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喜多圭介のブログ

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魔多羅神10

2008-09-07 14:59:55 | 魔多羅神
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「その『理趣経』というのはどういう内容の物ですか。釈経はお読みになった?」
「はい。だけど経文は実践が伴わないと悟りには近付けないでしょ」
「そりゃそうだ。真言は南無大師遍照金剛」
「それは高野山真言宗で、たとえば醍醐派は南無大師遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩。御室派、智山派と少し違ってます」
「仏壇の前で南無大師遍照金剛と唱えますが、これは何なんですか。悟りの呪文?」
「空海の灌頂名を遍照金剛と言います。南無は仏を呼び出す掛け声のようなものです。南無阿弥陀仏、これは浄土宗。浄土宗は阿弥陀様に帰依していますでしょ」
「じゃあとくべつ悟りを開くお経とは言えない」
「そうでもないのですが……在家の人たちは南無大師遍照金剛と唱えることで、弘法大師に見守られていることになりますし」
「そういうものですか、なるほど。あ、どうぞ」
 宮本は鶴の首を慶子に差し出した。
 最初の仲居がすき焼きの一式を運んで来た。
「電熱のスイッチを点ますよって。その上にこのお鍋を。お鍋が熱うなったらこちらのお砂糖を薄く広げてから、霜降り肉を並べて焼いとくれやす。あとはこれをかけて焼いてから、肉を一枚食べとくれやす」
 しばらく待つと、仲居は、はい、どうぞこの一枚を先に、と言った。急かされて二人は一切れを箸でつまんで口に。
「どうどす。美味しいですやろ。丹波・但馬で選りすぐったお肉ですよって」
「旨い」
 と、宮本は感嘆の声を上げた。
「あとはこっちのお皿から葱、糸こんにゃく、豆腐などの具を入れ、普通のすき焼きのように肉と焼いて食べとくれなはれ」
 仲居は熱気の中で額に汗した顔でひとしきり喋ると、そそくさと退出した。
「アハハ、なかなか熱心なひとだ。ゆっくりとやりましょう」
「そうですね」
「そうか。こっちのすき焼きは関西風なんですね」
「お肉を煮るのではなく、焼くというやり方です。お酒お注ぎします」
「どうも……何を話してたんだか」
 宮本は一口でグラスを空けると、慶子の顔を見た。
「南無大師遍照金剛」
 慶子は言ってから、おかしそうに笑った。
「『理趣経』の修行というか実践とは?」
「はい、これが大変なの。淫祠邪教めいてまして」
「ほう淫祠邪教」
「それで宮本さんにお訊ねしたいことがありますの。宮本さんは大脳生理学のほうは?」
「躁鬱とかパニック障害、その他の神経症にも関連しますので、一通りのことは承知してますが」
「私、『理趣経』の修行というのは、脳のホルモン分泌とかに関係があるのではないかと想像してるのです。当時の中国でも日本でもそうですが、出家者は苦痛にたえるとかの肉体を限界まで酷使する修行をやっていました。肉体に苦痛を与えると、反応は脳に帰って行くと思うのです。心なんて抽象的観念でしょ。苦痛だけでなく歓喜というものもある。法悦境とも表現しますが、性的なオルガスムスのことだと思います。『理趣経』第一段に法悦境と解釈できる項目が並んでいます。たとえば、男女交合の妙なる恍惚は清浄なる菩薩の境地である、とか」
「なかなかきわどい、しかし真実と考えられる言葉ですね」
「男女交合して悦なる快感を味わうことも清浄なる菩薩の境地である」
「ほう。たいした真実だ」
「そう思われます?」
「妻が死んでからこう思い当たるように。それまでは朴念仁でしたから。あなたはどうなんですか」
「私、二十八で結婚しましたが三十五歳のとき、夫の浮気で離婚しました。教え子の女子大生何人もに手を出していまして」
「そうですか……ご主人も大学の先生?」
「大学は違っていましたが」
「ちょっとひどいですね」
「一見男らしくハンサムで優しい雰囲気がありましたので、誘われると世間知らずに育った私までコロリと。ほんとにばかばかしい話なんです」
「いまはお一人で」
「そうです」
「ご主人の浮気のときは予知能力は働かなかった?」
「なぜか働きませんでした。離婚が不幸なことでなかったのかも」
「ははー、そういう解釈もできるのですね」
「だと思います」
「であなたは『理趣経』をどう見ているのですか」
 宮本は肉と糸こんにゃくを口に入れてからたずねた。
「その前に、ですから歴史的に見ていろんなことが起こりました。もっとも代表的なのは真言立川流というのがあります」
「ほう」
「永久元年、一一一三年のことですが、醍醐山三宝院の開基勝覚の実弟である東院阿闍梨仁寛が、鳥羽天皇の暗殺を図り伊豆に流されました。伊豆で名を改めて真言の教えを流布していました。弟子に武蔵国立川の陰陽師、見蓮がいて、この人物が陰陽道と真言密教の教義を合わせて、真言立川流を広めました。高野山をはじめとして真言、天台の諸派・諸宗に多大な影響を与え、十二世紀から十三世紀、鎌倉前期ですが、かなりの勢いを見せました。禅宗の一部にまで影響を与えたんです」
「実際にあったことなんですね」
「南北朝時代に南朝の護持僧であった文観弘真が、後醍醐天皇に直伝し、真言立川流は隆盛を極めたんです。先程二つ挙げましたが『理趣経』の中の十七清浄句と言われた箇所を独自解釈し、また金剛界と胎蔵界の両部の大日如来を男女に見立て、理知不二イコール男女交合との解釈から、淫欲是道、煩悩即菩提として、セックスにおける快楽を追求することこそ、即身成仏の菩薩の境地であるという教えを説いたんです」
「性愛悟道の世界ですな」
「真言立川流は托枳尼天が本尊だけど、その後髑髏を祀って、呪法を行っていました。托枳尼は密教の訶利帝母、日蓮宗では鬼子母神と言ってますけど、狐。だから稲荷信仰とも関係が深いの。それに立川流が流行ったこの時代は天台密教でも本尊を魔多羅神として、秘儀的なセックスをし、オルガスムスに達した瞬間こそ即身成仏が約束されるという、玄旨帰命壇という教儀が説かれていました」
「天台でもね」
「そうです。写真で見ましたが、比叡山の西塔、常行堂にあります。本堂の裏に小さな祠があって、そのなかに魔多羅神は祀られてます。それと日光東照宮にも常行堂があって、魔多羅神は祀られてます。秘仏ですから一般のかたは観ることができませんが、魔多羅神の掛け軸は観ることができるようです」
「徳川家康の東照宮? ほほう東寺で観た魔多羅神が、比叡山と日光東照宮にも絡むということですね」
「掛け軸の魔多羅神を説明しますと、鼓を持った魔多羅神が中央の腰掛けに腰を下ろして、その前で二人の童子がおどけた恰好で踊っているのです。魔多羅神の顔は能面にある翁のように見えますが、なんか淫靡な微笑を浮かべているように見えます」
「淫靡な微笑ね」
「それに魔多羅神の頭上に北斗七星が描かれています」
「夜の踊りなのかな」
「よくわかりません」

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魔多羅神9

2008-09-07 06:13:03 | 魔多羅神
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 二章 淫祠邪教


 タクシーはJRの線路を横切って市内を走っていた。シーズンだけに渋滞するほど車が多く、街は活気づいていた。そうした様子を眺めながら、隣の両角慶子のことを漠然と考えていた。
 侑子の駆け落ち自殺という経過の中で、長年精神科医の仕事を勤めてきたが、女遊び一つしたことのない宮本には、女というものがわからなくなっていた。ひとの格好はしていても、得体の知れぬ生き物という思いが強まっていた。
 小説の創作を始めてから書棚に揃えていた芥川龍之介全集の一冊を取り出したら、その中に『袈裟と盛遠』という短篇があった。袈裟の夫を、袈裟を強引に寝取った盛遠が、袈裟の家に夜忍び込んで殺そうとする物語で、女の袈裟と男の盛遠の心理に綿密に照明を当てた秀作に思えた。しかし読了すると、ますます女の性がわからなくなった。これでは芥川も自殺したくなる、とさえ思った。芥川の創り出した袈裟がそういう女なのか、女全般に該当することなのか判断がつかなかった。
 この女もそうなのだろうと、いまもそのことを思い出していた。だからといって両角慶子に嫌悪があるわけではなかった。もし彼女が芥川描くところの女であるならば、そのように取り扱わなくてはならない、二度と侑子の轍は踏みたくなかった。
 所轄の警察署で侑子の変貌した姿を見たとき、宮本は熱い気持ちを昂ぶらせて落涙した。宮本が精神科医ということもあり、警察は宮本を鄭重に遇してくれたが、宮本の体には荒涼とした寒風が吹き荒んだ。そのときから、女はわからないという言葉が、時折呪文のように胸で呟かれた。
「作家の川端康成などの文化人に愛されたお店ですの」
「ほう」
「寺町通りの三嶋亭ですね」
 中年の運転手が正面を向いたまま、確認を求めた。
「そうです」
 慶子は身を乗り出して、素早く返答した。
「嵐山と大原三千院方面の観光バス多くて」
 運転手はぼやくように呟いた。
「シーズンですから」
 三嶋亭の中に入ると、着物姿の仲居が小走りに姿を現した。
「お二人ですか」
「はい」
 慶子は応えた。
「お二階ご案内します」
 脱いだ靴は下足番が木札を渡して収納してくれた。
 階段も二階の畳も琥珀色に艶光りした老舗だった。
「どうぞこのお部屋に」
 四畳半床の間付の古い部屋だった。真ん中にすき焼きテーブルが場を占めていた。
「お飲物はいかがしましょ?」
 忙しなげに物を言う仲居だった。
「……伏見の冷酒、あなたもお呑みになりますか」
 宮本は慶子の眼を見た。
 慶子は頷いた。
「中瓶を一本」
「それでは先にお飲物持って参りますよって」
 と言って、仲居は戸を閉めて出て行った。
「忙しそうだ」
「お昼時なので」
「ぼくは普段は家では一滴も飲みません。息子も嫁も飲みません」
「おビールも?」
「一口も飲まない。だれど気心の知れた友人とか、あなたのようなひととなら気分良く酔うほうです。あなたはよく飲まれますか」
「大学の同僚たちとちょくちょく」
 別な着物姿の小娘が、瓶の口が鶴の首のように細くなった緑色の冷酒と、切子模様の小さなグラス、突きだしをのせて運んできた。
「案内して戴いてありがとう。それじゃ」
 宮本は、慶子の前のグラスに注ごうとした。
「あ、私が先にお注ぎします」
「そうですか。ありがとう」
 二人は揃ってグラスを空けた。
「久し振りの酒は旨い」
 宮本は満足な顔になった。
 慶子も微笑み、悪戯っぽい眼差しを見せた。

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魔多羅神8

2008-09-06 14:38:18 | 魔多羅神
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「芝生が綺麗だ。ほう、谷の景観に趣がありますね」
「この小さな渓谷を洗玉澗と呼んでます。玉を洗う澗、澗は谷の意味でしょうか」
「谷の桜が白雲のように見える」
「ウグイスも啼きます」
 二人は通天橋の中程で、外側に張り出した舞台のようなところの、朱色の欄干に両掌をのせて佇んだ。
「真言密教というのは暗いイメージを持ってましたが、先程の東寺は敷地が広いせいもあって明るかった」
「世俗というか在家がお詣りする寺院と、出家者が修行している寺院とは雰囲気が違いますね」
「去年の秋に久し振りに友人の車で比叡山に上がりました。生憎の小雨で、途中の道路は、視界が五、六メートルほどの濃霧でした。昔もそうだったのか記憶にないのですが、根本中堂の内部、須彌壇のある内陣が、参拝者の入る中陣や外陣より低い位置にあり、それもコンクリート造りで、内部を黒く塗ってあって、魔界の印象がありましたな」
「天台のほうは詳しくはありませんが、天台密教の奥の深さがありますね」
「夜は明かりを持っていても、内陣に入る勇気はないな」
「最澄が空海から灌頂を受けたことはお話ししましたね」
「聞きました」
「その後空海と最澄はあることで訣別します。あることとは最澄は、密教の境地である『理趣釈経』を借りようと求めたのですが、空海は、口伝を受けずに文字面ばかりを迫っても、奥に隠された奥旨を正しく解釈できず、誤った解釈に陥ると判断して断ったのです。最澄は再度弟子の泰範を空海のもとへやるのですが、その泰範が空海の弟子になってしまって、最澄としては顔をつぶされた恰好になってしまいました」
「ほう、二人のあいだにそのような経緯があったのですか」
「ですから『理趣経』は密教中の密教、秘密があると思い、私、これを研究しているところなんです」
「そういうものは僧侶でも難しいでしょ」
「だろうと思いますが、私なりにと……だれにも教えを請わずにやってます」
「そうですか。その経典は読めるのですか」
「漢文ですし、お経ですから漢字は意味を表すより発音の便法ということもありますので、漢字の意味からは掴めないのですか。意味を解釈した釈経があるのですが、空海が心配しているように釈経だけでは、誤解を生みやすい」
「門外不出の経典」
「そうですね」
「思い出しましたが浄土真宗、親鸞の『歎異抄』も誤解を恐れて、真宗の僧侶ですら読めなかったようですね」
「はい、やく四百年間禁断の書でした。真宗中興の祖で本願寺八世、蓮如が他見を避けて秘匿してしまいました。明治時代に清沢満之という浄土真宗大谷派の僧侶が、属していた教団での革新運動を進めるなかで再発見されました。清沢は親鸞の真意を読みとり、近代的な浄土真宗を再興しようと努力しました」
「妻が亡くなってから何度も読みました」
「奥様が亡くなってから……」
「『歎異抄』を何度も読みながら、人間は脆いものだと痛感しました」
「奥様も宮本さんもいろいろと苦しまれたのでしょ。末期になると大変なようですね」
「医者でありながら救ってやれなかった。ぼくの何かが間違っていたのかもしれない」
「……開山堂まで行かれます?」
「何がありますか」
「とくにこれといった物は。東福寺を開いた開山国師像とか庭が」
「それならここだけでいいです」
 宮本は腕時計を見た。
「お昼が近付いています」
「もうそんな時間ですか」
「お食事にでも」
「京膳がお望みですか」
「こじんまりとした座敷で少しビールかお酒で……お飲みになるでしょ?」
「あ、はい。すき焼きでもよろしい?」
「いいですね。息子の嫁はコレステロール云々で、ほとんど作ってくれません。まあ外に出て内緒で食べてます」
 宮本は愉快そうに笑った。
「まあそうですの。すき焼きのおいしい処が、座敷のお部屋になってます。三嶋亭という明治六年創業の老舗です」
「じゃあそこをご案内して貰おうかな」
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魔多羅神7

2008-09-06 09:12:05 | 魔多羅神
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「明治の文学者幸田露伴も『魔法修行者』という書き物の中で触れています。太平記巻三十六、細川相模守清氏叛逆の記述がありますが、そこに――清氏はこの志一を頼んで、祇尼天に足利義詮を祈殺そうとの願状を奉ったのである。さすれば「邪天道法成就」というのは、祇尼天を祈る道法成就ということで、志一という僧はその法で「ふしぎども現じける」ものである。これで当時外法と呼んだものは祇尼天法であることが知れる。けだし外法は平安朝頃から出て来たらしい――と」
 慶子は手提げバックから大学ノートを取り出して読んだ。
「なるほど」
「お経もありますの、オン・ダキニ・サハハラキヤアテ・ソワカとか。意味はおお、食人肉神とその眷属よ、畏れ申すですが、別な意味としては、人肉を食する強い花よ。畏れ申すなの」
「ほほう、これはなかなか意味深長だな……」
 宮本は人肉をペニス、強い花を女陰と想像した。
「ところでカーリーというのは?」
「シヴァ神の妻の一人ですが、ヒンドゥー教の神々の中ではもっとも残忍で殺戮好きなんです」
「なるほど。托枳尼はカーリーの身内の一人ということですな」
「ええ」
「なんとなく面白い話になってきましたね」
「そうでしょ」
「それじゃ魔多羅神と托枳尼は同一ということになるのでは。それに聖天や弁才天も」
「そうなんです。聖天は歓喜天ともいって男女和合の神、弁才天は弁天様で知られた神でしょ。天台僧の光宗によって書かれた『渓嵐拾葉集』に、摩多羅神と大黒天、ダキニ天の関係についてこんなことが書かれています――口に云はく、摩多羅神とは即ち摩訶迦羅天是れなり、亦是れ托枳尼天なり。彼の天の本誓に云はく、経に云はく、臨終せんと欲する時、我れ彼の所に行きて肝屍食ふが故に臨終正念を得。若し我れ肝を喰はざれば正念を得ず、往生を遂げずと云ふ、と。摩訶迦羅天は日本の大黒天、大黒様のことなんです」
 慶子はやはり大学ノートをめくって読んだ。
「ほほう、そういう書物があるのだ。じゃあ摩多羅神はまさに神通力そのものだな」
「摩多羅神という表現が初めて記載されてあったのが、『渓嵐拾葉集』。比叡山延暦寺の第三代座主、慈覚大師円仁が唐より帰国する船中で話したとあります」
「さすが京都は歴史の街やな。謎めいた話があって、六十歳のぼくでも昂奮してくる」
「まだまだお若いお顔ですよ。六十歳で名誉院長は早すぎません?」
「普通は七十以上でしょうが、余力のあるうちに逃げ出したんです」
 それから二人は金堂の日光、月光の脇侍菩薩を従えた薬師如来や十二神将を拝観した後、瓢箪池のある庭園巡りはしないで、山門の外でタクシーを拾うと、慶子が予定していた東福寺に向かった。
「東福寺にも何か謎めいた物がありますか」
「いえ、それはないのですが、本当は紅葉のときが最高ですが、今なら青々とした庭園散策。昂奮した宮本さんの気分を沈静するのにいいかも。驚かれますよ、京都の南にこんな起伏のある自然があるのかと」
「こんな天気だと自然を満喫するのもいいな」
 タクシーですぐに着いた。山門の下のほうで車を降りると、広い緩やかな坂道を上がった。境内は東寺のように広々としていた。
「正面に見える建物が本堂で、ずっと右手のあの高い建物は三門。左のほうが庭園で、通天橋という谷を渡した橋があります。回廊のようになってますので、屋根のある橋。紅葉の時期は眺めがいいのですが、いまは楓が青々と繁って眼に爽やか」
「雄大な三門ですな。東寺の境内に比べると、ちょっととりとめない感じやが」
 宮本は離れた場所に聳えている建物に眼をやっていた。
「あそこに何があるのです?」
「臨済宗東福寺という禅寺ですから鎌倉以降の物ですが、二階に上がると仏像などが。行ってご覧になられますか」
「いやよろしい」
 鎌倉以降の歴史的建造物や仏像に興味の薄い宮本は断った。
「こちらのほうに庭園がありますので」
 慶子は先に立って歩き始めると、回廊を巡るチケット売り場で、二枚買うと一枚を宮本に手渡した。
 中に入ると左手に楓の木の庭園が、正面に歩廊がトンネルのように先に延びていた。宮本は豊かな腰つきの慶子のあとを歩いた。今日の慶子は白のブラウスに薄水色の七分袖のジャケットに同色のスカートという、見た目にも涼しい装いであった。首に二重に回した銀のネックレスが光っていた。

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魔多羅神6

2008-09-06 06:31:01 | 魔多羅神
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 ――何歳なのかしら?
 慶子は宮本の生真面目な容貌を瞼の裏に映し出した。
 髪は少し薄くなっていたけど黒髪だった。鬢に白い毛が伸びていたが、六十歳を超えているのだろうか。六十前という印象だった。表情に悪戯っ子のようなとぼけた味があり、情欲やら世俗の野望、狭量なプライドに脂ぎった、中年のオジサン風なところは、微塵も見られなかった。しかし病院経営を弟さんと息子さんに任せて、名誉院長に収まってご隠居ぶるのは、いかにも早すぎる気がした。
 何かを投げ出して生きておられるようだった。何にもこだわらない表情の下に、何かしら孤独の蔭が見え隠れしていたが、それは何なのか。人生にもう愉しみを索めていない態度にも思えた。が、電話でお誘いをかけると、急に声を弾ませて嬉しそうだった。
 ――待っておられたのかしら?
 翌日は青空に白雲が暢気そうに浮かんでいる、陽春の天気だった。
 喫茶ルームで改札口を見下ろしていた慶子の眼に、一目で宮本が見分けられた。エスカレーターに帽子姿が移動していた。少し待つとロビーに姿を現し、やぁという仕種で片手を上げ、恥じらったような笑みで、慶子のテーブルに明るく近付いて来た。
「待ちましたか」
「いえ、十分ほど前に」
「春うららですね」
「桜の綺麗に見えるお天気です」
「何か飲んでから出掛けますか」
「フルーツジュースでも」
「ぼくもそれでいいな」
 慶子はウェイトレスに片手を上げた。
「お元気でした?」
「はい。あなたは?」
「エネルギーがあまるくらいに」
 雌豹の瞳が光った。
 向かい側に腰かけている宮本は、ベージュのロールネックセーターの上にチャコールのジャケット、紺のズボンという気楽な恰好だった。手にミニバッグを持っていた。
「最初に何処へ?」
「午前中に東寺から東福寺はどうでしょうか」
「いつ来てもつい北のほうばかりで、東寺、東福寺とも参詣したことがあるのか、はっきりしない」
 黒ずんだ南大門の左右に、東寺と墨で書かれた大きな提灯がぶら下がっていた。
 境内に入った。広い境内に三つの建物が一望できた。あちこちに桜がかたまって咲きほこっていた。
「白壁が多いせいか清楚な感じがする。優美な屋根が、青空に映えて見事だ」
「今の時代に冒されない美しさがありますね」
「長いこと来てないな。創建は平安時代?」
「桓武天皇が平安京を定められたときですから、七九四年。でも焼失したりして、講堂は一四九一年に再建されたものです。金堂は秀頼の寄進で一六〇三年に再建。五重塔は五代目で、今のは一六四四年、家光の寄進で建てられました」
「境内が広いせいか、気持が伸び伸びする。柵がしてあるから拝観料が要るみたいだね」
「ええ、講堂と金堂の中を見るには。こちらから」
 慶子は先に立って歩いた。
「講堂に入る前にこちらを観てください」
「ここは?」
「食堂。僧侶が食事したところなの」
 拝観受付近くに白壁に朱色の柱の小造りな建物が二つ並んでいた。前面に紅殻色の格子の引き戸があったが閉められていた。
「ここを観ておいてください」
 慶子の声で、宮本は格子戸に近付いた。
「こちらが雄夜叉、あちらが雌夜叉なの」
「夜叉という言葉はよく眼にするが、観るのは初めてだ。雄雌がいるとは知らなかった」
 宮本は格子の隙間から内部を覗き込んだ。
「なかなかの形相だ」
「そうでしょ」
 慶子も覗き込んでいた。
 それから慶子が拝観料を支払って、講堂内陣の立体曼荼羅と呼ばれる、賑やかに並んだ諸物を拝観した。内陣全体と天井を、何本もの朱塗りの柱と木で区切った白壁、その中に狭苦しく配置された仏像の数々が、宮本の眼に飛び込んできた。
「こういう風になっているのですか」
 宮本は予想外の思いで、感嘆の声を発した。
「いいところに案内して貰った。恥ずかしいことだが、久し振りに昂奮した。これだけの仏像、何体でした?」
「ええっと、二十一体」
「二十一体の仏像からの気運が放射されていて、摩訶不思議な感覚に囚われてしまった。こういうのが真言密教の世界なのかな」
「あの仏さんに注目してください」
「どれですか」
「このグループが五大明王なんですが、後ろの右側、あれが金剛夜叉明王といって三面六臂、顔が三つに腕が六本。これが魔多羅神なの。そして三つの顔の一つが托枳尼天。守覚法親王の著した『拾要集』によると、弘法大師の言葉として、中央が金色の聖天、左の白面が托枳尼天、右の赤面が弁才天ということになってます」
「魔多羅神?」
「あとでゆっくりご説明しますわ。私が目下謎解きをしている神様なので」
「托枳尼天というのは?」
「ええ、梵語のダーキニーの音訳ですが、インドの女神で農業神でしたが、性や愛欲をつかさどる神となり、人肉、生きた人間の心臓を食らう夜叉神でもあります。ヒンドゥー教ではカーリーの眷属とされてます」
「ほう、インドの女神ですか」
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魔多羅神5

2008-09-05 22:36:15 | 魔多羅神
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     *

 宮本と阪急梅田駅構内で別れて二ヶ月が経ち、京都は桜の賑わいを見せ、観光バスが市内に目立ってきた。
 両角慶子は松尾大社近くの、桂川対岸の3LDKマンションに住んでいた。大学にはマイカーで通っていた。三十代前に結婚したが、夫の浮気が発端で三十五歳のときに離婚、その後は一人暮らしだった。
 今日は土曜日で大学に出講の予定のない日だった。洗濯と布団干しを終えると、ベランダから松尾橋を次々と渡る観光バスや車の列を、ぼんやりと眺めていた。川面が銀色に眩く輝いていた。
 宮本に電話をしてみようかと思案していた。
 ――日曜日もお忙しいのだろうか……東寺にでかけるのにいい日なのに。
 思い悩んだ末に、やはり名刺を手に持って電話を掛けた。
「宮本ですがどちら様で?」
 チェロの音色のように落ち着いた響きの声が返ってきた。宮本の声だと思った。
「京都の両角慶子です。ご無沙汰しております」
「ああ両角さんですか。お久し振りです、お元気ですか」
「新学期が始まって少しドタバタしておりますが、毎年のことなので」
「そうですか。あのときは楽しい話をいろいろとありがとう」
「いえ、どういたしまして。今日お電話したのは東寺の桜が見頃と思いましたので」
「東寺の桜ね、鑑賞してみたいですね」
「東福寺も自然が綺麗です。明日ご予定はございますか」
「とくに何もありません」
「それではどうですか」
「案内していただけるのですか」
「喜んでご案内を。一人ではつまりませんもの」
「でもぼくのような老人相手だと退屈するのでは」
「お若いじゃないですか」
 宮本は彼女の予知能力にも興味があった。
「それじゃあお言葉に甘えて行かせて貰います。新神戸から新幹線で出ますので、十時前後に着きますが」
「それでは烏丸中央口を出られますと、右手にグランビアホテルに通じるエスカレーターがございます。ホテル内の一階ロビーの喫茶ルームでお待ちしています。そこからだと改札を出てこられる人たちを眺められますので」
「わかりました。お誘いをありがとうございます。きっと行きます」
 誠実な、じっと聴いていると日向で居眠りしてしまいそうな声だった。それでも受話器を置くと緊張感の解放からか、リビングキッチンの椅子に腰を下ろして、ほっと安堵の吐息を胸から洩らした。こんな昂ぶった気持になったのは、何十年ぶりのことのように思えた。
 ――おかしいわね、私ったらいい歳して。
 自然と笑みがこぼれた。
 ――私もワルズレしてきたのかしら……。
 慶子はリビングの背もたれを倒せば昼寝用のベッドになる、深々と体を包んでくれるソファに座り直し、そう思った。
 結婚するまでの自分は、自分で言うのもおかしいほどの純情無垢であった。大学で興味を持った仏教の世界をさらに勉強したくなり、大学院で仏教文化を専攻した。そしてそのまま大学に残って非常勤講師、新設の仏教心理学常勤講師となった。
 この間に仏教系の女子大の助教授であった、七歳歳上の孝之と知り合い、二十八のときに結婚した。しかし慶子が知るまでに孝之は、何人もの教え子と性的関係を持っていた。三十五歳のときにそんな女子大生からの電話で、孝之のこれまでの行状がすべて発覚した。逆上した慶子は、すぐさま離婚に踏み切った。
 今になれば、自分が男女のことに幼すぎたのだと、自嘲めいた反省もあった。
 釈迦の教えには、世俗にある在家が守るべきものとして五戒がある。不殺生戒、不楡盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒。そして孝之に、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒を護ってはいない、と金切り声で論難を加えたことが、今ではばかばかしく思えてくるのだった。なんと世間知らずであったか。
 仏教は出家が教わることと在家が教わることに相違がある。離婚後に冷静になった慶子は、在家に教えない秘密は何なのか、ということに関心が移った。このことで真言密教の研究に耽り始めた。そこには本然とした人間心理が、あからさまに歌われているのではないか、という疑念であった。
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魔多羅神4

2008-09-05 20:49:13 | 魔多羅神
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 自分でお転婆と言っていたが、穏やかな女に思えた。しかし妖艶な顔の頬の辺りに、寂しさの蔭がひろがっている気がした。専門の仕事とはいえ、一人で高野山に上って来た女だ、どういう女なのかと興味を覚えたが、プライベートなことを訊くのが躊躇われた。
「昨夜はお知り合いのお寺にでも」
「そうではないんですが、いつも蓮華定院に泊まっています」
「ああ入り口にある、たしか真田幸村が仮寓したという」
「ええ、遺品があります。お庭が落ち着いています」
 宮本が問うことに白い歯列をちらっと覗かせ、歯切れよく応対した。
「曼陀羅は京都の寺にもありますか」
「教王護国寺などに。東寺と言ったほうがわかりやすいですけど」
「東寺ね……」
 宮本は所在を頭で探した。
「空海が唐から帰朝後、真言の根本道場として建立しまして、五重塔があります」
「ああ、あの寺、京都駅の近くの。あそこに曼陀羅がありますか」
「仏像の配置によって曼陀羅を表現したものが講堂にあります」
「珍しい物のようですね」
「三つの基壇がありまして、中央の基壇は中心に大日如来が座っています。基壇の四隅を宝生、阿弥陀、不空成就、阿■如来の四体が大日如来を囲んでいます。それに正面から右側が菩薩部で、中心が金剛波羅密多で同じように四体の菩薩が取り囲んでいます。いろいろな仏様がおられて合計すると二十一体。圧倒されます」
「凄いな」
「金堂には畳十畳ほどの両界曼陀羅が」
「ほう畳十畳、大きなものだ。今度京都に出たとき、拝観しておこうかな」
「そのときはご案内しますわ」
「そりゃありがたい」
「京都に来られたかたはすぐ北の方に上られるので、案外に混んでいません。東側には東福寺がありますし、私は春とか秋に出かけています」
「二度ほど嵐山の奥の神護寺に紅葉狩りに出かけましたが、あそこも弘法大師ゆかりの寺のようですね」
「高雄ですね。西暦八〇六年唐から帰朝した空海は、持ち帰った教典の「請来目録」を記載して、嵯峨天皇に献上しました。八〇四年の遣唐使船で最澄と一緒に唐に渡りましたが、一年前に帰朝した最澄は、比叡山に天台宗を開きました。仏教界の第一人者でしたが、持ち帰った密教教義が不完全でした。空海は唐で密教の権威である恵果阿闍梨に師事、胎蔵界と金剛界の二つの密教のすべてを受け継ぎました。密教のすべての教典、法具を取得し、遍照金剛と言う灌頂名を授けられました。灌頂は真言密教の免許皆伝といった意味です。このために最澄は空海より金剛界結縁伝法灌頂を受け、密教を学びました。こういうことがあったので、返礼という意味もあって、天皇に信任の厚い最澄が奏上し、空海にあの地を賜ったそうです」
 両角慶子はよどみなく説明した。
「ほほう、そういうことでしたか」
 それからしばらくは二人ともぼんやりと、背後に流れ去る沿線の景色を眺めていた。
「あのう予知能力を精神科医の立場で、どのように思われますか」
「予知能力? それがどうしたのですか」
「私にそれがあるのです」
「そんな体験でもあるのですか」
「はい。昨日ケーブルカーに宮本さんと同乗しましたね」
「ええ」
「きょう霊宝館で曼陀羅を見てましたら、宮本さんが展示室に入ってこられる前から、右手の曼陀羅の前に立っておられる宮本さんが視えてました」
「ほんとですか」
「はい。中学一年生のちょうど生理が始まりかけた夏のことですが、弟が川で溺れ死ぬ姿を、家の勉強机の前で視ました。弟はそのとき、小学校の林間学校に参加していて、川遊びしていたのですが、深みに脚を取られて心臓麻痺を。それ以来自分に関わることは予兆があります。占いと違うところは、無関係な他人事は視えませんが」
「弟さんが川で亡くなられたのですか」
「あまり水泳は得意でなかったのですが」
「精神医学としても予知能力の解釈、分析は難しいですが……そうですか」
「視るのは不吉なことばかり」
「じゃあぼくとこうやっているのも、あなたにとっては不吉なことなんですね」
「もしかしたら二人にとって」
 魅惑的な瞳で宮本を睨んだ。
「そりゃあ」
 宮本は返答に戸惑って苦笑した。
 慶子は涼しげな白い笑みを浮かべた。
 彼女の予兆の経験を聞いているうちに、特急は、難波駅近くの何本もの線路の並んでいるところをスピードを落として走っていた。車内のアナウンスが流れた。
「早いですね。もう難波だ。京都にはどうやって出られるのですか」
「地下鉄で梅田に出て、それから阪急で嵐山に出ます」
「ぼくも梅田から阪急で三宮に戻りますので、タクシーで梅田まで行きましょう」
「ご自宅は北野坂のようですね」
「異人館通りとは少し離れていますが、高台で神戸港が一望できます」
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魔多羅神3

2008-09-05 18:33:31 | 魔多羅神
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     *

 帰路の車内は空席が目立った。
「ぼくは毎年この時季とお彼岸に来てます。お彼岸のときは高野山も混んでますが、この時季は人出が少ないうえに、あちこち雪を被ってるので、気分が清澄になりますな」
「私は夏だけ避けてます。涼しいといっても暑いです。宮本さんの檀家寺の龍光院は、空海がご入定されたお寺ですね」
「よくご存じですね。前から不思議に思っているのですが、普通僧侶の死は入滅、入寂と言われるのに弘法大師だけは入定ですね。入定を辞典で引くと禅定の境地、宗教的な精神状態を意味していて、生き仏のことです」
「それについては謂われがあります。延喜二十一年、空海死後八十六年経った第四代座主観賢僧正のときに、朝廷より空海に弘法大師という諡が与えられました。その事を空海に報告するために御廟の石室の扉を開けたら、禅定をする空海の姿があったそうです。頭には三十センチほどの髪が生え、生きているかのごとく。観賢は髪を丁寧に剃り、着ていた物を取り替え、身支度を調えてから退出したのです。こういうことがあって以後、生きて禅定され続けていられるとの思いがあって、入滅ではなく入定されていると言われ続けられているのです」
「そうでしたか。寺で訊くつもりでしたが、いつも忘れてしまって。ご専門だけにお詳しい」
「いえ、ほとんど勉強できてません」
 謙遜の口振りだった。
 宮本の視線は豊満な乳房を隠した胸に行き勝ちであったので、それを振り払うつもりで沿線の深い谷間に眼差しを向けた。人家も見当たらず雪が疎林に斑に積もっていた。どこまでも静寂、音の凍てついた墨絵の世界だった。
 妻の侑子とも三、四度高野山に上ったが、春と秋だったので侑子は、冬の高野山を知らない。冬の高野山に上りたくなったのは、息子の啓治が勤務医となったとき、大学付属病院の医師であった弟を、十年後に啓治を後継者とする一筆をとったうえで、院長に招聘した。啓治には副院長で臨床医のかたわら、病院経営の勉強をしていた。
 高野山で両角慶子に、侑子のことを癌で亡くなったと言ったが、それは嘘だった。侑子は啓治が中学三年生の三十八歳のとき、病院に来ていた妻子ある放射線技師と駆け落ちをした。二年後に北海道の釧路湿原で一人自殺した。六歳下の男に捨てられたのである。
 死んだとき、侑子は家族で信州の白樺湖畔に宿泊したときの写真を、手に握っていた。写真の裏に宮本宅の住所がペンで書いてあった。雪に濡れて字が滲んでいたが、所轄の警察署から宮本に電話連絡がはいった。宮本は一時の迷いで自殺した侑子が、不憫であった。自分とは九歳離れていたので、侑子が若い男に走ったのも無理がないとも思えた。
 役所に離婚届は出してなかった。侑子の実家と相談して、遺骨は宮本の先祖の墓に納めた。以来宮本は再婚話があっても一人を通した。女というものが不可解で、一緒に暮らそうという情熱を喪った。以来、胸底にどこかもの悲しい世捨て人のような気持が沈潜した。 墨絵の景色から視線を慶子に戻すと、寒々とした風景はひとの心を原点に戻すものですね、と青年が言いそうな言葉を、つい口にした。
「景色を眺めているのか、自分の心を見つめているのか、区別の付かない気分になりますね」
「真言密教は難しいでしょ。よく知りませんが奥が深いようで」
「とっても深い。でも私は尼さんになるのではなく、仏教から人間心理を探求してますので、関心の焦点を絞ってます。真言は大日如来を根本仏として、『大日経』、『金剛頂経』、『蘇悉地経』の「真言三部秘経」をよりどころとする宗派ですが、その世界観は曼陀羅に表されています。ときどき立ち帰るために曼陀羅を見てます」
 慶子は悪戯っぽく瞳を動かし、微笑んだ。
「どの経典もぼくは見たことがなくて。友人には般若心経を諳んじているのがいますが、ぼくは不信心で」
 車内に売り子が廻って来た。宮本はワゴンを覗いて、ホットコーヒーの用意があるので、慶子に、あなたもコーヒーどうですか、とたずねた。いただきます、と返事を得たので二つ注文した。
「どうもありがとうございます」
 慶子は両手で押し抱くように受け取った。手首を清楚に見せる正方形の文字盤、藤紫色のバンドの、しゃれた腕時計を付けていたが、指輪はしていなかった。大学の先生はリングをしないのかと思ったが、口にしなかった。宮本の専門は臨床精神医学だったので、患者の特徴には目敏く、そこから精神状態を引き出すのに長けていた。
 が、いまは弟の翔平がやってくれているので、よほど難しい患者でなければ宮本の出番はなかった。翔平は男と駆け落ちした末に自殺した妻のことで、まだ宮本が充分に立ち直っていないと判断していた。病院のことは心配しないでくれという頼もしい態度だった。
 それにかこつけたわけでないが、宮本は一年ほど前から、自分史めいた小説の創作に着手していた。若い頃から文章を書くことに興味があり、精神医学に関するエッセーは、月刊の精神医学誌に何度も依頼されて書いてきた。エッセー、随筆では埋めきれない思いがしだいに募って、小説創作にのめり込むようになった。自分でも侑子の自殺が関わっていると思っているが、漠然とした気分が、霞のかかった風景として胸裡にひろがっていた。創作は自分を診察しているようなものだと考えていた。
 慶子は眩しそうな眼差しを外に向けて、紙コップのコーヒーをうまそうに、ピンク色の唇で啜っていた。慶子の膝に暖かな日ざしが落ちていた。
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魔多羅神2

2008-09-05 15:09:06 | 魔多羅神
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 京都の某所で八十過ぎの銀髪の老女に、上品な手付で酌をしてもらったことがある。そのとき宮本は瞬時、老女の内心に清潔な少女を視、おもわず抱きたくなった。いじらしい少女の心を内に秘めた、色艶のある女人だった。
 視線を合わせた女は、知性と色艶をそなえた、宮本を魅惑するところの女だった。
「十数回になります」
 ――十数回……とんでもない回数だな。
 胸の裡で呟いた。
「ご専門ですか」
「仏教心理学に関心が」
 仏教心理学? 聞き覚えのない言葉だった。
 女は臆せず宮本を見つめた。雌豹のような野性味のある、それでいて黒い潤いをたたえた湖水の瞳だった。宮本はどこかでこういう感じの女に出逢った気がしたが、それがだれで、何処で逢ったのかさえ思い出せなかった。
 最近、周辺のものをどんどん捨てて死ぬ段取りをしているので、記憶までも未練なく放擲している。そのせいか肝腎なことが即座に浮かばなくなった。
「難しそうな学問ですね」
「真言密教の奥義に私なりに迫っていきたいと」
「真言密教の奥義……ぼくはここにはあなたほどではないが何度か来てますが、この曼陀羅がわからない。だけど気になってね」
「私もそうなんです。私なりに勉強しているところです」
「そうですか。失礼ですがお仕事はこの方面の出版社にでも?」
 女は手に提げていた革製のハンドバッグを胸元に抱え、中から名刺入れを取り出すと、女用の名刺を宮本に差し出した。不用心な女だと一瞬思った。京都の仏教系の大学が印刷され、常勤講師 両角慶子とあった。
「もろずみとお読みするのですか」
 宮本は背広の内ポケットの、名刺入れを取り出しながら訊ねた。
「はい。あら、精神科のお医者様ですの?」
「息子の代に替わっておりまして、名誉院長というポストに」
 宮本は笑って応えた。
「お忙しくないですか」
「ぼくはそうでもないが、近頃神経症の患者が急増してまして、病院全体としては対応におおわらわです」
「近頃は若い人たちによる動機の不可解な殺傷事件や尊属殺人が、眼に着くようになりましたね」
「ええ、深刻な問題です。今後ますます増加します。病院のほうにもその予兆のある患者が目立ってきてます。ぼくは居っても居らなくてもいいようなポストだから……」
「それでお一人で旅を」
「いや、そうでなくて。高野山に檀家寺がありまして、家内の供養に」
「奥様の……」
「子宮癌で亡くなりました。三十八歳でした」
「まあ若いときに……私、いま四十二です」
 またも不用心かつ軽率なことを喋る女だと思った。
「四十前のようにお見受けしましたが、学生さんに取り囲まれているせいでしょうね」
「元がおきゃんな性格なので」
 両角慶子は初めて相好を崩して、柔らかな笑みを浮かべた。
「おきゃんというのは、活発とかいう意味の?」
「そうなんです、地がお転婆」
「それじゃ学生受けがよさそうだ」
 宮本は腕時計を見た。十二時前だった。
「今日お帰りですか」
「はい、三時過ぎの高野号で」
「じゃあぼくもそれに乗ろうかな。難波まで旅は道連れができる。もう少し拝観してから、お食事でもどうですか」
「構いませんけど。お墓参りはされたのですか」
「ここに来る前にタクシーで奥の院の大霊園に」
「あそこにお墓が」
「ええ」
 宮本は、先程の墓前で亡き侑子に語りかけていたとき、不意に立ち眩みのような気分に襲われたことを思い出した。頭脳の一箇所に微細な孔が開き、そこから透明な気泡が立ち昇った気がしたが、一瞬のことで収まった。
 二人は離れて、しばらく神妙な顔付で曼陀羅に向かった。
「ヨーロッパを旅行したとき、イコンというものを見ましたが、この曼陀羅とはだいぶん趣が異なります」
「イコンは聖画を見ることによって神の世界を覗くもので、曼陀羅は宇宙の仕組みを解釈するというものですね」
「そうですか。宇宙の仕組みですか」
 この程度の知識は宮本にもあったが、曼陀羅から宇宙の仕組みをどう読みとるかがわからなかったので、あえて先の話には言及しなかった。
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魔多羅神1

2008-09-05 10:13:13 | 魔多羅神
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 一章 曼陀羅


 一目で、あの女だ! と宮本は気付いた。
 高野山・霊宝館の正面、紫雲殿の曼陀羅のかかった漆喰造りの大広間に入ったときだった。
 ブラウンのダウン・ロングコートの裾から、ベージュのパンツ、牛革と思えるメタリックグレーのショートブーツを覗かせている女は、左の壁に垂らされた、曼陀羅の正方形の絵図の一つ一つに、熱心な眼を近付けていた。昨日、同乗していたケーブルカーで見た印象は、四十前後の年齢に思えた。
 ケーブルカーの中で右手の斜め前方に、一人腰かけて、窓外の白い雪をあちこちにかぶった、急斜面の林間の景色に眼をやっている女がいた。同じように高野の山の冬景色を眺めていた宮本は、時折訝しげな気持で彼女を一瞥した。それからまた視線を窓の外に戻し、頭の中では、どういう女なのかと、余計なことを思案した。
 一人旅の女を見ると、しばらくこんな思いにこだわるのは、宮本の習癖であった。そしてケーブルカーを下車して次の行動に移らなければならないときは、車内で出逢った女のことは、もう頭からかき消えていた。
 疎らな乗客の急ぎ足に混じって山上駅を出たとき、ロングコートの女がどういう行動をとったか、記憶になかった。夕暮れ間近な四時すぎであり、宮本は目の前のタクシーに乗車すると、檀家寺の龍光院を告げた。あのとき女はおそらく停まっていた奥の院行のバスに乗車したのだろう、と曼陀羅の前に立ち止まっている女を見ながら思った。
 それにしても日本人離れのなんと魅力ある体型の女か。背丈は165センチの宮本とほぼ同じであったが、両肩から尻へと流れるラインの美しさ、腰のくびれは、近頃忘失していた宮本の欲情を、ヒップに集中させずにはおかないほど悩ましく煽情的だった。宮本の眼は自然とそこに吸い寄せられたが、これではいかんと頭を振って、眼前に垂れている曼陀羅に視線を戻した。
 ――こういう腰を豊穣の神と呼ぶのだろうな。
 曼陀羅の謎を思索してみたいと墓参りのついでに、霊宝館に立ち寄ったが、そんなことはどうでもよくなった。
 天井の高い曼陀羅展示室は、二人だけで、森閑としていた。宮本は女に邪魔にならないようにと、女とは逆の右手の壁面の曼陀羅を眺めた。
 高野山に上るたびに何度も霊宝館を来館して拝観している。曼陀羅を専門的に解説した本も二冊購入して、就寝前の枕元で読んでいるのだが、どう熟読しても頭に納得したものがしみ込んでこない。哲学書、人生論物好きであった高校生の頃に、イマヌエル・カントの『実践理性批判』を赤鉛筆片手に読破したことがあった。読破とは一応最後まで読んだという事実であって、読み終えても一字一句を理解し得なかった。すべてのページが脳裏に白のままであった書物は、この本だけだったと、今も笑い話に憶えているが、曼陀羅の解説書も同様であった。
 解説書よりはまだ実物を拝観しているほうが救われる気分なので、観光客のほとんど訪れない霊宝館に、龍光院から近いこともあって、これまで欠かさず足を運んでいた。しかし解説書よりは漠然とわかった気分になれるだけで、詳細に正方形の一こま一こまを注視しても、何の理解も得られなかった。
 女の様子が気にかかった。
 広いとはいえ、狭い展示室、いやが上にも視線が合ってしまった。
 宮本は、富士真奈美に似ていると、古い女優の名前を思い出した。この女優は日本女性の顔立ちというよりはインド女性に類似していた。しかし女優は背丈が短く、さらにずんぐり、むっくりの芋虫体型で、目の前の女とはあまりに違いすぎた。
 帽子をかぶり、背広にロングコート姿の宮本は、眼差しをやわらげて頭を下げ、ここにはよく来られるのですか、と、胸の膨らみに見とれながら、つい声をかけてしまった。
 若い頃はずいぶんと人見知りするほうであった自分が、昨今旅先で見知らぬ女性に自然と声をかけてしまう。それがかならず女性にかぎっているのだが、そんな自分を歳のせいで精神がいやらしくなった、と反省するのではあった。だが、自己嫌悪にまではいたらない。どのみちもう少ししたらあの世に旅立つのだ。これまでこの世で無縁であった女性と、少しくらい会話してもバチは当たらないのではないか、と青春当時の宮本には考えも及ばないことを、考える前に行動に移してしまうことが頻繁になった。
 それでもイギリス紳士並のエチケットは心得ている。
 相手が不快そうな、あるいはドラキュラの前に立ったときの驚愕の表情をあらわにしたら、すぐさま離れるようにしていた。恐怖心をあらわにされてまで付き合って欲しいという、さもしい気持はなかった。それに元来宮本は女であればだれでもというマルチタイプではなかった。知性に輝く女性にしか関心がなかった。知性があってもガリガリ体型というのにも興味がなかった。五十、六十になっても色艶がなければ、地面に根付いていなければならない枯木が、人間の姿で移動している奇怪さしか感じることがなかった。
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