフィックデザイナーだったという肩書きだけでも、

業界ではありがたがれた。

デザインができるコーディングができる、サイトの作り方を理解できる人ってことで。



私は一端、底についたからだろう。

もうどうでもいいやという気分になれていたのかもしれない。

死ぬのはよくないというのがあったから、

危機感を感じてカウンセリングに行ったのだし、

生きねばと思っていたのだろう。