チュニス・カルタゴ空港を朝出発。
離陸したかと思うとすぐにアフリカ大陸を離れる。
パリのシャルル・ドゴール 空港は曇り
午後2時頃、飛び立つ。
すぐに夕暮れ。
夜通しロシアの上空を飛ぶ。
翌早朝成田に着く。
チュニス・カルタゴ空港を朝出発。
離陸したかと思うとすぐにアフリカ大陸を離れる。
パリのシャルル・ドゴール 空港は曇り
午後2時頃、飛び立つ。
すぐに夕暮れ。
夜通しロシアの上空を飛ぶ。
翌早朝成田に着く。
アフリカ・ホテルは、チュニスの目抜き通りの最高のロケーション。数軒先に今風のショッピング・センターもある。
ここから数分歩けば、メディナへのメインゲート、フランス門がある。
メディナの市場には、観光客用の土産物屋もあるが、衣料品、日用品も売られている。
代表的なチュニス料理を食べさせるというダル・エル・シェルドがなかなかよいレストランなので二日続けて行く。入り口は目立たない小さな木の扉があるだけだが・・・・
中は広くて豪華だ。
料理は、手の込んだものもあるが、至ってシンプル。
市内から郊外に向かう道路。タクシーを一日借りてカルタゴに向かう。
カルタゴは、紀元前9世紀に建設されたフェニキア人の殖民都市だった。フェニキアの本土は、もともと、今のレバノンの辺りだった。本拠地は衰退したが、カルタゴのみは繁栄していた。カルタゴで有名なのはローマに攻め入った名将ハンニバルだ。3度に亘るローマとの戦でカルタゴは破れ、ハンニバルは服毒自殺を遂げた。紀元前146年カルタゴはロー真に滅ぼされる。
ローマ時代にカルタゴは再建されたが、その後イスラム教とともにやって来たアラブ人に滅ぼされ現在に至る。現在のカルタゴは、高級住宅地として静かなたたずまいを見せている。
(カルタゴの並木道)
住宅は立派だ。
ローマ時代のアントニウスの大浴場の見取り図。ユネスコによって復元されて、世界遺産になっている。
復元された共同浴場の一部分の写真。
この遺跡は、地中海に面している。
ローマ時代のカルタゴの復元図。手前の鍵形の青い部分が港だった。
古代の港は、今では池のようになっている。
平成19年2月8日(木)
ホテルの窓からの眺め―今、アトラスに朝日が昇ろうとしている。
日は瞬く間に、山から離れる。アトラス山脈は、白く輝き始める。
庭に出ると、プールの水面が静まり返っている。
朝食を庭に面したテラスでとる。
バイキングなので料理のバライエティは多いが、ベークドトマト、スクランブル・エッグとジャーマンポテトだけにする。
それと、オレンジ。街路樹や庭園にオレンジが実っているので食べたくなったわけでもないだろうが・・・・毎日重い食事なので、今朝の食事はこれだけにした。
ホテルの前に、楽しい路線の観光バスが来た。乗り降り自由な、ちょっとしたヨーロッパの町なら何処でも見かけるのと同じ仕組みのバスだ。
ホテルの前の道路にもオレンジがたわわに実をつけている。
タクシーで空港に向かう。一直線で見晴らしのよい道。
マラケシュの空港。
待機するジェット機にアトラス山脈が迫って見える。マラケシュを12時に出発してカサブランカ経由でアルジェリアの上空を海岸線に沿って飛び、チュニスには夕方7時30分に着く予定。今日は、一日移動の時間になる。
カサブランカの空港。ジェット機を誘導する人。
カサブランカ→チュニス間のビジネス・クラスの機内食は割りと旨かった。
鶏肉のソテー。
魚蒸し煮。
デザート。これは甘くて一口食べるともう食べられない。
チュニスのホテル・アフリカ・エル・ムラディは、外から入った感じはそれほどよくはないが、何と言っても繁華街の真ん中にあるのがよい。チェックアウトをすませると、もう夜遅い。ぶらっと外に出ると、道路を渡った所に流行っているらしい広い食堂がある。クレープ専門の店のようなのでそれを食べてみる。
クレープにしては少し皮が厚いが、
中にびっしりと挽肉が詰まっていて、食べ応えがある。
ワルザザートの町筋。遠く正面に氷の固まりのようなアトラス山脈が横たわっている。
アトラス・コーポレーション・スタディオー何本もの傑作を残した有名な映画のスタディオ。
付近には、美しいオアシスが点在し、映画「アラビアのロレンス」などのロケ地となった。
レストラン・ド・ラ・カスバ。外に見えるのは、タウリルトのカスバ。フランスは、各地の有力者を支配することによって、モロッコを統治しようとした。中でもこのカスバの当主クラウスは、フランス人に忠実に仕え、圧制を敷いたということで、この辺りの人々には評判がよくないようだ。
こんなところまで日本語のメニューがおいてある。ランチメニューの主菜は、クスクス、牛肉と野菜のタジン、チキンのレモン煮込み、牛ヒレ肉の串焼きの中から一つ選ぶ。値段は、90DH(1,350円)など。
タウリルトのカスバは、最近、「シェルタリング・スカイ」の舞台に使われたということで観光客に人気があるのだそうだ。
地元の人々が歩いている。向うにアトラス山脈が見える。この山を越えて来たが、同じ道を引き返すことになる。
一日使ったタクシーがメルセデス・ベンツだったことがボンネットのエンブレムで分かった。後ろのトランクにもベンツのマークがついていたのだが、別に気にもしなかった。とすれば、日本人の感覚からすると、一日契約の1,500DH(約22、500円)は、高くはないのか。
朝、8時に出て帰り着いたのは、7時。帰途、休憩したレスト・ハウスの暖炉は火が燃えていた。
マラケシュを出るとしばらくは坦々とした道。
道を歩く親子。どのくらい歩けば家に着くのだろう。
登りになり、このようなカーブの激しい道が続く。
谷の下に村があり、道沿いに通行客目当ての店がある。
タジン料理も焚けている。
オートバイの一団。何処の国の人か分からない。
モロッコでは、トゥブカル山が最も高く、海抜4、165mだそうだ。
この辺りは、寒い。
斑雪の山肌。
渓谷を見下ろすと、所によって、日干し煉瓦の家の集落が見える。
こういう小さいが立派な建物が建った街もある。
ようやく険しい山を越え眺望が開けrる。遠くにアトラス山脈が白く光っている。
ポニー(?)も大切な交通手段。
アイト・ベン・ハッドゥ。世界遺産のクサル(要塞村)。岡の斜面に日干し煉瓦の家。
遠くクサルを眺望する観光客
カスバというホテルで一休み。
車も埃で汚まみれ。
マラケシュのメディナ(城壁に囲まれた旧市街)は、北アフリカで最大だといわれている。私たち旅人には、何処から何処までがメディナなのか分からないくらい、とり止めがないくらい大きい。
その中の一つのスーク(市場)の入り口。外国からの 観光客が多い。
クッパ・バアディン。12世紀の水利施設。
上から眺めると、この建物、地面の下から立ち上がっていて、まるで遺跡から掘り出したように見える。
スーク(市場)の中は、迷路のようだ。やっと博物館を探し当てて入り口の前のカフェーで一休み。
簡単なものはある。ポテトチップ、オリーブとパンに目玉になっていない目玉焼き。
南の方に行くと、カスバなど史跡が多い地区だ。壊れた塔の上に大きな鷹の巣があった。
大きな鳥があちこちにいる。
入場券を買って細い道を潜っていくと城壁が迫ってくる。
その前が16世紀頃の王族の墓所がある。勿論イスラムの墓だ。
カサブランカから40分くらい飛んで、午後1時頃、マラケシュに着く。標高450メートル。町の南側には大アトラス山脈が控える。山の向うは、サハラ沙漠に連なる乾燥地帯だ。マラケシュは、1070年頃、ベルベル人によって開かれ、イスラム国家アルモラビト王朝の首都となった。モロッコでは、フェズについで古い町だそうだ、現在の人口は、66万。
マラケシュ空港。
ル・メリディアン・エンフィス・ホテルに泊まる。ホテルの正面玄関。
ロビー。
いい雰囲気のエステもある。
庭にある蜜柑の木。
今が食べごろなのだが・・・・
レモンの木。
2月だというのに花が咲き乱れる。
レストランの入り口。
テーブル・セッティング。
パイの皮にグラニュー糖がかかっている。
中は、鳩肉のミンチとアーモンドのつぶしたものが入っているのが、パイ皮の甘いのとおかしな取り合わせだが、これが不思議と美味い。ハリラなどのスープや幾つかの料理を取って今夜の食事代は、770DH(約12、000円)。正装の客(私はいつものよれよれの服だが)、ウェイターのサーヴィスや全体的な雰囲気などを考えると安い。
本館と部屋は、別の棟になっている。レストランから庭を通って帰る。
ロイヤール・マンソール・ホテルの朝食は、大体において他のホテルと同じようにビュッフェー方式のブレークファストだが、違うところが一つある。それは、地方色が濃くでているところだ。
クレープのようなものを作ってくれたり、料理の説明をしてくれる。
果物もあるが、
乾した果実の種類が豊富だ。
映画「カサブランカ」の世界を夢見て、カサブランカを訪れても、期待はずれに終わることが多いのではないだろうか。今のカサブランカは大都会だ。
チェックイン、カウンター。
ファーストクラス・ラウンジ。
ラウンジに用意されているケーキもナッツや乾し果実が使われている。
カサブランカとお別れ。
カサブランカ郊外のアイン・ディアブには、タヒティ・ビーチとかマイアミ・ビーチとかいう紛らわしい名のビーチ・リゾートが連なる。ホテルやカフェやレストランが建ち並んでいる。ロイヤル・マンソール・メリディアンホテルからプティ・タクシーで20DH(300円)で行くことが出来る。タクシーはほんとうに安い。
マイアミビーチから市内方向を望む。
ビーチ沿いの道に面した一軒の大衆レストランに入る。
サラダ。ゆで卵のまわりは冷や飯。日本人には理解できない取り合わせかも知れないが、結構食える。
ポテトチップと白身魚焼。
ブロシェ(羊肉串焼き)などと、ビール、ミネラル・オーター。合計150DH(2,250円)。
マイアミ・ビーチからカサブランカの漁港までタクシーで行き。漁港からホテルまでは、歩いて帰る。
漁港は、さすがに魚臭いが強く、海鳥が群れている。
小船で出て行く人。
剥き小エビなどを食べさせる屋台。
港で働く人。
昨夜は、町を散々歩き回ったが、特にめぼしいものはなかったので、今夜は、ホテルのレストラン”DOURIE”で夕食をすませる。
タジンは、こういう三角帽の蓋のついた土鍋で供される。
ラムのタジン。
アンコウ(魚)のタジン。
レストランで土地の音楽を演奏する年老いた男女。赤ワインを一本とって支払いは、540DH(8,100円)。これも随分お徳な感じ。
平成19年2月4日(日)
午後1時。パリを発つ。
カサブランカ、ムハンマド5世空港。空港のホテル予約所でル・ロワイアル・マンスール メリディアン・ホテルを予約する。市内では最もよいホテルの一つだということ、旧メディナの正門前というのもホテル選びのポイントになる。
タクシーでホテルに着くと、チェックインをすませ、すぐにメディナを散歩する。ニシ貝を煮たものをみんな食べている。真似して食べてみると、何かの薬草の煎じ汁で煮たものらしく漢方薬のような味がするが、結構いける。
洋服屋のマネキン人形。壁にマネキンの顔とその下にハンガーを吊り、服を垂らしたような格好。こんな首吊り人形が着た服を買う人がいるのが分からない。
”地球の歩き方”のカサブランカのレストランのトップに出ていた”イミルシル”が近くの商店街にあったので夕食はここでとることにした。古い店で何か湿っぽい感じ。
サラダその他。
ロースト・ラム。
タジン。ナツメヤシの甘味が入っているのか、とにかく料理が甘い。
クスクス。こんなものをとって、赤ワインを一本飲み、500DH.8000円弱だったろうか。