2013/09/18
中国、領土紛争中の南シナ海にブロック設置 フィリピン怒りの抗議
NewSphere | 執筆者: NewSphere編集部
投稿日: 2013年09月05日 18時23分 JST | 更新: 2013年09月05日 18時24分 JST
南シナ海中央部のスプラトリー諸島(中国名南沙=ナンシャー=諸島)のミスチーフ環礁に中国が建設した施設。中国国旗が翻っている。フィリピン軍偵察機が撮影。スプラトリー諸島はフィリピン、中国、台湾、ベトナム、マレーシア、ブルネイが領有権を主張している。太平洋戦争中、日本は同諸島を新南群島と呼んだ。
中国、領土紛争中の南シナ海にブロック設置 フィリピン怒りの抗議
NewSphere | 執筆者: NewSphere編集部
投稿日: 2013年09月05日 18時23分 JST | 更新: 2013年09月05日 18時24分 JST
フィリピン怒りの抗議 中国、領土紛争中の南シナ海にブロック設置
フィリピン国防省は3日、中国が、領土紛争中である南シナ海のスカボロー礁にコンクリートブロックを設置したと明らかにした。中国が実効支配に着手し始めたと非難した。
フィリピン国防省トップは、「建造物を構築する前兆だ」として、「南シナ海行動宣言」に違反していると中国を糾弾した。この宣言は、南シナ海問題の平和的解決を目指し、2002年にASEAN9ヶ国と中国間で調印されたものだ。法的な拘束力を持たないが、中国は対立国が新たな行動を起こした場合に、「南シナ海行動宣言に違反」と相手国を非難してきた。なお、今月中に法的拘束力のある行動規範の協議に着手することに関係国が合意していた。
中国の李首相は3日、地域の安定に影響を与える「かく乱要因」であったことを認めつつも、南シナ海の島々の領有権を巡る問題について、「中国としては、南シナ海の議論は中国とASEANの間の問題ではなく、協力の大事業に影響を及ぼすべきではないと認識している」と発言したことが報じられている。
【フィリピン対中国 スカボロー礁めぐり応酬が激化】
フィリピンは1月、南シナ海の領土問題で中国を国際仲裁裁判所に提訴していた。中国は裁判を拒否しているが、審理は進行中だ。
この件は、「直接交渉を行う」という中国の姿勢に反し、中国を激怒させたとフィナンシャル・タイムズ紙は指摘している。
その報復か、今月3日から中国の広西チワン族自治区で開かれている中国とASEANのエキスポに、招待されていたアキノ比大統領の訪問を見送るよう中国側から申し入れがあり、同大統領は出席していない。
中国は、フィリピンにエキスポ出席を認める条件に国際仲裁裁判を取り下げるよう要求していたと関係筋が明らかにした。
【フィリピン、「再び」悪夢か】
中国は1994年、フィリピンの排他的経済水域にあるミスチーフ礁に、今回と同じような手法で建造物を設置し、実効支配を確立している。そのため、今回の件についてフィリピン当局は強い懸念を示している。しかしながら、自国だけで解決する能力はいまのところないとフィリピン国防省は述べている。
ブルームバーグは、フィリピンがアメリカに対し、スカボロー礁近くのサンバレス州にある軍用基地へのアクセス権を与える可能性がある、という国防省トップの発言を報じている。
ヘーゲル米国防長官は、フィリピンにおける米軍の駐留強化を求めていたとウォール・ストリート・ジャーナル紙は報じており、フィリピンと米国の利害関係が一致する形になりそうだ。
フィリピンの米軍基地撤去 米軍を追い出す闘いは続く
弁護士 アルニー・フォハ(フィリピン)
シンポジウムで発言する
アルニー・フォハ弁護士
こんにちは。米軍基地撤去という共通の目標に向けて経験や知識を共有する重要な会にお招きいただきありがとうございます。
笹本潤さんからメールをもらい、1991年のフィリピンでの米軍基地を撤去させる運動に平和運動家として、あるいは弁護士として参加したのかと聞かれました。私は1991年当時、平和活動家でも弁護士でもなく、フィリピン大学の政治科学の1年生でした。米軍基地撤去の運動には少ししか参加していないと返信しました。
このメールのやりとりで、私が米軍基地撤去について話す資格があるのかを考えました。しかし、考え直し、私はここに来て話す資格があるんだと確信を持っています。私は今、米軍基地撤去を喜んでいる若い世代を代表しているからです。米軍を完全に撤去させる闘いは続いてはいるものの、土地や海や空、とりわけスービックやクラークから、米軍基地が撤去されたのを喜んでいます。アメリカからの真の完全な独立のための闘いは続いてはいるものの、1991年に軍事基地協定の延長を拒否し、アメリカや世界中に対して明確なメッセージを出したのをうれしく思っています。
私はまた、日本の方々の米軍基地撤去にむけた多くの努力を本当に喜んでいるフィリピンの若者をも代表しています。これは米軍基地を日本から撤去させるためだけの闘いではありません。美しい環境を守る闘いでもあり、政府に正しさを要求する闘いでもあり、独立を監視する闘いでもあり、平和憲法の理想を守る闘いでもあるのです。かいつまんで言うと、これらのいいものを、子どもや孫の代まで届けることを確実にするための闘いです。
フィリピンは、日本と同じように、独立した主権国家です。フィリピンの主権は、フィリピンの人々にあります。それなのに何故、アメリカは人々の意志に反して私たちの国に基地を置き続けることができたのでしょうか。そして何故、私たちは基地撤去のために闘わなければならないのでしょうか?
第二次世界大戦中、私たちフィリピン人はアメリカによって開放されたと思っていました。1946年7月4日、アメリカは、私たちの「独立」を認めたものの、まもなく、フィリピン人とその経済と領土を確保し続けることのできるために必要なすべての協定を締結したのは確かです。1947年には、米軍軍事基地協定が結ばれました。その協定は、フィリピンや戦略上重要な西太平洋やインド洋に米軍が駐留するのを認めるものでした。最初の協定は99年間基地を無償供与するものでしたが、その後25年間に短縮されました。この米軍基地協定によって、スービック海軍基地やクラーク空軍基地を主要な基地とした、戦略上重要な23のアメリカ軍施設が正式に認められました。クラーク空軍基地は63,240ヘクタール(ほとんどシンガポールと同じ大きさです)、スービック海軍基地は24,000ヘクタールです。
さらに、米比相互防衛条約(MDT)が1951年に結ばれました。この条約は、両国に外部からの武力攻撃に対して共同の集団的自衛を課したものです。
米軍基地協定によってカバーされた地域、スービックやクラークの広大な土地は、アメリカの領土として考えられ、フィリピンはアメリカの許可なくこれらの基地に入ることはできませんでした。許可なくこの地域に入ったために撃たれたり、殺されたフィリピンの人たちがいました。
フィリピンの米軍基地は、大量破壊兵器、ことによると核兵器の貯蔵庫として使われていました。そして中東やその他の地域を攻撃する発射台や、米軍の訓練センターなど色々な用途がありました。
1991年は、米軍基地協定から25年目の年で、協定の期限を迎える年でした。
1991年9月16日。信じがたいことが起きた日だとフィリピン人は記憶しています。その日、軍事基地協定の延長が拒否されました。フィリピンの上院で12対11で、友好協力安全保障条約という名の軍事基地協定の延長が拒否されたのです。私たちの法律では、条約は上院で承認される必要があるのです。
これは、平和と基地反対運動にとって大きな勝利でした。
1991年、大統領は、コーリーと呼ばれていたコラソン・アキノでした。彼女はピープルズパワーの結果、大統領になったのですが、大統領候補の1986年、米軍基地撤去を約束した選挙活動を行ないました。当時、すでに条約反対の運動がありました。
1988年に、1951年の米比相互防衛条約が見直されました。米軍基地撤去の声がより大きくなり、基地撤去を求める多くのグループが作られました。このようなグループの一つに、ホセ・W・ディオクノ上院議員がリーダーの反基地連合がありました。
1990年に、「Abakada」という最も大きな反基地運動がBagong Alyansang Makabayan氏や新愛国同盟によって組織されました。これには、有名な上院議員が個人的に参加していました。Abakadaは、マニラからクラークとスービックへデモ行進を始めました。Pandayan, Bisig, PDSP, Confederation for Freedom & Democracy, Popular Democracy (PopDem), Nuclear Free Philippines Coalitionなど、多くの反基地グループが参加しました。
コラソン・アキノ大統領は、精力的に延長条約批准のためのキャンペーンをしていました。経済界に影響力があり、与党のリーダーでもある彼女の兄弟、ホセ“元気者”(“Peping”)コファンコは、反基地の上院議員は政党から排除すると脅していたと言われています。
当時の副大統領サルバドール・ラウエルもまた、米軍基地継続に賛成していました。条約拒否は「アジアの安全保障上の危険な空白を招き、国の経済崩壊を招く」と警告していました。
当時のフランクリン・ドリロン上院議長は、同じように条約賛成で、条約拒否は「強力な間違ったサインをアメリカに送ることになる」と言っていました。
当初は、上院のほとんどが条約継続に賛成していました。
1991年9月10日、コラソン・アキノ大統領は、ルネタ公園の米軍基地継続支持の集会の呼びかけをしました。大統領と基地継続支持者たちは、数日後に投票を行なう上院議員に力を見せたかったのです。
基地反対を主張している人もまた、大統領の呼びかけた集会に対抗して基地反対の集会を開きました。この反基地集会は、およそ1万人の人々が参加しました。
1991年9月16日の投票の日は、上院の建物の前には、大雨にもかかわらず(!)5万人の反基地の人々でふくれ上がりました。
劣勢だったにもかかわらず、米軍基地抵抗運動は、明らかに日に日に大きくなってきました。最初は主に反基地の活動家が中心だった1万人の人々が、劇的に5万人に増えたのです!数が増えたのは、以前は関心がなかったものの、米軍基地を追い出すか否かのディベートを聞いて、問題の重要性に気づいたたくさんの学生や市民たちが加わったからです。このように主権者たるフィリピン人は、ハッキリとこう言っていました……。「米軍基地には出ていってほしい!」そして彼らの力を見て上院議員たちは慎重に審議しました。
上院議員は24人いますが、最初は米軍基地の撤去派は8人だけでした。しかし、投票が始まると、米軍基地の延長条約に反対する票が12対11になりました。
基地撤去に導いたのは、様々な要因が考えられます。多くの人は、数ヶ月前、6月15日のピナツボ火山の噴火という自然に助けられたと言います。噴火によって近くのクラークが何インチも湿った灰に覆われてしまったのです。しかし、私は、基地撤去に導いた大きい要因はもちろん人々の力だと思います。
私たちは米軍基地撤去には成功したものの、アメリカに責任をとらせることに失敗しました。アメリカは、死の遺産として知られている、彼らが残していった環境汚染の責任を認めることを拒否しました。
アメリカは、クラーク、スービック基地を長期間作戦に使用してきたため、この地域の環境と人々の生活に莫大な損害を与えました。
「ほぼ1世紀にわたったフィリピンでの軍事作戦の後に、米軍は土地の汚染を残していった。毒性の溶剤、殺虫剤、石綿、重金属、不発弾、その他有害物質などです。クラークとスービックの46ヶ所にものぼる地下水と土壌の深刻な汚染が、アメリカ会計検査院(GAO)、世界保健機関(WHO)、アメリカとフィリピンの非政府系専門家、2つのアメリカの環境会社、国防総省の内部資料で報告されています。アメリカが環境基準を満たしていないことは、GAOによっても指摘されています。しかも、アメリカの役人はその問題を認めることさえ拒否しているのです。」
「アメリカ軍は、有害な荒廃を残しました。子どもの手足の障害を引き起こしたと考えられている化学物質が入った有害な水から、村人に障害を負わせたり死なせたりする不発弾まで。」
ピナツボ火山噴火による100人以上の避難民は、(多くが子どもでしたが)白血病や癌でなくなりました。スービックベイ周辺の地域では、アメリカが遺していった不発弾が残酷な被害を引き起こし、これは今でも続いています。
アメリカにキレイにさせるという声があがったとき、当初はアメリカはきっぱりと環境破壊を否定しました。その後、環境破壊があったことをしぶしぶ認めたものの、いかなる責任をとることも拒否しました。基地をすべてキレイにするとなると少なくとも20億ドルかかり、アメリカはそれを払うつもりはありませんでした。その上、払うという前例も作るつもりはありませんでした。アメリカは、軍事基地協定には、基地をキレイにするという規定はない、責任は基地を返還した後はフィリピン政府に移ったと主張しました。
2002年の12月、36人のフィリピン住民とArc Ecology & FACESは、アメリカではスーパーファンド(大型基金)法として知られている包括的環境対処・補償・責任法に基づいて、クラークとスービックの環境評価、現場視察を実施するようアメリカ国防総省を相手に訴訟をおこしました。このケースとこれに続く他の類似ケースは、上記法律は米軍基地であったところに関して適用されない、ということで却下されました。
残念なことに、米軍基地であったところはきれいにされず、“きたない状態のまま”無謀にも商業地や観光地として開発されました。
それから、1991年の勝利のどんでん返しとして、1999年に米軍訪問協定が結ばれました。これは、日本がアメリカと締結している地位協定と似ています。私たちは、米軍訪問協定(VFA)と呼んでいます。アメリカとの訪問協定は不公平で一方的です。米国に対する刑事裁判権を放棄し、フィリピン国内で多くのアメリカ軍の規制のない駐留を認めるものです。現在、何百もの米軍はフィリピンのミンダナオにいます。米軍はビザなしで入国でき、規制はなく、事実上、司法権は彼らに及んでいません。
私たちは、それゆえに、米軍フィリピン駐留に反対する闘いを続けています。私たちは、かつて勝利しましたし、再びできないという理由はどこにもありません。
この闘いの特別なところは、私たち人民は、私たちが望んでいるものや希望しているもののために闘うリーダーを持たないことでしょう。しかし私たちは主権者たる人民である。そして、私たちの運動、人民の運動こそが、私たちの願いを実現するのです。
私たちの欲しているのは平和です。平和こそを、それを脅かし、破壊している指導者や外国当局に伝えなくてはならないことです。
私たちがはっきりと言えることは、私たちの国に主権があるということです。そして私たちは今、それを伝えたいのです。
私たちが要求しているのは、ひとつの国民として自分たちの未来を決めるという意味での独立です。
以上のことが、他にまだありますが、私たちが米軍基地と米兵に出ていってもらいたい理由です。世界のいかなる場所にも、ここ日本にも、フィリピンにも、韓国にも、アフガニスタンにも、この理由が真実です。そして、私たちは主権を持つ人民として、米軍基地と米軍に出ていってもらうという譲れない権利を持っているのです。
最後に連帯の気持ちを持って、私は日本の仲間に、フィリピンの人民法律家全国連合(NUPL)はあなたたちの情熱を支持するというメッセージを伝えます。米軍を追い出しましょう!
<INTERJURIST169号目次へ>
残念ながら、弁護士 アルニー・フォハ(フィリピン)の主張は日本にもあるが、残念ながら現在のところ独裁国家中国の無謀な行為がアジアの平和を乱し、緊張を作り出している元凶である。戦後体制を力で崩そうとする如何なる試みにも反対する。