* 義典が兄の信隆に続いて死に、孝夫は一年五ヶ月前に律子を喪った。律子の死は、小野はどうなっているのでしょう、と叫んだ佳恵の思いとはまったく無縁なことであったが、孝夫の胸に佳恵のこの言葉は痛切に突き刺さった。 高校生の頃から自分は小野一族とは無縁に生きてきた、いや生きようとした。しかし妹の邦子を含めての従兄弟六名の誰一人として、幸福な育ち方をしてこなかったように思える。すでに三人の従兄弟が両親より先に逆縁という不幸な死に方をした。 芳信叔父の長男健一は中三のとき、高二の暴走族のバイクの後ろに同乗して、冬の深夜、コンクリート製の電柱に激突、高校生は電柱に顔をぶつけ、健一はガードレール飛び越えて田圃の側溝のコンクリートに頭をぶつけ、頭蓋骨陥没で即死だった。 孝夫は一度も健一と逢ったことがなかった。 「中学一年からぐれてしもうとるがね。上級生のワル仲間に入っとるけん教師が怖がるほどじゃがね」 電話口で信和叔父が、渋面が眼に浮かぶ声で話した。 「眉を剃って、学ラン着て、中身の入っとらん薄べったいカバン持って、学校に行きよるだけじゃけん」 「叔父さんの力で補導できませんか」 「わしがそげなことしたら芳信が家に庖丁持って怒鳴りこんでくるけん」 「そうですか」 「そんでも頭は悪うないらしい」 「母が言うには、芳信叔父さんも頭は良かったらしいですね」 「子どもの頃から頭はええ。じゃが使い方を間違っとるわね。疑心暗鬼のかたまりになっとる」 「疑り深いしすぐ手を掛けますね」 「孝夫も子どもの頃にやられたじゃろ。健一も陽子もやられとるわね」 「可哀想な死に方ですね」 「芳信が殺したようなもんじゃ。哀れじゃがね」 「……」 信和叔父は自分も妻や子どもに手を掛けていることを言わず、芳信叔父をなじった。 孝夫のところに健一の死亡連絡がなかったので、葬儀に出席しなかった。一月も経った頃に邦子から知らされた。孝夫には健一の死は、父親との確執による自暴自棄の死としか思えなかった。相変わらずの叔父夫婦の自堕落な姿を垣間見た思いで、弔問する気持ちにならなかった。 健一の姉の陽子は一度結婚したが、一人娘を伴って実家に戻ってきた。信和叔父の話では、その後子供を連れて大阪に出たが、居所が不明だという。ここにもまた陰険な両親と娘の葛藤を覗き見た思いがした。 中学生の頃に信和叔父の息子二人とは二度夏休みを過ごしたが、芳信叔父のほうは陽子を子供の頃にちらっと見知った程度で、健一とはとうとう逢わずじまいだった。 従兄弟六名といっても交流の薄い関係で、めいめいが両親との葛藤、暗闘を抱え込んでいたので、従兄弟同士で付き合う気持ちの余裕がなかった。今回の義典の突然死でこのことが孝夫にはよく視えてきた。 義典の急性心不全は昨今流行の中間管理職のストレス、過労死、あるいは自殺などの現象とは無縁ではないと考えたが、信和、義典と続くとこれだけでは片付けられない、奥深い因果関係が小野一族の中にあるのではないかと思い始めた。親同士の陰鬱な怨恨、確執のどろどろした世界が、三名の従兄弟、信隆、義典、健一を暗黒の闇に呑み込んで行ったのだと、暗然とした気持ちで考えた。 孝夫は従兄弟頭という扱われ方であったが、孝夫と邦子は、本当のところは他の四名とは血脈としては立場が異なっていた。孝夫と邦子に小野の血は一滴も流れていなかった。 孝夫は智世子が大阪で井口尚忠と結婚して産まれた子供らの次男であったが、智世子は戦時中に尚忠の郷里に疎開し、そこで長男、長女、三男、最後に夫の尚忠と、次々に喪った。孝夫が戸籍上の長男となった。孝夫は、元気であれば邦子を含めての五人兄妹であったのにと、口惜しく思うことが多かった。 肺結核で亡くなった父親は仕方がないとしても、気性の激しい母親との日々の葛藤のなかで、三人の子供を次々と亡くした母親に、いくら戦時中とはいえ本当に子供に対する愛情のようなものがあったのかと、孝夫は疑念を覚えたことが幾度もあった。 智世子は尚忠の死後、尚忠の母親を郷里の山奥に置き去りにしたまま、即座に自分の郷里M市に戻った。このことは父方の親族一同知らない者はなかった。父方の従姉の一人が、孝夫さんには悪いけどあんたのお母さんは美人だったけど薄情な人や、と酷評した。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
叔母が、孝夫さんは何が好きかね?と訊ねるので、カレー、と応えると、毎昼カレーとコップ一杯の水だけの食事を出す人だった。信隆、義典も同じ物を食べていたので差別されていたのではなかった。 大阪に戻ってから孝夫は母親から、何を食べていたの?と問いかけられるままに、カレーと応えると、毎日カレーだったの?と聞くので、毎日、と言うと、母親はえらい剣幕で、孝夫を前にして怒り始めた。孝夫は母親の怒り心頭が迷惑でそそくさと逃げた。 このことを智世子は信和叔父に逢うたびに持ち出すので、叔父は閉口して、 「姉さん、あれはあんな女ですわ」と嘆息めいた口調で言った。 「あんたに言っても仕方がないけど。静子さんをあんたに押しつけたのは、婆ちゃんだからね。婆ちゃんにしたら静子さんの実家の財産を少しは当てにしてだろうけど、M市でも評判の吝嗇家だったから、婆ちゃんも当てが外れたわね。小野を見下げてね、あの頃は焼物なんかやっていても食えない時代だから。静子さんだって腹の底ではいつもあんたを見下げているわね。あのケチな父親の教育を受けて育ったのだから。私も婆ちゃんと何度かあの店に行ったけど、陰気なところだったよ」 智世子は憤慨と嘆息をない交ぜにした感情で呟き、煙草を吹かした。 自分に対する叔母の冷淡さをどこかに感じながらも、そのことはすぐに忘れて孝夫は信隆、義典と夏休みの午前中から近くの川でよく遊んだ。歩いて十分くらいのところに、川幅五メートルほどの浅い川が広島湾に注いでいた。孝夫が立つと水面は臍の辺りで物足りなかったが、深みの箇所は乳首辺りにまで水面がきたので、泳ぐときは深みの処まで歩いて行った。だが泳ぐことはあまりなく、三人とも水中眼鏡をかけて、手網で草むらの覆う川の縁に潜んでいる鮒(ふな)や泥鰌(どじょう)を掬(すく)った。 こんなときでも敏捷に魚採りに夢中になるのは義典で、潜って掬うたびに得意顔で歓声を上げ両頬にえくぼのできる人なっこい笑顔を見せたが、信隆は網が曲がってしまったとか、網が竹から外れたと言っては泣きべその顔を見せて、遊びを中断させた。 水中眼鏡が流れたと悲鳴を上げ、細くて長い脚をばちゃばちゃと、川の真ん中を川下に向かって走っていくのを、孝夫と義典は、その滑稽な姿を大声で笑った。 川遊びに飽きると虫採り網と虫を入れる手籠を持って、近くの低い赤土山に上った。赤土山といっても照葉樹林の鬱蒼とした森であった。蝉採りにはすぐに飽き、木登りを始め、頑丈な枝に腰掛けて、森の彼方に展がる田園を眺望するのであった。だがこのときも木登りの遅いのは信隆であった。両方の長い脚を八の字形に開き、不器用に上ってくるのを、太い枝に腰掛けて眺めていると、まるで不器用なバッタの木登りであった。孝夫は義典と手の届く葉っぱをちぎっては、上ってくる信隆の顔めがけて投げた。 上の二人を泣き顔で見上げ、信隆は眉根に縦縞を寄せて苦しそうに上ってきた。やっと二人の腰掛けている枝の処に上り着くと、にやっと照れくさそうに笑った。 こんなときでも信隆は結果的にへまをやった。膝頭がすり切れて血が滲んでいたり、半ズボンの尻が裂けていたりと、帰宅したときに叔母に小言の口実を与えてしまうのである。 「孝夫さんは中学生でしょ。危ない場所では遊ばないようにしてくれないと」 叔母は遊びの詳細を訊ねるでもなく、頭ごなしに年長の孝夫に注意した。 どんな遊びをしていても、信隆一人がどじを踏むというかアクシデントに見舞われ、そのたびに遊びは中断し、遊びが不燃焼のままに終わることが多かった。そして孝夫は叔母から小言を頂戴した。だから孝夫は毎回信隆に腹を立てた。 だがいまになって信隆、義典と過ごした夏休みを懐かしく思い起こしてみると、それでいて信隆は物事を中途で放擲する男ではなかったということに気付いた。いつも気弱に、眉根に縦皺を寄せ、苦しそうな顔で遊びに加わっていたが、自分から弱音を吐いた信隆を見たことはなかった。 弱音を吐いたり、自棄になって遊びを放擲するのは義典のほうだった。義典は自分が出来ないことにはすぐに興味を示さなくなったり、執拗に愚痴るのだった。信隆も孝夫の眼から見ると依怙地な子供であったが、それは孝夫、義典に負けまいとする暗い執念であったが、義典の執念は自分の能力の及ばないことを棚に上げて、その遊びをしたことを、あるいはその遊びを発案したことをぶつぶつ言うのであった。これは直接年長の孝夫を批判しているのではなかったが、自分以外の人間を批判していることには変わりがなかった。 母親に取り入るのが巧みなのも義典で、信隆はこの点でも不器用で、叔母から叱られるのは孝夫、信隆であった。 家の門が百メートル先に見えてくると、義典はいきなり脱兎のごとく走り出した。孝夫と信隆は遊び疲れて駆ける気持ちにもならなかったが、義典は必ず先に戻って叔母に遊びの報告をしていた。二、三分は遅れて到着する孝夫、信隆は、義典が何を母親に報告したのか知る由(よし)もなかった。そしていきなり小言を食らったりした。おそらく虐めてもいないのに二人に虐められたと報告をしたのだろうと、孝夫は想像した。 髪が柔らかく赤茶けていた義典は、ちょっと見には英米人の子供のようであった。乳色のほやほやした頬には金色の産毛が残っていた。いつも浅黒い泣き顔に眉根に深刻な縦皺を刻む信隆を、叔母は好いていなかった。実際、孝夫もじくじくしたところのある信隆よりも、思い切りのよい、そしてえくぼの笑顔でやんちゃそうに笑っている義典のほうが、腹を立てながらも扱いやすかった。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
「あんたも悪いわ。女、子供に手をかけたらあかんわね」 智世子は仕方ないという風に、叔父を睨み付けて言った。 不利な立場に立たされてしまった叔父は苦虫を潰したまま、孝夫に手招きして、一緒に布団に横にならんか、と掛け布団の端を持ち上げて眼で誘った。 叔父にとってこういう事態は、常に大事ではなく小事であった。叔母や二人の息子にとっての大事が、叔父にとっては小事であるから、叔父と母子との感情のすれ違い、軋轢(あつれき)は叔父への憎悪に近い形に蓄積された。 「私が信隆を殺したようなものです」 突然、叔母は今まで抑えていた感情の堰(せき)が切れたのか、顔をトマトケチャップ色に紅潮させ気が狂ったように泣き喚いた。 「可哀想なことをしました。あの子は辛抱ばかりしてきたんです。可哀想で可哀想で」 「止めんさっしゃい」 信和叔父は叔母に冷たい視線を向け、短く叱責した。 「義姉(ねえ)さん、この人はいつもこうですけん。自分に気にいらんと。それでも気にいらんと手ぇ上げなさるわね。今夜ばかりは私も言わしてもらわんと、信隆に申し訳が立たんわね」 「何が申し訳立たんかね」 叔父は渋い顔で言ったが、叔母はその言葉を無視した。叔母の恨みがましい眼の縁は、唐辛子の粉でも塗ったように真っ赤になり、ぐしょぐしょに濡れていた。そして叔母は狂ったように納棺にいざり寄り、白布で覆われた棺(ひつぎ)を小脇に抱きかかえる恰好で、 「信隆、信隆、お母さんを許してよ、許してよ」と泣き喚いた。 そして棺の中に首がころっと落ちてしまうのではないかと思うほどにうなだれ、肩を震わせて泣き崩れた。 孝夫は叔母の気持ちに同情するよりも、あまりにも芝居がかった姿が不快であった。孝夫は、人前でざめざめとなく女の涙にいつも欺瞞を視るのであった。男でも女でも慟哭という行為は、もっと孤独で悲痛なものではないだろうか、と思うようになっていた。 叔父は取り乱した叔母の姿に、太い眉を顰め、 「明日は葬儀じゃけん。休まな暑さに倒れてしまうけん。早う寝なさいと言うとるのじゃないか。この道理がわからんかね。泣いても信隆は帰って来んけん。あんた一人でそげんして泣いとりなさい。わしゃ寝るけん。孝夫もわしの布団に入って寝んさい」 孝夫は掛け布団を持ち上げている叔父の布団に潜り込む前に、納棺の上の額縁に納まっている信隆をじっと見つめた。信隆、あんたが死んで残念だ。こんな義典と今後どうやって付き合っていけばいいのか、先が思いやられる、と呟いた。 いつの間にか四畳半に横になっていたはずの佳恵まで起きて来て、何事が起こったのかと、眼を見開き、口を半ば開け、きょとんとした表情で、部屋の隅に膝頭を揃えてちょこんと坐っていた。 孝夫は叔父を批判する叔母の態度に、その都度、そんなに嫌いなら離婚すればいいのにと思ったが、口にしたことはなかった。叔父も叔父だ。相性が悪ければ離婚すればいいのにと思ったが、 「あれはあげな女じゃけん。そう思うていたら気が楽じゃけん」と言い、これで五十年以上経ったのだから、今更孝夫親子がはたからどうこう言うこともなかった。 \chapter{従兄弟) 一体これはどうしたことなんだろうか。孝夫は見当がつかなかった。 義典への孝夫の感情は、孝夫が中学二年、義典が小学三年生の頃の親近感であった。この頃義典の顔は一年ごとに明るくなり、信隆は暗くなっていた。孝夫は最初の頃は小ずるい印象の義典より気の弱そうな信隆が気に入っていたが、五日市の頃は義典のほうが付き合いやすくなっていた。 叔父は呉から五日市に転勤していた。あの頃の義典は無邪気な明るい顔の子供であった。笑うと両の頬にえくぼが出来た。ちょっと眩しそうな眼差しで人を見る眼には、暗さなど微塵もなかった。きかん気なヤンチャな面があった。孝夫は小学三年の義典を目蓋の裏に思い浮かべ、当時のことを回想した。 小学五年生の信隆は義典とは対照的な顔であった。泣いていないときでも泣き顔で、笑っても義典のように素直に笑うことはなく、めそめそした態度で一度こころのどこかで屈折してから気弱に笑った。男の子にしてはじくじくした態度を示し、孝夫は信隆に好感が持てなかった。 三人で遊んでいても孝夫は義典と結託して虐めているのではなかったが、結果的に信隆を虐めている感じの遊びになった。そのために信隆は泣くこともあった。 叔父は五日市の田圃の一軒家から広島市内の警察署に勤務していた。この一軒家は署が転勤組に借りていたものだろう。孝夫は中学二年生の夏休み、ほとんど一ヶ月大阪から一人でやってきて叔父の家族と過ごした。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
「親父やあんたらは同類や!」 「同類とはどういう意味?ぼくらが信隆君に何をしたというのや」 「孝夫、義典の言うことなんか気にせんでええ。兄貴が死んだんで気が昂ぶっているのや」 眼を赤くしている叔父の表情は苦虫をつぶし、孝夫に、ほっとけ、と片目を瞑(つむ)ってサインした。叔父の意向を受け取った孝夫は、あとの言葉を続けずに口を噤(つぐ)んだ。 孝夫は義典の態度に驚いた。これで玄関口での自分たち親子を冷ややかに無視した義典の態度が理解できた。義典は自分たち親子を嫌っていたのだ。それにしてもなぜ義典に嫌われなければならないのか。十年前に義典の結婚式に出席した折りに、義典の姿を眺めただけではないか。そういえばあのときも義典は、挨拶一つ自分たち親子や芳信叔父夫婦にしなかったな、と孝夫は思い出した。 兄貴が死んだので義典は気が昂ぶっているのだろう、と孝夫は考え直した。八畳間の端で、陰気に長身の背を曲げて蹲っている義典には、叔父叔母、孝夫親子は当たらず触らずであった。佳恵は硝子戸を閉めた四畳半の部屋で、二人の子供と横になっていた。 ビールの酔いが回り、叔父と孝夫の母親は八畳間に敷いた、別々の布団で横になった。叔母は台所で片付けをしていた。孝夫は先ほどの義典の言いがかりに神経が冴えていた。信隆の通夜の席で義典と気まずい雰囲気のままでは、亡くなった信隆にも済まないことだと思い、孝夫は義典の傍にいざり寄り、 「飲まないか」 と、孝夫はビール瓶の口を、義典のコップに向けた。 けれども義典は顔も上げずに、蹲った背を怯えた猫のように細かく戦慄(わなな)かせていた。義典の哀しみがわからないでもなかった。しかし哀しいのはお前一人ではないだろう、おとな気ないではないか、と体格のしっかりとした義典を見つめ、孝夫は頑なな姿勢を胸の裡で批判した。 「あんたらにはなんにもわかっとらんのや。あいつは外面(そとづら)だけの人間や。あいつのおかげでどれだけお袋や兄貴が苦労したか、あんたらにはわからんのや」 やっと義典は孝夫に向かって言葉を発した。しかしそれは顔を上げずに発せられた、暗い怨念の呻きだった。 「あいつが兄貴を殺したのや。兄貴を殺したのや」 聞き捨てならないことを義典は言っていると思ったが、これ以上義典の気を昂ぶらせてはいけないと孝夫は、自制を促すように、 「そんな風に言っては叔父さんが気の毒ではないか。長男を亡くした叔父さん、叔母さんが、今回のことではお前以上に哀しんでいることではないか。なによりも佳恵さん親子がいちばん哀しんでいることやないか。それをお前一人がすべての哀しみを背負ったような態度では」 「あんたには何もわからんことや」 「そりゃそうや。従兄弟同士といってもきみらと暮らしていた訳やないからな」 「あいつは町では名士ぶって、何が鳩堂窯や。家では気にいらんとお袋を殴ったり、足蹴(あしげ)にして。鬼や!」 孝夫の我慢の糸が切れた。 「義典、お前父親に向かって何を言っているのや。あいつ呼ばわりしたうえに鬼か」 怒鳴るなり孝夫の拳が蹲った義典の頬を打った。 「そうや、そないして殴るのや。あんたも親父と同じや」 義典は顔を上げた。その眼は恐怖の色を帯びていた。 「なんで暴力を振るうのや!」 義典は憎悪を眼に点し、孝夫を睨み付けた。 孝夫は内心、しまった、と思った。どんなことであろうと暴力はいけない。 義典と孝夫の険悪な気配に叔父と智世子は、それぞれの布団から躯を起こした。智世子は孝夫の剣幕に驚いた顔であった。 「孝夫、あんたも疲れているのじゃけん。わしの横で寝らんか」 叔父はもののわかったような苦虫潰した表情で、眼で合図しながら孝夫に手招きした。 叔母も何事かと台所から飛び出して来て、義典の傍に寄った。 「叔母さん済みません。義典の言うことを聞いているうちについ手が出まして。義典、わるかったな」 孝夫は叔母と義典に頭を下げた。 「孝夫さん、この子の言うことももっともなんです。私は何度この人に殴られたか」 叔母は白い眼球を撫でつけるように目蓋をしばたたかせた。叔母は若い頃から、ポパイの漫画のオリーブに顔も体つきも似ていた。真実味がないというか、どんな話の内容でも鼻であしらって応答しているように思えた。叔母が真実味のある顔で真剣に喋るのは叔父を罵るときだけだった。叔父の居ないときは、いかにも憎々しげに罵倒するのであった。 叔母はこのときとばかりに頬を涙で濡らし、孝夫の母親に直訴でもしているような熱心さで、夫の日頃の家庭での行状を言い募った。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 391(内26はケータイ) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
信隆の顔は三ヶ月前に見舞いに行ったときと、さほど変わっているようには見られなかったが、目蓋と紫色の長い唇はしっかりと閉じられ、堅い死に顔であった。もうあの気弱な笑顔を見ることはないのだな、と孝夫は思った。信隆、何でお前が先に死ななあかんのや、と孝夫は呟くと、熱い感情が胸を衝き上げた。 「孝夫よりずっと頑丈な躯やのにな」 智世子はそう呟きながら、叔父の近くに座り直した。 叔父と智世子は膝と膝の間に置かれた灰皿の前で、煙草の紫煙を燻(くゆ)らせた。 「どうもありがとうございます」 腰を屈めながら、台所を手伝っていた佳恵が白い顔で近付いてきた。 「佳恵さん、残念やったね」 智世子はねぎらった。 「やるだけのことをしましたので……」 窶(やつ)れ顔の佳恵は、沈んではいたが、しっかりした口調で言った。 叔母のように泣き腫らした顔ではなかった。そして孝夫のほうを見やり、 「遠いところをありがとうございます」と小声で言った。 「何もできなくて……」 孝夫は佳恵と視線を合わせ、臍(ほぞ)を噛む思いで言った。 佳恵の顔をゆっくりと見たのは初めてであった。結婚式で眺めた顔はすっかりと記憶から消えていた。前に見舞いに行ったときは平日だったので、佳恵は中学校に出掛けていた。端正な顔付きであった。 「この前に見舞ったときは退院するものとばかり思っていたので、退院したら奥さん、子供さんと一緒に遊びにおいでよ、と言ったのですが」 「主人も私にそのようなことを言っておりました。楽しみにしていたのですが。本当に残念で……」 夜になっても弔問は続いた。信隆や佳恵の職場の同僚たちであった。納棺の前で拝み、佳恵と少し言葉を交わして帰っていった。十時を過ぎると誰も訪れなくなった。 「佳恵さん、あんたは少し寝ないといけんよ。昨日からほとんど眠ってないでしょ。明日は大変じゃけん。大勢来るわね、警察関係の人たちが。炊事場の片付けは私がするから、向こうの部屋で子供たちと横になりなさい」 台所で叔母が佳恵に注意していた。 「それじゃ少し横にならしてもらいます」 佳恵は台所から出て来ると、孝夫たちにちょっと頭を下げて、台所と隣接した四畳半の部屋に入った。 「義典、御飯食べる」 叔母は義典に声をかけた。それまでほとんど八畳の間に姿を見せることのなかった義典が、いつの間にか入口近い処に座って、黒服の長身の躯を屈めていた。 孝夫は叔父とビールを飲んでいた。 「ご苦労さん、義典君。大変だったね。こちらに来てビールを飲まないですか」 孝夫は義典を眺めて誘った。義典は蹲り押し黙っていた。曲げた背中に大きな岩でも背負っている気配があった。 叔父は義典を一瞥すると、 「疲れたじゃろ。ビールでも飲んで休みんさい」と嗄れた声を上げた。 叔父の声にも義典は沈黙していた。頑なに独り殻に閉じ籠もっている風だった。黒背広の背中が微かに震えていた。孝夫は義典は俯いた姿勢で泣いているのだと思った。誰も泣いてはいなかった。義典一人が歯を食いしばるようにして泣いていた。 いきなり義典は泣き濡れ、眼の赤く充血した顔を上げると、 「小野の一党が兄貴を殺したんや!」と喚いた。 「親父やあんたらが兄貴を殺したんや」 義典は大きな泣き声を上げて叫んだ。 「何を言うちょるか」 ビールで顔を赤らめた叔父は語気を強めたものの、取り合わない風情を装って低い声で言った。 「義典、あんた何を言っているの!」 台所の入口に垂れていた暖簾を分けて、叔母は義典を睨みつけた。 ビールで少し酔いのまわっていた孝夫は、 「義典君、あんたらとはぼくや母親のことかね」 孝夫は聞き捨てならないことを聞いたという語調で、声を押し殺して問うた。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 391(内26はケータイ) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
* 母親の団地で孝夫は喪服の背広に着替えると、喪服姿の母親と連れ立って、信隆親子の住んでいる官舎に出向いた。 四階建ての小さな官舎の棟が四棟建っていた。炎天下の道程を額や首筋の汗を拭いながら到着したのが昼前で、一棟の一階の階段の上り口は、喪服の上着だけ脱いだ信隆と同年輩の逞しい男たちが数名、忙しそうに階段を上り下りしていた。官舎から少し離れた場所に車が二台停まっていた。通夜の弔問受付の準備か、明日の葬儀の段取りでもしているのだろう、と孝夫は思った。 官舎と官舎のあいだの広場は、夏の日射しが地面を白熱に焼いて眩しかった。孝夫の白いワイシャツの首回りは汗でぐしょぐしょだった。智世子と孝夫は階段を駆け下りてくる黒ズボンの男を避け、信隆の部屋の開きっぱなしのドアの前に立った。玄関先に見知った顔はなかったので、孝夫は革靴を脱いで入口横の小部屋を覗いた。 そこにひときわ長身の義典が、三、四人の男女と何か打ち合わせているようだった。おとなになっていたが、義典の顔や頭の形は小学三年生の頃とあまり変わっているようでもなかった。孝夫は、 「義典君」 と、義典に子供の頃に付き合った気安さで声をかけた。 義典はちらっと孝夫親子のほうへ視線を投げたが、まるで無視の視線で、そのまま打ち合わせていた若い男女の方に顔を向けた。孝夫は義典の黙殺にむっとしたが、顔を忘れているのかとも思案し、いやあの眼は知って知らん振りをしたのだと思った。なんで義典は不機嫌な顔を自分たちに向けたのか、理由がわからなかった。 「どうもどうも」 背を弓形に曲げた叔母が声をかけてきた。 「静子さん、あんたも大変じゃったね」 智世子は同情するように言った。 「ええ、ええ、大変ですわ」 叔母の目元は泣き腫らした跡のように、赤く膨らませていた。 「あんな人のええ信隆が死ぬなんて、むごいことだね」 智世子は静子に同情するようにしんみりと呟いた。 「姉さん、来なさったかね。そげんところに立っとらんと中に入りなさいや」 奥から信和叔父の嗄れ声が聞こえた。赤ら顔の叔父が、部屋の片隅で胡座をかき、煙草を喫っていた。 「孝夫も来てくれたか。ありがたいことじゃ」 奥の部屋は二間続きであったが仕切は外され、奥の八畳に信隆は納棺されていた。棺の向こう側で信隆の顔が、黒縁の額に納まっていた。眼鏡をかけた四角い顔が優しく笑っていた。棺の左右に白い百合の献花が盛られていた。 胡座をかいて煙草を喫っていた叔父は、相変わらずの恰幅のよい躯で、精力を漲(みなぎ)らせた顔の、柔和な眼差しで孝夫を見ていた。 「死んでしもうたがね、信隆が……。あんたよりずっと体格のええ男が」 「信じられません」 「わしも信じられんがね」 けれども叔父の口調はしっかりとしていた。信和叔父は芳信叔父とは対称であった。芳信叔父はすぐに感情を昂ぶらせ涙を見せ狂ったようになるが、信和叔父は人前で悲嘆に暮れた表情を見せたことは、孝夫の知るかぎり一度もなかった。沈着冷静というよりも、むしろ人前では自分の冷静な物腰を誇示する面が見られた。どんな場面でも自分を見失うことはなかった。叔父は本家に養子に出された頃から自分の感情を、悲しみの感情を抑制することを身に付けてしまったのであろう。 「孝夫、信隆の顔を見てやってくれ」 「孝夫、拝ましてもらわんか」 智世子は畳に下ろしていた腰を上げ、つつっと棺の前に進んだ。孝夫も従った。 叔母は棺の白木の蓋を上げて、 「信隆や、孝夫さんとお母さんが来られたよ」 叔母は震える声で告げると、頬を涙で濡らした。 「信隆は気性の優しい子やったのに。私のところにも佳恵さんとちょくちょく訪ねてくれて……。可哀想に」 智世子はハンカチで目尻を拭った。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 391(内26はケータイ) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 最初から読まれるかたは以下より。 一章 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
ベッドの傍らでしばらく子供の頃のことを思い出しては、二人で笑った。酒が好きらしいので、酒の話をし、退院したら一緒に呑もうと約束した。 子供の頃の信隆は線が細くて、将来酒を呑むような男には見えなかったが、二十年余の歳月は、信隆を逞(たくま)しい男に変貌させていた。屈託のない涼しそうな顔からは、子供の頃のいじけた神経質そうな縦皺が消えていた。精神的な苦労を経ておとなになった姿を、孝夫は熱い思いで眺めた。 おとなとしての人格が身についていた。度量のある鷹揚な人間になっていた。孝夫は逢ってよかったと思った。もっと早く付き合っておくべきだった、と孝夫は帰路に悔やんだ。 何気なく孝夫は、もし入院が長くかかりそうだったら、郷里の病院に転院してゆっくりとしたらどうだ、と言った。 傍らで眼を見開いて二人の会話を聞いていた叔母が、 「そうしてくれたら私もありがたいんですがね。佳恵さんはこちらで仕事があるから無理だろうし、学校行きの子供もおるけん。信隆だけでも戻ってきて養生したらいいと勧めておるのじゃが、嫌がるけん」とすがる口調で言った。 「向こうだったら学友も顔を見せて気分転換になるかもな。帰る気はないの?」 「帰らんです、帰りません」 強い口調でこう応えた信隆の顔は、硬く険しいものになっていた。いままで柔和な眼差しで会話していた瞳に、暗鬱な色が翳った。信隆の変化に孝夫はどきっとした。まずいことを言ったと後悔した。 信隆のこころの深い傷を見せつけられた衝撃を受けた。信隆は郷里であるM市に帰ることを拒絶したのではなく、両親を拒絶したのだと考えた。 孝夫は信隆が自分に似ているのではないかと想像し、その後ずっとあのときの信隆の暗鬱な表情が気になった。おそらく信隆は必死に自分の家庭を、両親の影響から護ってきただろうなと考えた。両親の干渉を我が身を挺(てい)して排除してきたのではないか。そして妻にも打ち明けない、いや打ち明けようもない、自分の胸底のどろどろした澱(おり)を、酒で紛らわせていたのではないかと想像した。 後日孝夫は佳恵から、信隆がかなりの酒豪であったことを聞き、子供の頃の気弱な信隆を知っているだけに、信隆は両親との内面の葛藤や警察の激務には耐えられない体質ではなかったかと考えた。酒で紛らわせながら、外面的には家族や両親に優しく物わかりよく振る舞える人格を形成していったように思えた。とりもなおさずそれは孝夫自身のことでもあったが、孝夫は酒で自分を紛らわせることはなかった。 M市から付き添いに来ている静子にさえ険しさを見せないのは、自制心を育てた信隆の温和な優しさの配慮であろう。いや冷視の優しさと言ってもいいかもしれない。 孝夫も若い頃は常に母親の一言一言が勘に障(さわ)って衝突した。母親といるだけで情緒不安に陥った。しかし歳を加えるごとに智世子との衝突は減少していった。胸の裡に根深い葛藤があったが、それを顔色に出すことはほとんどなくなった。加齢していく母親への冷視の優しさであった。おそらく信隆もこのような心理操作をしていたのだろうと推し量った。 帰る時間が近づいた。孝夫は難波の高島屋で買った高価なシステム手帳の包みを鞄から取り出した。 「早く退院してこれを使って。便利でぼくも活用している」と言った。 見舞いに持って来るには変な品物ではあったが、このとき孝夫は信隆は再起すると思っていた。死ぬとは微塵も想像していなかった。 孝夫が帰ろうと丸椅子から立ち上がると、信隆は二本の長い脚をベッド脇に垂らしてスリッパを履いた。 「いいよ、送らなくて」 「エレベーターのところまで。お逢いできて嬉しかったです」 信隆は一瞬泣き顔のように表情を崩しかけたが、それを気取られないように長身を深々と下げた。 「退院したら、奥さん、子供さんを連れて徳島に遊びに来いよ。旨い魚で酒を呑もうやないか」 孝夫は信隆の病魔を追い払うように、ことさら元気な声で言った。 「はい、きっと行かせてもらいます」 信隆は弱々しくはあったが、嬉しそうな笑顔を満面に浮かべた。 孝夫は帰りがけのお座なりのことを言ったつもりはなかった。あまりにも間遠い従兄弟同士であった。これからは少なくとも信隆とは酒を呑んでもいいと考えた。おそらく信隆の胸裡には、M市で暮らしている両親のことで佳恵にも話せない苦渋があるかもしれない。それを呑みながら聞いてやるのも従兄弟頭(いとこがしら)としてのこれからの自分の勤めではないかと思った。 しかしこれが生前の信隆と逢った最期となった。彼の気弱さの隠れた優しそうな笑顔を、二度と見ることはなかった。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 391(内26はケータイ) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
五章 信隆の通夜 信隆の入院を孝夫は、T市の団地に独りで住んでいる母親からの電話で知った、S市の市民病院に入院していると。 「何度か見舞いに行ったけど悪いらしいよ。静子さんが付きっ切りでいるけど」 「叔母さんが来ているの?」 「佳恵さんは中学校の先生だから休めないやろ。二人の子供の世話もあるし」 「叔母さん泊まり込みで?」 「たまには佳恵さんと交替しているらしいけど」 「そんなに悪いのか」 「まだ四十だから死にやせんと思うけど……」 「縁起悪いことを……佳恵さんは何歳やった?」 「六つ下やから三十四やな」 「そんだけ離れてたの」 「見合い結婚やったやろ。信和と佳恵さんのお父さんがM市の文化財か文化の審議委員とかで知り合って、両方の父親同士で決めた結婚」 「そうやったかな」 二、三日うちに見舞いに行くと言って、母親からの電話を切った。 信隆とは長い間逢っていない。前に逢ったのは義典の結婚式にM市に戻ったときで、それも慌ただしい最中の短い会話に過ぎなかった。 挙式を控えているモーニング姿の義典とは、眼で挨拶を交わした程度だった。それも挨拶になっていたのかどうかは、信隆の通夜での義典の態度からすれば疑問だ。義典の結婚式のときから孝夫親子は、義典の感情の中では拒否されていたのかもしれない。 電話があって二日後に、孝夫は大阪府下のK市の市民病院に信隆を見舞った。冬に風邪一つひかない孝夫は、病院の薬品の匂いには縁遠かったが、親から聞いていた病室番号を頼りにエレベーターに乗り、薬品の匂いの籠もる暗い廊下を歩いていると、自分もいつかこういうところの世話になるのかと、重たい気分になった。信隆は十名分の病床のある大部屋に入っていた。 ドアを開けるとカーテンの衝立に仕切られて十人ほどが寝ていた。目ざとく孝夫の姿を認めた叔母の静子は、床に頭が着くほどに長身の背を丸く曲げて、 「孝夫さん、わざわざ、どうもどうも」 M市独特の地方言葉のイントネーションで迎えてくれた。 場所柄をわきまえない大声であった。叔母と逢うのも久しぶりであった。女性としては長身の人だが、その長身がまるで八十過ぎの老婆のように曲がり、両の手が床を掃くような格好だった。まだ六十過ぎのはずだ。若い頃から姿勢が悪かった。 孝夫は叔母への挨拶もそこそこに、信隆のベッドに近付いた。自分よりも四歳年下の働き盛りの信隆が、長身を折り曲げた格好でベッドに横たわっているのが痛々しかった。無精髭を少し伸ばした信隆は、両頬の痩(こ)けた、薄めた紅茶色の顔で孝夫を見ていた。 「どうもすみません。見舞いに来てもらったりして」 ベッドに浅黒い胸をはだけた寝巻の上半身を起こした。 「横になったままでいいよ」 孝夫が驚いたのは顔色だった。日焼けなのか酒焼けなのか、あるいは薬品焼けなのか、漁師のような紅茶色の皮膚にどす黒さが混じり健康に見えなかった。天王寺公園の一角に集まっているホームレスとさして変わりのない印象を受けた。精神の荒廃を帯びているようにも思えた。だが孝夫を懐かしそうに眺める両眼は、子供の頃の気弱な優しさを帯び、孝夫はその眼に時空を超えた親しみ、子供の頃に一緒に遊んでいた信隆を見出し安堵した。 「驚いたよ、母親が電話で入院していると言うので」 「おばさんが知らせたんですか。たいしたことないです」 「三週間になると母親が言っていたけど」 「いろいろと精密検査に手間取っているので」 「詳しく調べているのだろうな。一つの検査の結果が出るだけでも、二、三日かかることがあるのだろう。働き過ぎかな」 孝夫は叔母が勧めてくれたベッド脇の丸椅子に腰掛けて言った。 「そのようです」 信隆は四角い顔で笑った。 「勤務先が兵庫県に替わって、慣れんのでいろいろ気をつかって」 「山口組の本拠地だ。上級職とはいえ信隆君のような仕事は大変だろう」 信隆は信和叔父と同じ道を、警察大学校を卒業してから歩んだ。叔父は復員して来ると警察畑を歩んだ。M市の警察署長の肩書きで定年退職、あとはお決まりの警備保障会社の相談役に収まっていた。会社に行くことはほとんどなく、初代、二代目鳩堂の作品を整理しながらの悠々自適の暮らしだった。 職場が父親の直接の影響下になかったのが救いであったが、孝夫は見舞ってから三ヶ月後に信隆が亡くなったとき、信隆が父親と同じ道を選択したのは、間違いではなかったかと思うようになった。いや選択したのではなく、父親の無言の圧力であったかもしれない。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 391(内26はケータイ) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
以来信和叔父夫婦からは女たらしと誤解されている。後に同人誌に掲載したロマン小説を一度だけ送ったのもまずかった。孝夫の小説はほとんどが男と女の愛を主題にしていた。 信隆が亡くなってのちに文学仲間の友人を連れ、信和叔父の家に一泊した。酒に酔った友人は先に就寝し、叔父と二人だけで信隆の思い出話や芳信叔父の話をしていたとき、叔父は、 「佳恵もこれからが大変じゃがね。まだ躯が若いがね。信隆が死んで五年も経つと、女も躯が淋しくなるがね」としたり顔で、孝夫に言った。 叔父流の女性心理の分析かと思ったが、孝夫は叔父の言葉は亡き信隆に不謹慎な言葉でないかと思い、呆れた。いったいこの叔父は何を想像しているのか、と孝夫は得体の知れない物の怪を見つめるように、ビールに酩酊している叔父を凝視した。これでは叔父自身が密かに佳恵の躯を視線で舐め回していることを告白しているようなものだった。あるいは警察畑を歩いた人間は、こういう卑猥な想像しかできないのだろうかと考えた。 孝夫は佳恵が亡き信隆に操(みさお)を立てるなどという時代錯誤の倫理観から不謹慎だと考えたのではない。いずれ佳恵の胸の空洞を埋める男が現れたとしても、それを傍(はた)から非難すべきことではない。死んでしまった者より生きている者が幸せになればいい。操を護って干からびていくことにどれほどの意味があるのか、という考えはあった。 けれどもこのことは佳恵本人の考えや摂理に委(ゆだ)ねる事柄であって、叔父がまだ躯が若いがね、と邪推することではないだろうという反撥が胸に生じた。叔父の妄想に猥褻を覚えた。 叔父の佳恵に対する言葉へのこだわりもあり、昨年の夏に別な友人とこの地域を巡った折りには、佳恵家族の二階家の真横を車で走り抜け、寄ることはなかった。佳恵の家には寄らなかったが、信隆の墓詣りはしておいた。 友人に車を運転してもらい、あの道だ、いやこっちだと苦労したが、なんとか記憶にある寺の門前に辿り着いた。本堂脇の墓地は古い墓石が密集していた。供える花の用意をしていなかったので、炎天に熱していた墓石に水をかけ合掌した。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 391(内26はケータイ) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
智世子は孝夫が中学一年、二年生の夏休みの一ヶ月間、信和夫婦に妹の邦子と一緒に孝夫を預けた。叔父夫婦にとっては息子二人の面倒を見るだけで大変な時期であった。孝夫兄妹が従兄弟の信隆、義典と長く一緒に過ごしたのは、この二度の夏休みのときだけだった。叔父は署内の職務に多忙で、二人の世話は叔母任せであった。 孝夫が中学一年生の夏休み、広島県呉の坂の上の叔父宅で過ごした。小学四年の信隆の容貌は馬面の叔父に似ており、義典は色白顔で、小学二年でありながら小ずるい顔立ちだった。この頃すでに信隆の表情にはいじけたものが浮かんでいた。おそらく長男としての信和叔父の厳格な指導と、身を投げ出して信隆を庇(かば)うことのない母親に挟まれ、こころの暗い育て方をされたのであろう。 義典はやんちゃであった。静子は義典が懐に飛び付いてくると広げた白いエプロンにくるんで躯を回転させ、ヒステリックな笑い声を上げた。ときには義典は母親の背に馬乗りになり、静子は大声で笑いながら部屋の中を円を描いて動き、そのまま横に倒れて義典と抱き合った。信隆が母親にこのようなスキンシップを受けたことを孝夫は目撃したことはなかった。 孝夫、邦子は静子から厄介者扱いされながら、肩身の狭い夏休みを過ごしたが、署からの帰宅の遅い叔父の知らないことであった。 * 孝夫は高校二年のクリスマス・イブの夜、付き合っていた女子大生との突然の別れが訪れた。待ち合わせの駅に彼女が来なくなったばかりか、居所が掴めなくなった。孝夫は生きて行く気持ちを喪い、友人の母親に五千円を借りると、夢遊病者のように山陰本線に乗った。 切符の行先はM市であったが、途中の大山口でふらふらと下車してしまった。閑散とした駅前広場は灰色に吹雪いていた。駅から数人の人が灰色の吹雪の中に後ろ姿を消してしまうと、孝夫一人が残された。行く当てもなくちょうど駅前に停車していた発車間際の大山寺行バスに乗り込んだ。車内に石炭ストーブが燃えていた。 運転手と男の車掌と孝夫だけで吹雪く視界の中を、バスはライトを点けてのろのろと走った。大山寺行最終バスで、終点の大山寺に到着したときは、薄暗くなっていた。腕時計を見ると四時半を回り、周辺の村落はひっそりとダークグレーに染まっていた。 学生帽にコート姿の孝夫は下車した。うろうろしていることもできず、いかにも目的があるかのような足取りで、十センチばかり積もっている蛍光色の雪道を、きしきしと黒い革靴で踏み締めて歩いた。 右手に二階建ての家が古色蒼然と数軒並んでいた。どの家も一階は土産物でも置いてあるのか、店構えのような気がしたが、一軒を除くと白いカーテンが垂れ下がり、人気のない人家のように明かりが消えていた。一軒だけは同じく白いカーテンで内部が見えなかったが、明るい電灯が灯り、人の温もりが感じられた。 誰に出合うこともなく前方の坂道を上ると、目の前に山門があった。それを通り抜けると、奥は寺の広い境内になっていた。前方に大きな黒い建物が、屋根に厚い雪を積もらせていた。ここが大山寺なのかと思ったが、境内は蛍光色の雪が隅々まで積もり、孝夫は先の黒い建物が何かを確認する気力がなかった。 雪は天空から蛍が飛ぶように舞い、境内に降り積もっていった。孝夫は傍らの黒い建物の庇(ひさし)の下に蹲った。こうしていれば死ぬことが出来るだろうとぼんやり考えた。目前に鉄(くろがね)色の大きな牛が寝そべり、その背後に笠を被り錫杖(しゃくじょう)を片手に握った、鉄色の弘法大師像が立っていた。雪は烈しく斜めから降り注いでいた。 孝夫は弘法大師像をぼんやりと見つめているうちに、失踪した女子大生のことはなにも思い浮かばず、芳信叔父宅に預けられていた頃の五右衛門風呂の水汲みのことを思い出した。 * 大山寺境内で弘法大師像を茫然と眺めていた孝夫は、自分のその後は井戸汲みの虚無から離れていないことを自覚した。あのときぼくは死んだのだと感じていた。とくに惨めであったという感情は薄く、哀しくも寂しくもなかった。この気持ちを抱いたまま死んでいくのがぼくの人生なんだろうと思った。 境内の山手のほうから低い話し声が聞こえてきた。山の奥から山道を人が下りて来るようだった。暗くなっていたので人の姿はなかなか現れなかったが、話し声が近付くにつれて二個の小さな明かりが揺らいでいるのが眼に映った。 猟犬を連れて兎狩りに山に入っていた二人の猟師によって、孝夫のいのちは今日まで長らえた。 この自殺未遂は二人の叔父にも知られることになった。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 391(内26はケータイ) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非! ![]() ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |