2011年11月7日(月) 入院
午後入院。
私が入院中、ゴッドも入院させてもらえることになっていた。
この日はゴッドが食べられそうなものを持参してまずゴッドの病室に行く。
一緒に昼を済ませて入院。
顔見知りの看護師による入院時アナムネーゼ聴取。
採血、検尿、MRSA検査、胸腹部X~P、心電図等あり。
医師の指示はないとのことだったが、経験も必要だと思い、呼吸訓練のコーチを購入した。勿論手術時に必要なTパンツも購入。
なんだかんだしていたら夜。
医師からのインフォームドコンセント(I.C)があるとのことでゴッドを迎えに行く。
自分だけで十分だったが、家族の立会いが必要とのこと。
本心は、手術が適応ではないゴッドには聞かせたくなった。。。
「上行結腸がんの疑い」腹腔鏡下で約2時間、癒着があったらプラスの時間。
がんの疑いというのは、内視鏡で細胞診をしていないので確定診断ではなかったため。
私は覚悟できていたのでICは非常に冷静に聞いていた。
ゴッドも同様だった。この時は夫になっていた。
夕食時もゴッドのところに行き、世話をして少しサンドイッチを食べた。
でも自分の病室に戻ったら、夕食は検査食だった。
キェ~~ サンドイッチ・・・食べちゃった
11/8(火)
マーキングのため大腸内視鏡検査。
なんと、朝5時から下剤マグコロールPを溶いた液体を1.8L。飲める分けない、前回も飲めなかったんだもんと思っていたが、頑張って頑張って意地で飲んだ。
絶食のため、点滴開始する。手術も考慮して太い針で。3度目で成功だった。
超いたーい
午前中はトイレと仲良し。14時過ぎに検査にいく。
鎮静剤使っているけど・・・痛い。
しかも、入っていかないらしい
外科医師がさ~ 散々やっておきながらさ~ 内科医師に頼んでさ~
3時間以上かけて終了。
いや~ 鎮静剤をどんだけ~というくらい使ったのか
眠い 眠い
外科医師がお手上げで、一旦休憩のため、ストレッチャーに乗せられ休憩室に行ったのは覚えている。でも、病室に戻ったのは車椅子かストレッチャーか定かでない。
シャワーも浴びられないほど、ずっと寝ていた。
かろうじてメールのやり取りはしたけど、ゴッドのところには行かれなかった
とんでもない手術前日だった。
11/9(水) 手術
母と叔母が早くに来てくれた。ゴッドからはメールあり。
足には弾性ストッキング着用して待機した。
車椅子で8:30に出床。手術室入り口まで母と叔母がついてきてくれた。
到着すると、顔見知りの外科Drたちがお出迎え。同僚もきてくれていた。
Drたちは口々に昨日は大変だったね。悪かった。。。と言ってくれた。
そうだよ~ 辛かったんだから
まずは側臥位となり硬膜外チューブ挿入。
以前(子宮の時)やったときは痛いと感じなかったが、この度は痛かったなぁ
麻酔が痛かった。支えてくれていた男性看護師の腕をギュッとつかんじゃった
仰臥位となり、深呼吸で1,2と数えて~~と言われたらすぐコテッ
気付いたら終わっていたらしい。
「さっ ICU行くよ~」って聞こえたような・・・
はっきり意識したのはICU(集中治療室)
麻酔科医が来て硬膜外チューブからワンショット(一度に)で薬を入れたら両足の感覚がなくなった。
お腹の痛みはさほど変わらなかったわ
両足の感覚は、一時的で翌朝には治ったけど。。。
ICUは見学で何度も入っているところ。そのベッドに横たわるとは・・・
個室に入ったので静か~
右手は点滴と動脈ラインが入っていたのでシーネでしっかり固定されていた。
その他、挿入物は背中に硬膜外チューブ、尿留置カテーテルそして酸素マスクを装着していた。
母と叔母が来たのは15時過ぎ。手術は4時間くらいかかったのかな~
癒着が酷かったらしい。
母たちが帰ったあと、ゴッドが来た。来たというより連れてきてもらったのね。
自分から連れてって欲しいと看護師に言ったらしい
顔見知りの看護師が車椅子で連れてきてくれて、立位を促してくれ、ゴッドは立って私を見舞ってくれた
昼頃からICU入室したので、時間はすごく長く感じたな。
苦痛だったのは酸素マスクで顔が暑かったこと。そして酸素マスクの水滴が鼻に入りそうになったこと。口が渇くこと。
左手でティッシュを取り何度も拭いたわ
身体は全然動かせない。ずっと仰臥位で過ごした。
夜は数時間おきに点滴で痛み止めを使った。
11/10(木)1病日
少し気持ちに余裕ができ時計を眺めることができた。
8時頃にベッドをギャッチアップして歯磨き。さっぱり。
11時にはHCU(ハイケア病棟)に移動するとのことで、10時頃に清拭。ボディソープ使って身体を拭いた。横を向けるか心配だったが手伝ってもらいなんとかできた。痛み止めは動く時間に合わせて使用してくれた。
動脈ラインは抜去された。
11時には車椅子に移りHCUに移動。
見守られ、手伝ってもらいながらゆっくりゆっくりだったわ。
HCUは観察室のような2人部屋に入ったが、何でも個室に移動するとのことだった。
ここでの時間も静かで、看護師がいないとどことなく取り残された感じがして淋しかった。
でもベッドを調整して身体を起こし自分でうがいしたりしていた。
一眠りしたらしいが、時間が経つのが遅いこと
14時には個室が空いたということで移動。だが、これをきっかけに歩行
酸素は中止になった。
点滴は自動輸液ポンプにセットしてあり、尿留置カテーテルと硬膜外チューブの持続注入のセットがあった。付属物多い。
歩行は自信がない。歩行器で病棟1往復。勿論看護師はずっと付いてきてくれた。
ゆっくりゆっくりと歩行。前かがみでね
歩くたびにコーチ(呼吸訓練の器械)もやった。
夜は3往復した。自分ができるとは思わなかったので、すごい、えらいと思う
痛み止めは歩くタイミングで使ってくれた。
歩いて歯磨きしたら後はすることなし。でもそう眠れるものではない。
退屈
身の置き所がなくベッドを上げて身体を動かしてみようとするができず。
もがいていた 結局はベッドを上げたり下げたり
長い夜だったな~
11/11(金)2病日
朝から病棟5往復した。もう歩行器ではなく点滴台につかまって
歩いて疲れたため車椅子でレントゲンに行ったわ。
清拭してもらい、尿留置カテーテルを抜去。身軽になった。
排ガスある
11時には一般病棟に戻った。
術前2日しかいなかった病室だが我が家のような気がしてホッとしたな
カテーテル抜去後の自尿も良好。トイレは必死に歩いたわ。
やはり創部がお腹だから寝起きが大変。ベッドを上げたり下げたりしていた。
午後には硬膜外チューブを抜去。チューブの跡が傷になり、固定テープでかぶれ、背中は散々だった。
子宮のときもそうだったが、硬膜外麻酔はあまり効果がないな~
夕方には廊下歩行も頑張った ひとりで点滴台につかまりゆっくりとね。
まだ痛み止めは日に2回くらい使っていた。
水分開始となる。
11日(2病日)~12日(3病日)にかけては発熱があり、血圧もやや高めだった。
熱は37.5℃前後、最高37.8℃程度で、これは術後の普通の回復過程だ。
徐々に尿も利尿期となり、13日(4病日)にはかなり出た。
11/12(土)3病日
この日から痛み止めは必要なくなった。
朝、午前、午後と夜、廊下を何週もして運動した
午前中には教授回診。
術後初めて顔見たよぉ~ 教授、助教授
ラパ(腹腔鏡下)でやったけど、癒着がすごかったので以前の創のところを少しだけあけたよ ということだったが・・・少しどころじゃない。6cmくらいあるじゃーん
今までイレウス(腸閉塞)起こさないのが不思議なくらいの癒着だったらしい。しかも19歳のときに手術した虫垂炎の跡。
その虫垂炎はだれだれにやってもらったという話で盛り上がり。
なにせ昔なじみだらね~
若い先生方は黙って聞いていたわ
まず順調ということで安心した
昼から流動食開始。
蠕動痛が激しい
11/13(日)4病日
動くとお腹が引っ張られるように痛く前のめりで歩いていたが、動こうという気になり、洗濯をした。ゴッドのところにも術後初めて行った。
二人とも病衣。ゴッドの病棟のナースたちが口々に声をかけてくれた
嬉しいね。
それに引き換え、私がいた病棟ナース。人の顔見れば歩け、コーチやれだって
個別性なんてあったもんじゃないわ
今の私になぜ必要かを言え と思った。
呼吸器系問題ない4病日の患者にはコーチは重要ではないでしょ
癒着が酷かったことでは歩行は大事だけど。
少し腹が立って、言われても返事はしなかったわ。
担当医師の回診の際、創に張ってあった皮膚保護剤を剥がした。そしてシャワー浴可となる。
夕方こわごわとシャワーを浴びた
前かがみがしにくいので足は洗いにくかったな~
右腸骨(腰骨)のあたりが赤くなっているのに気付く。痛くもなんともない。
看護師に言うと、広がらないか、印だけつけられた。
左下腹部も少し痛い。
11/14(月)5病日
前日から頭痛がして、我慢していたが辛くなり、朝の時点で鎮痛剤を希望した。
ところがなかなか薬がこない。
そうこうしているうちに担当医師の回診。
私が訴えていることは何も出てこない 看護師が何も言わない。
自分で訴えたわ
右腸骨(腰骨)は、多少熱感がある。ただし硬くなったりはしていない。医師らは縫窩織炎ではないかということになり、炎症止めのアクリノールという薬品をつけた湿布を指示された。
昔ならその場ですぐやったもんだが・・・
しばらーくして看護師がやってきたわ。
でも頭痛薬はこない
あたま痛かったけど昼近くになったので指示があったレントゲンに行った。
帰ってきたら、第一声は点滴の心配。
そうじゃないだろ!
ここで切れた
「さっさと抗生剤やって終わらせて!」
「鎮痛剤はどうなっているの? 朝から言っているのよ! 優先度を考えて!」と言いながらペンとノートを投げつけた
そうとう怒り心頭だった。。。
このあとちょっと問題が・・・ 私じゃないわよ
点滴は強制終了 フリーになった
午後は面会が多く賑やかだった
この日から全粥。ハヤッ
11/15(火)6病日
右腸骨(腰骨)の発赤は軽減した。
食事中、食後はお腹が・・・ うぅ~
それに動くと全体的に痛む。特に左側
担当医師の回診時に創(切ったところ)の下部に発赤があることがわかる。
ゾンデ(穴の深さなどを調べる金属の細い棒)を入れようとしたが、怖くて「やだぁ」と騒ぎ免れた ここもアクリノール湿布をすることになる。
左下腹部の痛みは??
一人の先生が触診して「ギャーーー」騒いだ
手術部位ではないので癒着か? 奥で炎症か?
痛み止めで様子見る。
が・・・これが厄介で歩くのがきつくなってきた。
前かがみ。静かに歩かないと響く
ゴッドとは行き来していて
ある卒業生がこう言った。
「わぉ~ ペアルックだぁ」 そう、二人とも病衣だったからね
11/16(水)7病日
体重が少しずつ減ってきている。 ←予想の範囲内
お腹(左下腹部)が痛い
でもレントゲン、採血上は問題なし。
赤くなっていた創の部分、この日はゾンデで少しつついた。
本当は昨日やってもらえばよかったと後悔していたの。
早ければそれだけ治りが早いものね。
夕べ廊下であった先生に言ったら、やりましょうか? いいですよ!
なーんていってくれたったけ。でも定時以外にわるいじゃーん
断った
つついても膿が出てくるわけでもなく、創がついてなくて穴が開いているわけでもない。
つつくときの痛みは全然なかった
少し穴が開いた皮膚が閉じないうちにシャワーできれいに流すよう指示される。
きちんと言われたことは守っていました
11/17(木)8病日
やっはり痛い。。。左下腹部。
痛み止め2回飲んだ。
そしてお腹も調子わりっ いわゆる下痢が多い。
食べると超お腹はって苦しくて痛いし・・・
食べるのが恐怖
11/18(金)9病日
左下腹部痛は持続している。時間を見て鎮痛剤を内服していた。
退院は、土曜日という話もあったが・・・
私のために病院に収監されていたゴッドも一緒に帰る予定。
しかし現状態では力が入らず車椅子もろくに操作できない。
それより自分が歩くのがやっと
しばらくはヘルパーさんに送り迎えをお願いすることにしていたので、ヘルパーがお休みの土日の退院はまずい
よくしてくれた研修医つかまえて事情を話し、めでたくこの日に退院とあいなりました
食後のトイレ通いと整腸剤内服はしばらく続く・・・
以上、入院から退院までの記録でした
午後入院。
私が入院中、ゴッドも入院させてもらえることになっていた。
この日はゴッドが食べられそうなものを持参してまずゴッドの病室に行く。
一緒に昼を済ませて入院。
顔見知りの看護師による入院時アナムネーゼ聴取。
採血、検尿、MRSA検査、胸腹部X~P、心電図等あり。
医師の指示はないとのことだったが、経験も必要だと思い、呼吸訓練のコーチを購入した。勿論手術時に必要なTパンツも購入。
なんだかんだしていたら夜。
医師からのインフォームドコンセント(I.C)があるとのことでゴッドを迎えに行く。
自分だけで十分だったが、家族の立会いが必要とのこと。
本心は、手術が適応ではないゴッドには聞かせたくなった。。。
「上行結腸がんの疑い」腹腔鏡下で約2時間、癒着があったらプラスの時間。
がんの疑いというのは、内視鏡で細胞診をしていないので確定診断ではなかったため。
私は覚悟できていたのでICは非常に冷静に聞いていた。
ゴッドも同様だった。この時は夫になっていた。
夕食時もゴッドのところに行き、世話をして少しサンドイッチを食べた。
でも自分の病室に戻ったら、夕食は検査食だった。
キェ~~ サンドイッチ・・・食べちゃった
11/8(火)
マーキングのため大腸内視鏡検査。
なんと、朝5時から下剤マグコロールPを溶いた液体を1.8L。飲める分けない、前回も飲めなかったんだもんと思っていたが、頑張って頑張って意地で飲んだ。
絶食のため、点滴開始する。手術も考慮して太い針で。3度目で成功だった。
超いたーい
午前中はトイレと仲良し。14時過ぎに検査にいく。
鎮静剤使っているけど・・・痛い。
しかも、入っていかないらしい
外科医師がさ~ 散々やっておきながらさ~ 内科医師に頼んでさ~
3時間以上かけて終了。
いや~ 鎮静剤をどんだけ~というくらい使ったのか
眠い 眠い
外科医師がお手上げで、一旦休憩のため、ストレッチャーに乗せられ休憩室に行ったのは覚えている。でも、病室に戻ったのは車椅子かストレッチャーか定かでない。
シャワーも浴びられないほど、ずっと寝ていた。
かろうじてメールのやり取りはしたけど、ゴッドのところには行かれなかった
とんでもない手術前日だった。
11/9(水) 手術
母と叔母が早くに来てくれた。ゴッドからはメールあり。
足には弾性ストッキング着用して待機した。
車椅子で8:30に出床。手術室入り口まで母と叔母がついてきてくれた。
到着すると、顔見知りの外科Drたちがお出迎え。同僚もきてくれていた。
Drたちは口々に昨日は大変だったね。悪かった。。。と言ってくれた。
そうだよ~ 辛かったんだから
まずは側臥位となり硬膜外チューブ挿入。
以前(子宮の時)やったときは痛いと感じなかったが、この度は痛かったなぁ
麻酔が痛かった。支えてくれていた男性看護師の腕をギュッとつかんじゃった
仰臥位となり、深呼吸で1,2と数えて~~と言われたらすぐコテッ
気付いたら終わっていたらしい。
「さっ ICU行くよ~」って聞こえたような・・・
はっきり意識したのはICU(集中治療室)
麻酔科医が来て硬膜外チューブからワンショット(一度に)で薬を入れたら両足の感覚がなくなった。
お腹の痛みはさほど変わらなかったわ
両足の感覚は、一時的で翌朝には治ったけど。。。
ICUは見学で何度も入っているところ。そのベッドに横たわるとは・・・
個室に入ったので静か~
右手は点滴と動脈ラインが入っていたのでシーネでしっかり固定されていた。
その他、挿入物は背中に硬膜外チューブ、尿留置カテーテルそして酸素マスクを装着していた。
母と叔母が来たのは15時過ぎ。手術は4時間くらいかかったのかな~
癒着が酷かったらしい。
母たちが帰ったあと、ゴッドが来た。来たというより連れてきてもらったのね。
自分から連れてって欲しいと看護師に言ったらしい
顔見知りの看護師が車椅子で連れてきてくれて、立位を促してくれ、ゴッドは立って私を見舞ってくれた
昼頃からICU入室したので、時間はすごく長く感じたな。
苦痛だったのは酸素マスクで顔が暑かったこと。そして酸素マスクの水滴が鼻に入りそうになったこと。口が渇くこと。
左手でティッシュを取り何度も拭いたわ
身体は全然動かせない。ずっと仰臥位で過ごした。
夜は数時間おきに点滴で痛み止めを使った。
11/10(木)1病日
少し気持ちに余裕ができ時計を眺めることができた。
8時頃にベッドをギャッチアップして歯磨き。さっぱり。
11時にはHCU(ハイケア病棟)に移動するとのことで、10時頃に清拭。ボディソープ使って身体を拭いた。横を向けるか心配だったが手伝ってもらいなんとかできた。痛み止めは動く時間に合わせて使用してくれた。
動脈ラインは抜去された。
11時には車椅子に移りHCUに移動。
見守られ、手伝ってもらいながらゆっくりゆっくりだったわ。
HCUは観察室のような2人部屋に入ったが、何でも個室に移動するとのことだった。
ここでの時間も静かで、看護師がいないとどことなく取り残された感じがして淋しかった。
でもベッドを調整して身体を起こし自分でうがいしたりしていた。
一眠りしたらしいが、時間が経つのが遅いこと
14時には個室が空いたということで移動。だが、これをきっかけに歩行
酸素は中止になった。
点滴は自動輸液ポンプにセットしてあり、尿留置カテーテルと硬膜外チューブの持続注入のセットがあった。付属物多い。
歩行は自信がない。歩行器で病棟1往復。勿論看護師はずっと付いてきてくれた。
ゆっくりゆっくりと歩行。前かがみでね
歩くたびにコーチ(呼吸訓練の器械)もやった。
夜は3往復した。自分ができるとは思わなかったので、すごい、えらいと思う
痛み止めは歩くタイミングで使ってくれた。
歩いて歯磨きしたら後はすることなし。でもそう眠れるものではない。
退屈
身の置き所がなくベッドを上げて身体を動かしてみようとするができず。
もがいていた 結局はベッドを上げたり下げたり
長い夜だったな~
11/11(金)2病日
朝から病棟5往復した。もう歩行器ではなく点滴台につかまって
歩いて疲れたため車椅子でレントゲンに行ったわ。
清拭してもらい、尿留置カテーテルを抜去。身軽になった。
排ガスある
11時には一般病棟に戻った。
術前2日しかいなかった病室だが我が家のような気がしてホッとしたな
カテーテル抜去後の自尿も良好。トイレは必死に歩いたわ。
やはり創部がお腹だから寝起きが大変。ベッドを上げたり下げたりしていた。
午後には硬膜外チューブを抜去。チューブの跡が傷になり、固定テープでかぶれ、背中は散々だった。
子宮のときもそうだったが、硬膜外麻酔はあまり効果がないな~
夕方には廊下歩行も頑張った ひとりで点滴台につかまりゆっくりとね。
まだ痛み止めは日に2回くらい使っていた。
水分開始となる。
11日(2病日)~12日(3病日)にかけては発熱があり、血圧もやや高めだった。
熱は37.5℃前後、最高37.8℃程度で、これは術後の普通の回復過程だ。
徐々に尿も利尿期となり、13日(4病日)にはかなり出た。
11/12(土)3病日
この日から痛み止めは必要なくなった。
朝、午前、午後と夜、廊下を何週もして運動した
午前中には教授回診。
術後初めて顔見たよぉ~ 教授、助教授
ラパ(腹腔鏡下)でやったけど、癒着がすごかったので以前の創のところを少しだけあけたよ ということだったが・・・少しどころじゃない。6cmくらいあるじゃーん
今までイレウス(腸閉塞)起こさないのが不思議なくらいの癒着だったらしい。しかも19歳のときに手術した虫垂炎の跡。
その虫垂炎はだれだれにやってもらったという話で盛り上がり。
なにせ昔なじみだらね~
若い先生方は黙って聞いていたわ
まず順調ということで安心した
昼から流動食開始。
蠕動痛が激しい
11/13(日)4病日
動くとお腹が引っ張られるように痛く前のめりで歩いていたが、動こうという気になり、洗濯をした。ゴッドのところにも術後初めて行った。
二人とも病衣。ゴッドの病棟のナースたちが口々に声をかけてくれた
嬉しいね。
それに引き換え、私がいた病棟ナース。人の顔見れば歩け、コーチやれだって
個別性なんてあったもんじゃないわ
今の私になぜ必要かを言え と思った。
呼吸器系問題ない4病日の患者にはコーチは重要ではないでしょ
癒着が酷かったことでは歩行は大事だけど。
少し腹が立って、言われても返事はしなかったわ。
担当医師の回診の際、創に張ってあった皮膚保護剤を剥がした。そしてシャワー浴可となる。
夕方こわごわとシャワーを浴びた
前かがみがしにくいので足は洗いにくかったな~
右腸骨(腰骨)のあたりが赤くなっているのに気付く。痛くもなんともない。
看護師に言うと、広がらないか、印だけつけられた。
左下腹部も少し痛い。
11/14(月)5病日
前日から頭痛がして、我慢していたが辛くなり、朝の時点で鎮痛剤を希望した。
ところがなかなか薬がこない。
そうこうしているうちに担当医師の回診。
私が訴えていることは何も出てこない 看護師が何も言わない。
自分で訴えたわ
右腸骨(腰骨)は、多少熱感がある。ただし硬くなったりはしていない。医師らは縫窩織炎ではないかということになり、炎症止めのアクリノールという薬品をつけた湿布を指示された。
昔ならその場ですぐやったもんだが・・・
しばらーくして看護師がやってきたわ。
でも頭痛薬はこない
あたま痛かったけど昼近くになったので指示があったレントゲンに行った。
帰ってきたら、第一声は点滴の心配。
そうじゃないだろ!
ここで切れた
「さっさと抗生剤やって終わらせて!」
「鎮痛剤はどうなっているの? 朝から言っているのよ! 優先度を考えて!」と言いながらペンとノートを投げつけた
そうとう怒り心頭だった。。。
このあとちょっと問題が・・・ 私じゃないわよ
点滴は強制終了 フリーになった
午後は面会が多く賑やかだった
この日から全粥。ハヤッ
11/15(火)6病日
右腸骨(腰骨)の発赤は軽減した。
食事中、食後はお腹が・・・ うぅ~
それに動くと全体的に痛む。特に左側
担当医師の回診時に創(切ったところ)の下部に発赤があることがわかる。
ゾンデ(穴の深さなどを調べる金属の細い棒)を入れようとしたが、怖くて「やだぁ」と騒ぎ免れた ここもアクリノール湿布をすることになる。
左下腹部の痛みは??
一人の先生が触診して「ギャーーー」騒いだ
手術部位ではないので癒着か? 奥で炎症か?
痛み止めで様子見る。
が・・・これが厄介で歩くのがきつくなってきた。
前かがみ。静かに歩かないと響く
ゴッドとは行き来していて
ある卒業生がこう言った。
「わぉ~ ペアルックだぁ」 そう、二人とも病衣だったからね
11/16(水)7病日
体重が少しずつ減ってきている。 ←予想の範囲内
お腹(左下腹部)が痛い
でもレントゲン、採血上は問題なし。
赤くなっていた創の部分、この日はゾンデで少しつついた。
本当は昨日やってもらえばよかったと後悔していたの。
早ければそれだけ治りが早いものね。
夕べ廊下であった先生に言ったら、やりましょうか? いいですよ!
なーんていってくれたったけ。でも定時以外にわるいじゃーん
断った
つついても膿が出てくるわけでもなく、創がついてなくて穴が開いているわけでもない。
つつくときの痛みは全然なかった
少し穴が開いた皮膚が閉じないうちにシャワーできれいに流すよう指示される。
きちんと言われたことは守っていました
11/17(木)8病日
やっはり痛い。。。左下腹部。
痛み止め2回飲んだ。
そしてお腹も調子わりっ いわゆる下痢が多い。
食べると超お腹はって苦しくて痛いし・・・
食べるのが恐怖
11/18(金)9病日
左下腹部痛は持続している。時間を見て鎮痛剤を内服していた。
退院は、土曜日という話もあったが・・・
私のために病院に収監されていたゴッドも一緒に帰る予定。
しかし現状態では力が入らず車椅子もろくに操作できない。
それより自分が歩くのがやっと
しばらくはヘルパーさんに送り迎えをお願いすることにしていたので、ヘルパーがお休みの土日の退院はまずい
よくしてくれた研修医つかまえて事情を話し、めでたくこの日に退院とあいなりました
食後のトイレ通いと整腸剤内服はしばらく続く・・・
以上、入院から退院までの記録でした