goo blog サービス終了のお知らせ 

Garuda Study

辺境の旅・・・ガルーダを追って

苗族の村(2) 南花村 平成18年11月

2007-01-31 13:28:12 | ■中国

11月  苗族の村(2) 南花村

丘の上の方に向かって人家がある。丘の上に聳える樹が楓香樹(唐楓)。楓香樹は、苗族の神樹であり生命の樹であり、苗族の精神的支柱と言われる。

Dsc_0904

村に行くには、谷川に架かった風雨橋を渡らなくてはならない。この橋の造りは、少なくともハリウッド映画の「マディソン郡の橋」よりは豪華で立派だ。

Dsc_0918_1

村の入り口。「南花苗寨」と記されてある。村全体が自衛のための砦にもなっていたから「寨」という字がついているのだろう。

Dsc_0707

歓迎の酒を振舞う若い女が待ち受けている。

Dsc_0708

早速、酒を無理やり勧められている人。

Dsc_0709

歓迎の女性群。中年のおばさんが多い。

Dsc_0724

歓迎の男子群。

Dsc_0721

銅鼓。中心に太陽。銅鼓と言えば、ベトナムのドンソンの銅鼓が有名だが、銅鼓のつなぐ社会は東南アジアからカスピ海まで広がっていたそうだ。紀元前から権力の象徴とされていたとのこと。

Dsc_0872

木太鼓。

Dsc_0775

蘆笙を吹く村人。銅鼓、木鼓、蘆笙は、苗族の代表と」される楽器で、銅鼓舞、蘆笙舞、木鼓舞が演じられた。

Dsc_0783

広場の真ん中に蘆笙柱が立っている。本来、蘆笙柱は楓香樹で作られていたのだろうが、この村では新しい石作りとなっている。柱の頂上に太陽、牛の角が乗り、牛の角には太陽、飛龍、飛雲が彫られている。柱には鳳凰が彫ってある。

苗族は、移動の際にまず蘆笙柱をたてそこを中心に村が広がっていった。この場所は苗族でヘソを意味するタウトウと呼ばれ、混沌とした宇宙を秩序づける最初の柱とされる。(萩原秀三郎著「稲と太陽の道」)

Dsc_0730

楓香樹。日本では唐楓と呼ばれる。我が家の近くの世田谷公園にも30メートルを越える唐楓の樹が何本も枝を張っている。

Dsc_0717

酒を勧める歌舞。

Dsc_0773

豊作の喜びを祝う蘆笙舞。

Dsc_0852

「楽しい苗寨」全員総出で踊る。

Dsc_0863

苗寨からの眺め。

Dsc_0895

家の建築が進んでいた。今日は、建前(上棟式)。Dsc_0910

大勢の人が建築中の家の中に車座になっている。おの中、酒の座になるのだろう。

Dsc_0911

楽しく過ごした苗族の村ともお別れ。

Dsc_0919

★ 人気Blogランキング、クリックお願いします★


苗族の村(1) 青曼村 平成18年11月

2007-01-30 20:10:00 | ■中国

11月18日(土)-(1) 青曼村訪問

凱里の中心街にある国泰大酒店前の道路。町のメイン道路は、どこでも大体清潔に保たれている。

Dsc_0615

青曼村付近の眺望。

Dsc_0629

今日も曇っていた。雨こそ降らないが、水が豊富そうだ。伝統的な苗族の村。

Dsc_0633

稲藁が積まれている。住居は、吊脚楼といって、3階建て。一階は家畜。三階は倉庫。人が住むのは二階。

Dsc_0626

甘藷を担いで畑から帰る苗族の男。

Dsc_0671_1

水を汲みに来た女。

Dsc_0631

水草や青味泥や水草で覆われた流れから水を汲む。

Dsc_0632

注連縄のような飾りがついた建物は小さな集会所にもなりそう。

Dsc_0648

正面には、毛沢東と周恩来の写真が飾られている。

Dsc_0649

歓迎のしるしで、酒を振舞われる。

Dsc_0652

女の人が着けている銀の頭飾りの両方に上った形は牛の角を現すのだろうが、下についた羽を加えて全体を眺めると、孔雀に見える。彫り物は太陽を中にして2匹の龍。龍の後ろは魚。

Dsc_0643

観光客向きの店も出る。

Dsc_0679

売り場の観光客を見る子供たち。 

Dsc_0681

おじいさんと子供。

Dsc_0683

★ 人気Blogランキング、クリックお願いします★


苗族蘆笙祭り 平成18年11月

2007-01-30 09:00:00 | ■中国

11月17日(金)-(2) 黄平県の苗族蘆笙祭り

黄平県の苗族蘆笙祭りの初日。近辺の苗族の村々から人々が集まってくる。幾つかの村の合同の祭りで会場は小学校。もっと原始的な鄙びたものだと思っていたのでちょっと当て外れの感じ。

Dsc_0504

(黄平県に行く途中の風景)

Dsc_0514

(小さな集落に入る。祭りの晴れ着を着た子供たちがいる)

Dsc_0521

(牛の角と蘆笙の組み合わせのアーチが建っている)Dsc_0543

(踊りの練習をしている。遠くに学校の校舎が見える)

 

Dsc_0529

(蘆笙を吹く男たち)

Dsc_0542

(蘆笙は日本の雅楽で使われる笙の原型といわれているが、はるかに長く大きく、赤い旗までつけて派手だ)

Dsc_0550

(頭飾りに鳥の飾り、首飾りに2匹の龍と太陽が彫ってある)

Dsc_0555

(真ん中に太陽、左右に龍) 

Dsc_0568

(壇上の子の頭の鳥は、鳳凰であることがはっきり分かる)

Dsc_0545

(子供たちもおしゃれをしている)

Dsc_0554

(壇上の酒壷を持った踊り)

Dsc_0579

(闘牛も行われる)

Dsc_0588

(戦う相手を待つ牛)

Dsc_0590

(馬の競り市)

Dsc_0593

(蒟蒻に唐辛子醤油のようなものをつけて食べる。日本の祭りのようだ)

Dsc_0596

(輪投げ)

Dsc_0601

(蒸し麺麭)

Dsc_0591 

(そろそろ帰る人達)

Dsc_0608

(自動車の観光客も多い)

Dsc_0604_2

(普通の服装をした苗族の子供たち)

Dsc_0609

(再び棚田の風景の中を通って凱里の町へ)

★ 人気Blogランキング、クリックお願いします★


凱里の市場 平成18年11月

2007-01-29 08:10:00 | ■中国

11月17日(金)-(1) 凱里の市場

漢族、苗族、侗族などが入り混じって活気があるが、乱雑、滅茶苦茶な市場。

Dsc_0391

(野菜売り場)

Dsc_0402

(ナマズ)

Dsc_0407

(草魚の頭。いちばん美味い部分)

Dsc_0369

(豆腐、油揚の売り場)

Dsc_0416

(亀)

Dsc_0464

(ウサギ)

Dsc_0392

(牛肉)

Dsc_0424

(犬と羊)

とても見ていられない。しかし私たちが食べられる餅も売っている。

Dsc_0429

(丸餅)

鳥売り場。籠の外に逃げ出す鶏がいるし、天井の方に飛んでいく鶏もいる。鳥インフルエンザなどどこ吹く風だ。羽が空を舞いどうしても吸い込んでしまう。食材に対する考え方が違うので一概に嫌がってもいられない。しかし、この辺りが日本の鳥インフルエンザの流行に係わっていないとは言えないような気がする。

Dsc_0462

(鶏)

Dsc_0470

(鶏を選ぶ人)

Dsc_0454

Dsc_0457

(アヒル)

Dsc_0459

(アヒル)

Dsc_0467

(鳩)

Dsc_0468

(白鳩もいる)

Dsc_0431

(香辛料売り場もある)

ここにお見せした写真は、ごく一部分だ。日本と共通した食材が多いがその中には私たちに、どうしても受け入れられないものもある。西安の市場のように生きた食用の犬は、売られていはいなかった。生きているのもいやだが、されたものも食欲が湧かないというより気味が悪い。

Dsc_0478

(昼の食事。草魚が出た)

★ 人気Blogランキング、クリックお願いします★


黄果樹瀑布、龍宮鍾乳洞 平成18年11月

2007-01-27 19:40:00 | ■中国

11月16日(木)

黄果樹瀑布。アジア最大の滝。高さ74メートル。幅81メートル。

Dsc_0150_1

細い道を歩いて滝の裏側に出る。左側の崖を這うような山道を人が歩いている。

Dsc_0184

望遠レンズで近づくと、観光客で混雑するのがよく見える。

Dsc_0182_1

滝の傍を通らなければならないようになっている。水しぶきがかかる。

Dsc_0213_1

大勢の観光客。水簾洞という洞窟からの眺め。

Dsc_0207

滝ノ下まで下ると、本当だかどうだか分からないが、延長340メートル、世界で最も長いと立て札に説明のある観光エスカレーターを使って谷を登る。露天で蜜柑を売っている。黄果樹瀑布の黄果樹とは蜜柑の樹のことだそうだ。どうりで蜜柑が多いわけだ。

Dsc_0247

蜜柑の色の鮮やかなのにも驚いたが、それよりも、この花胡瓜が美味そう。

Dsc_0248

途中、面白い形をした山が多い。田んぼが広がり豊かそうな風景もある。

Dsc_0278 

しかし、ほとんどは過酷な労働を必要とする山を耕した棚田だ。

Dsc_0295

この辺りは、竜宮風景名所区といい90ほどの鍾乳洞があるという。その中の一つの水中洞窟を船で観光する。天池という池から入る。今行けるのは5,4キロほどだそうだ。

Dsc_0307_1

(大池。鍾乳洞の入り口)

龍宮とは、龍の住む宮殿。その入り口から船で進む。

Dsc_0309

ほとんどが中国人の観光客だ。都会から来た漢人だろう。

Dsc_0318_1

どこまで行ってもきりがないので、観光のボートは途中で引き返して再び同じ場所から天池に出る。

Dsc_0320

天池の水は、滝となって下の川に注いでいる。ということは、水は洞窟の中から流れてくるのだろうが、水の流れは目では見えなかった。洞窟の中の川は入り口の辺りでは相当深いのだろう。

Dsc_0322

上から見るとずっと下の方に川が見える。池に浮かぶ船などが流されないように柵が張ってある。

Dsc_0323

天池の駐車場の片隅で土地の人が焼き芋を売っている。

Dsc_0301

この人は、何かわけの分からない枝のようなものを売っている。苗族の人に違いないが山から取ってきたのだろうが、これでどれだけの収入が得られるのだろう。開発が進むと、どうしても現金が必要になる。

Dsc_0328

この人が売っているのが下の植物だ。食べてみると肉質はアケビのようにやや甘いが、どう見ても子供が山遊びして食べるものとしか思えない。こんな物を売っているとは・・・一束でも買ってよかったと思った。

Dsc_0360

夜遅くなって凱里のレストランでの夕食。店を出るときに写真を写してくれと言われて写した一枚。店のお客とウェイター。

Dsc_0353

一枚写すと、みんな写してくれと寄ってくる。店のウェイターとウェイトレス。無邪気で可愛い。

Dsc_0356

国泰大酒店泊。

★ 人気Blogランキング、クリックお願いします★


貴陽 平成18年11月

2007-01-27 02:45:57 | ■中国

11月15日(水)

広州市は、人口約1000万。上海、北京に次ぐ第3の大都会である。市の空港は、白雲国際空港。中国一の巨大空港。昨年の4月にオープンした。

Dsc_0015_1

(空港の外回り)

Dsc_0016_2

(空港構内)

Dsc_0023

(出発ゲートへの通路)

1時間20分のフライトで貴陽に着く。貴陽は、人口350万。それに見合った空港だが、これも新しい空港。

Dsc_0028

(貴陽の空港)

今回の旅は、15名からなるツアーに参加した。午前のフライトがキャンセルになって午後の出発になったが、個人旅行と違って頭を悩ますことはない。ただ黙って付いていけばよいだけだから気楽だ。

Dsc_0029_2

(現地のガイドが二人加わって、荷物の上げ下ろしなども全部やってくれる)

貴陽到着後すぐに案内されたのが、「甲秀楼」という南明河岸に立つ美しい三層の楼閣。貴陽のシンボル的存在とされている。

ガイドの説明によると、貴陽は、方角が悪く科挙の試験に受かるものが少なかったので、明の時代1598年、時の大臣が、風水を変えて科挙の合格者の数を増やそうと考えて建てたものだそうだ。

Dsc_0032

(橋の前の楼門)

Dsc_0036

(楼門の前で独楽を売る少年)

貴陽は、晴れた日が滅多にない。太陽が貴重だというので、土地の名を貴陽と名づけたのだそうだ。

Dsc_0045_1

(高層ビルも霧の中。冷えて寒かった)

甲秀楼の屋根の先端には、龍と笈を負うた少年の像が取り付けられている。少年の像は、科挙の試験に受かるように祈る姿に見える。

Dsc_0041_1

(屋根の上の少年と龍)

そこには北京の紫禁城にあるのと同じ龍が嵌められた石段がある。

Dsc_0049_1

石段にある龍は近くで見ると雲の中を天に登って行く2匹の龍が彫ってある。正に登竜門だ。

Dsc_0059_2

甲秀楼より100年以上前に建てられたという翠微閣にちょっと目を惹く木彫があった。目立つ部分に鳳凰が彫ってある。そして目を下に移すとそこには龍が彫ってある。そして一番上の部分に人の頭が彫ってある。

Dsc_0053_1

人の頭は、明らかに胡人の特徴が見られる。何時ごろのものだかは分からないが、そんなに新しいものではなさそうだ。

Dsc_0055_1

木彫の横に無造作に置かれた椅子は龍の王座に思えるが、下の方にやはり人の顔が彫ってあり、それも胡人に見える。

Dsc_0056_1

南明河で魚を釣る人がいた。太公望?

Dsc_0068_3

今夜の宿は、栢頓酒店。

Dsc_0072_2

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


苗族の蘆笙祭・貴州・湖南省 平成18年11月

2007-01-25 16:14:00 | ■中国

11月14日(火)

苗族の村などを訪ね、23日まで10日間の旅。行程は、貴陽から黄果樹、凱里、鎮円、鳳凰などを通り張家界空港から帰国。

萩原秀三郎氏の「稲と太陽の道」にある苗族の村、蘆笙柱、フウの木などを見ようというのが第一の目的。中日文化賞を受賞された安田喜憲氏の[龍は中国に生まれた]という説は偏っている、とする私の考え方を再認するのが第二の目的だ。

短い旅だが、取り敢えずざっと見ておいて、大体の感覚さえつかめればよい、もし必要ならばまた来ればよい。

Img133

14時20分成田発。中国南方航空ビジネスクラスの室内。4時間半で広州に着き、今夜は広州泊。

Cimg9604

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


クチャ→コルラ→ウルムチ→ソウル→東京 タクラマカン沙漠 平成18年8月

2006-12-29 13:30:40 | ■中国

8月19日(土)→8月20日(日)

朝食後、クチャからコルラへ向かう。坦々としたハイウェイを走って4時間ほどでコルラに到着。この町で、10日前にボストン湖などを見た。今回は、ウルムチ行きの飛行機の出発前のちょっとした時間に鉄関門を見に行く。

819_dsc_0001_23

鉄関門は、4世紀の始めに築かれた軍事基地で、それ以来ずっと使われてきた。孔雀川の上流にあり、守るによい条件を備えていたので鉄関門と呼ばれた。

819_dsc_0001_39

上流にダムが築かれたので水の流れは少ない。

819_dsc_0001_33

タクラマカン沙漠一周3500キロの旅を終え、いよいよコルラ空港からウルムチに向かうことになる。珍しく靴磨きのおばさんがいたので靴を磨いてもらう。靴の隅々細かなところまで砂がもぐりこんでいるのが取れて、これでさっぱりした。靴磨きの代金は、何気なく払ったので、聞かれても答えられないが、おそらく30円くらいのものだったろう。

819_dsc_0001_44

午後7時25分、中国南方航空、CZ6779便プロペラ機でウルムチに向かう。遠くに見えるのがコルラ空港ビル。

819_dsc_0001_46

ウルムチに戻ってきた。新彊の町を廻ってきたらさらに大都会の印象が強い。300万に近い大都会がオアシスに現れるのだからやはり驚きだ。

819_dsc_0048_10

ジンギスカン料理の大きなレストランがある。建物の正面にはいくつもの羊の絵が豚のように丸々と太って描かれている。

819_dsc_0048_17

ウェートレスの胸にも豚羊のマーク。

819_dsc_0048_19

ウルムチ空港をその夜20日の午前2時10分に大韓航空884便で発ち、ソウル経由で午前11時45分成田着。

819_dsc_0048_11

大韓航空ビジネスクラスの食事。ビビンバだけの簡単なもの。

820_dsc_0074_2

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


クチャ観光 タクラマカン沙漠 平成18年8月

2006-12-28 14:30:00 | ■中国

8月18日(金)

ロバ車に乗ってクムトラ千仏洞に向かう。

818dsc_0198_25

ここは、5-11世紀にかけて開削された岩窟寺院。

Dsc_0252

工事の人が岸壁の斜面に立っている。年月が経って外側は風化が進んでいる。

Dsc_0237

残っている壁画はそう多くはないが、描かれた時はずいぶん色彩鮮やかなものだったのだろうと思われる。これは、天井の中心に描かれた絵の一部、鳥が蛇をくわえている。

Dsc_0254

クチャの北、クチャ川を挟んで東と西に広大なスバシ故城と呼んでいる仏教遺跡がある。ここは、玄奘の[大唐西域記」に出てくるアーシュチャリア城だと考えられている。

Dsc_0287_1

Dsc_0305

Dsc_0307

クチャでは金曜日のバザールがいちばん賑わうそうだ。下はその写真。馬市から野菜売り食べ物屋まで。

Dsc_0340

果物を売る人の前で瓜を食べる人達。

818dsc_0198_134

麺麭を売る人達。

818dsc_0198_127

シシカバブ食堂。焼き鳥屋のようだ。

Dsc_0336

いろいろな南瓜がある。

Dsc_0332

日陰でおとなしく両親を待つ幼い姉弟。

Dsc_0327

夕食後ホテルの近くを散歩していたらビルの地下にインターネット・カフェがあった。

Cimg9208

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


アクス→クチャ タクラマカン沙漠一周 平成18年8月

2006-12-27 20:30:00 | ■中国

8月17日(木)

友誼賓館の部屋。朝の光が入ってくる。外は緑で落ち着くホテルだった。中国国内のテレビが15チャンネルも入る。

816_dsc_1_21_1

ホテルの外は清潔で広い道路。ウイグル人の旧市街に新しい漢人が建設した地域の二つがくっきり分かれる。タクラマカン沙漠を廻る西域北道、天山南路どこでも同じ構造になっているようだ。

817dsc_0024_3_1

アクスからクチャまで260キロ。拝城五彩山という石碑が立つているところで休憩。

817dsc_0024_10_1

確かに山に五色の縞があるのが不思議。

817dsc_0024_15_1

キジル千仏洞。山に仏僧が修業した僧坊と石窟寺院が見える。

817dsc_0024_27_1

この地方には珍しい雨。濡れた歩道の向うに黒く見えるのが鳩摩羅什の像。鳩摩羅什は、4世紀から5世紀頭にかけて生きていた人で、父がインド人、母がキジ王の妹だった。漢訳仏典を300巻以上残している。

817dsc_0024_40_1

ここからクチャまでは道が建設中で通れない。お陰で昔のシルクロードを通れた。

817dsc_0024_87_1

塩水渓谷。流れる水がいやになるほど塩っぽい。7世紀、「大唐西域記」を書いた名高い玄奘三蔵は、この道を通ってインドに求法に向かったのだ。

817dsc_0024_84_2

817dsc_0024_67_1

やっとの思いで塩水渓谷を抜けると、坦々としたハイウェイになる。風で浸食されたすり鉢を伏せたような山が奇妙な風景を作り出している土地だ。

817dsc_0024_100_1

この地形をヤルタン地形と言うのだそうだ。

817dsc_0024_106_1

漢の時代に亀茲(キジ)王が作ったグズル・ガハ烽火台。高さ13メートル。新彊でいちばん大きなもの。観光客が多い。

817dsc_0024_120_1

ここを過ぎしばらく行くと再び塩水渓谷の断崖にグズル・ガハ千仏洞がある。キジル千仏洞に比べ僧坊窟が多い。クチャに近いせいか内部が荒らされているのだそうだ。

817dsc_0024_144

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


カシュガル→アクス タクラマカン沙漠一周 平成18年8月

2006-12-24 08:41:03 | ■中国

8月16日(水)

10時出発。アクスまで470キロ。曇り。天山山脈の雪嶺までは望めず、手前の低い山のうねりが辛うじて見えるだけ。ちょっと残念な道程だった。

途中の食堂でラグ麺とシシカバブの昼食をとる。ラグ麺はどの食堂でも手軽に食べられる麺だ。ウズベキスタンでもそうだったが、中央アジアではよく食べた。

しかし、ラグ麺とはどういうソバなのだろう。ラグ麺とラーメンとは発音が似ているのでラーメンと思ってしまう人がいるかもしれない。だが、この二つは全く別物。ラグ麺には、かん水が全く入っていない。小麦粉を単なる水で練って饂飩と同じ太さに包丁で切って湯で茹で上げたら麺の方は、出来上がりだ。まあ、日本の普通のうどんと同じものと考えていいだろう。

ここからが饂飩と違う。一般的にラグ麺にかける具が二通りある。一つは、羊の肉と野菜のごっちゃ煮、もう一つはトマトと卵煮だ。この二つしかない。日本で似ているものがあるとしたらカレー饂飩だろうか。あれは黄色いが、ここのものは両方とも真っ赤。トマトとパプリカがこの色にしているのだろう。どちらも美味いが、普通の日本人だったらトマトと卵の方を選ぶかも知れない。羊が苦手な人が多いからだ。それに辛さも羊の方だ。

出しの素を持ってきてミネラルウォータでうすめてつけ麺にして食べてもいいだろうと思う。そうすると、卵と羊のぶっ掛けの呪縛から逃れることが出来るかもしれない。

816_dsc_1_4

(羊の具)

816_dsc_1_5

(卵の具)        (ラグ麺。饂飩と同じもの)

食堂の前のハイウエイを横切ったところにコーラやジュースの冷えたのなどを売っている。コカコーラを買う。

816_dsc_1_8

と周りで遊んでいた子供たちが寄ってきて写真を撮ってくれとねだり始めた。無邪気で人懐こい。

816_dsc_1_9

今夜泊まるアクスは、人口56万の思ったより大きな町だ。アクス川と台蘭川の沖積平野に出来たのがアクスは、漢文資料では姑墨と書かれ紀元前からシルクロードの歴史にはよく登場する重要都市だった。アクスは、ウイグル語で白い水という意味だそうだ。現在、石油や天然ガスが出て、再びこの辺りも賑やかになった。

816_dsc_1_10

車高がある車はこの橋は渡れない。

816_dsc_1_11

アクスの新市街。新市街というと漢人が多い漢人の生活の中心だ。

816_dsc_1_16

新市街にウイグル人の娘が豊かな果実の豊作を祝う様子を塑像にしている。

816_dsc_1_17

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


カシュガルとカラクリ湖 タクラマカン沙漠一周記 平成18年8月

2006-12-23 14:49:27 | ■中国

8月15日(火)

色満賓館には、ちょうど一月前の朝方着いて仮眠をとった。パキスタン側から入ったが、途中崖崩れなどで到着が早朝になってしまったのだ。その時とった朝食と同じ献立のバイキングが今回も並んだ。

蒸し焼きの麺麭、油で揚げた麺麭、蒸し麺麭などだが、イースト菌で膨らましたヨーロッパのパンはない。

815_dsc__5

スープと見えるが、玉蜀黍粥と米の粥だ。いちばん向こうの容器は粟の粥だったようだ。

815_dsc__1_1

野菜だけのおかず。豆、もやし・木耳炒め、赤ピーマン・キャベツ炒め、湯葉、ピーマン・トマト炒め。こんなものだ。

815_dsc__2_1

カシュガル川。この川があるので出来たオアシスがカシュガルだ。

815_dsc__15_1

しばらく行くと雪を頂いた山が見える。

815_dsc__47

途中検問所がありパスポートをチェックされる。この辺りで大体海抜3000メートル。815_dsc__49

先月来た時は、夜だった。湖面が白く光り、星が月のように大きかった。しかし、今日は正午、明るく眺望が開けている。

815_dsc__56_1

湖畔にはキルギス人のゲルが並んでいる。

815_dsc__54

カラクリ湖は、海抜3600メートルのところにある。富士山とあまり変わらない高度だが、息切れもしないしないし、逆に空気がよくて快適だ。対岸にムズターグ・アタ山(7546メートル)と、コングール山(7719メートル)が聳えている。

湖の中道にいるのは、羊です。

815_dsc__68_1

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


ホータン→カシュガル タクラマカン沙漠一周記 平成18年8月

2006-12-22 15:40:53 | ■中国

8月14日(月)

ホータンからカシュガルまで、西域北道、550キロの道程。また相変わらず沙漠とラクダの風景。

814_dsc_20

オアシスに入ると、昔からあまり変わらないのであろうウイグルの人々の生活がある。貧しそうだが、与えられた今の環境に素直に従う落ち着いた人々の暮らしぶりが見える。

814_dsc_42

涼しい木立の下に西瓜とハミ売りを売る人たち。頼むと薄く器用にカットしてくれる。ナイフの切れ味もよさそうだが、それよりも腕がよい。おそらく生まれてこの方、これ以外の仕事をしたことがないのだろう。

814_dsc_44

814_dsc_45

ブドウ売りの人もいた。

814_dsc_34

空の馬車を引く人。厳密には馬車ではなく驢馬車だ。ロバのリボンが可愛い。

814_dsc_48

家族連れ。

814_dsc_50

ヤルカンドの鍛冶屋。

814_dsc_61

こうして作られた農機具などが売られている。

814_dsc_62

陶器の皿などを売る店もある。ヤルカンドは、18世紀には今のウズベキスタンのタシュケントと共にシルクロードの二大交易センターとして栄えていた。

814_dsc_64

814_dsc_68

インギザルのナイフは、有名ブランドだ。ナイフの形は民族により異なり、柄も黄銅、白銀、赤棗、鹿や羊の角などを用います。切れ味が良くまた美しいものです。ナイフを売る店と、ナイフの陳列棚が下にあります。

814_dsc_76

814_dsc_74

カシュガルに着いた。ホテルは色満賓館。もともとはロシアの領事館だったといいます。それだけにレストランのシャンデリアや部屋のカーテンに今まで泊まったホテルと異なった趣味が現れている。

814_dsc_77

814_dsc_80

814_dsc_93

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


ニヤ→ホータン タクラマカン沙漠 平成18年8月

2006-12-21 10:33:19 | ■中国

8月13日(日)

今日は、ニヤからホータンまで300キロの道程。ハイウエイからラクダが歩くのが見える。他にも数頭のラクダが群れている。

813_6_1

昨日の写真の枯れたラクダ草は殺風景だが、花が咲くときれいだ。

813_7_1

ケリアの街角。羊の串焼きは美味い。大きな半身がぶら下がっている。日本のような湿気のあるところと違って、空気は乾燥しきっているので、こうしてぶら下げていても、すぐには腐らない。砂の中の墓で人間が腐らず乾屍となることからも分かる。こちらで羊の焼肉が美味いのは、ぶら下げていると、水分が飛んで味が凝縮するからだろう。

813_22_1

上海や台湾などでも朝食に豆乳や粥と一緒に食べる油条がここにもある。見ていると、ウイグル人はちぎってそのまま口に入れて食べている。上海や台湾では、お粥にちぎって入れて食べる。

813_15_1

蒸麺麭。これも今では、中国の代表的な食べ物だが、ここではウイグル人相手の商売になっている。中国に小麦が伝わったのは西暦0年前後だといわれている。だが、蒸し麺麭のような調理方法は中国で始まったのだろう。

813_20_1

この子の座っている卓においてあるのがナンだ。このナンには刻んだ玉葱が入っている。形がやや皿状に窪んでいる。ここに焼肉を入れて食べる。皿の役割も果たすのだ。

813_25_1

漢人は、下の並木の木を白楊と呼んでいる。ポプラの木だ。

813_38_1

育ちが早くてよい材木になる。1本日本円にして100円程度だという。やすい。

813_46_1

マリカワト村から遺跡まで馬車で行く。

813_92_1

遺跡もいいが、ここで見ものはやはりホータン川の玉だろう。川には崑崙山から玉が運ばれてくる。値打ちのある玉を探そうとする人が川に来ている。中国本土に玉は産しない。殷時代の遺跡から発見される玉もホータンを中心とした崑崙山北麓だ。

813_103_1

男は、裸になって水に浸かりながら玉探しをする。これは、職業だろう。

813_109_1

馬車引きの女の子の家族写真。

813_120_1

ホータンのバザール。西暦7世紀唐代の僧玄奘もホータンのバザールの賑わいを見た。813_135_1

胡桃(くるみ)は、ホータンの特産品。

813_141_1

羊の丸焼き。

813_130_1

この人が売っているのは、羊の頭だ。良く焼けていて美味いのだろうが、なれない人にはややグロテスクに映るかもしれない。

813_126_1

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★


チェルチェン-ニヤ タクラマカン砂漠 平成18年8月

2006-12-18 11:33:51 | ■中国

8月12日(土)

チェルチェンのホテルの庭。花を写してみた。園芸種は日本にもあって馴染みのある花がほとんどだ。

812_21

812_19

812_24

812_22

812_26

812_23

今日は、ニヤまで310キロの道程。途中、地主荘園という生活民具を陳列した豪邸を訪ねるが、下の写真はその村の中の道。女の子が歩いていた。

812_63

女の子が入った家を覗くと、家族の人が庭に全員集まってきて写真に収まってくれた。別れる時に頭の上のブドウの房をもぎ取って持たせてくれた。優しい人たちだ。

812_66

チェルチェンの古墳を見た。3,4メートルの深さのところに14名の家族らしい人たちがミイラとなって横たわっている。ガラスで覆われて地下の埋められた様子がよく分かるように工夫されている。小屋に架かっている説明文を読むと、漢字では2600年前、英文ではAD1-5世紀となっていてどちらが正しいのかよくは分からないが、いずれにしてもずいぶん昔に死んだ人たちだ。

812_87

そこからさらに歩いていくとチェルチェンの城跡が見られる。3,5万メートルという広さだそうだ。

812_111

春秋戦国時代の遺跡だということだ。陶器片が散乱している。

812_94

沙漠の野生の植物。ラクダ草と呼んでいるそうだが、さすがに日本にはないだろう。

812_113

砂丘を徒歩で登るのは、容易でない。2歩前進して1歩後退しながら登る。疲れる作業だ。

812_151

★ 人気Blogランキングに参加しています。1点入ります。ここをクリックしてください。その上ランクも見れます★