音速の葦

人間は一本の葦にすぎない。自然のなかでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・

そして人生はつづく

2005-03-11 02:19:03 | 人生について
結婚である。

私事になるが、今月3月3日の私の誕生日に、私はめでたく(?)入籍した。

結婚というのも不思議なものである。変な話になるが、皆、誰かと結婚する。だから決して特別なことでは無いはずなのに、皆から祝福を受ける。おめでとうと言われる。そして少しはにかむのだ。

結婚とは、言わば、国に対して『私と誰々はつがいです』と報告し、その証明書を貰うようなものである。そこに物理的な拘束は何も無いし、ゲームのように急にレベルアップをして何かができるようになるわけでも無い。単なる紙切れ一枚と言えば、ただそれにすぎない。

ならば何故結婚せねばならぬのか。そういう疑問は当然私にもあった。既に29歳、10代の頃のように意味もわからず結婚したいと思える年齢でもなくなってしまった。経済的な不安も当然あれば、離婚している知人も多くいる。結婚が人生の墓場であったら、そこで戦い抜くことができるかも不安である。

だが、結婚を決めた。その理由は何だろう。記録と言う意味も込めて、その心の機微を書いてみることにする。

まず一つ。それは『オスとして産まれた以上、子供を作りメスを守ることがオスとしての本懐』であると結論が出たからだ。我々人間がいくら身勝手だったとしても、それは地球・生命という大きな流れの中にある。私は人間である以前に、生命としてのオスなのである。だからそうしたいと思った。そして、その覚悟ができた。

そして。あまり子供が欲しいと書くと、嫁に読まれるとまずいのであるが、27歳を過ぎた頃から無性に小さな子供がかわいくて仕方なくなったという部分もある。本能の神秘というべきか、とうとう子供を守りたいという本能が覚醒したのである。温泉などでもジロジロよその小さい子を見ているので、変態だと思われないか不安な程である。

最後に。あまりこういう書き方は良くないのであるが、ずばり言えば『嫁が若いうちに花嫁衣裳を着せてあげたい』と思ったからだ。残念ながら我々は歳をとる。そして、間違いなく花嫁は若い方がかわいいのである。誰だって、『綺麗なうちに花嫁衣裳を着たい』と思うのが当然だし、だったらそうなるようにしてあげたいと心から思った。その後はその後だ。じっくりうまくやればいい。

以上である。まとめると、『子供が欲しいのと嫁が若いうちに結婚しようと思った』となるのは不本意だが。誰かの参考になれば幸いだ。

いつかこのホームページで『人生の墓場』という題名の文章を書かずに済むことを祈って。

そして人生はつづく。

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