カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

猪瀬ゆり子さんのご冥福を祈って

2013-08-08 20:18:21 | 日記


この記事はわたしの別のブログに掲載したものを転載したものです(↓)_。



http://blogs.yahoo.co.jp/maximthecat/33006959.html








7月21日日曜日、猪瀬直樹の妻・ゆり子さんが逝去されました。
猪瀬直樹は7月24日木曜日夜、フェイスブックに
つぎのように書き込みました。


「妻ゆり子の告別式が終わりました。
ご焼香ありがとうございます。
夏、誕生の朝、庭一面に咲き誇る
美しい白いユリの花からゆり子と命名され、
青山墓地の蝉時雨が聞こえる夏、
祭壇で再びユリの花に囲まれ永い眠りにつきました」





2013年8月1日付、猪瀬直樹公式サイトには


このような短いお知らせが載せてあった。






そして猪瀬氏の告別式での御礼挨拶文が本日


こちら↓のサイトに発表になっていた。

http://ch.nicovideo.jp/inosenaoki/blomaga

(転載、転写いたしませんので、お読みになりたい方だけ、ご覧になってください。)








ゆり子さんは5月末に悪性脳腫瘍が見つかり、余命数か月と


宣告されてから、たったの2か月後の7月21日に亡くなった。


オリンピック誘致で奔走する猪瀬氏は、危篤のゆり子さんを


日本に残して海外出張しなければならなかった。


そのときの心境はいかばかりであったことだろう。


しかしそれを微塵も見せず、公務に励み、帰国して、


ゆり子さんを看取ることができたのであった。






猪瀬氏とゆり子さんは「テニスのフォアのラリーが


300回続く」中であったという。


出会いは猪瀬氏19歳、ゆり子さん18歳の時。


「眼と眼が合ったその瞬間光の速度で


神の啓示をうけたごとく、


一心同体で生きることを決め」た、という。




オリンピック東京招致のための海外出張には


ゆり子夫人も同行して記者会見やレセプションなどに


臨んでいたが、この海外での公務の費用の件で


批判もあったらしい。




わたしは通訳時代、オリンピックや世界選手権などの


会議や催し物などに同行したことが何度もあるが、


各国の代表や委員たちが私費にしろ、公費にしろ、


夫人同伴で来ていることは珍しくなかったし、


公費の場合は、夫人も公務の予定が入っていて、


外交官的な役割をつとめているのは、自然なことだった。




ましてや東京都代表としてオリンピック誘致のための


キャンペーンで外国へ赴くのであるから、かえって夫人同伴の


ほうが、友好的に見られる、ということもある。




猪瀬知事にとって、ゆり子夫人はまさに片腕的な存在で、


あの精力的な活動の支えになってきたのであろう。




わたしは猪瀬直樹、という作家の作品はほとんど読んだことがないが、


彼の活動を少なからず応援していた。


応援する、ということは、猪瀬氏の言動すべてを肯定する、


ということではない。




彼の意見に同感することもあれば、


違和感を感じることも、もちろんある。




しかし東京都副知事時代から、猪瀬氏の都政への


熱意の入れ方に注目してきた。




やはり政治というものは、しっかりとした目的意識があり、


それを達成するのだ、という熱意がある人でないと


まかせられない。








人生の47年間を共に過ごした最愛の妻の、65才という


あまりにも早く、そして急な死後、


猪瀬氏はテレビの生番組に出演し、都知事としての


多忙な公務をこなしておられる。




しかしプライベートな時間では、とてつもなく深い


喪失感とともに過ごされていることであろう。




ユリの咲く夏に生まれたから、ゆり子、となづけられ、


そしてまたユリの咲く夏に逝った猪瀬ゆり子さんの


ご冥福を心から祈らずにはいられない。
















猪瀬直樹公式サイト





ネットから拝借した画像は、

ジョン・シンガー・サージェント

の二枚、ユリの花にちなんだものを載せました。



John Singer Sargent (1856 - 1925)




一枚目
Carnation, Lily, Rose
カーネーション、ユリ、バラ



二枚目
Garden Study of the Vickers Children



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