地震から2週間が過ぎました。今日(10月13日)、ようやくネット屋に行って、地震後はじめてネットを使いました。8日だったかな?ネット屋は開いてたけれど、ネットは使えなくて、その後他の用事にかまけていました。
多くの方からメールをいただいていたことに、少し驚きもあり、嬉しいものでした。ありがとうございます。そして、ずっと返信ができていなくて、すみませんでした。個々に返事を書く時間があまりなかったので、こちらの近況報告は、このブログで代えさせていただきます。
まだニュース記事などを丁寧に読むことなんかはできていないので、今回の地震の被害規模など、私はまだ知りません。
前号でも書いたように、半分も壊れて建て直しが必要なのは全壊で、修理するだけで済むのが半壊だそうですね。ほとんど無傷のように思えた我が家でも、落ち着いて見てみると、意外と壁にあちこちひびが入っていたりするし、屋根の一部が割れてますので、日本だったら半壊扱いになりそう。だとすれば、私の近所では、3分の1ぐらいが全壊で、残りの3分の2ぐらいは半壊でしょうか。半壊にもならないのは、ほとんどなさそうです。
いま、パダンの市街地を見て回れば、瓦礫の山があちこちにあります。それだけ見れば、いかにもひどい壊れ方をしたように見えるのですが、それは重機で建物を崩した瓦礫です。地震で崩れたものは、何かしら原形を留めていますが、重機で崩せば、粉々の瓦礫になりますでしょ。
中心近くの商業地区には、そうやって重機も入るし、海外からの援助隊も入ってますが、ちょっと郊外の住宅地には来ません。それで、早いところでは、自分で壊れた壁なんかを取り崩して、建て直し始めている人もあります。倒れた壁のコンクリートをノミで割って、中のレンガを取り出したりもしています。
私の家の3軒隣には、普通の家とほぼ同じ大きさの、小さな幼稚園があります。そこは側面の壁が一面全部なくなっています。そんなところで、すでに幼稚園は再開して、園児たちが遊戯しています。同じように、どう見たって全壊の家で、そこの住人は「普通に」生活しています。
日本だったら、テープが張られて立ち入り禁止になり、住人は避難所、次いで仮設住宅に移り、家が建て直されてから戻りますでしょ。ここでは、そこで生活しながら、同時進行で建て直しが行われているのです。もちろん、非常に危険なことだと思いますし、海外からの援助隊が引き揚げる頃になって、ケガ人続出なんてことにもなりかねません。
傍目に見ていても、とても怖いなと思うんですけど、まるでそれが常識だって感じなのです。確かに、普段から新築の家で、内装やらができてないうちに入って、生活しながら完成させるようなことをしていますが、そういうのとは、訳が違うように思うのですが。
仮設住宅が建てられるなんて話は聞きません。もし、阪神・淡路の時のような仮設住宅が建てられれば、あの時にも一部でそんな感じでしたが、恒常化して「仮設」ではなくなるでしょう。
日本でなら、大人でも精神的後遺症とかなんかが問題になりそうな状況で、子供たちは相変わらず元気いっぱいですし、私がカメラを持ってブラブラしていると、家宝でも自慢するかのように、「ここを撮れ」なんて言って、壊れ方のひどい所に案内してくれたりします。
日常と非日常が全く同居していて、日本人が貧弱すぎるのか、こっちの人たちが図太いのか、この状況をどう解釈したものか、軸が定まりません。
レバランの休みと震災のため遅くなったようですが、7日にはGENの会報が届きました。ということで、郵便は受け取れます。電気はもうほぼ市内全域で復旧しているようです。ガスは普及率が低いし、すべてプロパンのボンベですから、もともと地震の影響はあまりありません。使えても、つながりにくいな、と思っていた携帯とそのメールも、もうだいたい平常通り。水道は使ってないのでわかりませんが、これもだいたい復旧しているそう。水道会社のオフィスビルは全壊のようでしたけれど。
落ち着いてみると、地震後に聞いたいろいろなうわさ話は、ほとんどデマだったようです。今わかったことと、うわさ話を比較すると、どうも情報の断片やキーワードがめちゃくちゃに組み合わされていたようです。例えば、サモアでも地震があったようですが、それが「サモアに津波が行った」なんてように。
最後に私自身の反省です。
地震のあった9月30日からずっと、「もしいま、高見さんやGENの人たちが私の立場にあれば、どうするだろうか?」という考えが頭を離れません。8年間も活動に参加させてもらって、勉強してきたつもりでも、この体たらく!
多くの方からメールをいただいていたことに、少し驚きもあり、嬉しいものでした。ありがとうございます。そして、ずっと返信ができていなくて、すみませんでした。個々に返事を書く時間があまりなかったので、こちらの近況報告は、このブログで代えさせていただきます。
まだニュース記事などを丁寧に読むことなんかはできていないので、今回の地震の被害規模など、私はまだ知りません。
前号でも書いたように、半分も壊れて建て直しが必要なのは全壊で、修理するだけで済むのが半壊だそうですね。ほとんど無傷のように思えた我が家でも、落ち着いて見てみると、意外と壁にあちこちひびが入っていたりするし、屋根の一部が割れてますので、日本だったら半壊扱いになりそう。だとすれば、私の近所では、3分の1ぐらいが全壊で、残りの3分の2ぐらいは半壊でしょうか。半壊にもならないのは、ほとんどなさそうです。
いま、パダンの市街地を見て回れば、瓦礫の山があちこちにあります。それだけ見れば、いかにもひどい壊れ方をしたように見えるのですが、それは重機で建物を崩した瓦礫です。地震で崩れたものは、何かしら原形を留めていますが、重機で崩せば、粉々の瓦礫になりますでしょ。
中心近くの商業地区には、そうやって重機も入るし、海外からの援助隊も入ってますが、ちょっと郊外の住宅地には来ません。それで、早いところでは、自分で壊れた壁なんかを取り崩して、建て直し始めている人もあります。倒れた壁のコンクリートをノミで割って、中のレンガを取り出したりもしています。
私の家の3軒隣には、普通の家とほぼ同じ大きさの、小さな幼稚園があります。そこは側面の壁が一面全部なくなっています。そんなところで、すでに幼稚園は再開して、園児たちが遊戯しています。同じように、どう見たって全壊の家で、そこの住人は「普通に」生活しています。
日本だったら、テープが張られて立ち入り禁止になり、住人は避難所、次いで仮設住宅に移り、家が建て直されてから戻りますでしょ。ここでは、そこで生活しながら、同時進行で建て直しが行われているのです。もちろん、非常に危険なことだと思いますし、海外からの援助隊が引き揚げる頃になって、ケガ人続出なんてことにもなりかねません。
傍目に見ていても、とても怖いなと思うんですけど、まるでそれが常識だって感じなのです。確かに、普段から新築の家で、内装やらができてないうちに入って、生活しながら完成させるようなことをしていますが、そういうのとは、訳が違うように思うのですが。
仮設住宅が建てられるなんて話は聞きません。もし、阪神・淡路の時のような仮設住宅が建てられれば、あの時にも一部でそんな感じでしたが、恒常化して「仮設」ではなくなるでしょう。
日本でなら、大人でも精神的後遺症とかなんかが問題になりそうな状況で、子供たちは相変わらず元気いっぱいですし、私がカメラを持ってブラブラしていると、家宝でも自慢するかのように、「ここを撮れ」なんて言って、壊れ方のひどい所に案内してくれたりします。
日常と非日常が全く同居していて、日本人が貧弱すぎるのか、こっちの人たちが図太いのか、この状況をどう解釈したものか、軸が定まりません。
レバランの休みと震災のため遅くなったようですが、7日にはGENの会報が届きました。ということで、郵便は受け取れます。電気はもうほぼ市内全域で復旧しているようです。ガスは普及率が低いし、すべてプロパンのボンベですから、もともと地震の影響はあまりありません。使えても、つながりにくいな、と思っていた携帯とそのメールも、もうだいたい平常通り。水道は使ってないのでわかりませんが、これもだいたい復旧しているそう。水道会社のオフィスビルは全壊のようでしたけれど。
落ち着いてみると、地震後に聞いたいろいろなうわさ話は、ほとんどデマだったようです。今わかったことと、うわさ話を比較すると、どうも情報の断片やキーワードがめちゃくちゃに組み合わされていたようです。例えば、サモアでも地震があったようですが、それが「サモアに津波が行った」なんてように。
最後に私自身の反省です。
地震のあった9月30日からずっと、「もしいま、高見さんやGENの人たちが私の立場にあれば、どうするだろうか?」という考えが頭を離れません。8年間も活動に参加させてもらって、勉強してきたつもりでも、この体たらく!
日本の報道では,
サモア沖で地震が発生して,
津波がサモアに行き,
たくさんの人がなくなってしまった,
と伝えられています。
サモアでも地震がありましたが,
津波の被害が大きかったみたいです。
今年はあちこちで大きな地震が起こってるねえ。