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Garuda Study

辺境の旅・・・ガルーダを追って

チャルクリク-チェルチェン タクラマカン砂漠 平成18年8月

2006-12-17 19:46:50 | ■中国

8月11日(金)

昨夜は、ミーラン遺跡の帰り夜が更けて真っ暗になっていたが、悪いことに石油会社の爆発の実験にぶつかり道路上に長く待たされ、ホテルに着いたのは12時。その上、宿泊予定の「楼蘭賓館」が、政府の会議のため「天然居酒屋ホテル」に変更になった。さらに悪いことには、ホテルに着いたら停電だ。エレベーターが動かないので荷物を階段で持ち上げローソクの火で明かりを取る。

チャルクリクからミーラン遺跡の間はハイウェイを建設中だ。昔は、ミーランが栄えていたが、今はチャルクリクは西域南道の交通の要所になっている。朝、窓から眺めるとホテルは広い三車線の道路に面している。

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外の景色は、すっきりして近代的だが、朝のバイキング朝食はしゃれっ気がないプラスティックの容器に並べられている。

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タヤルクリクからチェルチェンまで320キロ。坦々としたハイウェイ。これも完成したばかりらしい。

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工事中の箇所もあった。立って弁当を食べている。こうでなければ、突貫工事は出来ない。

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何百年経ったのか、立派な胡楊がある。

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チェルチェンに入った。このオアシス都市も立派な道路がある。

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ホテルのロビーに史上最大という翡翠の原石が置いてある。説明によると、1995年、崑崙山脈北麓で発見されて73人の人夫が98日かけてここまで運んできた。21キロの道路もその目的のために作ったそうだ。それにしても、中国人は良く働く。

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町のバザール。

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人力車のウイグル人。

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漢民族が大好きな豚の人形と漢民族の子供たち。ちなみにウイグル人は回教徒なので豚には近づかない。それで、漢民族の天国となる??

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ミーラン遺跡 タクラマカン砂漠 平成18年8月

2006-12-15 00:29:41 | ■中国

8月10日(木)

コルラ市はモンゴル族の自治州として、1989年から石油基地として発展してきた。人口、100万人。そのうち漢民族が65パーセントを占める。昨夜泊まったホテルの名前もタリム石油賓館という。並木通りの右側に見えるビルがそのホテル。

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今日は、コルラからタリム盆地を横断してチャルクリクまで450キロを走る予定になっている。

途中、タリム川の川面が時々現れる。赤い花をつけたタマリスクが見事だ。旧約聖書の出エジプト紀にも出てくる砂漠の植物だ。川の辺なので大きく育ったのだ。

タリムとは、手綱を外した馬という意味だそうだが、その意味がタリム川にはぴったり当てはまるようだ。馬が暴れるようにタリム川の流れが変わるごとに多くの都が滅びていった。218号線の西側の砂漠の中には川の流れが変わって捨てられた楼蘭がその例だ。

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ハイウェイに沿って胡楊の木が群生しているところが見られる。胡楊は、若いうちは柳の葉のように細いが日がたつと丸くなるようだ。胡楊は、乾燥に強く固い木だ。生きて千年、枯れて千年、使って千年といわれるほど長持ちするそうだ。

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(胡楊林)

三十六団。タリム川の水を引いて作ったオアシス。下放した軍隊が造成したという。ここで昼食。

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ポプラ並木。20年ほどで道路を覆うようになるという。

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20世紀初頭、ヘディンは楼蘭の発掘で有名になったが、インド考古局に働いていたいたイギリスのスタインは、ミーラン遺跡(美蘭故城)の発掘で名を上げた。下は、ミーランの第三寺址。そこでグレコローマン風といわれる「有翼天子像」という壁画が発見された。810_23

(ミーラン第三寺址)

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(「有翼天使像」)

ミーラン遺跡風景。

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ウルムチからコルラへ タクラマカン砂漠 平成18年8月

2006-12-14 16:58:06 | ■中国

8月9日(水)

市内の丘の上から眺めたウルムチ市。天山北路にあるオアシス都市。想像を超える大都会だ。人口280万。漢民族が75パーセントに対し、ウイグル族は10パーセントしか住んでいない。

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昨年10月にオープンしたウイグル自治区博物館。ここに「楼蘭の美女」が眠っている。

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ちょっと目を惹いた銅製腕輪。博物館ショップで本を買ったら日本のサミット・ストアの袋に入れてくれた。何故なのだ。

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ウイグル空港。新しくて大きい。

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天山山脈は、一連ではない。幾重にも重なって広大だ。高所に残る万年雪が面白い造形の美を見せる。

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コルラ空港は、現在建設中だと聞いたが、今使用中の飛行場はお粗末なもの。

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露天の果物屋。この辺りのハミ瓜はよく知られているが、桃の形が面白い。

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扁平な形をしていて毛がやや濃い。だが濃密な果汁が多くて美味。播桃というのがこの桃の種類で、日本ではその形から座禅桃という名もあり、少量生産もされている。崑崙山に住む西王母の桃として知られるのが播桃だ。

ここからそれほど遠くないボゴダ山(5,445m)を、土地の人は西王母が住む崑崙山だと考えている。ボゴダ山の中腹、1,980mのところに天池という天然の湖がある。ここは西王母が水浴びした瑶地だとして今は人気のある観光地だ。

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下は、ボストン湖(西海)の見取り図だが、海抜1048メートルのところにあり琵琶湖の1,5倍新彊で最も大きい淡水湖だそうだ。ここからタクラマカン砂漠に多くの川が流れ込んでいる。

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鯉、草魚など魚の種類も多く養魚も盛んだ。また蘆の生産地としても有名で良質の紙の原料や建築資材その他多くの用途に用いられ重要な資源となっている。

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タクラマカン砂漠 平成18年8月

2006-12-09 15:00:00 | ■中国

8月8日(火)

大韓航空にてソウル経由ウルムチまで飛ぶ。

今度の旅は、13日間でタクラマカン砂漠を一周(3500キロ)しようというのである。

行程は次のとおり。

東京、ソウルからウルムチに入り、ウルムチ(天山北路)から天山山脈を越え、コルラ(天山南路)へ至り、コルラから崑崙山脈の麓のチャルクリク(西域南道)に出る。

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大韓航空のビジネス・クラスは、成田からソウルまでは機材もよく、サーヴィスも行き届いているが、ソウルからウルムチまでは放ってある感じを受ける。

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(ビジネス・クラス・キャビン。乗客少なく、5、6人の交代要員のスチュアデスがいるだけ)

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(出された食事)

成田を午後5時に出て、ウルムチに着いたのは、翌日の午前1時すぎだった。


上海虹橋迎賓館 平成18年7月

2006-09-29 23:40:00 | ■中国

7月1日(土)

T君の勧めで、最後の二晩は、上海には珍しい、広い敷地に囲まれた「上海虹橋迎賓館」に泊まる。しかし、このホテルの本館は格式のある建物で客室も広くて立派だが、宿泊客が少ないのでちょっと寂しい。

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(本館前)

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(部屋からの眺めー緑の多い庭園。遠くに高層ビル群)

朝食のコーヒーショップも普通の別館の方が生き生きとしていてよい。

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(別館のコーヒーショップ)

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(エクスクルーシブな本館の朝食の贅沢なスペース。静か過ぎる)

8時30分、T君の見送りで空港に着く。

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(上海空港のゲート内)

ポートマン・リッツ・カールトン、杭州シャングリラ、蘇州シェラトン、黄山西海、上海虹橋迎賓館、と高級ホテルに泊まり歩き、豪勢な料理を食べ廻って、ずいぶん高価な旅行をしてきたように見えるかも知れないが、ホテル代が少し高いが、それも日本国内に比べると何ということはないし、中国の交通費もとても安い。料理に至っては、日本の5分の一以下の値段と思われるほど。そのようなわけで、それほど金はかかっていない。東京・成田間の航空運賃ももエコノミーのディスカウント・チケットなので九州行きよりやすいかもしれない。

エコノミーの機内食は貧弱だ。これは、いつも思うことだがこれなら駅弁の方が数倍美味い。

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(機内食)

[追記]  日本に帰り着いて、あまり時間が経っていなかったが、思いもよらず晴天の霹靂のように、突然橋本龍太郎元首相の訃報に接した。黄山の麓の町で拝見したお元気な笑顔の写真には、左手にカメラをしっかりと握っていられるのが写っていた。ほんの2ヶ月ちょっと前の写真だった。人の命の儚さと言うものか。山水画の世界、仙境といわれる黄山で、朝日が昇る写真は上手に撮れただろうか・・・

同行の友人古川貞二郎君は、かって内閣官房副長官として橋本首相に直接仕えたことがある。黄山で偶然に出会った写真では生気に満ちた姿だったのに、その橋本首相が、どういう因縁なのか、私たちが帰国した、ちょうどその日に亡くなられたのだ。・・・古川君は、翌日、お通夜に出席した。 

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オールドマン・ジャズクラブ 平成18年6月

2006-09-29 09:15:36 | ■中国

6月30日(金)

豫園も上海に来た人は必ず見るところだ。豫園の外に大規模な豫園商場がある。この地方の伝統的な建物にレストラン、土産物屋、骨董品店などがある。

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(豫園商場の通り)

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(骨董品店。何者だ?この木彫りは・・・)

南翔饅頭店。この店の支店は、東京の六本木ヒルズにもある。この本店では、出し物は、点心だけではなく二階から三階に進むと本格的な中華料理のメニューもある。

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(点心を作る厨房)

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(よく売れる。高く蒸篭が積まれている)

[お別れ会は、王朝海鮮大酒楼で・・・]                              T君に言わせるとこの辺りはB級レストラン街ということだが、どうしてどうしてそんなことはない。以前から何回か来たこの海鮮料理店は、上海に来たら必ず寄りたくなる店だ。値段の割りには、味は一級だと折り紙をつけたい。

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(店の入り口)

入ったところ。右側にある水槽がすごい。何という名の魚か真紅の雀のような魚が無数に泳いでいる。

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(一階の受付)

総勢15名。                                              

東京から来た私たち夫婦と友人夫婦の二組。

学生時代の友人故中村節生(九州大学第一回松原賞受賞者)の息子のT君。上海在住。T君は、親譲りの小説作りの巧者で文芸同人雑誌「四人」に小説を発表している。その彼の「上海便り」というエッセイは、定期的に北九州のラジオで朗読されている(T君は会社の仕事があるので黄山などの小旅行には同行しなかった)。                                                  

T君の新妻。上海在住。彼女は、私たち共通の友人森敏子さんのお嬢さんのT子さんだ。森敏子さんは、「白桃」に属する俳人。福岡在住。情感に溢れた、才気の迸る俳句を作る。福岡県知事賞をもらっている。また中国で、高感度NO.1日本男子の俳優高倉健の妹さんだ。

あと一人は、唯一の上海娘の燕燕ちゃん。燕燕と私は呼んでいるが、学生である一方、実は上海在住諸君の中国語個人教授の先生だ。日本語の読み書きも並みの日本人以上に優れているだけではなく、才能豊かで勉強熱心な可愛い美人だ。

以上7人が昨日までの旅行に同行した組で、後の8名は上海のY社の人々。今日は、金曜日の夜なので会社が退けた後、食事に参加してくれた。蘇州を案内してくれたF君は、週末なので上海に出てきてくれたし、N君は四川省の成都支店の勤務だ。

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(乾杯!)

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(乾杯!)

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(ご婦人方と魚選びの名人M君)

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(それぞれが知恵を絞ったお土産を持ってきてくれた。四川から辛い唐辛子料理の素は、N君)

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(たくさん貰って大変)

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(燕燕も何か大きなものをくれた)

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(燕燕の挨拶)

みんなに愛される燕燕。

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話の勢いで「世界燕クラブ」という会を創ろうという話になった。

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さらに余勢を駆って和平飯店に行く。和平飯店は外灘、以前のフランス租界にある。  「OLD JAZ BAND」として世界的に有名なジャズバンドだ。Cimg3137

(和平飯店前の道路。道路の反対側は川)

ジャズに合わせて静かに踊るというのが雰囲気に合っているのだろうが、バンドの人に耳打ちするとバンドが賑やかに演奏し始めた。そこで控えていた我らのYKK軍団が現れて踊り始めた。

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(初めは静かに・・・)

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(だんだん盛り上がってくると・・・・)

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(他の観客も加わり始め・・・)

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(全員集合)

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(慣れない振り付けに、出て行ったはよいがついていけない・・・・)

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(この踊りを楽しむために休日に家で特訓しているそうだ。観客は、和平飯店の中国人専属ダンサーと思っているかもしれない。異国でこれくらい天衣無縫にやれれば大丈夫だ。日本男子、捨てたものではない)

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(女性客には人気があるのだろうな。一緒に踊るのは女性が多かったし、また女性の方が男子より雰囲気に乗って巧みに踊る)

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黄山下山  平成18年6月

2006-09-27 11:23:43 | ■中国

6月28日(水)

朝暗い中に起きてご来光を見に行く。ヴュー・ポイントは既にいっぱいの人で朝日の上る方角を覗くことができないくらいだ。

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(日の出を待つ人々)

仙境といわれるこの山に、これほど人が出るとは思いがけなかった。人垣の間から日の出の写真を撮るのは並み大抵のことではない。一定の場所から見て画になる朝日と山の峰は狭い範囲に限られている。

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(何とか写った朝日はこの様)

ホテルをチェックアウトしてロープウェイに向かう。ここまででも4キロではきかないだろう。

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(山道は階段の多い、よく整備された歩道がついている。しかし車道はない)

ロープウェイの駅まで来たら強風でロープウエイが動かないという。このロープウェイは全長約3000メートル。高度差約800メートル。所要時間8分。階段は4千段。その階段を歩いて下ると2時間半、ということだ。いつ風が止むか分からない。迷ったが、飛行機の時間があるので歩いて下りることにする。歩く人が増えてくる。

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(山道を下る)

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(ロープウェイに乗らずに歩いて来る人もある)

ホテルの食料、ミネラル・ウォーター、何もかも天秤棒で担いで上ってくる。シーツやタオルなども下界まで担ぎ下ろして洗っているようだ。山には何軒か大規模ホテルがあるから、これはいかにも大変な作業になっている。ホテルで贅沢な過ごし方をして申し訳ないような気持ちになる。

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(食料品を運ぶ人)

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(建設資材を運ぶ人)

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(混んできた。食料品を運び上げる人が大変だ)

ホテルを出てから5時間半。やっと下界に着く。屯渓の街に出て偶然に老舗のお茶の店に入ったら、橋本元首相がここを訪れた時の写真が掲げてあった。

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(屯渓の老街)

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(橋本首相。写真には4月20日の日付が入っていた)

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(茶屋の店先。橋本首相を応対した店員。江沢民主席といい橋本龍太郎首相といい、よい宣伝材料になっている)

上海に帰り着いて、日本料理屋に行き鍋焼きうどんやざる蕎麦などを注文。

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黄山行 平成18年6月

2006-09-25 09:00:00 | ■中国

6月28日(水)

到着した夜から二泊と昨夜一泊したリッツ・カールトン・ホテルを完全にチェックアウトする。今度の黄山行き小旅行から帰ってきたらT君手配の別のホテルに泊まることにする。

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(リッツ・カールトン・ホテル玄関前)

昨日までの自動車旅行の疲れのせいか、雲の中で夢を見ているようなみんなの様子だ。

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(屯渓行き中国東方航空5493便)

黄山とは・・・・・?

黄山は中国十大名勝地の一とされ、世界遺産に登録されている。漢人の祖先とされる黄帝が、ここで不老不死の丹薬を練ったという伝説があるように、年間三分の二が霧と雲海に閉ざされた黄山には仙境のような趣がある。既に唐の詩人李白が「黄山四千仞にして、三十二蓮峰あり、丹崖石柱を挟み・・・」と詠じたように古くから知られていて、文人墨客の憧れの地なのだ。

屯渓の空港までは、黄山の旅行会社が迎えに来ていた。ケーブル乗り場までの道程で昼食をすることになる。素材を選ぶとそれを調理してくれる。

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(空港まで迎えにきたミニヴァン)

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(料理屋の前)

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(野菜中心の料理)

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(雲谷ロープウェイ)

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(ロープウェイからの眺望)

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(ロープウェイからの眺望)

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(韓国からの観光客。ソウルから屯渓までチャーター便が出ている。山歩きの身支度も完璧)

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(中国の観光客)

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(天候がくるくると変わる。遅くなって快晴)

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(私たちが泊まった西海飯店)

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(西海ホテルから1,5KMのところにある北海賓館。江沢民もここに泊まった。橋本元首相も今年の4月頃泊まったということだ)

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(江沢民の立派な詩と書)

ホテルのレストランで、火腿冬瓜汁、苦瓜炒牛柳、蒜時菰、笋干焼肉、板栗焼鶏、鉄板毛豆腐、椒塩仔排、西海炒飯などを食べる。ビールや紹興酒などいろいろ揃えられるが、道がなくて自動車など運搬器具が使えないので、これは全部人間が背負って下界から運んでくるのだ。

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(一品黄山ビール)

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(板栗焼鶏)

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(椒塩仔排)

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鉄板毛豆腐)

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(古越龍山ー紹興酒)

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(確かに鉄板毛豆腐のように臭い料理もあった)

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蘇州、拙政園、寒山寺 平成18年6月

2006-09-23 23:02:00 | ■中国

6月27日(火)

蘇州呉宮香来登大酒店(Sheraton Suzhou Hotels And Towers)は、最近開発された地区に建てられた。城と仏塔、古い建築様式の建物で統一された贅沢な広い敷地である。アメリカ的な計算された効率性はあるが、未知の意外性に乏しいのがやや不満ということであろうか。

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(ホテルの客室)

拙政園は、留園、獅子林、滄浪亭とともに蘇州4大名園の一つに数えられている。Fさんの労作のスケジュールに従って、今日は拙政園の観光から始める。堀や池の中に風雅な名前のついた亭、軒、館、堂、閣、楼という名の建物がいくつも建っている。水がテーマになっているのではないかと思われるこの庭園には、水面には蓮の花が開き、今がいちばんよい季節ではないだろうか。

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(拙政園の門前の通り)

中国では、漢字が簡体文字に変わった。昔の漢字を知っている日本人には、趣が少なくなり残念だと感じられることがよくある。確かここには以前「聴雨軒」というのがあった。蓮の花に降る雨の音を聴く東屋という意味だ。いい名前だと思っていたが、入り口でもらった案内書にはその名が載っていない(中の建物にはその字で表示があったかもしれない)。蓮を吹く風が四方から入ってくる東屋という意味の「荷風四面亭」という名がパンフレットには載っているが、風の字が簡体文字に変わっている。これは、字を見て改革前の字が推測できるからまだしもよい。

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(琴を奏す東屋)

昼食は・・・Fさんのスケジュールには、(1)蘇州でいちばんおいしいと言われる、庶民のラーメン屋「同興徳」。(2)静かな蘇州の古い書院で点心「聴楓園」。(3)中華で胃が荒れていらしたら「水の郷」・・・とあるが、どれがよいかということになったが、結局疲れているみんなは、(2)の静かな「聴楓園」がよいということに決まった。

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(聴楓茶館)

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(豪商の屋敷だった聴楓茶館の静かさと雰囲気はとてもよかったが、点心はそれほどでもなく、ラーメンの方がよかったなんて勝手なことを言う人もあった)

次に虎丘に行った。春秋時代の呉王闔閭の墓がある。丘の上には、高さ47メートルの斜塔がある。この斜塔が有名でほとんどの人はこの塔を見に丘に上っていくようだ。だが、塔は遠くから眺めた方がよい。以前短い時間で塔の近くまで行ったことがあるが疲れただけだった。その時間があれば、虎丘の廻りの堀を船で廻る方がよいという話になる。

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(虎丘入り口。遠くに斜塔が見える)

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(船乗り場)

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(魚を釣る人)

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蘇州に観光旅行に訪れる日本人は、必ず寒山寺に寄ると言う。そのあたりは欧米人とずいぶん違うようだ。

日本人で「月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船」という詩を途中まで諳んじている人は多い。だがこの詩の題名は、というと「楓橋夜泊」という題名を知っている人は少なく、ほとんどの人が「寒山寺」と思い込んでいる。それほど「寒山寺」は、有名なのだ。

次に「寒山寺」を有名にしたのは、寒山拾得の故事だろう。寒山・拾得の飄逸な姿は、中国・日本、ともに伝統的な画題だった。

寒山寺を訪れた人は、ほとんど上にあげた詩や画から受けた印象と異なった今の寒山寺の世俗的な様子を見て失望するようだ。ガイドによっては、「寒山と拾得という仲のよい兄弟は・・・・・」といった解説をするのも仕方ないことだ。

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(屋根の上の寒山・拾得)

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(観光客は、鐘を撞く行列を作るので精一杯)

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来飛鷲霊 平成18年6月

2006-09-22 12:25:00 | ■中国

6月26日(月)

朝、起きて、シャングリラ・ホテルの窓から眺める西湖の趣はなかなかのものだ。眼下の濃い緑の彼方に蘇堤の伸びているのが見える。

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(蘇堤-詩人蘇東坡がこの地の知事だった時に作った堤。2,8キロある。ここは、春がよいとされる。蘇堤春暁、西湖十景の一に数えられる)

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(朝の体操をする近所の人)

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(西湖十景の一、曲院風荷ー荷風は、蓮の花に吹く風という意味。ここは、夏今の時期がいちばん。宋の時代、蓮の花の香りが回りに漂うことから、この名がついた)

インドの僧によって4世紀の前半に開山された禅宗の霊隠寺。山ごとインドから飛んできたという人もある。堂の入り口に掲げられた「来飛鷲霊」という言葉に目が惹き付けられた。ガルーダが飛んできたという意味ではないか。これは・・・・。

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(堂の入り口)

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(中国では、弥勒如来は、(英語でSMILIMG BUDDHAとも呼ばれるような)笑い顔の仏陀像に変身することが多い)

昼は、素朴な中国茶の茶屋で食事する。

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(一戸建ての田舎の家)

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(簡素だが清潔な室内)

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(もろきゅう?)

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(風変わりな筍)

夕刻までに蘇州に着いた。Y社のFさんの案内でずいぶん古そうな大邸宅の大きな部屋に案内される。他に食事している客はいない。我々一組らしい。美術館のようで書や絵が陳列されている部屋があり、それらは販売されている商品でもある。

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(昔の知事の邸宅であったというこの家は、文化財に指定されている)

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(立派な柱)

皿に盛られた料理は凝っている。料理の名前もまた凝っている。

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(芒果牛子排)

次の「稲草扎肉」は、実は、「東坡肉(トンポーロウ)」だった。東坡肉は、上で述べた西湖の堤を作った詩人、蘇東坡の「東坡」から来た。

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(稲草扎肉)

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(迷你蝦仁)

いろいろな料理が十数種類出てきたが、これを作ったのが次の写真のシェフ。数たくさんの賞をもらった有名シェフだという説明だった。

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紹興酒の里 紹興 平成18年6月

2006-09-01 01:09:00 | ■中国

6月25日(日)

チャーターした車で、紹興まで行きそこから引き返して杭州の西湖まで行く予定だ。上海ー杭州高速道路の嘉興レスト・エリアに寄る。4月に嘉興に来た時には、下りるまでもなかったが、4年ほど前に来たときから見ると大きな変わりようだ。よく整備されている。便所なども見違えるようによくなっている。

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それは、紹興の街の中でもそうだった。道もきれいになっている。しかし交通機関は変わっていないところもある。

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(周恩来記念館)

紹興は、政治家周恩来の祖籍として知られているが、それよりも文学者魯迅の少年時代を過ごした場所として有名だ。

魯迅郷里歴史地区として、日本円にして150億円を超える総投資額の保護プロジェクトが始まっているとのことだ。この地区には魯迅の旧居、魯迅の先祖代々の家、三味書屋、百草園の魯迅ゆかりの地が集中している。

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(魯迅の肖像画を前に撮影が行われていた)

このプロジェクトのせいで4年前に来た時とは、すっかり様子が変わっている。咸亨酒家の前の道路も取り付けが変わっているので運転手に道が違うと注文をつけたほどだ。そのせいで店の外観も変わって見えたのだ。

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(魯迅の小説「孔乙己」の舞台となった咸亨酒家)

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(咸亨酒家、一階。外までお客で満席)

だが内部の様子はほぼ同じ。2階の個室は以前に来た時と同じ部屋を取ってもらっていたので落ち着きがよかった。料理は、独特な紹興の田舎料理。味は濃いが、滋味馥郁として筆舌尽き難し、とはこのことか。この日の夕食は西湖の超有名な楼外楼でしたが(日本人は10人中9人までは楼外楼の料理のほうが美味いと言うが)、比較すると、咸亨酒家の値段は半額だが、味は比べ物にならないくらいこちらが上だ。これは、以前にも感じたが、今度は盛り付けが洗練されただけ余計に咸亨酒家がよく思えた。魯迅の小説の孔乙己は、空酒、またはせいぜい茴香豆くらいのものだったが、この辺りの人々も贅沢になったのだろう。

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(越味龍蝦-見栄えがよくなっている)

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(醤肉蒸河蟹)

御碑亭の「蘭亭」の字は清代康煕帝が書いたもの。

市内から西南13キロメートルの蘭諸山の麓に「蘭亭」がある。2400年前に越王勾践が蘭の花を植えたことから「蘭亭」と呼ばれるようになったらしい。1600年前、東晋時代の書の大家、王義之がここで「蘭亭集序」を書いたことから書の聖地として称えられるようになったらしい。

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(後ろの山が蘭諸山。史上有名な会稽山も近い)

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(「鵞鳥」の「鵞」の字は、王義之自身の字、「池」はその子の字だという)

王義之は、鵞の字は字の総ての要素をもつとして、鵞の字を何度も何度も字の修練のために書いたという。また筆の運びに鵞鳥の動きを見たという。

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(池には鵞鳥がいた。家鴨ではない)

西暦353年3月3日。王羲之はここで曲水の宴を催した。この催しは、日本にも伝わって、所によっては、今でも3月3日の節句に曲水の宴を行う慣習が残っている。この日の曲水の宴の参加者で詩作が行われたが、これが今に伝わる「蘭亭集」で王義之の序文が「蘭亭序」なのだ。
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(この人口の小川にのほとりに参会者が座り、上流から流される酒杯が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を作る、という遊びが曲水の宴)

杭州に着き、夕食の後夜店に出る。

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(前の場所とは違った所に移ったが、杭州の夜店は楽しい)

[ブログの予告]

明日、パリに出かけます。

6月の中国の残り。                                             7月のパキスタンのイスラムバード、ペシャワルからインダス渓谷を遡りフンザ、クンジュラブ峠を越え、中国新彊に出て北京経由で帰国した旅。
8月の天山南路、西域南道を廻り、タクラマカン沙漠一周三千五百キロの旅。

以上は、ヨーロッパから帰国後、9月の13日以降に書きます。どうぞよろしく。

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上海の日本租界 平成18年6月

2006-08-31 01:11:59 | ■中国

6月24日

上海には、昨夜着いた。

午前中、上海の租界の歴史に詳しいM君の案内で日本人租界を歩く。日本人租界は、フランス租界などと違って開発が遅れているということだ。そのために昔のままに残っているところが見られる。

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(嘗ての日本人街、虹口-ホンキュ)

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(旧 日本総領事館-紅楼)

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(内山書店の店員の名義で、魯迅は1933年から最後の3年間はここに住んだ)

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(内山書店跡)

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(日蓮宗寺院-本圀寺)

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(西本願寺)

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(租界義勇軍の射撃訓練所があった所は、魯迅公園となっている。ダンスを楽しむ人々)

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(故園茶館-広い庭がある一軒屋の中国茶喫茶店。この懐古趣味が受けているようだ。昼の飲茶よりずっと高かった)

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夜は、魚市が並ぶ市場にある海鮮中華料理店に行くことにする。ただ雨になってしまったので、時間をかけて、ゆっくり魚選びを楽しむことは、出来なかった。

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(水槽にも雨が降る)

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(雨の中、買った魚をぶら下げてレストランに行く)

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(雲中酒楼-みんな集まって大宴会となった)

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(雨のバンド)

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中国粽 上海など 平成18年3月

2006-05-20 16:00:00 | ■中国

3月30日(木)

中国国際航空、成田、上海までのエコノミークラスの値段が安い。往復で3万円程度。国内運賃と比べ、どれくらい安いか分かるだろう。

20時20分成田発の中国国際航空。22時40分上海に着く。1時間の時差があるから3時間20分掛かったことになる。2時間前に成田空港に着かなくてはならないので、16時半全日空ホテル発のバスに乗る。3時間20分のフライトに搭乗までの時間が4時間とはなんともバカバカしい。

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(東京 全日空ホテル横の道の桜)

飛行機の出発時間が遅れ、上海に着いたのが23時半。深夜12時半頃に宿泊するフォーシーズン・ホテルに着く。2005年夏に出来た新しい5星ホテル。

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(ホテルのロビー)

3月31日(金)

ホテルの窓からハイウェイが見える。朝のラッシュが始まっている。

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(ホテルの部屋から)

迎えの車で嘉興市の縫製工場に行く。

嘉興市は、車で上海から100キロ、2時間弱。中国でもっとも物産が豊かな揚子江デルタにある。人口330万。ここの南湖で共産党第一回大会が行われた。今では、縫製に厳しいユニクロ効果のせいか、縫製工場が集まって大きな工業団地が次々と出来ている。

ここの水郷に産する菱は有名で、5月の連休の頃は収穫の季節なのか、ハイウェイの売店で売っていた。日本のものよりずっと大きかったが、値段が安いせいか、大味に思えて有り難みはなかった。それに引き比べ粽の味は香港にまで鳴り響いていてお土産に買って帰る人も多い。

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(中国共産党誕生の地-ハイウェイから見た看板)

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(郊外から始まったビルの建設は、市の中心にまで迫ってきた)

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(粽の老舗)

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(嘉興に来て粽と蟹を食べなければ来たことにはならないと言われる)

夕方7時頃に上海に戻る。帰りは混んでいて3時間くらい掛かった。

新天地。一年半前に来たときから見ても大きな変わりよう。カフェレストラン、ライブハウスなど次々とオープンしている。

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(ライフスタイル提案型ショップSimply Life の新装オープン・パーティー)

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(店の外にはフランスのカフェのようなパラソルが出る)

夕食は、紹興料理のレストラン。魯迅の小説に出てくる店が、今も紹興にある。そこの料理が美味かったのを思い出して、同名の店に入ったが、上海の店は、本場と比べるとまったく落ちる。上海に数店あるようだが、本場の紹興の咸亨酒家のチエーン店だろうか。

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(店の入り口)

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(咸亨酒家の料理。右下が、紹興酒の肴で有名な茴香豆)

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