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Garuda Study

辺境の旅・・・ガルーダを追って

テペ・シャルク

2010-05-14 18:11:00 | ■中近東・パキスタン

平成「21年4月23日

今夜泊るカシャンにテペ・シアルクはある。ここは、中央イランでいまだ十分に調査されていない遺跡としては最も興味ある遺跡だとされている。イラン語の案内板には紀元前6000年前の遺構から木製の車輪が発見されたと書いてある。

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簡単な鉄柵を通り抜けると、すぐに小さな丘が見える。高さは25メートル。

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発掘が進行中だ。

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日干しレンガで積み上げられていたが崩れて土の山に見える。

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発掘が進んだ低層部をみると日干しレンガがどのように積まれていたかよくわかる。上部は風雨を避けるためにトタン屋根で覆ってある。

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中は、たぶん住居だったのだろう、廊下と小部屋がある。

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天井が崩れ落ちて死亡した少女だと説明が付いていた。

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共同墓地も付設されていて、そこからも青銅器、彩文土器、グラス製容器、石器、動物の骨製品などいろいろ出土したが、テヘランの国立博物館などに移されたらしい。ここにも一部保管されていたが、係の人もいないのに乱雑に取り扱われている印象だ。

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とにかく暑い。昨日までの寒さが嘘のようだ。紀元前数千年前からいろいろな人たちが移り住んだところだが、それ以上のことは分からずに見た、といことで早々に引き揚げる。

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エクバタナ遺跡

2010-05-11 20:37:00 | ■中近東・パキスタン

平成21年4月22日ー2

アケメネス朝(前550-330)時代に南から北へ、ペルセポリス、スーサ、エクバタナと王宮があった。それは、王道によって結ばれ、伝令の早馬も走っていた。エクバタナは、王の夏の宮殿であった。

エクバタナの丘には先生に引率された学校の生徒が押し掛けていた。

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男子生徒。

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とても元気がよい。中国人風の日本人の顔が珍しいのか、こちらの方が遺跡より人気がある。

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発掘された遺跡は、トタン屋根で覆われている。敷地が全部発掘されたらかなり広大な面積になり、新しい史実も明らかになるだろう。

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屋根の下に住居と通りの跡。

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小学生の女児。

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イスラム式の制服を着せられているが、快活で明るい子供たちだ。

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女子大生になると落ち着いてくるのか?

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同じ敷地の端にアルメニア教会があった。教会の建築様式を二人の女子学生がカメラと画帳を手に調べていた。

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敷地内の博物館の収蔵品の一例。前2600年ー2200年、メディア時代の陶器。

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アケメネス時代の柱の基石。

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ホテル(パルシアン・エラム・ホテル)に帰る。部屋からの眺め。

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アナーヒター神殿遺跡

2010-05-08 09:00:00 | ■中近東・パキスタン

平成21年4月21日

ケルマンシャーからハマダンに向かうハイウェイにアナーヒター神殿遺跡がある。アナーヒターは、ゾロアスター教ではヤズド(ヤザタ)神群と呼ばれる低位の善神。イランでは、ゾロアスターの宗教革命までは、インド・イラン共通の多神教の神々が信じられていた。

ゾロアスター教では、アフラ・マズダが最高神になったが、それ以前はアフラ・マズダ、アナーヒター、ミスラは同格の神だった。

アンーヒターは、美の女神、水の女神、豊穣の女神であった。

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この神殿遺跡公園は、なかなか管理の手が行き届いていないようだ。測量をする人がいた。この3人だけだ。

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神殿の柱。Dsc_0742

神殿の柱。Dsc_0750放置されているように見えるくらい、時間がかかりそうだ。

敷地は、南側が32メートル前ほど少し高くなっていてそこに神殿があったらしい。そこから望遠鏡で眺めたカンダヴァールの中心地。Dsc_0752

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ガンダーラ パキスタン 平成18年7月

2006-10-03 22:16:12 | ■中近東・パキスタン

7月8日(土)

午前7時頃ホテルを出発、アジア・ハイウエイで北西に向かいタキシラに行く。ジョーリアンの仏教遺跡、シルカップの都市遺跡、タキシラ博物館を見てペシャワールに向かう。3時間ちょっとでペシャワールに着き、パール・コンチネンタル・ホテルにチェックインした後、ペシャワル旧市街のキサ・カワニ・バザールを見学。ペシャワールは、2世紀にはクシャン朝の首都となりガンダーラ美術の中心となった。

一眼レフで撮った写真を収めたSDカードを失くしてしまったので、戸外の写真を掲載することが出来ない。コンパクト・カメラで写したホテルの中の画像だけが数枚手許に残っていた。それが下の写真だ。

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(ホテルの内部。レストラン入り口。万国旗が飾ってある。韓国の旗の向うに日本の旗もある)

今夜のホテルのレストランの料理は、中央アジア風。

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(前菜。野菜サラダだけ)

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(羊と鶏の串焼き)

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(お茶)

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(音楽)

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イスラマバード パキスタン 平成18年7月

2006-10-02 10:00:00 | ■中近東・パキスタン

7月7日(金)

トラベル世界の案内書を見ていたら、次のようなツアーをやっているのが目に入った。

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(旅行会社の広告)

イスラマバードからガンダーラ地方を通りインダス渓谷を遡りフンザからクンジュラす峠を越えて中国のタリム盆地に入る。一人で行くと面倒なこのルートを、10日ほどで回るとしたら効率がよいと思い、参加することにした。

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(ツアーのルート・マップ)

そのツアーで、今日出発する。成田発14時15分パキスタン航空、北京経由イスラマバード行き。2列 12席ビジネスクラスには、乗客3人だけ。北京までは他の人は、前の席に二人座っているだけだった。北京から5、6人乗り込んだ。

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(PK853 ビジネス・クラスの内部)

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(前菜)

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(メイン)

パキスタン時間真夜中の午前1時イスラマバード空港に到着。所要時間11時間。そこで、ツアーをご一緒にする9人の方々と合流しバスでホテルに向かう。

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(パール・コンチネンタル・ホテル)

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