不思議活性

自分史 4  本山博先生と私 6



     6

 つづいて、本山博先生は、科学の限界やオカルトブームの根底にあるものなどについて著しています。

 私自身、1980年代のアメリカのラジニーシ教団とか、1990年代のオウム真理教という言葉も浮かんできました。と書いたように、思い当たるので、『現代社会と瞑想ヨーガ』より、続けて、紹介いたします。

「オカルトとは一種の神秘主義で、目に見えない超自然的なものに参入してそれと一つになるような心の高まりを作り出し、隠れた神秘の力を自分たちで利用するものだと言うことができます。
 では、新興宗教から現在のオカルトへと、若者を中心に人々の関心が移っていったのはなぜでしょうか。
 まず第一には、科学技術の発達による物質文明の急激な進歩が、心を置き忘れた思想や社会構造、あるいは共同体をつくり出したことです。
 これまでの日本人にとって、企業という共同体は働いて生活のためのお金を得る場という以上の特別な意味をもっていました。企業で働く一家の大黒柱にとってだけでなく、その家族にとっても同じことでした。
 しかし企業は、その連帯感をあえて捨てようとしています。つまり、働く人間の価値が企業にとっての利益だけで計られる・・・・・。言葉を換えれば企業がまさにモノの原理だけで動く時代の到来が、人々の心に影響を与えないわけはありません。
 第二は家庭での問題です。
 戦後の日本人はよりよく生きることとモノの豊かさとを取り違えました。その結果、子供を可愛がるとはモノをたくさん与えることであり、より有名な大学へ進学させることだとなりました。有名大学を出て有名企業に就職する。そうすればよりたくさんのモノを持てる生活ができるからです。
 モノに不自由しなければ子供は幸せ・・・・・・。こう信じて疑わない親と、親との心の触れ合いを求める子供との間に深刻なズレが生じ、心の飢えを家庭で満たされない子供たちは、それを外に求めるようになっていきます。
 またこのような風潮は、人間を成績だけで選別する考え方を生みます。学校ではテスト、企業では売り上げや利益といった結果の数字だけが問題となります。極端な言い方をすれば、他人を助けることに自分の時間を使っても、自分の成績が上がらなければ低い評価しか得られないのです。そしてその低い評価は、そのまま自分の生活に跳ね返ってきます。
 これが第三の問題を生むことになります。つまり、自己愛的な人間が非常に多くなるということです。
 これが宗教に関しても、いわば宗教の個人化とでも呼ぶべき状況を招きます。
 もう一つ、これはとくに若い世代に言えることですが、現実から遊離した感覚が幼児の頃から育てられていることがあります。テレビの普及によって、いながらにして世界中の出来事を見たり聞いたりできることはいいのですが、問題は、それが現実ではなくてブラウン管に映し出されるいわば現実の影だということです。現実の手触りを知らないままに感情や想像力が豊かになった結果、現実と想像との区別がはっきりしなくなってきた。これが、実際に非現実なものを容易に受け入れる、心理的な下地をつくることにつながっていると思います。
 以上のことから、この十年ほどの間に若い世代の間でオカルトが急速にブームとなった理由がわかっていただけたと思います。つまり、強い自己愛的な性格を持ち、個人の利益や幸せを人生の最大の目的とする若者が宗教を求めると、どうしても心身の健康や個人の利益がキーワードになる。となると、魂の深みに入って超能力を獲得し、その力を自分の願望の達成や幸せのために利用できると説く、オカルトに傾かざるを得ないということです。
 前に、若い世代が魂の問題に関心を持つことは喜ばしいことだと言いましたが、皆さんは、このオカルトブームが、これまで話してきたような人間の霊的成長という観点から見れば間違った方向であることがおわかりでしょう。自己愛をベースに超能力の獲得だけを目的とするオカルトの隆盛は、これまで話してきたような数多くの現実の問題を解決することには決してつながりません。それどころか、後でお話するような新たな問題と社会の混乱を生む原因になるのです。」

・次回に続く・・・・。

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