The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

異国の地で思ったこと

2006-11-23 23:50:00 | 【ひと】とふれあう
日本を出て。何時も思う、数々のこと...

「外国に行ってみると良いよ」

昔から、様々な人々に言われ続けていたというのに。

何故なんだろう?
GALANT's Cafeは、なかなか異国の地へ行こうとはしなかった。

いや、別に。
日本以外の国が嫌いな訳ではなく。
#どっちかと言えば、(物理的以上に心理的に)この狭苦しい国なんかより。
#例え死ぬような何が起ころうとも、好きなぐらいだ。

確かに。
資金的な問題(だったら、あんなつまらんモノに突っ込まなきゃいいのだ^^;)と、語学的能力に難アリという問題もあるのだけど。
まぁ、そんな問題は、なるようになるものだ。

...って自分でも分かっていたのに。

友人や同僚が「あそこへ行って良かった」「ここへ行って良かった」という話を聞いていたにも関わらず、それでも“行こう”とは思わなかった。


目的がないと、ダメなんだよねぇ...(X X)
目的がないと、何を理解すれば良いのか、そして何をすれば良いのか、さっぱりわからないんだよねぇ...


そう。
GALANT's Cafeは、目的至上主義と言っても言いすぎない奴で。
目的が明確になれば、どんなに困難であろうと、やり遂げる方法を考える。
が、しかし。
目的があいまいだと、しようと思うどころか、ホント、何もしない(ダメな奴だな^^;)。

そんなこんなで。
初めて異国の地を訪れたのは、30歳を超えてから(@@)
#今時。信じられない話だよね^^;

今回の訪問も、GALANT's Cafeの本業に絡むことで、突然行くことになったのだけど。
目的は明確だったから、足は軽かった。


そんなGALANT's Cafeではあるが。
異国の地を訪れる度(しかもUSしかなく、その訪問回数すら片手の指ほどもない!)に思う種々のこと。

今回は、その中から一つを。


◆人々が親切

無論。
USにだってさまざまな人が居て。
悪意のある人も多いことなんか、重々分かっている。

ここで言うのは、空港や駅、公共機関(およびそれに類する機関)、ホテル、店...etc での話。
どこに行っても、(操作や手続きなどが)分からずに何とかしようと苦戦していると、彼等は必ず声をかけてくる。

(驚いたのは、横断歩道の渡り方が分からず(というのは、USの地は車社会が中心であり、交通制御は車優先なのだ。だから、歩いて道路を横断したければ、交差点に接地されている歩行横断用のスイッチを押して、信号を変えなければならない。この行為は日本でも珍しくないが、切り替わるタイミングや全信号の制御が異なり、その上、切り替わったことを歩行者に通知する方法が日本とは異なるため、よく理解した上で渡らなければ、通行中の車に跳ね飛ばされる可能性が高い)、交差点にある説明書きを読んで理解しようとしていたら、同じ歳ぐらいの女性ドライバーが車を止め「どうした?何に困っているんだ?」と窓越しに声をかけてくれたぐらいだ。)

たどたどしい(しかも明らかにおかしい)英会話であったとしても、「こうすると良い、ああすると良い」とアドバイスしてくれたり手招きしてくれたりする(ただし!そのアドバイスが適切であるという保証はない。よく誤ったアドバイスなんぞもくれたりする^^;)。

さて、日本。
この国において、異国の人が困っていたら、我々(無論、GALANT's Cafeを含む)は声をかけるだろうか?

無論、コミュニケーション能力になんら問題がない方ならば、声をかけるかもしれぬ。
が、しかし。
やはり、声をかける人が少ないように思うのは、気のせいか?

この違いは。
常日頃触れていない異質なモノ(者・物)に遭遇すると、常日頃触れている手馴れた世界に入り込んでしまう、閉鎖的な日本人の気質に依存するのだろうか?

GALANT's Cafeの学生時代。
所属していた研究室には、さまざまな国から(と言っても、アジア系が多かったが)沢山の留学生が居た。

GALANT's Cafe自身は普通に接していたつもりだったのだが。
ある日、彼らの一人が、こんなことを言った。


「GALANT's Cafe。日本には、2種類の人種が居る。
一つは日本人で、もう一つは関西人だ。」
#ちなみに。GALANT's Cafeが学生時代を過ごした地は、東北地域であった。
#だから、生粋の神戸人でもあるGALANT's Cafeは、彼らにとっては異国の人間にでも
#感じられるぐらい、異なる気質だったようだ。


???

GALANT's Cafeには、なんのことか、さっぱりわからず。
すると、留学生の皆が、「そうだそうだ...」と言い始めた。

要約すると、こういうことだ。
「日本人は、隠す! 聞いても、教えてくれない。だけど、お前は違っていて、何でも教えてくれようとする。」

このことを聞いた瞬間。
日本人として、GALANT's Cafeは恥ずかしくなってしまった。

別に、日本人は隠そうとしているわけではない。
が、しかし。
異国の習慣や文化に触れたとき、理解しようとする前に、近寄りがたく感じてしまい、自らを閉じてしまうのだ。
おそらく、この習慣が、彼らには“隠す”ように感じられるのだろう。


このことは。
決して、日本人が日本人以外の人と接する際の姿勢ではなく。
日本人が日本人と接する際にも言えるのではないか?

昨今社会問題となっている“子供達の間で生じるいじめ”。
#別にこのことは、今に始まった話ではなく。
#また、子供達の世界に限ったことではなく、大人の世界にでもよく見られることだ。

この要因の根底にも、“自ら(もしくは意識・無意識に形成された自組織)とは異なるモノを理解しようとせず、拒絶する姿勢”に起因するように思う。
そして。
この要因は、子供達が自ら作り出したものではなく、大人達が彼らに無意識に体験させていることだ。

それが日本固有の習慣・文化だ!と言い切ってしまえば、もう、何も言うことはなくなってしまうのだが。

日本人を国際人化しましょう、そのために語学教育を充実させましょう、歴史認識をきちんとさせましょう、愛国心を育てましょうなどと声高に言ったところで、異文化や異価値観をきちんと理解し受け入れようとする姿勢を築かない限り、“仏作って魂を入れず”ではないか?

いや、政治も経済も。工学も医学も、なにもかも。
今日本で常識化したことの多くは、その大半が輸入されたものだ。
日本人は先人達の良いところを取り入れ、自らの発展のために活用してきた。
しかしながら。
その“マネ”は、形格好ばかりで、その真髄(なぜ、そのような発想が出てきたのか? なぜ、そのような行為をするようになったのか?)には触れていないのではないか?

自らが“見て、感じて、考え、そして行動”するという習慣が希薄なために、安直に“だれかがやった行為を真似て、そして行動”するということに始終していないか?
そのために、“異文化や異価値観を見て、感じて、考える”という習慣を持たないために、これらの問題を引き起こしていないだろうか?

無論。
異国には、異国の問題が存在する。

親切に見えるUSの人々も。
集団化し、政府化されると、平然と他国へ介入することを厭わなくなる。
いや、自らが不利な状況になればなるほど、自分達が築いてきたルールを(勝手に)変えてまで「ルール違反だ」と主張し介入し始める。
これも、“異文化や異価値観への理解”をせずに、接しようとするからなのだが。

そのことを差し引いても。
やっぱり、日本人は。
異文化や異価値観に接すると。
その真髄に触れようともせず、その表面だけをなぞって分かったような気持ちになり。
そして、その文化や価値観を隔離しようとするように、GALANT's Cafeには思えるのだ。
#本当は、“慣れの問題”だけなんだけどね...
#分からないものは「わからん!」と接すれば、彼らはなんの問題もなく、いや
#おせっかいなぐらい、こちらが分かるまで付き合ってくれるのだ^^

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8 コメント

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ん~・・・ ()
2006-11-24 00:52:17
一番簡単な理由は言葉だと思うけど・・・違うかな。

海外のかたは自国の言葉で話しかけてくるよね。
でも、日本人はなぜか相手の国の言葉を使おうとする。
なので、語学に自信の無い人は困っているのが分かっていても話しかけない。
親切と言えば親切なんだけど、気を回しすぎてかえって不親切^^;

私は英会話がてんでダメなのですが、身振り手振りでも結構通じるし、
聞いてみて自分の手におえなければ、おえる人の所へ連れてってあげればいいんだよね~と思っている。
あちらで買い物をした際に細かいのが無いかと聞かれ、財布の中身をカウンターの上に出して必要なだけ取ってと言ったツワモノな私^^;
細かいのを持っていないことが分かると、レジの横に置いてある壜から小銭を出して足してくれたわ。

「恥ずかしい」は捨てればいいのよ~
私のようにまるで持ってないのも問題だけど~
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手段の問題と姿勢の問題 (GALANT's Cafe)
2006-11-25 00:33:40
●柊さま
確かに、言葉の問題はあるよね^^;
でも本当に、それが主な理由だろうか???

“見て見ぬフリをする”“事なかれ主義”“周囲に関心を持たない”

そんなことが根底にあるように思うんだな。
違うことを祈りたい...
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国民性 (にのちか)
2006-11-25 00:50:49
アメリカ人、オーストラリア人はかなりオープンで親切な国民性だと(一概に言ってしまえば)思うなー その国民性っていうのは何だろうねえ 学校や家庭での「教育」もあるだろうし、その国の地理だったり地形だったり歴史だったり、日本はどこの外国ともほとんど接点のない国だったり歴史的なものだったり。異国の地で日本を見つめ直すっていうこと、ほんとよくあるので気持ちよくわかります...
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うん ()
2006-11-25 01:10:02
言葉の問題というのは、要はものの考え方ということなのですけどね。
個人差もありますが、無関心な人って確かに多い。(メンドウは避けて通りたい人)
数が多くなれば国民性になるのかな。
それでも、違った意味で周囲に関心を持ちすぎている場面もよく見かけますが^^;
私が海外でしか泳がないのはそれがあります(謎w

アメリカ人はちょっとした事などにもお節介的なくらい親切だなと思いましたが、マレーシアではそんなに感じなかったから国によってもいろいろなのかも。
自分の国の人を事なかれ主義の不親切な人間だとは思いたくありませんけどねぇ。
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オーストラリア人も? (GALANT's Cafe)
2006-11-25 23:51:58
●にのちかさま
アメリカ人は、多民族国家なので、仲良く(実際にはそうでないにしろ)暮らしていくための知恵のようにも思えます。

あれ?オーストラリア人は、何故なんだ???

国土の広さから来る“おおらかさ”なんでしょうか?
やっぱり、不思議です。
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変化 (GALANT's Cafe)
2006-11-25 23:59:34
●柊さま
確かに、言葉はその人の思考から発せられるもの(奇声は別として^^;)でしょうから、おっしゃるとおりでしょうね。

アメリカ人は、親切と言えば親切だし、おせっかいだと言えばおせっかい。
酷い場合には、自ら作ったルールを変えてまで干渉したがる嫌いがあるように、日本人であるGALANT's Cafeには感じられる場合があります。

日本人の美学は、相手のことを推し量る(グループの和を重んずる)国民性だったはず。
だから、異国の人に対しても、可能な限り、その異国の人が理解できる言葉で話そうとするのでしょう。

が、しかし。

最近、日本で起こる事件・事故だけでなく、日常茶飯事の生活で見かけることは、そのような美学をすっかり忘れ、“自らがよければそれで良い”とも取りかねない、なんと言うかな、自らは何もせずに要求だけ一方的にする一種の嫌らしさを感じるのは、GALANT's Cafeだけなのでしょうか...?
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ちょっとずれるけど (school-t)
2006-12-02 00:15:08
私は関東の人間で関東流が居心地が良いんですけれど
友達の外国人は一様に関西、特に大阪は居心地が良いといいます。
アメリカ人に共通するような社交性がありますよね。

因みにアメリカ企業からは冷たさを感じます。
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地域性 (GALANT's Cafe)
2006-12-02 21:01:12
●school-tさま
外国人から見ると、あっけらかんとざっくばらんに話す気質が濃い関西人という人種は、とっつきやすいようです。

他に考えられる理由としては、“地域性の色が濃い”ということでしょうか?

関西人(正確には神戸人)であるGALANT's Cafeには、京都人と大阪人、神戸人の違いは明白です(関東の方にはわかりにくいそうですが)。

が、東京に住んだことがあるGALANT's Cafeには、東京都人と千葉人、埼玉人の違いは、ついに分からずじまい。

いや、そんな言葉すらないですから、本当に違いはないのかもしれません。

この違いの有無が、異国の人間の心に触れるなにか の要因なのかもしれません。


アメリカ企業もさまざまな個性があり、冷淡な会社もあれば、そうでない会社もありますね。
#ただ、大型化すればするほど、訴訟問題を避けるために、冷淡になる傾向があるように思いますね。
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