二十世紀の終わり、二十一世紀まで後数カ月という頃の或る初春の宵。
東京渋谷道玄坂の石畳を、カッカッカッと靴音高く颯爽と闊歩する一人の女性がいた。十センチ程も有ろうかのハイヒールで大股に歩き、真紅のスプリングコートの裾を翻してその坂(道玄坂)を登っていく。まるで小さな旅女〔たびびと〕が如くエルメスのトートバッグを肩にかけ、亜麻色の長い髪を風になびかせていた。
彼女の華麗な容姿、真紅のコート、そして黒のエルメスとが盛り場の宵に輝くばかりに映えた。
年のころ二十五、六と見える彼女はいつものごとく、甲高い声で歌を口ずさんでいた。
「ロクサーヌ」
ポリス〔スティング〕の歌であったが、誰にもそのようには聞こえなかった。恐ろしい程の音痴だったからである。
ポリスのロクサーヌの概要を言えば。
南米かどこかの場末の街娼に激しく恋をした男の心情を歌いあげたもので、
ロクサーヌ!
今夜は髪を結いあげないでおくれ 客を拾うのもやめておくれ
君にはどうだっていいじゃないか ロクサーヌ!
今夜はそんなドレスで着飾らないでおくれ
ロクサーヌ! 今夜は客を取らないでおくれ
「お兄さん、お茶しない」
彼女はすれ違う男という男に、明るく高い声で話しかける。
「お兄さん、遊ぼうよ」
男という男、彼女にとって老人であっても若者であっても、英・米人、フランス人、ドイツ、スペイン、ロシア、どの国の男でもかまわなかった。
通称、円山町のマリアと呼ばれていた彼女はなんと十数ヶ国語を理解していたのである。
外国人が何語で声をかけても即座に反応した、が、彼女の口から吐き出されるのは嬌声と日本語だけだった。彼女は会話が苦手だった、それ以上に嫌悪していた。
音痴と会話が苦手という事の関連は筆者には良く分からない。どちらも真似と言えば言えた。あるいは多少の関係が成立しているのかも知れない。彼女(丸山町のマリア)は真似という事を極端に嫌い、激しく憎悪していた。
彼女が道玄坂で客を拾うなどという幸運はほとんどなかった。
道玄坂上の交番を必ず右折して、彼女は自分の猟場である丸山町に入って行く。
「ずいぶん暖かくなったわね。もう春よ」という具合に交番の巡査に声をかける。まるで彼女自身が佐保神になって春を呼んできたように声をかけるのだ。
声を掛けられた巡査(彼らは皆彼女がマリアと呼ばれている街娼である事を知っていた)はやや顔を顰めるか苦笑を浮かべる。赴任したての若い巡査など、彼女の華やかさにうろたえて顔を赤らめたりするのだ。
カッカッカッカッ! 円山町をマリアは漁る、獲物を、客を。相変わらずロクサーヌを口ずさんでいた。
「マリア!」
その筋と思われるサブと呼ばれる男がマリアに声をかけた。
「この間の話、考えてくれたかい」
ひとひらの桜が風に待ってマリアの頬に止まった。
「あらっ、サブちゃん、何だったかしら?」
立ち止り、振り返ってマリアが男に聞き返した。
「うちの組は渋谷の連中」
男はそう言って拳を額に当てて言った。
「奴等にだって顔が訊くんだ。お前みたいな商売は一人でやるには危ないぜ」
「大丈夫よ。あたしにはいつだって覚悟が出来ているわ。それよりどう?」
街灯に照らされたマリアの瞳が青く光っていた。
「よせやい、おれは女なんぞに不自由はしてねえ」
「あらまあ、そのお面相で良く言うわね。あたしのほうが御免さ」
笑いながらそう言うと、踵を返してまた歩き始めた。そのマリアの瞳が今度はエメラルドグリーンに煌いた。頬の桜の花弁が頬から夜空に向かって旅立った。
マリアを他人はおそらくハーフではないかという、数ヶ国語〔実際は十数ヶ国語〕を解し、青い瞳と亜麻色の髪を持っていたからである。
あたしのほうが御免さ、と毒づかれた男はマリアに対して腹を立てなかった。今夜だけでなくいつもである。マリアが明るくあまりにもあっけらかんとしていたからである。
マリアは円山町ではドナウというラブホテルをたいていは使っていた。定宿のように使うことで利益があるからだったが、なぜドナウでなければいけないのか自分でも良く分からなかった。かすかな理由を探せば、美しく青きドナウというワルツに魅せられていたからからも知れない。現実のラブホテルドナウからはとうてい美しく青きドナウという連想は起こしようもなく裏寂れて薄汚れていた。
円山町には川はおろかどぶ川でさえ存在しなかった。このドナウ川のさざ波という歌詞からはせいぜい江戸川か隅田川を連想させることが出来た。
彼女の一日の目標は稼いだ金額ではなかった。最低三人、出来れば四人。と自分自身に言い聞かせその達成に向かって懸命に励んだ。
一日の旅の終わり近く、マリアは必ずといって良い程、神仙駅近くのコンビにによっておでんと野菜サンドを買う。おでんの種は決まってコンニャクか糸コンニャクで、汁をたっぷりとかけ、からしを数袋要求した。たいていの場合、レジで百円玉を千円札に、千円札を万札に両替した。
井の頭線神仙駅を渋谷発の終電が発着した前後にその踏み切りを必ず渡った。
渡りきって松涛方面に向かって、今度は密やかに、足音を忍ばせて歩き始めると彼女の歌が変わる。
「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン!」
エイズでこの世を去ったフレディ・マーキュリーの歌である。
「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン!」
空しい中なんで生きるか? 見放されて先が見えてきた。それでも、わかるか、ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン!、舞台は続けねばならない。今日が終われば明日、明日が終わればその次の日、来る日も来る日も、ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン! ショウを続けねばならないのだ。
ある意味では彼女は流離女であり、女優であったのかも知れない。
松涛町に入ると、彼女は立止まって円山町を苦渋に満ちた顔で振り返った。
ラブホテル街のケバケバとしたネオンの上天に清らかな星が煌き、十六夜う月が輝いていた。
魂を振り絞るようにして、低い声でマリアが叫ぶように呟いた。
「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン!」
悲しみの余り、十六夜う筈の月が沈んだ。
2016/11/24 Gorou