合わせ鏡では、鏡に映った鏡の中に鏡が写り、その中にまた鏡が写る、という具合に、鏡の中に途方もない広がりを見せるが、理論的には正面から向かい合わせれば、両側の鏡にそれぞれ無限の枚数の鏡が映ることになる。
しかし実際には、有限個の像しか見ることはできない。
その理由は?
光速度は有限なので、無限の像を生むには無限の時間が必要であり、無限の像を生むには無限の光が必要だが、鏡の間の有限の空間に存在しうるエネルギーには上限があるからだ。
また、古典物理学(量子論以前の物理学)における時間は連続体であり、実数で表すことができ、時間はいくらでも細かく分割可能なものである。
だが物質の最小単位として原子や素粒子があるように、時間にも最小単位があるのではないかとも考えられている。
例えば映画フィルムのように1コマ以下の時間は存在しないという考えである。
物理学(量子力学)ではこの最小時間間隔をプランク時間(5.39106×10^-44秒 ^=べき乗)と呼んでいる。
例えば、0と1の間にどれだけの数字が存在するかと考えるとき、数字が連続体だとしたらその数は無限に存在することになる。
その最小値は0.00000……と0が無限に続き、その最大値は0.99999……と9が無限に続く。
私たちは、無限という概念を持っているが、この宇宙に無限は存在せず、私たち人類は、有限しか感知することができないようにできているのではないか?
連続の映像として見えている視野の世界は、実は不連続ではないだろうか?
と、私は考えるときがある。
【閲覧者へのお願い】
忌憚(きたん)のないご批判も、大歓迎です。
お気づかいのなきよう、コメントして下さい。
しかし実際には、有限個の像しか見ることはできない。
その理由は?
光速度は有限なので、無限の像を生むには無限の時間が必要であり、無限の像を生むには無限の光が必要だが、鏡の間の有限の空間に存在しうるエネルギーには上限があるからだ。
また、古典物理学(量子論以前の物理学)における時間は連続体であり、実数で表すことができ、時間はいくらでも細かく分割可能なものである。
だが物質の最小単位として原子や素粒子があるように、時間にも最小単位があるのではないかとも考えられている。
例えば映画フィルムのように1コマ以下の時間は存在しないという考えである。
物理学(量子力学)ではこの最小時間間隔をプランク時間(5.39106×10^-44秒 ^=べき乗)と呼んでいる。
例えば、0と1の間にどれだけの数字が存在するかと考えるとき、数字が連続体だとしたらその数は無限に存在することになる。
その最小値は0.00000……と0が無限に続き、その最大値は0.99999……と9が無限に続く。
私たちは、無限という概念を持っているが、この宇宙に無限は存在せず、私たち人類は、有限しか感知することができないようにできているのではないか?
連続の映像として見えている視野の世界は、実は不連続ではないだろうか?
と、私は考えるときがある。
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