不思議活性

月刊近文と私 8

 

 月刊近文と私 8

 「月刊近文」は、主催者 伴 勇氏(1918年~1992年)の逝去により、
1992年(平成4年)4月号をもって終刊となりました。1983年(昭和58年)月刊近文10月号に拙い自分の一篇の詩を掲載されたのが縁で、伴氏とは送られてくる詩誌と時たまの手紙だけのやり取りでした。私は29歳~38歳の頃でした。振り返ると、東京での一人暮らしから故郷に戻ってきて、まだ、ひとりぼっちの、時に鬱屈とした日々でした。
 故郷に戻ってきてきてからは、父母と私の三人暮らしでした。その父も1989年(平成元年)、母は2014年(平成26年)に他界しました。1990年は、私にとっては記念の年ですが、思い出してみると、イラクがクウェート侵攻で湾岸危機。ドイツ統一が実現。天皇陛下が即位の礼。株価、一時2万円割る大暴落。などとありました。

1993年(平成5年)刊行「伴 勇作品集」より。

  『老人記(足の眼)』

階段を昇る
片手を手すりに添えて
ヨイコラショ ドッコイショ
横を人々は
トントンと軽やかに昇る
昇る時よりも降りる時が
大苦労
足許をしっかり見据え 手すりもしっかりと
一段一段 慎重に降りる
人々は横を足許もみずに小走りに降りる
彼等にはきっと 足に眼があるんだ

人間は老いと共に 眼は老いてゆく
足の眼は 老いと共になくなってゆく

  『老人記(死)』

日々 眼で又耳で
 死 という言葉を聴視しない日はあるまい
多い日には 殊に戦争とかクーデターなどでは
新聞に TV・ラジオに
 死 という言葉が氾濫する
だからといって 人はそれを
自分の死には直結はしない
肉親 特に親しい人又は尊敬する人々の
 死 は悲しみを深くする
しかし それだからといって
自分の死に直結はしない

歳をとると
 死 を自分に直結しはじめ
残された人生に思いを深くする

  『恋慕』

あなたはわたしをしらない
わたしはあなたをしっている

寂しいとき眼をとぢると
あなたの憂い顔
楽しいとき眼をとぢると
あなたの笑顔

あなたではない あなたが
わたしの体中に息づいている
わたしが死ねば
あなたでないあなたも
死んでくれるのです

  『ふるさと』

捨てられた男は
育った町はあっても
生れた町はない

美しい女
そうではない女
たちの 乳房をもとめて
の 遍歴

 『をんな』

すてられたからいうて
あんさん
身を持ち崩したりしたらあきまへん
泣きたいだけないたらよろしおすのや
けど
涙は
捨てたをとこはんへではのうて
自分のために流すんどすえ
涙が渇いたら
結婚するのもよろしおすし
厭やったら一人でいるのもよろしおす
幸福なんて
判ったような判らへん言葉なんかどうでもよろしおす
あんさんが
あんさんに恥かしゅうない生き方しなはれ
それが
あんさんの幸福だす
判りまっか
涙は
あんさんをすくうてくれまんのや
そして
あんさんが生きてるかぎり
捨てはったをとこはんは恥ずかしいのだす

  『わたし』

はじめて歩く道なのに
傷跡だらけの土塀 不揃いの石畳にも
わたしには記憶がある
ずーっと昔のことだ
たしかに
此の道を歩いた思い出が鮮やか
そんなはずがあろうはずがないと
否定しても
ななめにザクッとえぐった傷跡
ところどころ無くなった小石も
それはわたしの仕業なんだ
人は過去に生きるのではなく
現在から未来に生きるんだと
教えてくれた人がいたが
わたしは
そうじゃない そうであってたとしても
わたしは
過去のなかに現在をみる
未来のなかにも過去をみる
それが人でないとしても
わたしはわたしであればいい

此の道は
過去も現在も


・日々の生活に追われ、近文社から送られてきた積読のままの、全国詩人特選詩集や日本詩人叢書がまだ多くあります。それらのなかから、これからも紹介していけたらなと・・・・。
 下の写真は、1987年(昭和62年)全国詩人特選詩集でお世話になったときの、伴 勇氏からの貴重なお手紙です。


 『詩との出会い・・』 ふー

本棚に積まれた詩の本を
開いて見ました

何十年も前に書かれた
詩たちです・・・・

読みながら
あの頃は どんな時代だったのか
通り過ぎて来た
過去の記憶が 
浮かんでくると共に

タイムスリップした
過去が たった今の
出来事であるように
生き生きと
動き出すのです・・・・

詩を書いた
作者の心の動きが
自分の心と共振して
自分が その今を 
生きているようです

ほんとう

詩って
さまざまなおもいを

時を超えて
伝えることが
出来て

懐かしい父や母に 
出会ったようで
ときに 春の日の
あたたかな
青空のようです


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コメント一覧

ふー
eriさん、ありがとうございます。時間ってあってなくてあるのかも・・・・。今は過去につながり未来につながり。
eriさんのあたたかな詩には、ほっとします。これからも、eriさん、よろしくお願いいたします。
eri
お久しぶりです。

詩って
さまざまなおもいを

時を超えて
伝えることが
出来て

本当にそうですね。時を超えてっていうところがミソですよね。

読んだことのない月刊近文に触れることができたこと、そして、ふーちゃんの思いあふれる詩生活を知ることができたこと、ふーちゃんのブログのこのシリーズも拝読することができてよかったです。
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