人間の業を深く見つめた社会派ミステリーで人気を集めた作家の森村誠一さんが7月24日逝去されました。中身はうろ覚えですが、1976年『人間の証明』を思い浮かべます・・・・。
それから、何十年もたって読んだ文庫本について書いていたことを思い出し、その拙い文から、森村誠一さんについて・・・・。
私は先日、『殺人の組曲』森村誠一を読みました。
物語のなかでは、必然的というか登場人物が殺人を犯してしまうのですが。
たとえば、『足音』という作品では、松岡は被害者と偶然街で再開して、つきあっていた。ところが被害者からお金を持っていない男は嫌いだ、私のようないい女とただで遊ぼうなんてずるい根性だ。私とつきあいたかったらお金を持っていらっしゃいと言われてからその関係が険悪になっていった。
犯行当夜、工面した五万円とプレゼントに買ったネックレスを持って訪れると、彼女は鼻先でせせら笑って、こんなはした金とがらくたで自分とつきあおうとおもっているのか。家に帰って○○○○でもしていなと言われてカッとなり、気がついたときは相手がぐったりなっていたのです。
小説のなかの事件であるが、松岡は被害者にバカにされなかったら、殺人は犯さなかったのであり、被害者自身、松岡にやさしく接していたら殺されずにすんだであろうと思うのでした。
これなんか、まさしく原因あって結果ありで、共存共栄の法則から外れたわけですね。最も、殺人事件が起きなければ推理小説が成り立たなかったのですが。
小説のなかですが、幸せの法則ありですね・・・・。
また、もうひとつ、『新たな絆』では、人生に絶望した女が我が子を捨てようとして終電車に乗り込み、意外な事件に巻き込まれるのである。
それは、別の若い母親が電車に置き去りしていった赤ちゃんを見て、人生に絶望した島枝は、かけ替えのないものを失わなくて済んだのです。
(子供を捨ててまで恋人の許へ走っても、そんな恋は決して長つづきしないわ。明日は彼にすべての事情を正直に打ち明けて許しを乞おう。ぴかぴかの恋人を失うのは辛いけど、私はやはり、女である前に母親だったわ。もうあんな恋人と出会うことはないでしょう。でも恋は必ず燃え尽きる。燃え尽きる炎の強さに目を眩まされていたんだわ)
夜が更けていた。その夜は警察が見つけてくれた宿に泊まることになった。
この子たちのためにまた明日からしっかり働かなければ。島枝は心に誓った。
島枝は終電車から下り立った街で、子供と新しい絆によって結ばれたとおもった。
島枝は、置き去りにされていった赤ちゃんに出会うことによって、再び、母親としての愛に目覚めたのです。
この文庫本『殺人の組曲』は、九つの話による短編集でした。作者自身の解説として、「以上九本の短編は推理の技巧性を凝らしたつもりであるが、その短さの中に作者が技巧以上に凝縮したかったのは人生である。読者各位がこのアンソロジーから人生の“濃度”を感じ取っていただけたら、作者の喜びはこれに尽きる。」と。
・ちなみに、この作品集は、1992年に刊行され、この文庫『殺人の組曲』は、2010年初刷りとあります
小説とは何かの検索にあるように。まさしく、小説とは、「作者の構想のもとに、作中の人物・事件などを通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを、興味ある虚構の物語として散文体で表現した作品。」で、やはり、現代社会の疎外感を問うミステリーであったり、社会派としての森村誠一さんの作品はいいですね・・・・。