(ハンピの聖域ー寺院地区中心部)
ハンピは、今は、ところどころにサトウキビやバナナ畑のほかは、岩と廃墟だけの辺鄙な村に過ぎないが、かってはデカン高原からスリランカまで版図とする南インド最大のヴィジャナガル王国(1336-1565AD)の首都だった。―“忘れられた帝国(Forgottenn Empire) ” Robert Sewell著
〔上の写真〕 真ん中の通りがハンピ・バザールその右側のやや高く見えるのが、Hemakuta Hill 右側の岩だらけの高い丘がMatanga Hill 。その左の谷間に見えるのがアチュトラヤ寺院。
*** 私は、猿少年に会ったHemakuta Hill からハンピ・バザールを下がり、川の畔に出て、再び戻ってアチュトラヤ寺院の境内に入った。それでも、時刻は11時40分。3時間足らずで廻った。それだけに物を細かく観察することが出来なかった。***
(ハンピバザール)
(ハンピバザールの石廊、500年前ここには店が連なっていたという)
(シバ神を祀る祠。右方向に薄く見えるのは石廊。道の向こう側だからバザールの道が如何に広かったか分かるだろう)
***川の畔に出ると、遥遥と向こう岸の山まで見晴らせる。椰子の樹と丸い巨石が重なった丘とが奇妙なコントラストを見せている。***
(トゥンガードラ川。洗濯する女)
(ツイウンガードラ川で水浴びする子供)
(川の土手の物売り。食べ物をねだっている猿を見てください)
***インドでも、ガルーダが寺院の主たる信仰の対象となり、参拝者の絶え間がないというのは、あまり例がない様に思われる。ここでは、浮彫りのガルーダに赤い粉が付いている。参拝者が塗りつけるのだ。ここでは、ガルーダが愛され尊崇されえいる。嬉しいことだ。***
(ガルーダ。像の下の台にハヌマンのレリーフがあった)
***猿の軍団と、ガルーダはラーマ王子がスリランカに攻め入り羅刹主ラーバーナを倒し、シータ姫を奪回するのに大きな働きをした。このストーリーは「桃太郎の鬼征伐」の基になっているのではないかとよく言われるところだ。
猿軍団は、海に猿橋を組んでラーマ王子の一行をスリランカ島に渡して一緒に戦った。ガルーダは、危難の際ここぞというとき突然空の一角より現れてラーマ王子の危難を救った。猿は、実働部隊であり、ガルーダはむしろ精神的な支えであった。
そのせいか、ここにはガルーダとハヌマンが数多くみられっる。
(生きた寺院ーコダンダラマ寺院の中のガルーダ像)
***川を離れてMatanga Hill の方に向かうと1539年にアチュタ ラヤ王が建立したアチュトラヤ寺院がある。
(アチュトラヤ寺院。川の方角からのアプローチ)
(アチュトラヤ寺院。ガルーダの浮彫りが多い)
(ペルシャの双頭の鷲の浮彫もあった)
(裸婦の浮彫)
(アチュトラヤ寺院の一部)
(アチュトラヤ寺院楼門)