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今起きていること、ちょっと立ち止まって考えてみよう。

核兵器のない世界を実現していく責務は、核保有国こそが負うべき 

2014-08-07 19:50:06 | 日記
2014/8/7

言葉尻を捉えるつもりもないが、安倍首相の原爆死没者慰霊式での挨拶、昨年もそうであったが、首を傾げる部分あり。

人類史上唯一の被爆国として、核兵器のない世界を実現していく責務がなぜ日本にあるのか。

責務は原子爆弾投下国にこそあるわけで、被害国にある訳がない。

大東亜戦争が自衛か侵略かどちらであっても、切羽詰って始めた戦争。

言い分は双方にある。

一般市民を無差別に行うこうした大量虐殺が人間として許されようがない。

行き着くところまで行ってしまったこの顛末には、まず加害国こそ謝罪すべきあろう。

日本の為政者は、結果として無辜の同胞をこんな無残な目に合わせることになったその無能を恥ずるべきである。

東京裁判では、東条元首相は、同胞に対して取り返しのつかない責任を感じ断頭台の露となった。


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平成26年安倍首相挨拶全文


広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。

 69年前の朝、一発の原爆が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。

 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。

 人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。

 私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。

 本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。

 今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。

 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

平成二十六年八月六日
内閣総理大臣・安倍晋三

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“原爆投下、正しかったが…” エノラ・ゲイ最後の乗組員死去 晩年に語った複雑な思い

更新日:2014年8月1日

 28日、広島に原爆を投下した米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の航空士だったセオドア・ヴァン・カーク氏が、その93年の生涯を閉じた。海外各紙は、「エノラ・ゲイ最後の生存者」だった同氏の生前のコメントをもとに、戦争と原爆投下を振り返っている。

【秘密の任務】
 ヴァン・カーク氏は1941年に米陸軍航空隊の士官候補生となり、第2次世界大戦では、原爆投下訓練のため召集された第509混成部隊に加わった。入隊時、部隊を率いる上官からは、「今は言えないが、うまくいけば、戦争を終結させる、または著しく短縮させることができる何かをやる」と聞かされていたという。

 1945年8月6日の夜明け前、ヴァン・カーク氏は、他の11人のクルーとともに、エノラ・ゲイでマリアナ諸島のテニアンを出発。同機は、マンハッタン計画のもと極秘に製造された、原子爆弾を搭載していた

 ヴァン・カーク氏の任務は、設定した標的の上空に機体を正確に導くことだった。午前8時15分に、エノラ・ゲイは広島上空に到着。同氏が標的を確認した数十秒後、原爆が投下され、14万人が犠牲となる大惨事が、広島にもたらされた(以上ニューヨーク・タイムズ紙、ドイチェ・ヴェレより要約)。

【原爆投下は正当化されるのか】
 晩年のインタビューの中でヴァン・カーク氏は、原爆投下後、「煮えたぎる黒いタールが入った鍋のような、煙と埃と燃えかすに覆われた」広島を見たものの、「戦争が終わった、またはもうじき終わるのだ」という気持ちになり、「安堵したのを覚えている」と答えている(ニューヨーク・タイムズ紙)。

 アメリカでは原爆を投下した乗組員は、戦争を終結させた救世主として見られている反面、核戦争おける倫理観や原爆投下の必要性は、長年に渡り疑問視されてきた、とニューヨーク・タイムズ紙は指摘する。

 ヴァン・カーク氏自身は、他の乗組員と同様に、広島への原爆投下を擁護していた。「我々は絶対に降伏しない、負けを受け入れないと評判の敵と戦った」、「倫理観と戦争を同列で語ることはとても難しい」と述べたあと、「国家は人命の喪失を最低限に抑えて戦争に勝つため、やるべきことをやる勇気を持たねばならない」と持論を語っていた(ニューヨーク・タイムズ紙)。

【戦争、核兵器は解決にはならない】
 ヴァン・カーク氏は、2005年のAPのインタビューで、「第二次大戦でのすべての経験は、戦争はなにも解決しないことを教えてくれる。そして核兵器もなんの解決にもならない」と語り、原爆が日米の命を救ったのだと信じつつも、戦争への不信感を示していたという(ドイチェ・ヴェレ)。

 核兵器廃絶にも賛成していた同氏だが、「しかし誰かが持っていれば、自分だって敵以上に、それを持ちたくなる」と述べ、核のない世界実現の難しさも示唆していた(ガーディアン紙)。