ランチは、ヨットクラブのレストラン。
マヨネーズのかかったポテトサラダ。
チーズの乗った前菜。
香菜なしの野菜サラダはない。
カスピ海で獲れた鱒。
500人くらい入りそうな広大な野外レストラン。ギュルセル夫妻の招待。
サラダ。
フルーツ。
肉串焼きなど。
ランチは、ヨットクラブのレストラン。
マヨネーズのかかったポテトサラダ。
チーズの乗った前菜。
香菜なしの野菜サラダはない。
カスピ海で獲れた鱒。
500人くらい入りそうな広大な野外レストラン。ギュルセル夫妻の招待。
サラダ。
フルーツ。
肉串焼きなど。
平成21年4月22日
8時半過ぎホテルを出て、ギャンジャナーメに向かう。
9時ころには到着。もう店が出ている。
向こうの岩に彫られているのが、ダリウス一世と息子クセルクセスを讃える碑文。
ダレイオス1世の碑文。古代ペルシャ語、エラム語、バビロニア語が、楔形文字でつづられている。
幸いこの碑文について、英文の壁紙が貼ってある。
この壁紙には、1843-4年、フランスの画家と考古学者が研究し始めた。すぐ後、英国の探検家ヘンリー・ローリング卿が判読に成功し、これによってビストウンのダレイオス1世の碑文を読むことができたなどと記してある。
もっとも偉大なる神、アフラマズダは地と空を創った。人間を創り、幸せを人間のために創った。クセルクセスを王の中の王とした。私こそがそのクセルクセスだというようなことが書いてある。
古代においてこの地は、アケメネス朝の夏の都、エクバタナからメソポタミアのバビロンに通じる王道の延長線上にあったという。今では、賑やかな行楽地。まだ朝早いのに、ジョギングする人もあり、数組の若いカップルが遊びに来ている。
平成21年4月21日-3
ハマダンの町に入る。イランの人はよほど西瓜が好きなのか、どの町にも西瓜売りがいる。このあたりは、まだ山に雪が残っている。西瓜は南の地方から来るようだ。ラフマニに買わせる。
買ってきた西瓜をレストランで切ってもらって,
ホテル到着後ホテルのレストランで切ってもらって昼飯のときに食べる。
いつものごとく、豆のスープ。
牛肉に唐辛子の挟み焼き。
サーヴィスの生玉ねぎ。甘くてジューシー。
昼食後、すぐに町中に出て、まず「エステルとモルデハーイ(モルデカイ)の廟」を見に行く。旧約聖書{エステル記}のヒロイン、{エステル」と彼女のをじ「モルデカイ」の墓所とされいる。イランで最も重要なユダヤ教の聖地とされ世界各国から巡礼が集まってくる。
棺が二つあった。一つは、クセルクセス(アハシュエロス)の王妃エステルのもの。重臣ハマンの讒言により「ユダヤ人を皆殺しにする」ことを命じた王がエステルの懇願により思いとどまる。この物語は、聖書「エステル記」を読んでください。
だが、実際はこの廟は後世に建てられた、別の人のものという話もある。帰り際、ここの管理人から「世界各国のボールペンを集めているから一本もらえないだろうか?」といわれた。たまたま余分に持っていたボールペンをあげる。変わった趣味の人だ。
廟の外、街角の風景。
7時なのにこんなに明るい。
ハマダーンは、大都会だ。ファストフードの店もある。しかし、土地の料理となると、なかなか探しづらい。このような店は、団体客にも対応できるように広い。
親が食事している間子供は一人で遊んでいる。
もっと小さな子は親が掛かりきり。
食事はありきたり。胡瓜、人参、トマト、レタスのサラダ。
挽肉に野菜を混ぜ串焼き。
生玉ねぎのサーヴィス。
平成21年4月21日ー1
ビストウン複合遺跡地域には、4万年前の遺跡も出土している。ラフマニは、この奥にネアンデルタール人の棲んでいた洞窟があるといったが、確かめてはいない。4万年前から人が棲んでいたとしたら、ホモサピエンス前の人類も棲んでいたということもあり得るだろう。
こんなものまであった。ギリシャ神話の英雄ヘラクレス(Hercules)の彫像。碑文解説によると、シリアのセレコウス朝63年、つまり西暦148BCのものだそうだ。
有名なビストウン磨崖のダレウス一世の戦勝記念日。ダレウス大王と後ろ手に括られた捕虜の浮き彫りとその下にエラム語、古代ペルシャ語、アッカド語などの碑文が書かれている。
王が正統な王であることを認めたのがアフラ・マズダ神。いちばん高い所に彫られている。
浮き彫りを望遠レンズで写した。
その場所から眺める。意外に緑が多い。
中国人観光客が着いた。他には全く人影がなかった。
イランでは、アフラ・マズダ像がよく目につく。これは、ケルマンシャーで見かけたホテルの外壁のもの。
これを望遠レンズで写すと・・・・・・
どこかアフラ・マズダ像を連想させるマークが僕のタクシーにも・・・・・
ケルマンシャーのタクシーにも・・・・・ただケルマンシャーのタクシーのマークは、真ん中に車、その上にモスクのような建物が描かれているところが、ちょっとした違い。
1時前にケルマンシャー州都のケルマーンシャーに着く。遺跡公園、池の向こうにターゲ・ボスターンがある。
アーチの上の1対の天使が、シルクロードをはるばる旅して正倉院の飛天になったということを言う人もある。面白いと言えば面白いが、本当は、そんな簡単な話ではない。
洞の中の浮き彫り。真ん中がホスロー2世。サーサン朝後期、6世紀から7世紀の帝王。左にアナヒーター女神、右にアフラ・マズダ神。アフラ・マズダから受け取っているのが、王権の象徴の光輪。この光輪が後ほどモーツアルトのオペラ「魔笛」に出てくるすなわち「金の笛=魔笛」になる。
モーツアルトは、秘密結社フリーメソンの一員であった。鳩山由紀夫氏もフリーメソンに近い。鳩山氏が愛用している金色のネクタイは、この金の笛である。つまり、帝王の象徴を身につけて気取っているのだ。幸枝夫人とオペラ「魔笛」の役を演じたのもこれを裏付ける証拠。
これでもなお疑いのある方は、シャガールのポスターモーツアルト「魔笛」を見てください。僕のほかに誰も気づいていないようだけれど、これは日本にとってはとても危険なことですよ!
ホスロー二世が愛馬シャブディーズに跨る浮き彫りが、その下に彫られている。
ホスロー二世というと、ペルシャ最高の詩人ニザミーの書いたホスロー2世とその妃となるアルメニアの王女シーリーンとの悲恋を描いたロマンス叙事詩「ホスローとシーリーン」を思い浮かべる方もあるだろう。
シーリーンとは、ペルシャ語で甘美という意味。イランでは好まれる名前で親が子につける人が多いという。そういえば、文学界新人賞のシリン・ネザマフィのシリンもここからきている。
公園の前の道路に沿ってバベキューの店が立ち並ぶ。開放的でリラックスできる場所で気に入った。
緑が多い。
若い夫婦。
水たばこを吸っておどける運転手のラフマニ。
平成21年4月19日
15日にマラゲに泊って、タブリーズ、マークー、オールミーイェとオールミーイェ湖の周りを一周したが、今日はハサンルーの丘を見たのち南に下って湖を離れ、クルデスタン州の首都サナンダジまで行く予定だ。
朝食、いつもの通りビュッフェーからナーンなど、いつものように簡単にすませて路面が滑らかな国道に出る。
1時間半足らずでテペ・ハサンルーに到着。標識には紀元前6000年前から14世紀までの史跡とある。
ここは、米国ペンシルバニア大学博物館などにって発掘され、イラン北西部の標準遺跡だと考えられているが、以後研究が進んでいないような感じだ。
飼い主がいるのかどうか、汚れたままの犬が何匹もいた。掘立小屋のような管理人事務所もあるにはあったが、訪れる人も見当たらない。
ここからの発掘物を見ようとNagadehの町に向かう。町の入口に夥しい建設機械が並んでいる。
街筋は、意外にしっとりと落ち着いている。
1時間ほど走り、3時ころ西アゼルバイジャン州の最後の町タカマでやっと食堂を見つける。
ここは、たたいた牛肉の串焼きだけの店。
少年だが侮れない。なかなか上手に焼く。
美味い。薄いナーンは、ラヴァーシュという。トマトも窯で焼きたて。
将棋をする客。
日本人は初めて見た・・・・といっても日本とは何か、どこに日本の国があるかも知らない。
国道の両側が白一色になる。雪は降らずに霰になる。クルデスタン州に入った。
三叉路で警官から停められる。クルデスタンとはクルド人という意味でイランイラク戦争のときはイラン軍がここまで攻め入った。そのせいか、これも交通違反の取り調べでなく、身元確認のチェックだそうだ。
クルド人の男は戦士のように立派な体格で、女は美人が多い。運転士のラフマニーは、タレントのサヘル・ローズさんもこの地方の出身だと言っている。彼女は、イランイラク戦争で両親も兄弟もなくし、天涯孤独となった。またイラン人女性、シリン・ネザマフィンさんは、イラン・イラク戦争を舞台にした小説「白い紙」を書き文学界新人賞をもらった。
再び霰の降る国道を走る。
クルデスタン州、州都サナンダジ。
ツーリスト・イン・サナンダジ
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今日は、オールミエを目指す。
この箱は何か分かるだろうか。寄付金を入れる箱だ。寄付金を入れると願い事がかなうとラフマニは言った。
すぐに出発。日本の観光団も泊っていたらしい。私のタクシーの前のバスがその人たちが乗るバス。
海抜1600メートルのマークの町を出て、山道を下っていく。
オルミエ湖が遠くに見える。琵琶湖の9倍というイランでいちばん大きな湖だが、生物が棲めない塩湖だ。ヨーロッパの思想家ニーチェがその著書「ツアラストラかく語りき」を書くときに常に頭にあった湖だ。
ホテルに着く。サーヘル・ホテル、その柱に鳥が蛇をくわえる文様。
ニーチェの「ツアラストラ」は、常に傍らに鳥と蛇を侍らしている。ゾロアスター教の伝統は、イランの日常の生活、風習に今でも深く潜んでいる。まして、過去にオールミイェがゾロアスターの生誕地とされていたこともあるので、それを誇りとしている人々が今でもいるのだ。
町に出かける。オルーミーイェは人口約70万。空港もある重要な町。20数万人のキリスト教徒が住んでいる。
ファッションも売られている。
出発する前に、車が事故にあわないように小銭を寄付箱に入れる。
博物館と聖マリア教会を見てホテルに帰る。聖マリア教会は古い教会でもともとゾロアスター教の拝火神殿があったところに建てられた。キリスト教の信者が祈りを捧げている姿が印象的。博物館は小規模でそれほど見る物はない。
ホテルのレストラン。客は、僕たち二人と一人の女性客ともう1組みの女性客だけ魚を食べていたこの人がこちらの席に移ってきたのには驚いた。イスラム国家なのになんと大胆なのだ。
珍しくステーキというのがあったが、堅く固まって味もない。結局焼きすぎ。ミディアムなどという感覚はないようだ。
教会堂内の中央正面に聖母マリアの絵が描かれた布が垂れ下がっていた。
愛嬌ある天使の浮き彫り。
裏手に回ると、ドイツ人観光団。
広い駐車スペースに僕のタクシーとドイツかの観光客のバスが一台あるだけ。イランでは、文化局と考古局が同じ役所にあって共同して宣伝しているようだが、うまくいっているのだろうか? 季節はずれとは言え、韓国客が少ない。
カラケリーサーを出発すると、すぐに人家が見えない世界が広がっている。道路の横に賽の河原のような石の塔がいくつもいくつも立っている。
近くに寄ると、宗教的なものには思えない。道路測量の標識に使ったものだろうか。
低い丘陵を切り開いた道。イランとトルコの国境、つまり北西を向けてタクシーは走る。
道路を雲が流れる。この世のものとは思えない幻想風景。
マーク市内に入る。昔から人々が行き来したこの道は敵の進入路でもあった。そのため山の中腹まで何層もの防御線を張った。
両側に切り立った岩山。ホテルの裏にすぐ岩山が迫っている。正面に駐車する。
チェックイン手続きはラフマニ。
鶏の串焼き。
昼食は,牛の串焼き、サラダ、サフランライスがトッピングの白飯。
トルコまで20キロ。峡谷の底を道路が通る。
石垣が見える。
その下に住民の家。
その下に八百屋が店を開いている。
野蒜のような山菜の向こうにキャベツ。
ペルシャ猫ではない。トルコ猫でもない雑種の猫が八百屋にいた。猫の多い土地だ。
単調な食事が続く。夕食は、川鱒の燻製と
豆のスープや、
いつものライス。違っているのは黒い干し果実。クコくらいの大きさで酸っぱい。
ビュッフェーに胡瓜がまるのまま出ていた。たまには胡瓜でも食べるとする。味噌など気の利いたものはないので、塩をつけてかじるしかない。
定番の豆スープ。
ゆで卵と豆をつぶしたようなもの、ニンジン。パンを食べるのは止した。
ゴスタレシュ・ホテル。100室ほどのこのあたりでは大きなホテルだった。黄色い車がテヘランから通しでレンタルしているタクシー。
全く気づかなかったが、日本人の団体客が泊っていたのだ。夜遅くついて、早い出発のようだ。
世界遺産、聖タデウス教会を目指す。どこに向かうのか、前方を観光バスが走っている。
タブリーズの近郊には大きな工場が多い。
ガソリンスタンドで。トルコからベンツのトラックを陸送するドライバー。
イラン・イラク戦争犠牲者の写真だそうだ。この村から出世した兵士だという。イラン・イラク戦争は1980年から1988年までの8年間続いた。20年以上前のことだが、まだ忘れられていない。
道に迷って、道路がから遠く離れた村に入って教会の場所を訪ねる。このあたりは、クルド人の居住区なので言葉はクルド語ということになる。
聖タデウス教会が見えてきた。通称のカラ・ケリーサーは黒い教会という意味だそうだ。紀元68年に建てられたが、当時、黒い石で作られていたからそう呼ばれるのだそうだ。キリスト12使徒のユダ・タデが殉教したこの地に建てられたもっとも古い教会の一つと言われている。今の建物は、17世紀ころに建てられたものという。
訪れる人は観光客しかいないが、7月にはアルメニア人の巡礼者が集まるという。東方教会アルメニア正教に属する教会なのだ。
壁面に双頭の鷲が彫ってある。
天使。
平成21年4月16日(2)
アゼルバイジャン博物館の正面入り口。
次のような収蔵品が興味を引いた。
鳥の羽根にコブラ、絡む蛇、ライオン、地母神が描かれた粘土板。
地母神像
双頭の鷲
Chelsea カーペットの絡む蛇の文様
Chelseaカーペットの龍と鳳凰の文様
タブリーズは 標高1350メートルの高地にあり、地震が多いところだそうだが、ホテルの部屋からは、高層建築のビル群が見える。人口140万人を超える都会で、東アゼルバイジャン州の州都。
ホテルのレストラン。ここにもドイツ人の団体観光客がいた。ピジャーブ(スカーフ)を被り黒いコートを着るとイラン人と変わらない外見。
食事は似たようなもの。サラダを頼むと、ブロッコリー、オリーブ、ニンニク、唐辛子の酢漬けなどにレタス、生キャベツ、トマトを盛ったプレートが出てきた。
トルコ料理にもある肉団子のトマト煮。
定番のスープ。
鶏の串焼き
ホテルの朝食はどこも同じような食べ物しかないが、一応お見せしよう。
結局昨日と同じような品ぞろえ。小さなヨーグルトをスープの代わりに。
ラフマニにチェックアウトは任せる。レセプションの女性の後ろは、航海する帆船の絵にWELCOME TO DARYA HOTEL と英文が添えられている。考えてみると、ホテルは港のようなものか・・・・・
昨夜の雨で砂漠の土埃がべったりと付いている。なるほどいろいろのことがあるものだ。
今日は、マラガからタブリツまで行く予定。ということは、今日は、オールミーイェ湖の東岸、カスピ海の西を走ることになる。黄色のマークの町が今回の旅の目印。
途中道に迷う。ラフマニ、パトカーを停めて道を聞く。
町を出ると広いハイウェイに入る。テキサスのハイウエイのようだ。
ホテルを出て2時間、再び山道に入る。
目的地、キャンドヴァーン村に着いた。ここは、今夜泊る予定のタブリツに南50キロのところにある僻村だ。村に入ったところにお土産物屋がある。
山には雪が積もっている。
トルコのカッパドキアのような奇妙な形をした岩山に村民は穴居している。
こんな不便なところにとも思えるが、一度作っておけば長持ちするし、暑さ寒さをしのぐにも木の家よりはよいかもしれない。鶏や羊も岩の中に小屋がある。
子供も多い。
村の女性は花模様のチャドルを着ている。
岩穴にブティックもある。この1年で土地の価格が2倍になったが、村民以外の売買は認められえいないとのこと。
観光に来た近くの都市の若者。
洞窟ホテルにレストランもあったが、タフリーズの町に到着して遅い昼食をとる。
レストランが見当たらないのと、あっても駐車する場所がない。
やっと見つけた小さな食堂。
豆のスープ
シシカバブ。
トマト、玉ねぎ、唐辛子のサラダ
ライス、とホテルのレストランも、どこも同じようなものばかり。
平成21年4月15日
朝食は、ヴァイキング。
イラン風パンとゆで卵に豆のスープ。こんなものを選ぶ。イランのパンはインドのナンのような生地を寝かして蒸し焼きにしたもの。西洋のパンのようにイースト菌は用いない。
黄色い車が僕らのタクシー。アフマニが早起きしてぴかぴかに磨いてある。
道端にコマツのブルトーザーがおいてある。
マツダの小型トラックについて山道を走る。
いつの間にかマツダがいなくなってタクシーらしい車が前を走っている。
タフテ・ソレイマンが見えてきた。
世界遺産に登録されているので普段は観光客が多いのだろうが時ならぬ雪で子供連れの一組みの客だけ。
古いゾロアスター教の寺院があったところで拝火壇やアナヒター女神を祀る寺院があった。もっとも古い遺物は紀元前7世紀のメディナ時代のものだという。
池の周りに神殿や宮殿の跡がある。
このタイルは、イルハン国の時代のもの。蒙古人が持ってきた龍や鳳凰の絵が描かれているものがある。
山を下ると杏などの花が咲いている。
マラゲの「ダリヤホテル」。ダリヤは、海という意味だそうだ。イラン最大の湖オルミエー湖に近いから、「ホテル海」としたのだろうか?
食堂にはドイツ人の団体さんがいた。
誕生日を祝っている。スカーフを巻いて体の線を隠すコートを着ると、女性はイラン人か西洋人か分からなくなる。
サラダとすっぱいドレッシング
定番の豆のスープ
羊の骨付肉の煮込み
半月かけてイラン西北部高原地帯を一人で旅をする。
昨夜、遅くテヘランに着き、その足でホテルMashadにチェックインする。イランのビザを取るために航空券を買う時に旅行社が予約したホテルだ。
朝、起きると予約してあったタクシーがすでに待っている。黄色いのがそのタクシー。これで2週間かけて5千キロの距離を走る予定。
ハイウエイに出ると、早速イラン国旗のお出迎え
坦々と続くハイウエイを走る。
しばらく走ると雪景色になる。この季節には珍しい雪だそうだ。遠くに見えるのは、レンガ造りとしては最古のスルタニエ・ドーム。もともとはモスクとして作られた。
今は、寂れているが、スルタニエは、イルハン国の首都として栄えた時代があった。それでロータリーに馬と蒙古人の像が建てられている。
昼食はスルタニエの町の食堂
半月付き合うことになっている運転手のラフマニ。日本語がしゃべれる上に、190センチもある長身で合気道の審判の資格を持っているので心強い。
大麦、豆、牛肉、レモン汁、トマトなどの入ったポタージュ。挽肉のカバブ。サフランの色のついた米飯。皿の上の白い塊は、生玉ねぎ。
ホテルの横の遊園地
Zanjyan Tourist Inn。清潔な白樺の木立の中にある。
夕食は、ホテルで・・・レタスとトマトのサラダ
サフランライスのかかった白飯の中に牛肉のカバブが隠されていた。添えてあるのは焼きトマト
平成22年4月15日
金浦空港から羽田まで2時間で行ける。ちょっとした国内旅行だ。夕刻の出発まで時間があるので、昼飯はちょっと大回りして最近発展しているニュータウンで田舎料理を食べる。
この付近は、食堂街となっていてそれぞれ趣向を凝らした建物が建っている。洋食だと、洋館建てという具合だ。駐車場は必要だ。
僕たちが行ったのはこの店。人気店だ。
古く見せかけているが実は見かけほど古くはない。映画のセットと思えばよい。
セットされた料理が運ばれてくる。これは、一人か二人用の小さなもの。
テーブルも何もないオンドルの床に座布団が配られそれに座ってテーブルを待つ。
待つことしばし、これだけの料理が乗ったテーブルが運ばれてくる。よく落とさないものと感心する。日本料理も皿が多いが懐石料理は何度にも分けて運ばれるから気付かないが、一度にこんなに運ばれたら驚く。韓国宮廷料理は日本の懐石料理のように時系列的に料理が運ばれるが、ここの韓国田舎料理は空間展開型というのだろう。真ん中にある牛肉鉄板焼きと鶏は別注文。
庶民の韓国料理、焼き肉なども最初にお代わり自由なキムチやナムルなどの冷たい料理がどんと出てくるが、ここはその大がかりなもの。温かいものはご飯のお焦げにお湯を入れたくらいのものか。
帰ろうとして気付いたのだが、靴がきれいに磨いてある。一度は訪ねたい店。