志賀高原 たかまがはら温泉 白樺林の温泉露天風呂の宿

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11月28日

2011年11月28日 08時53分41秒 | Weblog
天気 曇り 気温-1度
今にも降り出しそうな梵天の空です。

昨日、統一スキー場開き祭の事を調べていて分かったことですが
昭和46年1971年まではリフト券共通ではありませんでした。
リフト会社毎に分かれ定期券位の大きさで10回に1回おまけが付き
入鋏(鉄道のように切符にはさみを入れる)を入れるタイプでした。
短いリフトは1回、長いリフトは2回のように入鋏を入れていました。

会社別でしたので、高天ヶ原で買ったリフト券では西館は会社が違い使えませんでした。
しかし当時は今のようにマテリアルが良くなく、ウェアーも綿が入ったようなウェアーで
1時間も外に居れば寒く、暖を取りに宿や食堂に戻る時代でした。
リフトもシングルリフトでリフト待ちが10分20分はありたまえの時代でした。
東館のロープウェイ(当時はゴンドラでなく交互に行き来するタイプ)など
1時間待ちが当たり前でしたから!!
今日は東館だけ、明日は高天ヶ原だけそんな滑り方だったのかも知れません。
初心者の方なら、ひと冬ブナ平で練習してようやく滑れるようになる時代でした。

当時もサンバレーから一ノ瀬までは繋がっており滑って行けましたが、1回ずつ
リフト乗り場で支払って滑って行きました。

44年前の記載で「この年共通リフト券導入」がありました。
最初は金券のように金額が書いてあるバスなどの回数券のような切符を
改札でちぎるタイプでした。
500円買えば540円使えたとの記載があります。
リフト会社でちぎったリフト券を回収して清算していました。

今は当たり前の全山共通日券は昭和55年1980年から開始になっていました。
実は、リフトとゴンドラは索道の免許が違いしかも路線バスまでも!!法的な問題を含めて
1日乗り放題実現は、大変だったとの記載がありました。

乗り放題にしたら、ゴンドラやロープウェイなど料金の高い乗り物に集中して
シングルリフト1本のスキー場には人が集まらない。収益が悪化する。
会社の経営が苦しくなるとリフト整備がおろそかになり事故が起こる。
事故が起こる事を想定していながら認可を与えたら責任追及が及ぶ
とお役所的な考えも・・・・文面からは読み取れました。

索道の場合、陸運局からの許認可になりますので鉄道と同じ認可になります。

今でこそ、JR1日乗り放題とか地下鉄乗り放題等の企画切符が販売されて
おりますが、当時認可を受けるに大変だったようです。
さらに例えるなら、東京都内のJR・私鉄・バス・地下鉄・都電・渡し舟まで
乗り放題の訳ですから・・・・前例が無い。

日券は見せるだけで、回数券はちぎるタイプでした。
2日券出来たのは昭和61年1986年だそうです。

して昭和62年に鉄道事業法が改正になり3日券が発売されました。
とにかく、許認可事業ですので勝手に出来ません。必ずお役所の許認可が必要になります。

平成5年1993年よりICチケットとなり本年キーカードと変わっていきました。