
ノンフィクションライターが選出! “日本の闇”を象徴する未解決発砲事件事件
2013年12月19日に起こった、「餃子の王将」を全国展開する「王将フードサービス」社長・大東隆行氏射殺事件に関して、15年12月13日、現場に落ちていたタバコの吸い殻から九州の暴力団組員のDNAが検出された、などと新聞各紙が一斉に報じた。これを受けて、一挙に事件解決に向かうかに見えたが吸い殻は捜査を攪乱するために置かれた可能性もあり、その暴力団組員が犯人だという決め手にはならなかった。2年が経って、事件解決は遠のいていることへの捜査関係者の焦りから出た報道だったようだ。
銃殺による未解決事件としては、昭和62年5月3日、朝日新聞阪神支局が襲われ、1名の記者が死亡、もう1名が重傷を負った「赤報隊事件」。そして、平成7年3月30日に当時の國松孝次警察庁長官が重傷を負った狙撃事件が記憶に残るところだ。
また、平成6年9月14日に起きた住友銀行(現・三井住友銀行)名古屋支店長射殺事件も、銃殺による未解決事件である。
支店長である畑中和文氏(54歳)は、その日の午前7時18分頃、名古屋市千種区のマンション10階の居室前のエレベーターホールの壁にもたれかかり、血まみれでくずおれた状態で見つかった。着ていたのはパジャマ、足には何も履いていなかった。
解剖の結果、約2メートルの至近距離から撃たれた銃弾が、右目上から左後頭部へと貫通していることがわかる。
マンションの正面玄関はオートロックで、非常階段への扉は内側からしか開かない。その日は、午前6時40分に新聞販売店員が朝刊を配達しに入った以後は、出入りの形跡はなかった。支店長はいつも、午前7時35分に迎えの車が来て出勤する前に、自分で朝刊を取りに出る習慣があった。畑中氏の習慣を知ってのきわめて計画的な犯行だ。また一発の銃弾で死に至らしめていることから、凄腕のプロの仕業であることは明らかだった。
事件から約2カ月後の11月11日、大阪市中央区の住友銀行本店に融資を求めてやってきた、近藤忠雄(当時、73歳)が拳銃を所持していたため、銃刀法違反で逮捕された。取調中に近藤は、「自分が住友銀行名古屋支店長を射殺した」と自供。近藤が持っていたのは38口径のアメリカ製リボルバー「スミス&ウェッソン」。鑑定によって、線条痕が支店長射殺事件に使われた銃と一致した。
だが、近藤はマンション正面玄関のカギを「適当に四桁の番号を押していたら、開いた」と供述。だが、実際には正面玄関は電磁ロックキーを用いて開ける方式だ。また、支店長は頭を水平に打たれていたが、彼よりも10㎝も背が低い近藤には、それは無理だ。近藤はそれまで、のべ30年間を刑務所で暮らしてきた「懲役太郎」だ。報酬と引き替えの替え玉出頭と見られたが、近藤は依頼者の名前を口にすることはなかった。
この事件で最も不思議なのは、被害者であるはずの住友銀行が捜査に非協力的だったことだ。
この時期の住友銀行といえば、イトマン事件が連想される。住友銀行からイトマンを通じて、3,000億円以上が暴力団関係者など闇社会に流れていったとされる。イトマン関連の処理を担当していた住友銀行名古屋支店の行員には、防弾チョッキが渡されていたという話もある。この事件の犯人には、畑中氏が防弾チョッキを装着している可能性を見越して、頭部を一発で撃ち抜くことができる、エキスパートのヒットマンを起用したとも考えられるのだ。
他にも、暴力団系企業が絡んだゴルフ場開発や、地上げへの融資など、住友銀行名古屋支店は闇社会に繋がる不良債権を無数に抱えていた。
支店長射殺事件によって、現場の行員たちからは「命まで捨てろというのか」という声が上がり、そうした不良債権の回収を本部は諦めたともいわれる。
「一発の銃弾が、数千億円に値したんや。お灸が効いたというこっちゃ」
闇の社会からは、そんな声も伝わってきた。
平成21年9月14日午前0時、時効が成立した。銃刀法違反で服役していた近藤は、その年の1月、87歳で獄死していた。