言の葉・音の葉

名古屋バリガムラングループ
<スアラスクマ>かつのブログ

足助ビトと暮らし(その二)

2011年08月16日 | 日常
朝、ニワトリの鳴き声で目覚めた。
kの家ではニワトリを数匹飼っている。
名古屋の街中でニワトリの鳴き声なんてそうそう聞けない。
「ん、ここはバリか?」
寝起きでぼんやりした頭が錯覚した。

朝日を浴びながら、幼少より虫好きな要との会話。
要「セミの社会にもルールがあるのかな。まず早朝にヒグラシが鳴く。その後、アブラゼミが鳴いて、次はツクツクボウシ。その鳴き声の順序を聞いていると、なにかちゃんと秩序があるように思えた。」
かつ「どれも都会では聞けないセミの鳴き声だねぇ。街のセミは暴力的な程うるさいね、ヒグラシの鳴き声を聞いているだけでもホッとする」
要「人間が作ったコンクリートジャングルに適応出来たのは結局クマゼミだけ。僕が子供の頃は、クマゼミの方が少数だったのに」
かつ「土がないと生きていけないクマゼミ以外のセミは、やむを得ず田舎へと追いやられ、街社会に適応出来たクマゼミのみが繁殖を続けた結果だろうか。そして、喧騒な街に比例するかのように暴力的な鳴き声。人間だけでなく、セミの暮らしも人間が変えてしまったかのようだ」

「自然の中で暮らす。それは人間も含め生物にとってごく自然なこと。しかし便利さを求め都会に住んでいる。何でも手に入る都会に居ると欲望は止まるとこを知らない。麻痺してるとは気付いていてもどうにもならない自分に矛盾を感じる。自分で自分の首を絞めているようだ」

自然の中に来るといつもそんな自問自答を繰り返す。
街に居るからこそ、より多くの人との繋がりが出来る。そして街は人が集まりやすい場所でもある。
それは素敵なことだ。実際、多くの人を必要とするガムランは、人が集まりやすい名古屋だからこそやっていけるのだと思う。そして、それこそが色んな矛盾を溶かしてくれる最大の魅力でもある。
しかし、それでいいのか?ここ何年も自分の中でいつも付いて回る問題だ。


虫好きの要、明らかに目線が違う。
「自然の中に居るとテンションが上がる!」
熱っぽく蝶や蛾などについて語っている。

トンボについて思い出した。
最近たまたまラジオで聞いてとても気になっていた。
日本でのトンボの歴史は古いらしい。
「日本書紀に、秋津国…という言葉が出てくるが、この秋津とはトンボのこと。
日本はトンボの国のようだ」とのことらしい。
確かに日本の景色とトンボは良く合う。
一体、日本らしさとは何だろう?現在、常にそれを追い求めている。
このトンボに何かヒントがあるのでは?そう思うとトンボをじっくりと眺めてみたくなった。

朝ごはんを頂いた後、k夫婦の畑と田んぼを見に行った。
自給自足の生活、大変だとは思うけど素敵だな。
なす、ピーマン、ししとうと沢山土産までもらった。

彼等の、自然に囲まれた静寂な地での暮らし、そして生活スタイルを目の当たりにして、
生き方の選択について考えさせられた昨日、そして今日だった。







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