この体験記はもともとそういう傾向があるかもしれませんが、今回は読者を選ぶような内容かもしれません。私の趣味の囲碁に関する話です。
パダンで知り合った人から、よく「どうしてここに来たんだ?日本の方がはるかに給料もいいだろ。ここの人たちはみんな日本に行きたがってるのに、逆に日本からパダンに来るなんて」みたいなことを言われます。
お金の話なんかにはもって行きたくないのだけど、「確かに日本は給料は高いけど、物価だって高いんだ」と言って、家賃や食べ物の値段を挙げると、かなり驚かれますね。
なんでパダンに?というのに、まともに答えようと思うと、ちょっと語学力が足りないし、そう簡単にも言えないので、「俺は自由なのが好きだけど、日本には自由がないからだ」って答えたりしています。日本の不自由さというのも特殊で、理解されづらいでしょうか。
人から海外での体験談を聞いたり、パダンに来た時に実際に感じたのは、経済的、物質的な制約はあっても、個人の能力やアイデアを活かすような自由度は大きいということです。もちろん、その分、自分の責任も大きくなりますけれど。
私が囲碁を始めたきっかけは、海外に行ったときに紹介できる日本文化を学ぶっていうことでしたけど、私にとって囲碁が魅力的だったのは、その自由度が大きかったと思います。
囲碁以外の代表的なボードゲームとして、オセロ、チェス、将棋なんかがありますが、オセロとチェスは人間はコンピューターに勝てなくなってますね。将棋もプロ級になっているそうです。ですが、囲碁は最も強いコンピューターでも、まだアマチュアの低段者ぐらいだと聞きます。囲碁はアマとプロの差が非常に大きく、プロ相手に星目(9子のハンデ)で勝てれば有段クラスという話もあります。
コンピューターが、ルール上可能な着手をすべて計算していけば、オセロやチェスでは最善手がわかるけれど、囲碁ではそういう方法では、それが計算しきれないそう。
囲碁の対局は終局までだいたい250手ぐらいでしょうか。交互に打つので、自分の着手は半分の125手。対局している感覚的には、1手につき平均3つぐらいは着手の候補を考えてると思いますが、この一手という場面も多いし、少なめに見て2つとすると、自分の着手の選択肢は2の125乗。これではどの程度の数字かわからないので、計算してみると、4.25かける10の37乗より大きい。4250万に100万を5回かけた数字です。もちろん、ルール上可能な着手なんて言えば、これよりはるかに大きな数字になります。数字が大きすぎて、計算を間違ってる気になってしまいました。
囲碁はかくも自由なゲームですが、特に序盤が最も自由度が高い。私は将棋も少しだけ知ってますが、スタート時に駒の並びが決まっているので、ある程度局面が進んでからの方が自由度が高くなる気がします。
中盤の攻防が何より楽しいという囲碁ファンが多いと思いますが、私は石が接触する戦いよりも、自由な序盤の布石が好きなのです。布石は将来の可能性を広げていく作業です。
人からも言われるし、自覚としても私は参謀タイプの人間だと思います。組織の中で、リーダーと参謀の違いって、もちろん色々あるでしょうが、一つは、参謀はいろんな可能性を考えて、選択肢を広げるのが仕事で、リーダーは決断すること、つまり、その中から一つだけ残して他を捨てるのが仕事だと思います。
今私は組織から外れていますので、決断も自分でしなければなりませんが、貧乏性なので、何かを捨てるのは苦手なのです。
以前に大学で囲碁をしたことを書きましたが、ラマダン、レバラン、そして震災とあり、忙しくなったこともあって足が遠のいてしまっています。個人的にはネットで対局を楽しんでいますが、学生たちにも教えてあげたいですね。
NGOの活動に参加しているような人たちは、自由分子が多い。GENの活動なんかでも、各々が好き勝手してるようなことがあります。けれど全体としては、なぜか案外まとまりがある。自然環境と、その中での人々の生活を守っていきたいという思いを共通に持って、そのために誠実に学んでいくという姿勢があるからでしょうか。
そんな中で勉強させてもらってた上に、生まれ持った性格もあって、私は天然の自由分子となっているようです。
パダンで知り合った人から、よく「どうしてここに来たんだ?日本の方がはるかに給料もいいだろ。ここの人たちはみんな日本に行きたがってるのに、逆に日本からパダンに来るなんて」みたいなことを言われます。
お金の話なんかにはもって行きたくないのだけど、「確かに日本は給料は高いけど、物価だって高いんだ」と言って、家賃や食べ物の値段を挙げると、かなり驚かれますね。
なんでパダンに?というのに、まともに答えようと思うと、ちょっと語学力が足りないし、そう簡単にも言えないので、「俺は自由なのが好きだけど、日本には自由がないからだ」って答えたりしています。日本の不自由さというのも特殊で、理解されづらいでしょうか。
人から海外での体験談を聞いたり、パダンに来た時に実際に感じたのは、経済的、物質的な制約はあっても、個人の能力やアイデアを活かすような自由度は大きいということです。もちろん、その分、自分の責任も大きくなりますけれど。
私が囲碁を始めたきっかけは、海外に行ったときに紹介できる日本文化を学ぶっていうことでしたけど、私にとって囲碁が魅力的だったのは、その自由度が大きかったと思います。
囲碁以外の代表的なボードゲームとして、オセロ、チェス、将棋なんかがありますが、オセロとチェスは人間はコンピューターに勝てなくなってますね。将棋もプロ級になっているそうです。ですが、囲碁は最も強いコンピューターでも、まだアマチュアの低段者ぐらいだと聞きます。囲碁はアマとプロの差が非常に大きく、プロ相手に星目(9子のハンデ)で勝てれば有段クラスという話もあります。
コンピューターが、ルール上可能な着手をすべて計算していけば、オセロやチェスでは最善手がわかるけれど、囲碁ではそういう方法では、それが計算しきれないそう。
囲碁の対局は終局までだいたい250手ぐらいでしょうか。交互に打つので、自分の着手は半分の125手。対局している感覚的には、1手につき平均3つぐらいは着手の候補を考えてると思いますが、この一手という場面も多いし、少なめに見て2つとすると、自分の着手の選択肢は2の125乗。これではどの程度の数字かわからないので、計算してみると、4.25かける10の37乗より大きい。4250万に100万を5回かけた数字です。もちろん、ルール上可能な着手なんて言えば、これよりはるかに大きな数字になります。数字が大きすぎて、計算を間違ってる気になってしまいました。
囲碁はかくも自由なゲームですが、特に序盤が最も自由度が高い。私は将棋も少しだけ知ってますが、スタート時に駒の並びが決まっているので、ある程度局面が進んでからの方が自由度が高くなる気がします。
中盤の攻防が何より楽しいという囲碁ファンが多いと思いますが、私は石が接触する戦いよりも、自由な序盤の布石が好きなのです。布石は将来の可能性を広げていく作業です。
人からも言われるし、自覚としても私は参謀タイプの人間だと思います。組織の中で、リーダーと参謀の違いって、もちろん色々あるでしょうが、一つは、参謀はいろんな可能性を考えて、選択肢を広げるのが仕事で、リーダーは決断すること、つまり、その中から一つだけ残して他を捨てるのが仕事だと思います。
今私は組織から外れていますので、決断も自分でしなければなりませんが、貧乏性なので、何かを捨てるのは苦手なのです。
以前に大学で囲碁をしたことを書きましたが、ラマダン、レバラン、そして震災とあり、忙しくなったこともあって足が遠のいてしまっています。個人的にはネットで対局を楽しんでいますが、学生たちにも教えてあげたいですね。
NGOの活動に参加しているような人たちは、自由分子が多い。GENの活動なんかでも、各々が好き勝手してるようなことがあります。けれど全体としては、なぜか案外まとまりがある。自然環境と、その中での人々の生活を守っていきたいという思いを共通に持って、そのために誠実に学んでいくという姿勢があるからでしょうか。
そんな中で勉強させてもらってた上に、生まれ持った性格もあって、私は天然の自由分子となっているようです。
日本の目に見えない不自由さもよく理解できますから、できたら私もパダンに飛んで行きたい。
昨日は、神戸・北野の教会でカトリックとプロテスタント合同のインドネシア語によるクリスマス礼拝とパーティーがありました。
入りきれないほどのインドネシア人でした。
私もある意味普段と違う自由を味わってきました。(なぜかイスラム教徒もいました)
・・・というわけでSelamat hari Natal!
ジョージさんのパダン生活が豊かに祝福されますように。
ありがとうございます。
私はムスリムでもクリスチャンでもありませんが、日本で、教会のクリスマスイベントに参加させてもらったことがあります。なかなか素敵な催しでした。
パダンにも教会はたくさんありますが、教会も街中でも、クリスマス前だからと言って、今のところ普段と変わった様子はありません。
機会があれば、是非パダンにもお越しください^^
ルールを覚えているぐらいですが。
今はネットで打てるんだよね。
どこがいいのかしらん。
ネットで不特定の相手と打つなら、ちゃんと教えてくれる人に会えるかは、運でしょうか^^;
私は「ハンゲーム」で打ってます。
対局はできないけど「囲碁データベース」というサイトには練習問題とかありますよ。