ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.32 senseiのインドネシア語(3)(09.12.08)

2009-12-08 02:54:53 | No.31~No.40
 自分もたいしたことないくせに、人の英語をindolishなんて言ってバカにしていると、その報いを受けることになります。
 私が乏しい語彙を並べてインドネシア語をしゃべってると、変な言葉遣いだってバカにして、そのうち子供扱いしてくる人もいるのです。話の内容がおかしいとかっていうなら、見識の違いということで納得もできますが、話を聞く前からバカにしてこられると、私だってカチンとくるし、話す気も失せます。
 こっちをバカにしてるってのが態度にはっきり出る人もいるし、そうでなくても、面白がってるだけで、話を聞いてるわけじゃないなという時は、直感的にわかりますね。
 一度子供扱いし出すと、私が何を言っても聞いちゃいないし、通じてるかどうかお構いなしに、自分の言いたいことだけ言って、どこかへ行ってしまったり。
 日本語学科の学生なんかを相手にするとラクなのは、日本語混じりで話せるという以上に、連中も日本語の勉強に苦労してるだけあって、たどたどしい喋りでもバカにしてくることが少ないからです。

 デキの姉のユリとリカは日本で働いていたことがあるし、妹のディアは今日本にいます。ですが、デキと弟のチャンドラは日本語はまだ全くできないし、英語もダメ。それでも、普段彼らとのコミュニケーションに困るということは、あまり感じません。パダンは人口の大半がイスラムですから、シュ話を使ってるわけではありません。
 私の意図するのは何か、私が何を必要としているのか、というのを貧しい語彙からでも読み取ってくれるんですね。言葉だけじゃなく、私の置かれている状況も見ているのでしょう。逆に彼らが話すときでも、私がどこまでわかってるか、どの単語で引っかかってるか、注意しながら話してくれます。もし私が知らなさそうな単語なら、他の言葉に言い換えたり。
 その上、習慣の違いなんかにも理解がある。ヘンコの私のすることは、パダン人にとっても不可解なことがあるでしょうけど、拒絶せずに、どんな意味があるのか考えようとしてくれます。
 デキやチャンドラ以外にも、言葉の問題をあまり感じない人はたくさんいるのですが、そういう相手は女性の方がずっと多い。デキたちのような男は貴重な存在。
 逆に、コミュニケーションに困る相手って考えると、どちらかに、あるいは双方に、相手に対する敬意が欠けてる場合でしょうか。そう考えると、日本人が相手でもそうだなと思い当たりますが、「お前が人をバカにし過ぎるからだ」と言われてしまいそうですね。

 観光でパダンに来ていたときは、リカのような日本からの帰国組の誰かと常に一緒でしたから、自分でしゃべる必要はありませんでした。しゃべろうにも、いくつかのあいさつ言葉を知ってるって程度のレベルでしたし。
 それがすごくラクだったんですね。言葉だけの問題ではありません。彼女ら、彼らは日本とインドネシアとの違いを知ってますからね。私が初めてのことに戸惑ったりすると、「ここではこうだよ」と教えてくれたり、私から質問しても、その意図が伝わりやすい。
 ちょっと嫌な相手でも、直接は相手しなくて済みます。
 ですが、仕事で滞在するようになってからは、そうそう通訳を頼むわけにもいきません。わからないことがあっても、自分で見て、自分で判断しなければならない。人に聞いても、言葉の問題の上に、どの程度信用できるかの問題もあります。
 初めにラクな味を覚えてしまったために、元来がなまけ者の私は、語学学習の意欲よりも、横着心が勝ってしまってるようです。

 GENの顧問でもあった、故小川房人先生は、「外国語なんて、全くできないか、相手と対等にケンカできるレベルまで行くか、どっちかしか役に立たない」なんておっしゃっていました。
 そういうことでいっても、私のインドネシア語はまだまだ役に立つレベルではありません。相手するのが面倒な時なんかに、「まだ言葉がよくわからない」なんて言って、追い払うぐらいにしか使えません。
 ケンカできなくて悔しい思いをすることもあるんですけど、自分の勉強不足のせいなので、仕方ありません。私のインドネシア語が役に立つレベルになるのは、まだまだ先の話になりそうです。

 あらためて断るまでもないかもしれませんが、今回の話の元ネタは『黄土高原だより』のNo.44~No.46です。あくまで私の体験からは離れないように書いてますが。

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