昨日(10月4日)はデキに余裕ができ、デキが友人のところへ行くついでに、パダンの被害の様子を見にバイクで市内を回ってくれたし、今日はプロクラマトールまで行ってきましたので、その時に見たことを書きましょう。
すでに前号までに書きましたが、2日の時点で、公共交通であるアンコットもすでに走っていましたし、商店や屋台など、営業できるところは店開きしています。デキの姉のリカとそのつれ合いの家は、デキの家のすぐ近くですが、ガロンボトルの飲料水の販売をしていて、やはりすでに営業再開しています。我が家の近くの朝市も、2日にはすでに店開きしていました。
月曜日の今日は学校も再開したようで、制服姿の子供たちをよく見かけました。午前中に一度自宅に戻った時にはまだ停電したままでしたから、今晩もデキの家に厄介になっていますが、18時頃には我が家周辺でも電気が通ったそう。
とにかく、私の思っていたよりも、世間の動きはずっと早いようです。
市内をざっと見て回った感じで言うと、この地震では大ざっぱに言って、大きく高さのある建物ほど損傷が大きいよう。パダンでは普通の住宅は平屋か2階までで、商業施設でも4階以上の高さのある建物はそれほど多くはありません。大きな建物は市街の中心に集まっていますから、必然的に市街中心が最も被害が大きいように見えます。
パダン最大級のホテル、ブミ・ミナンをはじめ、多くのホテルがある地域や、中央市場近く、プラザ・アンダラスやマタハリ(Matahari)デパートなど、テレビでもよく報道されている辺りです。
それともう一つは、中央市場から南、華僑の多い地区。地震の当日、黒煙が幾筋も上がっているのが見えた地区です。ここは2階か3階建の建物が多いのですが、1階部分がすっかり潰れ、上部がダルマ落としのようにそのまま落ちてきたような、阪神・淡路大震災の時と同じようなのが多いようです。2階や3階建ての建物の1階が潰れているというのは、ほかの地区でもそうでした。
もちろん、平屋の小さい家でも全壊したのはたくさんあるし、大きな建物でもほとんど損傷なさそうなのもありますから、上記のは、ざっと見て回った大ざっぱな傾向です。
新しく建てられる家は、たいていはレンガとコンクリートで建てられてるようですが、古い木造の家は、損傷しているのはとても少ない。火事にさえならなければ、地震に対しては伝統的な木造家屋の方がはるかに強いようです。
阪神・淡路大震災の時と比べて、今回のパダンの地震では、火事になったところは少ないようです。17時過ぎというと夕飯の支度をしているような時間ですが、一般の住宅で火災が起きたところは、あまりなさそうでした。
私の見て回った範囲だけでは、山側はやや被害が少ないかな、と思うけれども、地区による被害の程度の差は見出せませんでした。家の向きや新しいか古いかも、あまり被害の程度とは関係なさそう。前述したように、大きな建物ほど損傷がひどいという傾向がありそうというぐらいです。
プロクラマトールもある、プラザ・アンダラスの北隣のブロックでは、すでに電気が通っていました。そういう、電気の使えるようになった地区では、建物の損壊が少なければ、一見、日常通りのようにも見えます。土日には、結婚のパーティをしているところもありました。
私もそのうちの一人ということになりますが、各国からの救援隊や軍隊が活動しているようなところには、野次馬が携帯で写真を撮ったりしています。
柱や壁に大きくひびが入ったモスクにも人が集まって、中で礼拝しています。ちょっと手で押せば、たちまち崩れそうなところでも、そのすぐ脇で商売や何かしていたり、場合によってはその中に出入りしている人たちもいます。
修繕すれば住めるようになるのが半壊で、半分も壊れて建て直しが必要なのは全壊だそうですね。それでいうと、ドナの家は全壊で、2日に見に行った時には、庭にテントを張っていたことはすでに書きました。3日には新しい家を見つけて、その日のうちに引っ越しました。どうも、会社の同僚からの情報でその家を見つけたらしいけれど、早いですね。
私の家は損傷もほとんどなく、普通に生活するのも可能でしょう。すぐにも救援活動をしたいなと思いました。ですが、2日からずっと、夜はデキのところに泊っています。
まだ言葉にも不自由がある外国人が一人でいると、まわりに非常に気を使わせてしまうようで、私が下手に何かに手を出すよりは、友人と一緒にいるという方が良さそうだからです。
私に対して話しかけてくることならある程度わかりますが、周りがミナン語で話していることは全然わかりません。私は車を持ってないし、運転もできません。パダンの事情にも疎い。お金があるわけでもない。要するに、思いだけで何かできるわけじゃない。
家が無事だったことで、まわりに余計な心配をかけずに済んでいるというので、満足しておくしかなさそうです。
すでに前号までに書きましたが、2日の時点で、公共交通であるアンコットもすでに走っていましたし、商店や屋台など、営業できるところは店開きしています。デキの姉のリカとそのつれ合いの家は、デキの家のすぐ近くですが、ガロンボトルの飲料水の販売をしていて、やはりすでに営業再開しています。我が家の近くの朝市も、2日にはすでに店開きしていました。
月曜日の今日は学校も再開したようで、制服姿の子供たちをよく見かけました。午前中に一度自宅に戻った時にはまだ停電したままでしたから、今晩もデキの家に厄介になっていますが、18時頃には我が家周辺でも電気が通ったそう。
とにかく、私の思っていたよりも、世間の動きはずっと早いようです。
市内をざっと見て回った感じで言うと、この地震では大ざっぱに言って、大きく高さのある建物ほど損傷が大きいよう。パダンでは普通の住宅は平屋か2階までで、商業施設でも4階以上の高さのある建物はそれほど多くはありません。大きな建物は市街の中心に集まっていますから、必然的に市街中心が最も被害が大きいように見えます。
パダン最大級のホテル、ブミ・ミナンをはじめ、多くのホテルがある地域や、中央市場近く、プラザ・アンダラスやマタハリ(Matahari)デパートなど、テレビでもよく報道されている辺りです。
それともう一つは、中央市場から南、華僑の多い地区。地震の当日、黒煙が幾筋も上がっているのが見えた地区です。ここは2階か3階建の建物が多いのですが、1階部分がすっかり潰れ、上部がダルマ落としのようにそのまま落ちてきたような、阪神・淡路大震災の時と同じようなのが多いようです。2階や3階建ての建物の1階が潰れているというのは、ほかの地区でもそうでした。
もちろん、平屋の小さい家でも全壊したのはたくさんあるし、大きな建物でもほとんど損傷なさそうなのもありますから、上記のは、ざっと見て回った大ざっぱな傾向です。
新しく建てられる家は、たいていはレンガとコンクリートで建てられてるようですが、古い木造の家は、損傷しているのはとても少ない。火事にさえならなければ、地震に対しては伝統的な木造家屋の方がはるかに強いようです。
阪神・淡路大震災の時と比べて、今回のパダンの地震では、火事になったところは少ないようです。17時過ぎというと夕飯の支度をしているような時間ですが、一般の住宅で火災が起きたところは、あまりなさそうでした。
私の見て回った範囲だけでは、山側はやや被害が少ないかな、と思うけれども、地区による被害の程度の差は見出せませんでした。家の向きや新しいか古いかも、あまり被害の程度とは関係なさそう。前述したように、大きな建物ほど損傷がひどいという傾向がありそうというぐらいです。
プロクラマトールもある、プラザ・アンダラスの北隣のブロックでは、すでに電気が通っていました。そういう、電気の使えるようになった地区では、建物の損壊が少なければ、一見、日常通りのようにも見えます。土日には、結婚のパーティをしているところもありました。
私もそのうちの一人ということになりますが、各国からの救援隊や軍隊が活動しているようなところには、野次馬が携帯で写真を撮ったりしています。
柱や壁に大きくひびが入ったモスクにも人が集まって、中で礼拝しています。ちょっと手で押せば、たちまち崩れそうなところでも、そのすぐ脇で商売や何かしていたり、場合によってはその中に出入りしている人たちもいます。
修繕すれば住めるようになるのが半壊で、半分も壊れて建て直しが必要なのは全壊だそうですね。それでいうと、ドナの家は全壊で、2日に見に行った時には、庭にテントを張っていたことはすでに書きました。3日には新しい家を見つけて、その日のうちに引っ越しました。どうも、会社の同僚からの情報でその家を見つけたらしいけれど、早いですね。
私の家は損傷もほとんどなく、普通に生活するのも可能でしょう。すぐにも救援活動をしたいなと思いました。ですが、2日からずっと、夜はデキのところに泊っています。
まだ言葉にも不自由がある外国人が一人でいると、まわりに非常に気を使わせてしまうようで、私が下手に何かに手を出すよりは、友人と一緒にいるという方が良さそうだからです。
私に対して話しかけてくることならある程度わかりますが、周りがミナン語で話していることは全然わかりません。私は車を持ってないし、運転もできません。パダンの事情にも疎い。お金があるわけでもない。要するに、思いだけで何かできるわけじゃない。
家が無事だったことで、まわりに余計な心配をかけずに済んでいるというので、満足しておくしかなさそうです。
ブログも更新されてないし。
こっちでは最初は日本人3名の安否が分かりませんって報道されててね・・・
ホンマにブログ更新してくれてホンマによかった。
ホンマに大変な経験してるね。
月並みやけど頑張ってよ。
たくさんの方から励ましなどのメールをいただきました。ありがとうございました。
また、パダンの震災に対して、何かしらの形でご支援いただいた方も多かろうと思います。パダン在住の一人として、お礼申し上げます。
こういうことがあって、はじめて自分の名前が領事館に把握されていることも知りました。
私は仕事も再開し、ほぼ平常に戻っておりますので、ブログもまたボチボチやっていきたいと思います。