よく考えれば、あるいはよく考えなくても、不規則な生活、つまり、
だらしない生活をウン十年も続けてきた。
起きたいときに起きる、寝たいときに寝るである。
そもそも「たい」だったかどうかもわからない。
昨夜は寝苦しかった。眠りながら冷房のオン・オフをしていたような気がする。
目が開いたとき、時計をみると、午前4時を過ぎたところだった。
このように、中途半端な時間帯に目が覚めると、どうするか、その日による。
ここには、意思は入り込まないような気がする。
あえて言えば、身体の持っているリズムに支配されるのであろう。
ウオーキングしたくなった。
4時過ぎには明るくなり始めているので、今日が始まっている。
つまり、一日を始めていい時間ということである。
そんな時間でも、仕事場に急ぐらしい人を見かけることがある。
でも、大通りは、人も自動車もみえない。空っぽの時間帯である。
もう少し早い時間帯だと昨日の続きの人や車の流れが残っている。
もう少し遅いと今日の人や車の流れが始まっている。
一瞬、ほんの少しの時間だけ、空っぽになることがある。ちょうど、その時間帯だった。
歩き始めるや、前回(1週間前か半月前かは覚えていない)と違うと感じた。まだ、明けていない。
すぐ、気づいた。昼の時間が短くなったのだと。今年の夏至は6月21日だった。
そう、もう1か月なのだ。
夏はこれからが本番というのに、太陽の季節は、Uターンしてはや1か月になるのだ。
猛暑はうんざりのはずなのに、一瞬、夏が去ったような寂しさを覚えた。
季節の変わり目を実感したときだった。
雀が起きたようだ。
大きな声で鳴き出した。あまりに大きいので複数の雀と思いきや、そうではない。
一羽だった。外の静寂のせいなのか、朝の一声は大きいのかわからないが、新しい発見だった。
仲間に朝を告げるために、朝のひと鳴きが大きいというのは理に適うからである。
復路に入ったとこで、フウチソウ(風知草)を確認した。
いつも気になりながら、名前が分からなっかった。数日前に何かのきっかけで調べておいた。
立ち止まって確認し、写真を撮った。間違いない。と思う。
知らないことが一つだけ減った。あるいは、一つ知識が増えたというべきか。
どういう視点かにより表現の仕方は違う。どちらも間違ってはいない。
爽やかな一風が通り抜けた。
仲良くウオーキングする初老の品の良いカップルとすれ違った。
2回目の気がする。ご婦人は、必要であるようには見えないが、ステックを持っている。
前もそうだった。すれ違いの一瞬の観察であるが、何か雰囲気がある。
また、爽やかな一風が頬をなで、心身を癒してくれたのを感じた。
雀も落ち着いたようである。
20分弱のウオーキングだった。
成り行き任せかのように思うが、自覚しないだけで、無意識下の身体や心に動かされている
のかもしれない。そうだとすると、
成り行きまかせの生き方も満更悪くはないのではと思った(思いたいから思うのかもしれないが)。