先日、市内にある天来記念館に行って来ました。いつか行ってみようと思っていたのがかないました。比田井天来は、明治5年(1872年)に佐久市協和片倉に生まれ、漢字や哲学を学び、古典を学書の基本に据えた書法を追求して生涯を書の研究に捧げ、昭和14年(1939年)68歳で生涯を閉じました。
解説より。当時、「廻腕法」が主流で、これ以外の手法は邪道であるとして誰も省みませんでした。しかし、中国の古典を基礎に学んでいた天来は、この過程で「廻腕法」では書けない字があることに気づき、さらに多くの古碑帖、古墨蹟を研究した結果、古典の筆法「府仰法」を発見しました。それが『古法』です。「府仰法」などの発見により、多くの古典の書法を正しく伝えることができるようになりました。
天来は弟子に、多くの古碑帖を自ら学ぶことが重要と教え、自分の字を真似しないように指導し、手本を書きませんでした。そこで学んだ弟子は、自分自身の字書によって自らの書風を確立していき、その結果、現代の新しい書の表現として、前衛書や少字書、詩文書等が生まれたのです。
天来は、現代書道のさきがけをなしたことで「現代書道の父」といわれ、日本の書道に大きな功績を残しています。
六十歳代の作品『六曲屏風』ですが、私はその書からあふれ出る気韻に圧倒されました。写真ではその迫力はわかりませんが、まさしくリアルとの対面でした。
また、天来と共に、大正から昭和初期にかけて、かな書道の最高指導者として活躍した。 妻である比田井小琴(1885年〜1948年)「東京都生まれ。本名元子。宮中の御歌所で活躍した歌人で、書家の阪正臣に和歌と書を学ぶ。17歳のとき、比田井天来と結婚。教科書の執筆をはじめ、東京美術学校で教鞭をとるなど、自身も仮名書家として第一線で活躍し、公私ともに天来を支えた。 」の作品も展示されていました。
私は、ふと二人の結婚生活に思いがゆきました。二人はともに書の世界に生き、公私ともに天来を支えた小琴とあるように、素敵な関係だったのではと・・・・。